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『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』(13話、2015) 感想とレビュー

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久しぶりにおもしろいアニメを見たという感じがある。タイトルが文字通り、現在の長めにしておけばいいだろう感丸出しではあるのだが、作品内容はきちんとしていておもしろかった。
いわゆるRPGゲームをそのまま移植してきた感じの作品であり、その点に関してはあまり目新しさがあるとはいえない。しかし、それでもおもしろい。なぜなのか、と一通り考えて見たものの、私が持っている文芸批評の武器ではこの作品のおもしろさというものを解明できそうになかったので、どうこの作品について述べたものかと困っている。
今回はたまたま機会があったので、これだけ早い鑑賞となった。この作品を鑑賞し終えたのは7月15日であり、番組の公開が2015年4月から同年6月までであったことを考えると、私としては極めて早い鑑賞になった。大体において数年前の作品を追いかけているような評論家きどりなので、珍しい。

さて、この作品であるが、設定等についてはWikipediaを見てもらうなり、アニメを実際に見るなりして自分で確認してほしいわけだが、この作品のおもしろさについて少し考えてみたい。
私は先日この作品と同じく、剣と魔法の物語りである、『RAGNAROK THE ANIMATION』(26話、2004)を鑑賞しているわけだが、この作品はすこぶるおもしろくなかった。この作品と同じく、主人公は成長していくし、仲間も増えていくし、作品の構造としてはそんなに違わないはずなのである。だからこそ、構造主義的批評家である私の批評がこの二つの作品を分別できないのであるが、では構造的にはほとんど似たり寄ったりなのに、なぜこうも、この作品はおもしろく、ラグナロクのほうがおもしろくないのか、ということを考えなければならない。

その最大の理由というのはやはりキャラクターにあると私は感じる。
ラグナロクでは主人公たちがみごとにズレていたために私達が感情移入することは難しいということを述べた。その点、こちらのダンまちのほうでは、主人公たちに感情移入しやすくなっているのかもしれない。
ただ、感情移入という作品受容の仕方において、この作品がほんとうに感情移入しやすいのか?という問題は残る。主人公ベルは本当に感情移入しやすいか?と私は思うのである。一見するとしやすい。それは確かなのである。ラグナロクの感想を書いた時に私は、感情移入のしやすさというのは、主人公の余白、余地のようなものが重要であると述べた。それだけではなかなか理解しにくい言葉かもしれないが、ようするにあまり批評的な人間は好まれないということなのである。それよりも純朴、純粋といったほうが好感が持てる。そういう意味で使用したのである。その点、この作品の主人公であるベルは、作品随一といっていいほどのお人よしであり、サポーターのリリに騙されてもちっともそれを問題としない天然ぶりのお人よしである。普通の人間であれば自分を裏切った人間に対してこうなることは難しい。そういう意味で、ベルという主人公は好感はとても持てる人物なのには違いないが、感情移入するとなるとあまりにも人ができすぎていて苦しいのではないか、と私は思うのである。
だから感情移入は本来できないのだが、単純に好感が持てるというレベルでしか私達はこの主人公ベルに対して向き合っていくほかないのである。

あとこの作品をたのしく享受する方法は、かなり古い概念かもしれないが、やはり「萌え」なのかもしれない。
このアニメが放送されると同時にネットで話題になったように、神ヘスティアの胸のあたりを一周している青い紐というのはあまりにも記号的な「萌え」を誘発しているように思われる。実際にあんな紐は邪魔になるだけであり、およそ現実的ではない。が、あれが記号的な消費アイテムとなることによって、そこには現実にはあり得ないけれども、ああいう文脈では消費されるものという共通認識がうまれ、そこに萌えが発生するのである。しかも作画がすばらしいことこの上ない。手を延ばしたりしたときに、紐がそれをささえている胸をひっぱりあげる、などの動きは見事であり、作画の人達の努力が見て受けられる。

