11月鑑賞目録

エリザベス・キュブラー・ロス&デーヴィッド・ケスラー著、上野圭一訳『ライフ・レッスン』(2001、角川書店n)
井手 英策 (著), 宇野 重規 (著), 坂井 豊貴 (著), 松沢 裕作 (著)『大人のための社会科 -- 未来を語るために』(2017、有斐閣)
リュック・ブノワ (著), 有田 忠郎 (翻訳)『秘儀伝授ー蝦夷テリスムの世界ー』 (白水社1976)
ウィリス・ジョージ エマーソン著 田中 雅人 (翻訳)『地球内部を旅した男―オラフ・ヤンセンのシャンバラ・レポート』(徳間書店 2009)
岡田 尊司『マインド・コントロール 増補改訂版』(文藝春秋; 増補改訂版 、2016)
小林 よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論』(小学館 2009)
藤田 直哉『シン・ゴジラ論』(2016、作品社)
アガサ・クリスティー著山本やよい訳『オリエント急行殺人事件』(2011、早川書房)
アガサ・クリスティー (著)清水俊二訳『そして誰もいなくなった』(早川書房、1976)
アガサ クリスティー (著), 羽田 詩津子 (翻訳)『アクロイド殺し』(早川書房 2003)


『ガラスの仮面』(22話、1984)
『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』(13話、1991-92)
『機動戦士ガンダム第08MS小隊』(11話、1996ー1999年)『ラスト・リゾート』(1話、1999)


「オリエント急行の殺人」』(2010)
『オリエント急行殺人事件』(1974年の映画)
『シン・ゴジラ』(2016)(再)

11月は読書の月といっていいだろう。といっても、最高で月に25冊ほど読んだこともある私からすれば、十冊程度しか読んでいないのは、まあそこそこということになるけれども。でも3日に一冊は読んでいるのだから、仕事をしながらやっているのだから、まあまあいいほうなのではないかと思う。読み飛ばしもしていないしね。僕は着実に読む、着読派だから。
とりあえず、鑑賞したアニメから述べると、ガラスの仮面、初代のほうを、ベルバラと同じような感覚で見た。なるほどこれがガラスの仮面か。ただこれは途中で終わっているらしく、さらに完成された作品が2005年くらいに、きれいなアニメになってリメイクされ、それも見ようと思って見始めているが、いきおい衰え、途中で止まっている現状である。
見たアニメとしては、そういえばガンダムもきちんと見たことがない作品があるなあと思い、とりあえず、0083と08小隊をきちんと全話見ることができた。歌もいい。ただ、12月に会ったガンダム、冨野信者の教授は、コウ・ウラキとシロー・アマダは本当に内容のないつまらない男だ、と酔った勢いでいっていたけれども。まあそれは僕も同意するけど。ただ、どちらもアニメ最盛期のOVAということもあって、ほんとうに絵がすばらしい。

あとは12月に公開されるオリエント急行殺人事件、そういえば、すごく有名な作品だけれども、きちんと見たことも読んだこともないなと思って、はじめてアガサクリスティーを読んだ。そして、ややメディア間研究みたいな感じになったけれども、1974年版の映画と、ドラマ版の映像化をみた。それで満足してしまって、結局新しい劇場版は見るにいたらなかったけど、これはまあ一年後にDVDが借りられるようになったらでいいかなと思う次第。
アガサクリスティー初読書だったわけだが、とてもおもしろく、他の名作も読んでみようと思って、『そして誰もいなくなった』と『アクロイド殺し』を読書した。これくらい読んでおくと、年末にやった「黒い十人の秋山」など、現在のほとんどのミステリーものでさえ、クリスティーの影響下にあることがわかる。

エリザベス・キュブラー・ロス&デーヴィッド・ケスラー著、上野圭一訳『ライフ・レッスン』(2001、角川書店)には、多くのことを学んだ。いまだキュブラーロスの『死ぬ瞬間』は読んでいないのであるが、この本から学びえることは大きかった。特に、恋愛などで破綻を迎えたとき、われわれはそれは失敗だった、というふうに考えがちだが、しかし、恋愛をしている間はお互いにささえあっていたわけであるし、なにかしらを与えあっていたわけであるし、その役割が終了したから別れるという結末にいたったわけで、それが失敗であったということではなく、むしろその間にお互いに多くのことを学んだのだという指摘には納得した。うつぬけもしてきた時期であり、私は中高時代に付き合った彼女に、浮気別れをされてから9年ほどずっと彼女のことを恨んできたけれども、そして彼女のために私は精神的に追い詰められる結果になったと思っているけれども、それでも彼女から、結末は悲惨だったにせよ、学んだことは多かったし、私が、苦しいけれども、こうやって文学者たりえているのは、彼女とのいろいろなやりとりがあったからだという想いに至った。

