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ゲーテ格言集 新潮文庫 高橋健二編訳

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私、国語を勉強しているものでありこれはよく考えるところなのですが、言葉というものは本当に力がありますね。
いま合理化が叫ばれ、より効率的、能率的にという社会。しかし一方それがもたらしたものは一体何だったのか。
例えば年間3万人を越す自殺者、ストレス社会、鬱病患者の増加、いじめ、などなど枚挙に暇がありません。
こんな時分に心の支えとなってくれるのが広い意味での芸術ではないでしょうか?
今回は心に響く、言葉の芸術を紹介しようと思います。

略歴、ゲーテ(1749~1832)はドイツ、フランクフルトに生まれ、法律を学び弁護士を開業。「若きウェルテルの悩み」を処女作として、詩集、戯曲、小説など活動は多岐に渡った。他に最大の名著「ファウスト」がある。

二百年も以前の人間の言葉がどうして今の私たちの心に響き、浸透していくのでしょうか。今回はその謎と魅力に迫って行きたいと思います。
さて、ゲーテは彼自身非常に芸術に対し造詣が深く、鋭いまなざしを持ってこれを彼なりに解釈しています。以前書いた芸術と若さを題材とした「ベニスに死す」の根幹に流れるような思想がここでも窺えます。
「印象を極めて新鮮に力強く受け入れ、これを味わうということは、青年のうらやむべく幸福です。批判的認識が増すにつれ、次第に、あの濁らぬ喜びの泉は涸れます。全ての人間はアダムです。というのは、だれでも一度は温かい感情の天国から追放されるからです。」
またこんな言葉もあります。これは芸術をやる人間にとっての心構えのようなものでしょうか。
「君の胸から出たものでなければ、人の胸を胸にひきつけることは決してできない。」
「美は、隠れた自然の法の現れである。自然の法則は、美によって現れなかったら、永久に隠れたままでいるだろう。」
「かの一は、永遠に一であろう。多に分かれても、一。永遠に唯一のもの。一の中に多をみいだせ。多を一のように感ぜよ。そうすれば、芸術の初めを終わりが得られる。」
「よいものを享受するのが、喜びであれば、よりよいものを感ずるのは、より大きい喜びである。そして芸術においては、最善のものに至って、初めて満足がある。」
「芸術も人生と同じく、深く入りこめば入るこむほど、広くなるものである。」
「完成するためには、能力のほかに何よりも機会が必要である。」

これは芸術に限らずにいえることですが、
「若いよい頭脳が、他の人々によって既に認められた真理を認めると、それによって独創性を失うもののように思うなら、それは凡そ誤りの最も愚劣なものである。」
考えること大ですね。ここに、若い人間が真理を学ぶことの重要性、それは若い人々に対してもそうであるし、また老人にたいしても若い人間は心理を認めることが必要であり、それが間違っていると考えてはならぬという厳しい言葉に感じられます。
またゲーテは人(ひと)そのものについても非常に真であることを言い当てていると感じます。
「全ての階級を通じて、一段と気高い人はだれか。どんな長所を持っていても、常に心の平衡を失わぬ人。」
「人が議論を認めない場合も、忍耐を失うな。」
「慰めは、無意味なことばだ。絶望し得ないものは生きてはならない。」
「自負しすぎない者は、自分で思っている以上の人間である。」
「人が実際の値打ち以上に思い上がること、実際の値打ち以下に自分を評価すること、共に大きな誤りである。」
「始終自分を他の者と同列に置こうとばかりしなかったら、人々は互いにもっとよく知り合うだろう。」
「すぐれたものを認めないことこそ、即ち野蛮だ。」
「私はこう勧めたい。何も無理強いをせぬことだ。何もできない日や時には、後になって楽しめないようなものを作ろうとするより、ぶらぶらして過ごしたり、寝て過ごす方がいい、と。」
なるほど、心が激しく揺り動かされ、気の休まらぬ今必要なことはなにかということを教えてもらえます。

なんだか最近おじさんのタレントがもてているではないですか。そんな老練の美徳とでもいうものは何だろうか、ゲーテが教えてくれます。ここでは、さらに体験の重要性をも言及しています。いくら年をとっても経験、体験がなければいけない。やはり人間は習慣の生き物ですから、自ずから一生懸命に何かに向かって生きることが肝心かと思います。
「体験したことをだれしも尊ぶことを知っている。年をとって思索し、沈思する人は特にそうである。これだけは誰からも奪い取られないということを、彼は確信と心やすからさをもって感じている。」
「歴史を書くのは、過去を脱却する一つの方法である。」
「三千年の歴史から学ぶことを知らぬものは、知ることもなく、闇の中にいよ、その日その日を生きるとも。」

次はこの二つの言葉。ここにひとの内面を教養することの大切さが示されています。
「内面のものを熱望する者はすでに偉大で富んでいる。」
「有為な人間は、すぐに外面から内面へ向かって自己を教養する。」 
多様な世界、多様な社会によって価値観がめまぐるしく変わっているなか、真の幸福とはなにかがよくわからなくなってきています。ゲーテの言葉を借りて幸福はなんだったのかを考えてみたいと思います。
幸福について
「偉大なもの、美しいものを、進んで喜んで崇めることは、私の天性である。そしてこの素質を、非常にすぐれたものに接することによって、日々刻々養い育てて行くのは、あらゆる感情の中でこの上なく幸福なものである。」
「孤独はよいものです。自分自身と平和のうちに生き、何かすべきしっかりしたことがあれば。」
「もちろん世の中に出ながら、孤独で通そうというのは、常軌を逸した行為だと思われる。」


最後に古典といわれるものがどうして古典たらしめるか。何回にも渡りそれについて言及してきた私ですが、この言葉を借りれば言い当て妙でした。
「古典的なものを私は健全なものと呼び、ロマン的なものを病的とよぶ。この意味でニーベルンゲンはホメロスと同様、古典的である。なぜなら、両者とも健全で、力があるから。新しいものの大部分は、新しいからロマン的なのではなく、弱弱しく病的で、実際むしばまれているから、ロマン的なのだ。古いものは古いから古典的なのではなく、強く生き生きとして、快活で、健康だから古典的なのである。そういう性質に従って、古典的なものとロマン的なものとを区別すれば、事は容易に明らかになるだろう。」


ゲーテ先生からの課題
「何人(なんぴと)も他の者と等しくあるな。だが、みな最高のものに等しくあれ。どうしたら、それができるか。みなめいめい自己の内部で完成されてあれ」

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