他にもチープといえばチープなはずなのだが、ベルを取り巻く環境は、それまでずっと消費的に使われてきたアニメにおけるハーレムものでしかない。これはいまさらであり、本来批判の的になっていいはずなのであるが、この作品をみていると、そうした夢想的な作品なのにもかかわらず、ついついいいなと思ってしまうところに作品の罠があるように感じられる。
主人公ベルは、神ヘスティアからも好かれている。ヘスティア自信がすでに例のひもが象徴的なように、とても消費的な萌えキャラとして存在している。だが、この作品ではそれだけでは済まされないのである。小人族であるリリもまた、ある意味で妹キャラとしてかわいい存在であり、やや腹黒いところもまた消費的な記号である。ヘスティア自信も小さいので妹キャラであり、ロリ巨乳とともにリリと二人の妹キャラに囲まれるハーレムなのである。
だが、さらにそれだけでは終わらない。ベルはなぜかはわからないが、他人から一方的に好意を寄せられる人物として描かれており、酒場「豊饒の女主人」の店員であるシル・フローヴァ、ギルド職員であるエイナ・チュールといった、対等、あるいはちょっと年上のお姉さんたちからも気に入られ、ハーレム状態となる。そしてなんといっても、剣姫と名高いアイズ・ヴァレンシュタインは憧れの人であると同時に、彼女もまたベルに対して弟的な愛情をそそぐのである。
普通ここまできたら、あまりのハーレムぶりに視聴者は胸やけを起こすか、途中でこれがあまりにも非現実的であることに気が付いてむなしく感じてしまうはずなのである。が、よくわからないがこの作品はそれを感じさせない。それを巧妙に物語がおおいかくすことによって、ハーレムが現実には存在しないはずなのに、この作品では見事にそれがさもありなんという感じで進行し、成功を収めているのである。

単純におもしろかった作品にこういうつまらないケチをつけたくないのだが、しかし、敢えてひねくれた評論家として言っておかなければならないのは、やはりこの作品が我々の願望を忠実に再現しているということであろう。
やはりなんといっても我々は暴力的な存在なのである。武器をもち、敵を倒したいという欲望がある。しかし現実社会でそんなことをすれば大変なことになるし、なによりそうならないようにということで法が設立されているのであるから、そんなことをすればつかまってしまう。また、敵を攻撃すれば、反対に攻撃されるという可能性も生じてしまう。我々は敵には攻撃されないで、安全地帯から一方的に相手を攻撃したいものなのである。
およそ文化とよばれるものはこの暴力性の発散としてきた。それは時としてスポーツであったり、あるいはもっと暴力的にボクシングなどの格闘技となっている場合もある。またある時には、この作品にかかわってくるが、バトルゲームであったり、あるいはRPGゲームであったり、敵を安全地帯から、自分は決して傷つかないという状況において相手を一方的に倒すことができる文化として発展してきたのである。
だからこそこの作品おいても、モンスターは一方的に倒される存在として描写される。そこにはモンスターが感情ある存在であるとか、そうした事情は一切描かれない。

また、ハーレムも、他の多くは学園もののように、それは現実には起こり得ないからこそ、そうでありたかったという欲望の具現化として現れてくるのである。
実際にこのアニメをみている、私を含めてオタクたちはひどく屈折した人間たちであり、いわゆる非モテ人種なはずなのである。だからこそ自分がモテなかったことを一時的にも忘れさせてくれるこうした記号的なアニメを消費することによって、一時的ではあるが、辛い現実忘れることができるのである。それどころか、このアニメたちは私達にあり得たかもしれない他の世界、というかっこつきで私たちに夢を与えてくれるのだ。私達ももしかしたらこうであったかもしれない、という夢を見させてくれるところに、こうしたサブカルの文化というものは醸成している。

それになりよりも、この作品がサブカルオタクたちに親和性の高いRPGゲームを舞台としているところもまた、私達の欲望をさそうのである。私達はRPGゲームをする際にはそこで主人公となったつもりでゲームをプレイする。それはなによりも自分が自分の人生の主人公となり得なかったことを忘れさせてくれる存在としてあるのである。ゲームのなかでは、ただ時間をかけて敵を倒し続けるという行為をするだけで、レベルがあがり、ものすごく強くなれる。だが、現実には非力なままで、おそらく喧嘩をしたら人一人にも勝てないレベルなのだ。この作品は驚異的な成長をする主人公に、私達の現実での非力さを仮託することによって、まるで自分自身も成長したかのように感じさせてくれる魔力があり、魅力がある。
そうした意味においてこの作品はある意味ではオタクたちの消費的な作品として成立しているのである。しかも、それがオタクたちには何の反省も促さないという点においてひどく甘い作品であり、だからこそ私達オタクはこの作品を安全に享受することができ、ヒットにつながったわけである。

実際に観ているとおもしろいのだ。だから私としてはどんどん続編をつくってもらって、二期、三期とつづいてほしいものである。
だが、この作品が消費的であるということはよく気を付けておかないと、どんどん作品と現実の乖離が激しくなるなかで、わたしたちは現実社会に生きる術を亡くしてしまうのではないかという危機感もまたあるのだ。

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