井手 英策 (著), 宇野 重規 (著), 坂井 豊貴 (著), 松沢 裕作 (著)『大人のための社会科 -- 未来を語るために』(2017、有斐閣)これは新しい本。わりと意欲的で、表紙を田中圭一がかいていることからも、なんかおもしろそうということで買った。内容は至極まっとうな内容で、私自身はそれほど多くを学ぶことはなかった。すでに大学で学んできた内容がほとんどだったからだ。まあ教科書と銘打っているのだから、大学で学ぶ程度の常識なのかもしれない。しかし、私は本当に大学を出て思うのだけれども、大学レベルの常識、たとえばバイアスを疑うとか、そういう程度のことが本当に訓練されたもので、一般の多くの人には、ネットなどをみていても、浸透していないのだなあということに呆れ、悲しむばかりである。なかじこざかしくなったばかりに、それがわからない人達のことがばかにみえてきてしまっていけない。それを説明するのも面倒だけれども、それを代わりに行ってくれるのが、こういう良識のある人たちなのだなあという感じである。

リュック・ブノワ (著), 有田 忠郎 (翻訳)『秘儀伝授ー蝦夷テリスムの世界ー』 (白水社1976)
ウィリス・ジョージ エマーソン著 田中 雅人 (翻訳)『地球内部を旅した男―オラフ・ヤンセンのシャンバラ・レポート』(徳間書店 2009)この二冊は、私の今度のマスターピースになる小説の材料になる本であった。

岡田 尊司『マインド・コントロール 増補改訂版』(文藝春秋; 増補改訂版 、2016)
この本で岡田尊司先生はおもしろいなと思い、いま『愛着障害』を読書中である。

小林 よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論』(小学館 2009)
藤田 直哉『シン・ゴジラ論』(2016、作品社)
シンゴジラが地上波初放送だったので、それを見た。去年劇場で見たあの感覚とくらべると、あれ、そんなにおもしろくないな、と思ってしまったけれども。とにかくそれもあり、12月に教授とひさしぶりに飲むということもあり、少し論理武装をしておきたいと思って、藤田直哉の『シン・ゴジラ論』を読んだ。けれども、あまりおもしろくはなかった。期待していたほどの何か新しい指摘はほとんどなかった。とりあえず、ゴジラと天皇というようなキーワードが飛び出してきたので、そういえば、天皇についてよくしらないなと、以前読もうと思って購入しておいた小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』をその後によんで、おおまかではあるが、天皇についても少しは学んだ。そんな月であった。



2017年を振り返って~2018年への抱負

本当ならば2017年のうちに書いておこうと思った文章であったが、やはりロングスリーパーの私には、一度睡眠に入ると起きることができずに、年末から年始にかけてを寝て過ごすということをやってしまった一年であった。
さて、私は総括というものは一応必要であると思っている。まとめるということは、もちろんそこからとりこぼれるものにも重要なものはあるけれども、しかしなにもまとめずにそのままというのもまたそれはそれで、わかりにくいという点から、ある程度のまとめというのは、個人的なレベルにおいても、そしてひいては国家間の歴史認識などにおいても、まとめをし、それを共有するという作業はどうしても必要になってくる重要な作業であると認識している。
という大仰な建前はさておき、私個人の2017年を振り返り、そこから2018年への飛躍をとげていきたいと思う。
2017年は後厄にあたるとしで、たしかにこの三年間、なかなかつらい思いをしてきた。心理的にはやはりうつ状態のまっただなかであり、2017年にはだいぶ回復したものの、それでもまだあとをひきずっていた感もあり、ようやくうつぬけできたかなという感じである。くしくも2017年には、田中恵一先生のうつぬけという漫画が話題になり、そのセンセーショナルな言葉によって多くの人にもうつぬけという言葉が共有された。私自身も2017年の年末に、やく一年ぶりに飲みをした大学の先生との間で、しばらくなかなか会えなくて、会う気になれなくて、どんな顔をしてあえばいいのかわからなかったけれども、いまになってようやくうつぬけをした感じで、相手に心配させずに会えるようになったから会ったというようなことを言った。
大学時代の時にうつを発症し、さらに社会人一年目、たった二ヶ月で精神をぼろぼろになるまでにされた初の職場を退職後のさらなるうつ。そこから就労はうまくいかずに、2017年もまた、あまりにも過酷なシフトを組む店長のもとで、私は転職を考え、一度正社員になってみるも、たった四日しかつづかないという、自分史上最も短い勤務日数を更新し、ああ、俺ってだめなんだな、というところに落ち込んでいた。しかし、ひらきなおるというか、あきらめる、あからめる、というか、ここでようやく、僕にはいわゆる「ふつう」の、週五日でフルタイムで働く正社員は無理なんだなということがわかり、僕には残念だけれども、そういうのは無理だから、父母からゆずりうける、土地、家、財産などを、私の代で食いつぶしながらも、私はなんとか生きられるだけ生きて行こうと、がんばるというのはできないのだなということを改めて、自分でもようやく納得できる境地に達せたのはよかったことである。これでいつまでもいや自分はこんなんじゃないんだと、無駄なあがきをつづけていれば、いつまでも傷つくことになる。私には無理なんだから、そういう性分にうまれついてしまったのだから仕方がないとあきらめて、自分ができることを自分ができる範囲でやっていこう、その過程において、自分の車を持つとか、家を建てるとか、結婚や子供を持つというような、「普通」の夢をあきらめることになったとしても、仕方のないことだ、というような、一歩引いた、達観した立場に、境地に至ったのは事実である。
そしてそれが6月のこと。それからはあまり落ち込みもせずに、いままでの飲食店の仕事も週5だとつかれるので週4にしてもらって、しかも契約を変えて、深夜は働かない、夕勤だけにしてもらって、だいぶ自分の時間もとれるようになって、精神的にも落ち着いてきた。
2017年を感じ一字で表すとしたら、というのを世間ではやっているけれども、自分でやるとしたら、病状も治まり、比較的安静な時を過ごせたことから、「静」、病気がいえたことから「癒」、いままでのことをひきつぎつつ、なんとか生き続けていることから「連」といった漢字が引き出せるような気がする。

