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『To LOVEる -とらぶる-』感想とレビュー アニメにみる文化相対主義

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現在公開されている『とらぶる』の全話を鑑賞することに成功した。成功したと書きたくなったのは、これが50話をこえる大作であり、その巨大な城に対してようやくとっかかりのようなものを見付けられたからである。この達成感はなかなか味わうことができないものである。私が鑑賞したのは、下に書いたように、すでに公開された「とらぶる」と現在進行中の「とらぶるダークネス」の二話までである。
TL第1期『To LOVEる -とらぶる-』(26話、2008)
OVA『To LOVEる -とらぶる- OVA』(6話、2009-10)
TL第2期『もっとTo LOVEる -とらぶる-』(12話、2010)
テレビアニメ第1期『To LOVEる -とらぶる- ダークネス』(12話、2012)
テレビアニメ第2期『To LOVEる -とらぶる- ダークネス 2nd』(2話、現在進行中、2015)

とらぶるはもともと矢吹健太朗(漫画)・長谷見沙貴(脚本)による漫画で、週刊少年ジャンプに連載されていた。私自身はジャンプ世代まっさかりなはずなのであるが、そうした文化に若い頃接触してこなかったため、友人たちが持っているジャンプに、たまにそういうかわいい画の作品が乗っているのだなということくらいしかしらなかった。ちなみに私が小学生の時には、『いちご100%』が連載されていたのを覚えている。
ちょうどジャンプ世代となる中高生には、バトル物の漫画と同時に、溢れ出す性欲のはけ口となる作品も必要となるわけで、それが『とらぶる』だったわけである。
アニメを見ていただけなのでわからないが、アニメであそこまでの表現ができたということは、漫画ではさらにすごい描写になっていたのだろうと予測できる。

さて、アニメ版『とらぶる』であるが、第一期26話では、一応リトのもとに突然やってきた宇宙人であるララとのラブコメが展開される。リトはララがくる以前から西園寺のことが好きであり、この三人の三角関係がテーマとなって進行される。
しかし三角関係が全面的にテーマとなるかというとそうではない。むしろこの作品を見ていて感じたのは、そのほかライトノベルによくみられる主人公の周りにさまざまなオタクが好むような典型的なタイプの美少女がなぜか不思議と集まって来る「ハーレムもの」と、学園のなかでの時間軸のほとんど感じられないエターナル的な「日常もの」の融合作品であるということだ。
その点は私がいつも指摘しているように、傾向としてはしょうがないのかもしれないが、しかしこのようなアニメを見続けることによって我々の精神はどんどんと後退していくのではないかという危惧がある。

この作品が他の「ハーレム日常もの」と異なるのは、この作品がハリボテのように量産されるそうした一軍の作品とは違って、『ドラえもん』的な古典である点である。もともと永遠の「日常」のなかに耽溺する作品としては、金曜日の『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』、日曜日の『サザエさん』『ちびまるこちゃん』のような古典的な作品があるが、この作品ではそのなかでも特にドラえもんに類似した部分が見受けられる。
大抵において、現実の日常においては、ハプニングは起こらない。ものすごく退屈な日常が待ち受けているだけである。だからこそ、我々は何か物事が起こる非日常をアニメや漫画などの世界に求めたのである。そして漫画やアニメはそれに応えるようにして、完全に非日常のありえない世界を描くか、あるいは我々が依拠している日常に寄せた、ドラえもんなどに代表されるような永遠的な日常のなかで、なにか物事が起こってくれるという、本来ならば非日常的なのであるが、日常に似せた偽日常が描かれるようになったのである。

この作品は、いつもララが何かの発明をすることによって、その道具の効果によってハプニングが起こるという構造を持っている。ララの道具によってリトが女体化してしまったり、他の動物に変身してしまったりするのである。
反対から言えば、そのようなハプニングがおこらないかぎり、日常を描き続けることが難しくなってきているということもできるだろう。その点、人間の関係だけで日常を延々と繰り返しつづけることができる『クレヨンしんちゃん』などは、かなり技量的にはすごいものがあると私は思う。

そんななかでもアニメ第一期ではいちおうララが地球にやってきて、そのララの婚約者に相応しい男性になりうるのかという点で、リトが成長するという一応のストーリーがあった。だからこそアニメ第一期のラストにおいては、ララの父が地球にやってきて婿を試すわけである。この成人の儀式を経ることによって、リトは一応の成長を成し遂げるというビルドゥングスロマーンになっているわけである。
ところが、この作品はもともと漫画においては短い話が連続しているような1〜2話完結型であるので、ストーリーは然程重要ではない。その影響を色濃く映しているのがTL第2期『もっとTo LOVEる -とらぶる-』(12話、2010)であり、ここではアニメ一話のなかにそれぞれ7分ほどのストーリーが三本入っているという、まさしく『ドラえもん』的な発想になってしまっているのである。

