『テイルズ オブ デスティニー2』(2002,2007)感想とレビュー 人はいかにして幸せになるのか

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今回ため込んでいたゲームのうち、『テイルズオブディステニー2』をプレイした。本来であれば、私は制作順にプレイする人間なので、『テイルズオブディステニー』の1のほう、スタンが主人公のものをやるべきだったのだが、あいにくそれを買いに行っている金銭的、精神的余裕がなくて、しばしばであるが、2のほから始めることとなった。機会があれば、今後ファーストをプレイすることによって、なるほどそういうことだったのか、という気づきを愉しみにとっておくつもりである。

さて、今作であるが、どのように批評、評論していこうか。スタイルはいくつかある。
まだちっとも目を通していないのだが、というか目を通すつもりもそんなにないのだが、「テイルズオブディステニー2」と検索エンジン上で検索すると、すぐに「矛盾」などと表示がされてくる。私は文系の人間であるから、あまり時空間が関連したタイムパラドクス的なことを考えるのは苦手なので、いったいこの作品のどんなところが矛盾だったのか気が付けなかった。が、方法論の一つとしては、ネットにあるように、この作品を科学的に分析して緻密に論理で組み上げていくというやりかたもあるのである。私の指導教官だった大学の教授も、そうしたタイプの人間であった。
たしかにそうした研究のおもしろさもあろう。それによって生み出される新たな知見もあるかもしれない、が、今作に限ってはすでにネットにでていることであろうし、それをやってもそんなに生産的でない気がするので私はそこには触れないことにしておこう。

私もまだ若いので、まだまだ文芸批評のスタイルは大したものではないし、メソッドも多く持っているわけではない。だが、そのなかでも特異とするもののなかには、たとえば構造主義批評、物語りの構造を分析することによってその物語をどう解釈できるのかというものもある。だが、今回はそれではなく、やや印象論的なものになってしまわなくもないが、テーマ論的な論じ方をしてみたいと思う。
ずばり、この作品のテーマは人々の幸せであった。だから今回は人はどのようにして幸せになるのか、という点で論じてみたい。

昔のRPGゲームというのはある意味単純で、世界征服をしたい、という困ったちゃんがいたからこそ成立していたのである。だが、いつまでもそんなに全世界を絶望のどん底につきおとしてくれるほどの力を持った魔王がいるわけでもない。日本の社会も円熟を迎えるとともに、そうした魔王タイプの人間は徐々にいなくなってしまった。
今作でおもしろいのは、なんと「神」を出してしまったところにある。人間がそうぞうしうる作品内における「神」なので、およそ我々がイメージするキリスト教的な全能の神とはかけ離れた存在だったが、この作品にはフォルテゥナという女神が存在し、しかもそういう信仰があるというだけでなく、実際にキャラクターとしても登場してしまうのである。
RPGゲームをそんなにプレイしたことがない身としては、他に神が出てくるゲームといえば、ドラクエの7だったかで神様と呼ばれる存在が登場したことくらいしか思い浮かばない。
どちらかというと、神への現代人の理解にもつながってくるのであるが、他の星から来た、超高度に発達した別の生命体と考えた方がわかりやすいのかもしれない。

何にせよ、今作に登場する神、フォルトゥナにつづき、その分身である聖女エルレインと、今作のヒロインでもある聖女リアラは、時空間を超越する力を持った存在として描写されることになる。
力ない実作者の立場から言わせてもらえば、空間移動まではなんとかなるが、時間移動が入り込むと一気に作品が成立しづらくなるので、諸刃の剣として私は畏怖の念を抱いている。例えばタイムトラベルそのものだけに着眼した『シュタインズゲート』のような扱い方をするならばいいものの、都合程度でタイムトラベルできます、みたいなノリでこの概念を提出してしまうのはあまりにも危険である。今作ではレンズの力がないと発動できないという制約があったからまだよかったものの、下手をしたらネットで書かれているように、矛盾が気になってしまって作品として成立しづらくなるのである。

今回主人公たちの敵となるのは、同じ神の分身であるエルレインである。神や分身といった概念から、私達の親族概念では通用しないのがわかるが、かなり強引に理解しようとするならば、リアラとエルレインは家族のようなものでもある。あるいは自分自身といってもいいし、姉妹といってもいいはずである。
しかしリアラは最後までその肉親に等しいエルレインや、神フォルトゥナを殺すことに対して何ら否定的な感情を持たず、変な見方をすれば自傷行為によろこんで手を貸しているということになりかねないのである。流石は神である。リアラはついついその容貌から、男根的なマッチョイズムが性的対象として消費されがちなキャラクターとして描かれながらも、人間とは画を逸した存在であることもまた如実である。