2018年を迎え、この年をどんな年にしたいか。
急に仕事を減らすのは他の人にも迷惑かなと思い、12月の段階で、来年の3月には週3日勤務にしてくれという予告をした。だから、一月、二月はこのまま、といっても週4日で、「ふつう」の同期の社会人の皆と比べれば楽なのであるが、それをさらにつめて、3月からは週3日の勤務にし、「ふつう」の夢であった、車、家、結婚、子供、などをあきらめながら、それをわきにおきながら、自分のしたいことをする一年にしたいと思う。当然収入は少なくなるから、いままでのように、自分の好きなものをばんばん買うこともできないし、旅にもいくことはできないだろう。だが、それでいい。
すこし疲れたし、まあだいぶ回復してきたとはいえ、あまりにも長い間病に苦しめ続けられた。大学一年の時の発症からすれば、7-8年、うつやそれに付随する症状にさいなまれてつかれはてているのだ。
それにようやく精神的な力も回復してきたのか、なんとか文章をかけるまでに回復してきたので、今年は、仕事の時間は最低限のお金をかせぐための必要最低限の時間と割り切って、後の時間を、まだ見ていないアニメをみ、映画をみ、本を読み、そして創作活動、小説の執筆へと移っていきたいと思っている。
おそらくここから数年は、アルバイトを週3日やりつづけながら、ゆっくりと創作活動を続けていく、私の創作期にはいっていくことであろう。
大学時代から構想を練っていた、私の初期のマスターピースになるべき作品の準備のために、すでに本を30も40も購入している。これらを読んで、自分のなかで体系化した暁には、相当な小説を出せるのではないかと思っている。しかし、これはあまりにも規模が大きすぎるため、どこかの賞をねらうには、規格が大きすぎて入りきらない。だから、デビューしなければ本を売り出せないのであるから、デビューするための、入賞するための作品も又、いくつか書いていきたいと思っている。
すくなくとも私は就職しなければ、といった価値観に、昔から反対していたけれども、しかしこころのどこかでそういう価値観にあこがれていたし、コミットしたいと思っていたのだ。それが、前回の就労失敗で、ついぞ腑に落ちたというか、自分には無理なことなのだから、自分に向いていないところでがんばるより、自分のできることをがんばろうと思うに至ったのだ。
たった一度きりの人生なのであるから、他人が代わりにできる仕事はほかのだれかに任せればいい。自分には、自分にしかできないと思うことをやったらいいのである。
所信表明


10月鑑賞目録

C・ジェームス・ジェンセン (著), 大沢章子 (翻訳)『潜在意識をとことん使いこなす』サン(マーク出版 、2015)

『賭ケグルイ』(12話、2017)
『サクラクエスト』(25話、2017)
『異世界はスマートフォンとともに』(12話、2017)
『NEW GAME!!』(12話、2017)
『DIVE!!』(12話、2017)
『最遊記RELOAD BLAST』(12話、2017)

『ドラゴンボールGT』(64話、1996-97)
『GTO』(43話、1999-2000)
『名探偵ホームズ』(26話、1984-85)
『スペースコブラ』(31話、1982-83)
『鋼の錬金術師』(51話、2003ー2004年)
『ベルサイユのばら』(40話、1979-80)
『ドラゴンボール エピソード オブ バーダック』(2012)
『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』(64話、22009-2010)+OVA4話
『天元突破グレンラガン』(27話、2007)
『OVA:グレパラ 〜グレンラガン パラレルワークス〜』(8話、2008)
『OVA:グレパラ 〜グレンラガン パラレルワークス〜2』(7話、2010)
『OVA:天元突破グレンラガン
キラメキ☆ヨーコBOX 〜Pieces of sweet stars〜』(2009)
『コードギアス 反逆のルルーシュ』(25話、2006-07)
『コードギアス 反逆のルルーシュR2』(25話、2008)
『コードギアス 亡国のアキト』(5話、2012-16)
『うたわれるもの』(26話、2006)

『ルパン三世 霧のエリューシヴ』2007
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997)(再)
『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』(2005)(再)

