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貫井徳郎『慟哭』(創元推理文庫、1999) 感想とレビュー

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普段あまりミステリーや推理小説というものは読まないのであるが、今回はたまたま気になっていたので手に取って読んでみた。私も年間百冊以上は読んでいる人間であるが、それでもなかなか読書の世界は奥深くて、まったくしらない世界があまりにも広大にある。そのようななかで、すこしでも自分がいる場所がどんな場所なのか、読書の世界の地図というものを描こうとする。そうすると、これだけは読んでおけ、とか、これはおすすめ、といった本の案内書のようなものをネットなどでみることになる。こうした本との出会いは、そうした場所によって提供されているのではないかと私は思うのだ。こうした本を買う時はとりあえずBookoff等で、目についたかたっぱしからかごに入れていくのであるが、そこでびびっと来ると言うことは、おそらくどこかで一度その本を眼にしているということなのであろう。
私もこの本を購入してからずいぶんたち、どうして自分がこの本を購入したのか理由はわからないが、おそらくそれはどこかで一度目にしていたからなのだと思う。一度も読んだことはないし、知らない本なのだが、なぜかタイトルだけはどこかで聞いたことがある、という体験なのだ。

さて、ミステリや推理小説というのは、感想がじつに書きにくいもののひとつである。
内容に触れるとそれはネタバレになってしまうからである。
ここで筆者は悩まされるのだ。一つには、ネタバレにならないように書くという方法。それは、主にまだ読んだことがない読者にあてて書かれる感想である。またもうひとつの方法は、ネタバレありきで、どんどん深いところまでつっこんで感想を書くという方法である。これは、すでに読んだ人向けの方法である。私はいつも、この二つの方法の間で悩んでしまって身動きがとれなくなってしまう、優柔不断な人間なのである。

できるだけネタバレにならないように、中間をねらって書いてみよう。
この本は実際にとてもおもしろかった。それが、書読の感想である。ふたつの物語が交互に展開される。そしてそれら二つの物語はお互いに影響しあっているように思われるのである。当初私は、あ、これは村上春樹的だなと感じたものである。村上春樹以前からもちろんこうした構図はある。不勉強にも読書経験があまりにも少ないのでどこからそういうテクニックがうまれたのか、ちょっと確かなことは言えないが、別の物語りを意識的に交互に配置するというのは、夏目漱石もちょっとではあるがやっていることだし、漱石がやっているということは、それ以前にイギリス文学では当然あったと考えてよいだろう。
一つは、刑事の物語り。もうひとつは娘と仕事をうしなったうらぶれた人間の物語りなのである。今こうして書いてみたものの、実はこの二つの物語がそういう関係だったのか、と思うと、実に興味深い。両方々といってもいいわけなのである。
私はこの物語を読んだ際に、ナルトを思った。ラーメンにはいっているあのナルトである。この話は円状に回転しているように感じられるのだ。一度最後までいって、そこからまたもどってくる。しかし、またもどってきたその物語は最初の物語りにまっすぐつながるのではなく、そのちょっと上、あるいはちょっと下、を同じようにぐるぐるまわっていく。
この小説は一見すると二つの物語が提示されているのであるが、実はそれらの物語りというのは、ひとつの同じ線上の物語りであり、それを一度解体して再び構成しようとすれば、ナルトのようにうずまきを描いた物語になるのである。

内容として、ふたつの物語りのうちの一つである、完全に茫然自失となってしまった男性の物語り。ここにはだいぶ共感できた。私自身、うつになってしまい、たった二ヶ月で職場を後にせざるをえなかった人間とした、その後の静寂の、まったくなにもやることがない、やる気がおきないという状況を、貫井徳郎はよくとらえて、かけていると思ったものである。
ただ、やはりちょっとご都合主義的なのは、この人物が働かなくてもそれなりにお金のある存在だということである。普通、と呼ばれるような、一般人は、働かなくなったらもっと数か月。それ以上は食っていくことができなくなってしまう。私のようなニートでない限りは。その点で、この人物が誰にも邪魔されない、というのは家族と一緒に住んでいないのにもかかわらず、しかも働いておらず、それでいて自由が効く、というのはちょっと設定として恵まれすぎているなと思わなくもなかった。
もちろん、ミステリや推理小説というものは、そんな一般や普通の人間の普通のできごとを書いているわけではないのだから別にいいといったらいい話なのではあるが、単純にうらやましいということなのだろうか、自由でいいなとは思った。

それに、それまで堅実な人間だったものが突如としてそうした精神世界にのめりこんでいってしまう、というのも、なかなかよくわかるはなしである。そうしたスピリチュアルなものへふとした瞬間人間は傾倒してしまうわけである。そんなことは90年代のオウム事件を考えればすぐにわかる。そうした人間の弱さのようなものが、表面上は強く見えるのではあるが、がよく描けていたと思う。
なによりもその物語の構図がよくできていた、と思う。が、それはそれ以上批評することもできないので、ここらへんで筆をおくとしよう。

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