ここまでくると、私たちはもはや物語、ストーリーを愉しむためにこの作品を享受しているのではないということに気が付かされる。ジャンプにおいて云えば、『ナルト』や『ワンピース』のように、主人公が成長していくというストーリーを愉しんでいるわけではないということなのだ。では何を愉しんでいるのかというと、『ドラえもん』のように、永遠に終わらない日常を繰り返している、そのなかにおいては何も進展がない。その進展がないからこそ、そこにずっと、享楽的に、あるいは逃避的に浸っていることができるというわけなのである。

自分がひきこもりになってしまってこんなことを言うのはなんなのだが、しかし敢えて言わせてもらえば、そうした時間軸の発生しない日常のなかに耽溺しているというのは、我々が求めていることなのである。特にそうした精神性が社会に適応できずに、永遠に思春期の中でひきこもってしまう、我々ひきこもりのような人々の精神性を助長しているのではないかと、あえて自分を切るように指摘しておこう。
あるいは、ひきこもることもいいではないかということになれば、より社会が柔軟に変化していって、高校生のノリを継続できるような会社や組織がもっと増えてもいいのではないか、だってそれを人々は求め続けているのだから、ということにもなり得るのである。

さてしかし、そんな日常もそのままではいられない。誰にも好かれてしまうというハーレムは、男根主義的な妄想である。この漫画がジャンプ読者の少年たちに消費されたとすれば、それはすなわち、敵を倒してどんどん強くなって、女の子からは一方的に好きになられる、という願望に享楽的にひたっているだけの少年たちの願望を増長させた疑いがある。それはある意味では罪深いのではないだろうか。
しかしそんなハーレムもやはり無理が生じてくる。一夫一婦制、あるいはロマンティックラブイデオロギーに支配されてしまっている日本社会においては、このようなハーレム状況は本来生まれ得ないし、ありえたとしても、それを継続していくのは難しい。

ということでこの作品は、日本の西洋から輸入された性、恋愛、結婚の三位一体を最上とするロマンティックラブイデオロギーや無批判のうちに導入されていた一夫一婦制についての疑問を投げかけるという、社会派に転じてしまう。
この作品ではチトが宇宙の覇者になることによって地球のルールを変えてしまおうということになるが、現実世界においてだって、アフリカやイスラム文科圏の性事情や結婚事情というのはぜんぜん異なるわけであり、それらを導入することだってできるのである。

アフリカでは初潮を迎える前、10歳前後からすでに少女たちは、狩りをする英雄たちとセックスをばんばんやっているというらしいし、そこでは西洋の性ルールは適応されない、不思議な世界がひろがっている。あるいはこの作品には、妹のみかんという重要なヒロインの1人が存在し、その様子からはどうやら兄リトとそういう関係になっても構わないというほどのものである。近親相姦を認めている文化は少ないが、それは近親相姦をした結果、そこからうまれてくる子供になんらかの異常が発生しやすいからということでタブーになっただけであって、本人たちがそれでいいのならば、近親相姦もあり、というほどの思想をこの作品は持っているのである。そういう意味で、この作品は自分達の知らず知らずのうちに信じ込んでいる常識を疑えということで、レヴィストロースの構造主義的な発想を含んでいる、あるいみ破天荒な作品なのである。

ハーレムを現状のままつづけていくとどうなるかということを恐ろしく体現して見せた作品に、原作は阿ドルとゲーム、アニメ『School Days』(スクールデイズ)がある。この作品では最終的に主人公の男性が、愛憎の中心となってその身体を分断されてしまうという恐怖が描かれている。それと同じように、基本的に一夫一婦制では、愛情は一人にしか注いではいけないということになっているが、現在の我々が住んでいる日本という国であるが、それはイスラム文化圏やアフリカ圏にいったら通用しない。
そうした意味で、我々が勝手に信奉しているこの一夫一婦制が本当にいいものなのか?という疑問はつねに持たなければならない視点であろう。

私自身は、先日LGBTの人々がアメリカにおいて法的にも認められたということに賛同しており、そのような性意識が高まり、自由が認められるのであるから、多重婚も、本人たちがいいのであればそれを認めるべきだと思っている。
この作品はこの常識を常識とおもって疑うことのできない日本社会においては、そういう意味で新しい可能性を秘めている作品ということができ、それを高く評価することができると思う。
ただ基本的にはそのようなことはこのアニメをみているオタクたちには起こり得ることはなく、むしろ持てる人間が余計に持てるだけになるという恋愛格差を余計に広げてしまう可能性が高いように私には思えるのではあるが・・・。

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