10月もアニメ月ですね。本は、ちょこちょこと読み続けていたのを一冊読んだだけで、あとは完全にアニメだったようだ。
現行アニメは、『賭ケグルイ』が少しエロくてよかったけれども、論じるほどでもなく。『サクラクエスト』に至っては、2クールやる意味がまったくわからないほどのつまらない作品で、もちろん作品をつくっている声優さんたちなどはとてもよくがんばっていたのだろうけれども、いかんせんぐだぐだで、平凡な話で2クールはかなりきつかった。唯一言えることといえば、ゼロ年代の想像力的な、地方創生みたいなあまりにも使い果たされた言説の再現であったといったところだろうか。『異世界はスマートフォンとともに』は、あまりにもひどい作品だったけれども、ネットでは虚無アニメというパワーワードまで生み出したアニメだったが、それを詳細に原作との比較などを通じて論じているネット論評などもあり、それをめぐる言説はなかなかおもしろかったといっておこう。作品自体は、もはや記号化されたハーレムもの以外のなにものでもない。『NEW GAME!!』二期も、うーん、という感じ。『DIVE!!』に至っては、バッテリー同様、ぼくはスポーツと、そこに付随しているスポーツ精神のようなものにまったくもって興味がもてない人間だから、理解が不能だった。『最遊記RELOAD BLAST』が、このなかでは一番おもしろかったといっていい。

過去作をとにかく見続けていた一月であった。
『ドラゴンボールGT』は、無印、Z、GTとともに、190、290、64と、550話くらいを一気にみたのは、自分としても壮絶な感じがして、これだけ一つの作品で話数をみたのは、おそらく私の人生のなかで初めてである。それまで二百話のリボーンが最長だった気がする。とにかく国民的作品ドラゴンボールを完全コンプリートしたことによって、私はバージョンアップされたといえよう。ただ、GTに関しては、一応グランドツーリズムとかなんとかあるけれども、本当のところはごめんねとりやま、といったまことしやかなうわさが流れるほどで、鳥山なしの、原作なしで、そのまま商業的に売れているからこのまま波に乗っかっていこう感がすごく、作品がひどく迷走していたのは見ていても感じた。設定などもむちゃくちゃになってしまっていたし、やはりZで終わっていたのを無理に延命したのがよくなかったようだ。それでも、オープニングの「DANDAN心ひかれていく」はとても有名だったし、いろいろと外部をめぐっては語ることに尽きない作品だ。
『GTO』(43話、1999-2000)なぜかGTOを見た。前々から見たい作品だとは思っていたが、たまたまタイミングが合ったので見た。まあ教師をまかりなりにも二年やってみた人間としては、ほんとうにこういう風に生徒たちとこころを通わせることができたらどんなにいいことかと思うものだ。見ていてあの悲惨な短い教師生活の苦しさを思い出して、辛い部分もあった。おたくの同僚によれば、オラオラ系、自分ってすごい、無敵じゃね、っていうような系譜はここらへんから始まるといっていたが、それはちょっとより精細な議論が期待される。
『名探偵ホームズ』(26話、1984-85)。これも見ておきたいと思っていてようやく見れた作品だ。世間では一応宮崎駿監督作品という認識で通っているが、26話のうち、宮崎がつとめたのは、最初の六話のみで、パイロット監督というそうだ。人間で描いてもよさそうなところを、なぜか登場人物がみんな犬になっているというアニメだ。内容は本当にすばらしい。一応モリアーティもでてくるのだけれど、殺人未遂は起こるものの、作中で人が死ぬことはなく、絵もこの当時の最大の動きを見せてすばらしく、なによりも冒険やファンタジー、魅力にあふれている作品だ。ダカーポのオープニングも最高である。こうして考えると、本当に手放しで(もし自分に子供ができたとして)子供に見せられるのには、この作品はうってつけだなと思う。非常に良心的な作品であった。
『スペースコブラ』(31話、1982-83)。これは地上波で週1で再放送していたもの。コブラの一期目である。31話というのがずいぶん微妙な話数であるが。なるほど、これがコブラなのか、という、これも勉強になった。こうやってひとつずつ、名作をきちんと見ていくことによって、体系的なオタク知識を身に着けたいと思う。
『鋼の錬金術師』(51話、2003ー2004年)『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』(64話、22009-2010)+OVA4話。ようやくハガレンを私は見る事ができた。8月から9月にかけてはハンターハンターを見た。もちろんエリートオタク、通称エリオタを自称するからには、まず一期目を見て、そして二期目を見なければならない。それが私が自分に課した課題である。エリートたるものつねに妥協せずにオタク活動にいそしまなければならない。ハンターにしろハガレンにしろ、原作が人気出て、見切りでアニメ発射して途中で終わって、そして原作が完成してから再びアニメ化という場合、きちんと両方をみなければならない。その違いによって浮き出てくる何か、にも注目することによって、例えばその作品のテーマであったり、あるいはそれが作られた時代性だったりと、さまざまな問題点が浮かび上がってくるからだ。ともあれ、これで私も人体錬成ができるようになった。
『ベルサイユのばら』(40話、1979-80)。なんだか古いアニメばかりを見ている。しかし、見なければならないだろう。あきらかに有名であるが、いま現代においてなかなか見る機会がない作品。これも10月はやはりよほど精神的体力があったのだろう。鑑賞することができた。もはやここまでいくと、自分の母親ともベルばらの話ができるから嬉しいものである。そしてこれで、宝塚のベルばらの内容も理解することができるようになる。私はまたバージョンアップされた。
『天元突破グレンラガン』(27話、2007)『コードギアス 反逆のルルーシュ』(25話、2006-07)
『コードギアス 反逆のルルーシュR2』(25話、2008)。グレンラガンとルルーシュ、どちらも私が高校生の時にはやっていたものだ。その少し前にハルヒで、07くらいからマクロスFだったか。当時大流行していて、なんとはなしに情報が流れてきてはいたのだけれども、当時録画機能がなく、その時間帯でみなければいけないということもあり、断念した作品たちであった。後日、大学時代の時に、一度両作品とも見てみようと思ってみたのだけれども、グレンラガンは、最初の10話くらいの、ヒップホップにあわせてハイテンポでカミナが死ぬまでのごちゃごちゃした展開についていけずに断念。ルルーシュも絵が好きになれずに断念、という結果だった。今回はアニメ体力もついてきたし、ということでの満を持してのリベンジで、どちらもきちんと鑑賞しきることができてよかった。ゼロ年代半ばに世間に膾炙された作品として、これらはゼロ年代性を語る上において外せない作品といえるだろう。
『うたわれるもの』(26話、2006)。これはひっそりとやっていたようだ。いや、オタク友達に聞いたらえ、知らないの?と驚かれたので有名な作品なのかもしれないが。とにかく同僚に見てくれといわれたので見たが、うーん、という感じ。いろんな要素が複雑に混ざっていて、結局何がいいたいのかよくわからない感じではあった。



