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野村総一郎『「心の悩み」の精神医学』(PHP新書、1998) 感想とレビュー

sim rgvae(1)



新書を読み始めてから何年にもなる。一体いままでにどれだけの親書を読んできただろうか。二百冊、いや三百冊くらいだろうか。おそらくそのくらいは読んできたと思われる。
そんななか、今回は野村総一郎の新書を読んでみた。自分がうつになってしまい、まったくなにもやる気が起きないということもあって、最近はそうした心理学系の本を読んでみようという気持ちが高まっている。この本の前に読んだ岩井寛の『森田療法』はかなり古い本だったが有用な本であったし、香山リカと五木寛之の『鬱の力』は話がかみあっていないことがしばしばだったが、それでもおもしろく読ませていただいた。その中でもこの本はとてもおもしろく、すばらしい本だったと思う。いつも五段階評価を新書にはつけているが、評価は4,5点である。十段階にすれば9点というところか。

この本の内容は、それぞれの章ごとに、それぞれ異なった精神病を発症している患者が登場し、それらの人をどのようにして回復へと導いていったのかということが、物語調で語られる。それがなかなかおもしろい物語となっていて、それぞれは短いが、いずれも、その短い間でこちらもふっとこころが軽くなるような、治療を疑似体験することができるようになっているのである。
それぞれ、パニック障害、うつ病患者、体調の不調を訴える患者、PTSDの患者、過食病の患者、やる気をなくした患者、なんとも名前のつけられない症状の患者、定年退職者のうつ、といったところである。
私の場合は、仕事ということそのものが嫌で嫌で仕方なく、うつ病になってしまったので、二章のうつ病患者のところが良く当てはまった。しかし、それだけでなく、そもそも私はうつ病になる以前からひどい無気力症候群だったのである。それを説明してくれたのが、六章の「偉大な父の息子」という章立てであった。ここではかなり有名な人間を父ともってしまったがために、まったくやる気をなくしてしまった息子の話が乗っていた。まさしく私と同じであり、これを早くも父に見せることによって、なんとかあなたが私をこうしたのだ、ということをわかってもらいたいな、と思う次第である。
あるいは、父にも読んでもらおうと思っているのだが、父にとっては定年退職を先月したばかりなので、今後のことも含めて、八章の定年退職をした人の章が役立つかもしれない。そういう意味で、野村先生にはずいぶん頭のさがる思いがする。こうしたケーススタディーと言うのは十分に役立つものなのだなと思われる次第である。しかも、野村先生文章力というか、物語り作りがうまくて、とてもおもしろく読めるのである。大体こうした本は理論だのなんだの、小難しく書いてあって、実につまらないというのが現状である。そんななか、この本は非常におもしろく、ぱっと読めてしまった。その点で、この本は誰におすすめしても問題の無い本として、私が自信をもって推薦できる本のひとつに加えておこう。

個人的に気になった章があった。それは、七章の「境目にいる人達」という不思議なタイトルの章である。この章に登場する女性。初めて野村先生が最終的にうまく治療できなかった患者としても登場する。しかし、それ以上に私が興味をひいたのが、その症状だ。
一応名づけとしては「精神病とノイローゼの境目にある病気」という意味でボーダーラインといってはいるが、これは当然ながら正式な名称ではない。私も野村先生のように上手く説明できればいいのだが、うまく物語を書けない私はどうやって説明してよいのやら。ともかく感情の起伏があまりにも激しすぎるのである。初対面でいきなり、「あなたはすばらしい先生です」といったかと思うと、二回目に会った時には態度が急変し、「あなたの言葉のせいでこんなにも傷つきました」と言う。それ以降は、言葉じりを捉えて、「あなたはまたそんなことばで私を傷つける」とか、たった一言を無理やり解釈して「あなたは私に仕事をするなといっているんですか、死ねといっているんですね」といったりするのである。
この症状、なぜ私が注目をしたかというと、こんな感じの人を何回か見たことがあるからである。この患者、結局二年の付き合いで野村先生は治療することができなかったと言っていた。おそらくこうした人は、たんなる病気ということを越えて、もっとなにか生まれ持っているものがあるのではないか、と思わずにはいられない。とすれば、治療は不可能なのではないか、完治は無理だろうと思えてしまうのである。そうすると、私があった二人のボーダーラインの人達も、これからも周囲をずっと巻き込んで生きていくのだな、周りの人が大変だな、と思わずにはいられない。

この本では、実戦的な治療の話が聞けるので、そのテクニカルな部分も、ほんのわずかではあるが、知ることができる。これはすばらしいと思った部分を囲繞しておく。
「このコトバは考えてみると、相手の言うことを肯定も否定もしていない。しかし相手の気持ちは認めたのである(少し話が横道にそれるが、だいたい精神科医が診察室で発する言葉にはこの手のものが多い。患者の言うことを現実レベルで否定すると拒絶されあっと受け止められるし、肯定すると相手に巻き込まれることになる。とにかく患者がつきあってくれなければ成り立たない商売であるだけに、相手の感情を受け止めることを武器にするしかないのである。その点、精神科医というのは人間好きでなければできない仕事であることは確かであろう)。」
相手の言葉を肯定も否定もしない。それはできることなのである。こうした技術論は非常に重要で、私達が生きていくうえでも利用できるすばらしいテクニックだと思う。

精神科医の役割を端的にあらわした部分を引用して筆をおくことにしたい。
「心の悩みという深遠な課題は精神科医の手に余る部分もどうしたって残る。その場合には精神科医は解決ではなく、ケアーとかサポートといった役割を担うことになろう。それを含めてお役にたてれば、これ生きがいなのである。」
精神科医がどのような立場にあるのかということを明確に示した部分だと思う。私も、精神科医の先生たちにカウンセリングをしてもらっているが、どこかで解決してくれるのではないか、だが、この人達に解決できるわけはない、と思っていたのも事実である。実際には先生方はサポーターなのであって、その問題はやはり本人の問題なのである。
私の問題は、やはり仕事は嫌なのだから、しないで生きていくという方法を見付けていくしかないような気がするのである。

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