さて、エルレインと対立するわけであるが、このエルレイン。全世界を支配したい、という困ったちゃんではないのである。ある意味困ったちゃんなことには確かなのだが、しかし、その根本のところは、実に共感できるものなのだ。それは人類を幸せにしたい、というそれだけだったのである。
作中ではどんどん世界を幸せにしようとする行為を主人公たちに邪魔されてしまうために、徐々にくるっていってしまって、最終的に「じゃあ地球破壊しますから」となってしまう。主人公たちとよくよく話し合って、妥協しあえばそうならずに世界をよくできたのではないかなと思わなくもない。その点、この物語はディスコミュニケーションの物語りとしても読み解けるのかもしれない。あるいは一方的に善とされていた主人公たちにきちんと話し合うだけの能力がなかったということなのかもしれない。

ただ、エルレイン。この思想だけだとあまりにも善人になってしまって、敵として認識できなくなってしまう。ということで、かなりの悪者っぷりに製作者たちによって改変されてしまうのである。かわいそうに。
評論家の宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』の中で記した概念だが、決断主義というものがある。間違っているのを織り込み済みで、しかし何も決断しないよりかは決断をしよう、という人たちを決断主義というのである。例えばガンダムのシャアなんていい例だろう。宇野氏自身はデスノートの月などを例に挙げていた。
エルレインはまさしく、この作品が2002年に発売されたということもあり、ゼロ年代的な決断主義的な傾向をになった人物だったのである。世界をよりよくしたい、という根本原理はよくわかったのだが、主人公たちとのディスコミュニケーションにより邪魔立てされ、煮えを切らしたエルレインは、だったら地球破壊して最初からやり直しますから、となってしまったのであった。

しかし、最初から最後までエルレインがしたかったのは人々の幸せの具現化だったのである。その点ではやや決断主義的な部分がある私は賛同してしまう。
ただ、それだとみんなに賛同されてしまうので、一般のプレイヤーがプレイしても、エルレインを止めなければ、と思わせるように「歪み」を付与されてしまうのである。かわいそうに。
その歪みとは何か。当初は、レイ・ブラッドベリあたりが書きそうなSF世界である。よく教育された世界で、人々は信仰によって救われる世界である。ただここでは子供は神の力によって授かり、出産という行為がなくなってしまっている。そこで主人公たちはこんなの生きる喜びを見失っていると断罪するのである。
続いては完全にコントロールされている社会。人々は頭にレンズを埋め込まれており、その力によってしか生きることができない世界になっている。ただし、その代わりに人々はなんの苦労も悲しみもなく、毎日を教団から送られてくる物資によって生きていくことができるというものだ。働くことが不必要となった共産主義ともいえようか。私は全世界がそうなるのは確かに嫌だけれども、そういう国や地域があってもいいと思う。それを望む人達が少なからずいるのであれば、そういう人たちはそこにいけばいいだけの話なので、あってもいいと思うのだが。しかもその世界には、ナナリーがいるように、それまでの資本主義社会のように教団とは無縁で生きている人達もいるのである。決して全世界的にそれを押し付けようとしたわけではなかったのだ。あんまり悪いとは思えないだけども、主人公たちはこんなのはひどい、といって断罪。
最終的にじゃあ地球壊して最初からやり直しますから、とエルレインがぶっ壊れ、ぶっ壊れたことをいいことに、エルレインをぶっ壊して物語は終わりである。

ただ、最後に希望となったのは、吹っ切れてしまったエルレインに対して幸せとはかくあるべし、といった主人公たちの言葉だろう。

カイル・デュナミス
「本当の幸せは
幸せを探して生きる毎日の中にある
人はそうやって歴史を築いていくんだ!」

ロニ
「俺たちが欲しいのは
まやかしの幸せじゃない!
たとえ小さくても本物が欲しいんだ!」

ハロルド
「なんいが幸せで、なにが不幸せか
それを決めんのは私たちでしょ!
神さまなんか、お呼びじゃないっての!」

ナナリー
「たしかに生きることは苦しいさ!
でも、だからこそ、その中に
幸せを見つけることができるんだ!」

ジューダス
「幸せとはだれかに
与えられるものではない!
自らの手でつかんでこそ価値があるんだ!」

リアラ
「人はみな幸せを持っています
それは苦しみの中にも
幸せを見つけようとする心
それは幸せな未来を信じつづける心
それは自らの手で
幸せをつかみたいと願う心
神の力をもってしても
与えることのできないもの・・・・」