クレーマーをぶっとばせ!

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 私はあんまりそんな柄ではないのだけれど、最近イライラしていたからか(いや、一応イライラをコントロールするために、心療内科で抗不安薬や精神安定剤は出してもらって飲んでいるけれども)、それよりも僕の思想、思考的な分野において、これはちょっと許せぬと思ったので、普段行わないような行為に出てしまった。
 というのは、本日、駅前の西友でのことだが。この店の前には無断駐輪が多い。一時期徹底的に排除したこともあったが、それも時と共に風化して、いまではふたたび違法駐車の無法地帯となっている。そんななか、店にクレームをつけた人でもいるのだろう。まさしくクレーマー社会だ。こんなところに自転車を駐車させていて、それを何も管理していない、管理監督責任はどうなっているのだ?といったクレームだろう。自主的に店がなにかをすることもないだろうから。そうすると、当然大手チェーンとしては、こういうクレームがありました、対処をしなければなりません、ということになる。そこで、声優のパートなのか、あるいは社員なのかはよくわからないけれども、かわいそうに、おばさんが矢面に立たされて、西友の駅前の広場で、ここに自転車を置かないでくださいという声かけを行っていた。なんてことはない、普通の風景だし、普通の出来事だ。私はこれにカッとしたわけではない。まあ、ここについては、そりゃ本当はだめだけれども、なんとなくなしくずしにグレーで行われているものに白黒つけるべきではないとは本心では思う。つまり、みんな自転車で来るし、まあそこまで迷惑にならない範囲でちょっとの間駐輪するくらいいいじゃないか、と思うのだ。だから私の第一の本心としては、そういうところにクレームをつけるクレーマーが悪い、となる。
 私が話したいのはこのことではない。これから私が話すことについて、私が行ったことについて、私はこんなことを自慢げに話すのはよくないなとも思った。そして同時にそれを話したい、誰かにいいたい、という想いも自分の中に認めた。私はブログをやるくらいの人間だから、当然目立ちたがり屋だし、承認欲求の塊である。私に対する批判は一切受け付けないし、わたしは称賛のみをもとめている。そういうエピキュリタニズム的な自分をどう思うの?といわれれば、はずかしながら、そういう現状であるとしかお答えできない。まあだからこれから書くことは実際にあった出来事だけれども、武勇伝武勇伝、俺の武勇伝を聞いてくれってな感じで軽く聞き流してくれ。
 どんなことがあったかというと、ああ、おばさんが立って、ついにここに自転車を置いてはいけませんと言い始めたなあとおもった後である。ちょっと駅前で買い物をすませて再びその場を通ると、いい年をした、60代くらいかな、のおやじが、大声をあげてそのおばさんに食って掛かっている。大声ではあったけれども、また私のアドレナリンが放出されていてあまり理性が働いていなかったのもあいまって、そいつがどんな主張をおばさんにしていたのかはよくわからない。だが、まあろくでもない、意味のないクレームであることは確かであった。
 自称文学者であり、ブロガーでもあり、そして飲食店従業員でもあるところの私は、これをみてカッとなってしまった。飲食店従業員の立場として、クレーマーほど死すに値するものはない。もちろんよっぽど店員がなにか間違ったことをやっててその反省も見られないというようなことだったらば別だけれども。しかしほとんどの場合においてクレーマーというのは、そいつがおかしい。
飲食店従業員として、私も普段、まるで天災のごとくふりかかってくるクレームの嵐に対して、やなみあぐねている。この業界で仕事を始めたときには、とにかくそれが嫌で嫌で、自称文学者なくらいだから、私はもともと敏感な人、HSP(Highly Senetive Person)なのだ。だから、なにかクレームをもらうようなことがあると、こちらが悪いわけではないのに、しばらく、数時間、あるいは翌日くらいまで、ずっと気分が落ち込んでいるというようなことが常態だった。これは経験である。いまとなっては、だいぶ、今回のことが起きても、まあそんなにその後気分の浮き沈みがあったり、心拍数があがりっぱなしということはなくなったので、経験、人生経験をしていくことが、メンタルをタフネスにしていくのだと思う。心臓に毛が生えたともいえるかもしれないし、あるいはしかし、反対に、そういう経験をしていくからこそ、厚顔無恥な老害が出来上がるのかもしれないが・・・そういう人間にはならないように気を付けるとして。
