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『RAGNAROK THE ANIMATION』(26話、2004) 感想とレビュー

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せっかくこうやって、26話もアニメを見ているのだから、ただ流してしまうのではなくて、少しでもそれを見た軌跡を残していきたいと思う。
今作、ラグナロクジアニメーションは、非常に私にとっては批評しづらい作品である。私にとって批評しづらい作品ジャンルはいくつかあるが、そのなかでも結論が出てしまうミステリーや、物語り内容があまり見いだせないバトル物、自分の知識がとぼしいためになんとも言い難いSFなどがある。
今回はさらにやっかいなことに、世界観の設定をそれまでのRPGゲームや剣と魔法の物語りに立脚しているために、余計に論じにくくなっている作品である。
が、これもひとつの修行と思って、次第にいい評論が書けるようになるための習作として感想程度のつぶやきを少し書いておきたい。

ラグナロクジアニメーションの原作は韓国のRPGゲームだそうである。オンラインゲームをひとつもやったことのない私には無縁の世界なのだが、そこには現実とバーチャルの世界がクロスオーバーしてくるような、奇妙な楽しさがあるのだろう。そもそも我々は現実に絶望し、そこから逃避するためにバーチャルの世界へ移行しようとするわけである。しかし、バーチャルの世界はやはりバーチャルの世界であり、そこに逃避してもそこで得られる快感というものが少ない。であればどうするかというと、本来バーチャルだけの世界だったところに、リアルを持ち込むのである。そうすることによって、そこでは自分の欲望をかなえることができるバーチャル空間にほかならないのだが、実際に現実的なリアリティーを体感することができるというわけである。現代人が精神的な逃避のためにつくりだした安全弁のような空間として、現代においてオンラインゲームというのは臨床心理的な役割を果たしているということができるだろう。

その作品をアニメ化してしまうと、やはりそのいい部分というのは消えてしまう。やはりアニメーションというのは虚構性の高いメディアになってしまうので、そこにゲームプレイヤーたちが見出していたリアリティーというのはなくなってしまう。その反面、アニメの強みもでる。虚構が得意なメディアなのであるから、リアリティーを排除することによって、完結した一つの仮想の物語りとして完結することは可能になるのである。原作を知らないのでそれ以上のことは言えないが、少なくともメディア間での相違といったらこのくらいではないだろうか。

この作品は原作がオンラインゲームであり双方向的に作り上げられた強固な世界なので、それを下敷きとしているため、設定があやふやだったりということはなく、しっかりした骨組みだなという感覚を受ける。それは反面、あまりにも現実離れしすぎていて、典型的な物語りのようにもみえ、現代人の我々がなかなか同調しづらい部分というのもある。例えば「ドットハックオンライン」などの作品は、剣と魔法の物語り世界を描きつつも、それは実は作中で登場人物たちがプレイしているゲームの世界です、という設定が利用される。そうしたカッコでくくってあればまだ理解しやすいが、この物語では完全にそういう世界観という前提で物語が勧められていくので、そういうものだ、と納得しないかぎりはどうもうまく作品に馴染めないのである。

ただ、私のなかでは名作と名高い『ドラゴンクエスとダイの大冒険』などのように、RPGゲームの設定をそのまま採用しても見事に成功している作品はある。今作は感情移入できなかったが、あるいは原作ゲームプレイヤーなどは感情移入、というか世界観を享受することはできたのかもしれない。
ところでこの作品であるが、「ダイの大冒険」とは異なり、主人公への感情移入がかなり難しい作品になっているのではないかと私は感じた。それは私個人の感受性の問題なのかもしれないが、少なくとも私のような人間がいるということは、他にも感情移入ができなかった人もいるのではないか、という前提のもとに話をすすめることにする。

この作品はひどく感情移入がしづらかったのは確かである。大体において、我々視聴者というのは主人公か、あるいはその近辺の登場人物に自分の欲望や希望を仮託して物語を享受するものである。そのためには主人公は広く共感を呼べるような人物設定でなければならない。たとえば先に例に出した「ダイの大冒険」であれば、主人公ダイはまだ子供であり、精神的にもそんなに高度に発展していないことから、空白が生まれる。その空白に視聴者たちは自分の思いを仮託することができるわけなのである。
ところがこの作品ではそうした空白が少ないように感じられた。それは設定の緻密さにも影響してくるかもしれない。ダイの大冒険では一応勇者、魔法使い、姫といった役割分担はされていたが、主人公が魔法を使うこともあれば、魔法使いが武器をつかうこともあり、凝り固まったものは感じられなかった。しかし、今作では、それぞれの登場人物は、ナイト、サモナー、魔法使い、商人、といったように、キャラクターがそれぞれの職業に固定化されてしまっているのである。

途中主人公ロアンはソードマン(剣士)からクルセイダーに、ユーファはアコライトからプリーストになるが、やはりそれぞれの職業に応じた戦い方しかしなくなり、そこにはなかなか空白や余地といったものが感じられない堅苦しさを感じさせる。
私自身の人間理解が、人間とはもっと多様であり、職業によってそんなに作用されるべきではない、という意識からこうした批評が出ているのかもしれない。あるいは、人間は職業によってだいぶその人の性格などが規定されるものだ、という人間理解の人にとってはこの作品は受容しやすいのかもしれない。

だが、この作品に感情移入しづらいのはなにもそれだけではない。圧倒的にこの主人公ロアンに対して感情移入が出来ないのだ。もしくは女性の方はユーファに感情移入するのかもしれないが、これもまたなかなか難しいと思う。
というのも、この主人公ロアン、苦悩というものをしないで、猪突猛進、しかもその猛進の仕方が微妙に歪んでいるからなのだ。これでは視聴者もこの人物に感情移入したり応援したりするのははばかられる。
力あるクルセイダーになったロアンには、是非ともユーファを救ってほしい、助けてほしいと思うものであるが、ロアンはそれまでのお人よしの感じをなくし、ユーファが足手まといだというような表現をしてしまう。確かにユーファもアコライトの時まではほとんど何もすることができずに、敵が目の前に現れたら逃げることさえもせず、ただ身をこわばらせるだけだった。そういう人物像をみているとなんだかもやもやしてくるものである。プリーストになる際に、自分の弱さを見つめるための試練といって、それまでの自分が単に人に良く思われたいというだけのエゴイストであったことを発見し、多少はましになる。
だが、人間的に成長したユーファとは対照的に、ロアンはそんな成長してきたユーファに対してもまだきちんと向き合えないのである。それまでのお人よしさをなくし、自分の力に過信するだけになったロアンは、ユーファがロアンに対してはかない恋心を抱き、守ってもらいたいという欲求を気づこうとしない。そのためにユーファは最終的に憎しみにとらわれた兄のもとへ去って行ってしまうのである。

最終的にはようやく誰がみてもよかったと思える人間になり、関係も落ち着く二人であるが、視聴者は26話中、そのほとんどをロアンとユーファに苛立ちながら見守らなければならず、これはなかなかハードルの厳しい作品となっているように感じる。
声優が豪華なだけに、もう少し主人公たちを共感できるような人物にすればよかったのではないかと思う。

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