この作品からは、神のような完全な存在による幸せを拒絶し、拒絶する必要はないと思うけど、人間としての幸せを求めるところに道理があるわけである。つまり人の幸せとは不完全であるがゆえの幸せである。つまり幸せでないことが幸せなのだ。幸せを求め続けるところにあるし、不細工ながらも小さいながらもはっとしたところにある、そんな幸せことが人々の求めるものなのだ、というところに本質がある。
実際現実世界に生きる我々はバーチャルの完全な幸せの中だけで生きることができないので、なんとかしてこの辛く苦しい現実社会と向き合っていかなければならなくなる。そうしたときに我々の幸せをどう考えるのか、という指針になってくれるのがこのゲームの文言だというわけである。そういう意味で、2000年代においての幸せ論の一端を担っている今作は十分に社会的役割を担っており、ゲームだから消費的だという無根拠なひがみ批判をはねのけうる力を十分にもっているということができるだろう。

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矛盾…パッと浮かぶのは最後のリアラとの再会や、ジューダスの仮面が残っている点、エルレイン降臨とフォルトナ降臨の時系列が前後している点(これは物語の開始時点の「現代」が既にエルレインによって改編されたものであるためでしょうが…)、あとはジューダスが神の眼にシャルティエを刺すシーンでしょうか
神の眼のシーンは、「本来は存在しないはずのジューダス=リオンの手により、本来は失われているはずのソーディアン・シャルティエが神の眼に刺されることで前作のラストが成立する」と言う、非常に大きな矛盾が発生しています。
デスティニー2でも触れられている通り、本来は「ソーディアン・シャルティエのマスターであるリオン」はあの時点で死亡しており、ソーディアン・シャルティエも失われているため、「神の眼」にソーディアン・シャルティエを刺すことはできません。この為、デスティニー2の作中の同シーンでは「神の眼の力がソーディアンたちの力を僅かに上回っている」状態であり、「ジューダス=リオンがソーディアン・シャルティエを刺す」ことで無事に本来の歴史通りの展開となるわけですが、そもそもジューダスはエルレインがリオンを復活させた結果存在している、「本来ならば存在しないはずの存在」ですので、「ソーディアン・シャルティエが神の眼に刺される」と言うことはあり得ません。と言うことは、正史世界では「ソーディアンを使って神の眼を破壊する」と言う試みは失敗に終わらなければなりません。にも関わらず、それが実際は成功している…と言う、例えて言うなら親殺しのタイムパラドクスのような状態になっているのですね。ファンタジア世界のように分岐型のタイムトラベル論を採用している(ただし、本編では上書き型のように描写されている)ならば何ら問題はないのですが、デスティニー2は上書き型のタイムトラベルなので、前作プレイヤー、前作ファンにはこの矛盾が目についてしまうのでしょう…。

エルレインは歪みを付加したというより、「神の視点での平等な幸福」を追求した結果だと思っています。
エルレインとフォルトナの考えは一貫して「全人類の幸福」であり、「人類の救済」が彼女たちの存在意義。「自分たちの考えや存在を否定する人間」もまた、「救済すべき存在」なので、どれほど拒まれようとも幸福を与えなければいけなかった。
女神であるフォルトナは当然のこと、その分身であるエルレインもまた、人間の思考や感情というものを理解できていなかったのでしょう。
人間らしい感情が考慮されていなかった未来世界、感情は考慮され、万人が幸せを感受していたものの、どこか人間らしさが欠けてしまった改編現代にはそれが現れているのではないでしょうか。
カイルたちは改編現代の「作られた幸せ」も拒んだわけですが、ここへ来て「万人が納得する絶対の幸福」などないと悟ったエルレインはそれでもなお、全てを救済しわようとした。
結果、彼女は「人間一人一人の幸せの形が違うのならば、一人一人に幸福な世界を与えてやればいい」と言う答えに行き着く。
そして夢の世界を与えた。
彼女は夢の世界すらも拒まれてしまったわけですが、ここに至るまでの間に「救済する」と言う目的が少しずつ「神の手による完璧な世界の実現」にすり代わってしまったから…せかいめつぼうさせてからふっかつさせます、なんていうおかしな方向に行ってしまった。私はその様に物語を見ていました。
リアラのことについては私見ですが、リアラを中心に見た見たデスティニー2の物語は「迷いと疑問を抱えたリアラが幸せの形を見付け出す物語」と言ったところでしょうか。リアラもまた、女神フォルトナの分身であり、聖女ですから、「今ある幸福」のために、本当は消えたくはないけれども、決断をした、という印象です。
まあ、エルレインやリアラのことは、私がシリーズファンであることや思い出補正にによる美化も大きいかもしれませんが。
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