 そんな日々を過ごしていた私としては、クレームをつけてくる人間は正当性がないかぎり(いや、たとえあったとしても、冷静に、理性的に、ここは間違っているでしょ?→謝罪→許し、という大人のやりとりがなされるべきで)、すべて死すべしと思っている。
そんな思考ができあがっていたからこそ、かわいそうに、損な役回りを押し付けられたおばさん従業員に対して、何がひっかかったのか、大声でわめきちらしている老害がいたのである。
 それを見かねた僕は、一気にバーストして、老害につかつかと歩み寄り、まずはバシンと一撃、そして「おい」と恫喝。ほんとうはやっちゃあいけないんだけど、もう相手がおばさん従業員相手にやっているので、よしとしましょう。暴力をふるってはいけないというのが大原則だけれども、すでに暴力をふるっているあいてに対してはそれを止めるのに例外的に使用を許可するということで。
お前はなにをいっているのか。大声でわめきちらして。ここは自転車をとめちゃいけないところなんだよ。このおばさんが何か間違ったこといっているのか?
 ほんとうにこういう時ってアドレナリンがでているもので、ぜんぜん相手の言うことがはいってこないものだね。それは自分も気を付けようと思ったのだけれども。とにかく老人につめよる僕。老人はなにかをまだごちゃごちゃいってたけど、私もよくわからないので、大声で応戦。私は必死に、リベラルですけれども、国家権力を有効な時は使いたい派の僕としては、即座に、警察呼ぼうか?え?警察、とこちらも大声で言っていたら、ほんとうにすぐ目の前にある交番から、警察と呼ばれて三人の警官がずらずらとでてきたので、まあそれで老害もわめくことができずに鎮静化というようなことでした。
私はその場ですぐに、警察にありがとうございましたと解放されたのでその場を警察に任せて、仕事だったので向かいましたけれども。まあこんなこともあるもんですね。
 なんか老害の言では、西友のおばさんが、となりのてんやさんでのご利用でない方の駐輪はご遠慮しています、というような説明の仕方にかちんときたようなのであるけれども、たとえそうだとしても、それを大声で大衆の面前でおばさんを攻めるようなことは到底必要のない暴力で、それを僕は暴力をもってとめてしまった、というのが今回の話。
 老人も、なんでてんやの利用はいいんだ、というようなことをごちゃごちゃいっていて、それがおかしいだろ、というようなことをいっていたけれども、お前働いたことあるのか。なかったとして、想像力を働かせろ、といいたい。おそらく西友にクレームが来た。だから西友として自分の店の利用者の無断駐車に対処しなければならない。しかし、場所が悪いことに、そこはてんやを利用する人も駐車をする場所なのである。西友の従業員として、無差別に、ここは駐輪禁止ですとはいえない。そんなことをいえば、てんやの利用者からクレームがくるし、なによりてんやからもクレームがくるだろう。だから、てんやをご利用でない方は自転車をとめないでくれ、といういい方になったのだろうと思われるが、それのなににひっかかったのであろうか。それにひっかかって、大声でおばさんをいじめているようなクレーマーはおしなべて死すべしである。
 私もだいぶ歳をとってきて、度胸がついたのか、老人にたいしてはそういう風にいえるようになった。まだもちろん若くて強そうなやつには言えないけれども。そして言う必要もないと思うけれども。電車のなかなどで若者にマナーを注意したら逆切れされて暴力を受けて死んじゃった、なんて話も前にあったような気がする。だから私もこの話を同僚にしたときに、それは危険だよといわれて、ああそうかとも思った。最近では90歳の老人が60の息子をハンマーかなにかで殴り殺す時代である。老人といえど、なにか武器をもっていたらあぶないかもしれない。
 だからまあ、私はあくまでも、みんなにそういうクレーマーをぶっとばせ、とはいわない。自分の身の危険があるからだ。だけれどももし、うまくやれそうで、クレーマーがあきらかにクレーマーであり、正当性にかけた主張をしているのであれば、店員は同じように大声をだしたりすることはできない立場なので、助け舟をだしてあげよう。僕がいいたいのはそんなところだ。年の瀬になんんてこった。



9月鑑賞目録

印南 敦史『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣 』(ダイヤモンド社 、2016)
岡田尊司『生きるための哲学』(河出文庫、2016)
アーノルド ベネット 渡部昇一訳・解説『自分を変える! ――自分が喜ぶ生き方を選ぶ』(三笠書房、2017)
諸富 祥彦『あなたがこの世に生まれてきた意味 (角川SSC新書)』(角川マガジンズ 、2013)


『異世界食堂』(12話、2017)
『恋と嘘』(12話、2017)
『プリンセス・プリンシパル』(12話、2017)
『活撃 刀剣乱舞』(13話、2017)
『神撃のバハムート VIRGIN SOUL』(24話、2017)
『メイドインアビス』(13話、2017)
『時間の支配者』(13話、2017)
『Re:CREATORS』(2017、22話)

『HUNTER×HUNTER (2011年のアニメ)』(148話、2011- 2014)
『超時空世紀オーガス』(35話、1983-84)
『超時空世紀オーガス02』(6話、1993)
『ドラゴンボールZ』(1989 - 1996、全291話)

『ゴースト・イン・ザ・シェル』(2017)
『封神伝奇 バトル・オブ・ゴッド』(2017)
『劇場版 HUNTER×HUNTER 緋色の幻影』(2013)
『劇場版 HUNTER×HUNTER -The LAST MISSION-』(2013)
チャン・イーモウ『HERO』(2002)
『カンフー・ジャングル』(2014)
『神と神』(2013年3月30日)
『復活の「F」』(2015年4月18日)


『オラの悟飯をかえせッ!!』(1989)
『この世で一番強いヤツ』(1990)
『地球まるごと超決戦』(1990)
超サイヤ人だ孫悟空(1991年3月9日)
とびっきりの最強対最強(1991年7月20日)
激突!!100億パワーの戦士たち(1992年3月7日)
極限バトル!!三大超サイヤ人(1992年7月11日)
燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦(1993年3月6日)
銀河ギリギリ!!ぶっちぎりの凄い奴(1993年7月10日)
危険なふたり!超戦士はねむれない(1994年3月12日)
超戦士撃破!!勝つのはオレだ(1994年7月9日)
復活のフュージョン!!悟空とベジータ(1995年3月4日)
龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる(1995年7月15日)
ドラゴンボール 神龍の伝説(1986年)
ドラゴンボール 魔神城のねむり姫(1987年)
ドラゴンボール 摩訶不思議大冒険(1988年)
ドラゴンボール 最強への道(1996年)

II『哀しみのアルテイシア』(2015)
III『暁の蜂起』(2016)
IV『運命の前夜』(2016)

さぼっていたので、このログをまとめるのが12月になってしまった。12月現在からすると、ここで岡田 尊司、諸富義彦、諸氏と出会えていたのはとてもよかったように思う。その後、いまでも岡田氏の本は読み続けており、ぎりぎり間に合わずに一月になるかもしれないが、『愛着障害』は特に僕のこの精神的な不安定さをわかりやすく説明できる言説を私に与えてくれることができた本だと思う。諸富先生との運命的な出会いも、この後諸富先生の本を大量に読んでいくことによって、自分のなかに諸富エリアができたと思う。彼の本を何冊も買って読んだ結果、まあ大体いっていることは同じで、なんだという気もしたけれども、しかし最初に出会った『あなたがこの世に生まれてきた意味』には、本当に救われたし、いま書いている文章にも引用しているくらいだから、この本は本当におすすめだ、僕みたいにこのタイトルのように悩んでいる人にとって。

夏アニメとしては、『異世界食堂』にはもう少し深いものを期待していたのであるが、けっこうあっさりと表面的に終わってしまった感じがあり、もうすこし『美味しんぼ』的要素で、料理への描写があるとよかったのではないかと思うが、まあでも私でもすぐに気づくくらいに、あの作品の見どころはそれよりもいろいろな異世界、サブカル的想像力が作り出して来た様々な異世界の人間が網羅的に示されるところにこそ、意味があった作品だったとは思う。
『恋と嘘』は、むねきゅん枠で、楽しく見られた。もし国によって結婚相手が決められてしまったら、というそういうSF的な世界のなかで、私達と同じ価値観、ロマンチックラブイデオロギーを持った人間がいたらどうなるだろうという思考的実験であった。
『プリンセス・プリンシパル』は、やはり同時期に見ていた同僚とも話を何度もしたが、今期最高のアニメであったと思う。全部で24だか26だかくらいファイルがあるなかで、順不同でランダムに出してくるというおもしろい趣向を凝らした作品であった。私としては2クールやってもらいたかったが、昨今の金銭面でそれはなかなか難しいだろう。終わりを描いてしまっているし、2クール目があるとしたら穴埋めにしかならないので視聴率もあまりとれまい、公開を期待するが、まあこれはこれで完成である。
『活撃 刀剣乱舞』は、この男性的なホモセクシュアル的な感じがいいのだろう。まあ男性の私でもまあまあアクションなどもあり見ることができた。
『神撃のバハムート VIRGIN SOUL』。さんざんCMをやっているサイゲームズの作品。僕としてはCMの順でいえば、『グランブルーファンタジー』にこそ、2クールないし、4クールぐらいで、10年代に壮大な冒険譚を描いてほしかったのであるが、それは果たされずかのさくひんは1クール。ただ、神撃のバハムートは、前日譚12話を合わせて3クール。なかなか壮大でおもしろいもの語りだったと思う。
『メイドインアビス』。実際、今期は順位をつけることにさほど意味はないとはいえ、この作品か、プリンセスプリンシパルが同立一位という感じだった。2クール制作も決定したようで、続きがとにかく楽しみである。一話一話見るごとに、え、次はどうなるんだろう、というアニメをみる原初的なたのしさをさせてくれた久しぶりの作品であった。絵柄はあんまり好きになれなかったが、ナナチの登場により、すべては癒しに変換された。
『時間の支配者』。中国原作の作品?まあまあおもしろかった。
『Re:CREATORS』もかなりおもしろかったと思う。これも異世界食堂と同じく、東浩紀のいうような、データベース化したオタクの想像力を、さらにメタ的に利用して、そこからの引用をすることによって、オタク的な世界のありようを見事に描写した作品であった。あ、いるいるこういうキャラクターという、キャラクターの典型を登場させてくれたのが、視聴者としてはおもしろかった。それがメタであるということで。

一応現行アニメも並行しつつ、この月は、夏から見ていたドラゴンボールをきちんと全話みてみようの月のつづきで、ハンターハンターの二回目、ドラゴンボールZ全話、それからドラゴンボールの劇場公開作品全部、最新作も含め、そしてやや隠れがちではあるが、超時空世紀オーガスもみた、アニメ月であった、
ハンターハンターとドラゴンボールという、まあ92年生まれの私よりはもう少し上の、いま30くらいの世代の人たちの教養を共有できたことは、これから私がちょっとお兄さんお姉さんたちのことを世代論的に論じていくなかで、確実に武器になるのではないかと思う。まあどちらもジャンプの作品ですけれども、すごいですよね。見るほうも大変だったけど。
そして12月になって書いているからかけることだけど、ブルマ役の鶴ひろみさんが亡くなって、いまこのときになってようやく本編をちゃんとみて、そしてドラゴンボールスーパーも見ている私としては、ほんとうにほんとうに悲しくてしょうがない。ブルマのあのちょっと気が強くて、でも芯があってしっかりとしていて、そしてどこか凛として美しいあの声っていうのは、ほんとうにあの鶴ひろみさんだけの声だったんですよ。それがもう聴けなくなってしまうと思うと悲しくてしょうがない。
作品論的には、ハンターハンターは、いままでいろいろ書いてきたけど、実はその外側にも別の世界があってね、という提示をしてしまったのは完全にやっちゃった感があって。もうそりゃ無理ですよ描くの。富樫先生はたぶん僕と同じで売れたときにはなんとなくがんばれたけど、いやもう幽遊白書とか十分に頑張ってるけど、精神力、創造力の限界に達して廃人のようになってしまっていると思うので、ベルセルクと同様、もうこれは終わらない物語なのだということで、それまで、だってキャラクターは現にそこにいて、冒険をしていたんだし、それを愉しむという形の受容の仕方を、我々が作品鑑賞の仕方を変えていかなければいけないのではないか、と思わされた。
ドラゴンボールは、みんな知っているのに自分だけ実はしらなくて話についていけなくてということがあったので、それが今回解消されたのでとてもよかった。フリーザ、セル、魔人ブウ、この敵との壮絶な戦い。それからその間に挟まるZ戦士たちの日常など。ほんとうにすばらしい作品だった。GTをその後みたけれども、それもいいけれども、しかしやはりGTで最後、パンがばあちゃんになって、Z戦士たち全員死んじゃってるというのは悲しい。スーパーがやはり一番楽しかったZ戦士たちのことを描くのは当然の帰結といえる気がする。やっぱりかつて敵だった相手が親友となり、いくつもの戦いのなかで仲間が増え、そしてそれぞれに家族が増え、子供ができ、子供も戦士として大人になり、孫もできるといったそうした、まあ理想主義といってしまえばそれでおわりだけれども、とてもあたたかい、すばらしい家族愛を見事に描いたと思う。私も一戦士でいいから(天津飯やヤムチャあたり)みんなとともにあの世界を生きたいと思うものね。



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