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うつ病記録 ぼくは、この世界が、だいっきらいだ

仕事を辞めた。
でも、その辞め方は、きっと多くの人が反感を買うような辞め方だっただろう。私は一応金曜日にも電話しておいたものの、月曜日になって、突然学校に行けません、辞めさせてください、と言ったのである。
ただ、金曜日の時点ですべてはわかっていたのだ。もうからだが学校に行くことを拒否している、もう行けないと。「その時」はしずかに訪れた。私はもっと劇的なものが襲ってくるのかと思っていたが、そうではなかった。ある時に、分水嶺を越えたのだ。コップにそそいだ水があるところで、ふっとこぼれてしまうように、私のなかで、ある時にふっと、あ、もういけない、というところまでやってきてしまったのである。
それはとても静かなものだった。とにかくもう無理だ、という現状が立ち現われただけであった。それまでの苦しいなかでなんとしてでもいかなければ、という葛藤や苦しみからは解放されたのである。そんな感じだった。

私は今、この記録が、すべてのうつの人にとって、何らかのプラスになるものであれば、という気持ちで書いている。そして、健常者の人こそ、私は読んでもらいたいのだ。君たちの当たり前が、いかに当たり前でないのか、ということを、わかってもらいたいのだ。

そもそも学校の先生が嫌いだった。高圧的で、自分が一番正しいと思っているから、あんなに傲慢な職種もない。だからこそ、私は自分が教員をやれば、すこしでもよくなるのではないかと思って教員を目指したのだ。しかし、実際はというと、そのような教員たちに囲まれているなかでやっていくのは、とてもじゃないけれど、できたことではない。私は日々、徐々に精神を病み、苦しさのなかに落ちて行った。
先生とは怖いものである。
私は自分の上司の先生に電話をしてもう家から出られない、学校が怖くていけないのだ、ということをていねいに説明した。しかし、上司は言うのである。「いや、でも仕事だから」「そうはいっても来てもらわないと仕事がすすまないので」。それでも私はいけないのだ、意志でどうにかなる話だったら、こんな話をしないでとっとと行っている。だが、すでに限界を超えて、こころとからだが言うことを聞かないのだ、と説明する。
「それでも這ってでもきてもらわないと」と食い下がる。そのような無意味なやりとりがずいぶん続いた。
それでも私は「いや、いけない」ということの一点張り。徐々に業を煮やしてきたのか、言葉遣いがあらくなってくる。「そうはいっても、来てくれなきゃこまるんだよ」「仕事がすすまないんだよ」。
わからなくもない。私も部下にそのような人物がいたら、きっと徐々に怒りがこみあげてくることだろう。しかし、わたしはなんといってもうつ病患者なのだ。怒られたところで、じゃあいきます、ということにもならない。まったく無為な怒りである。
1人ではらちが明かないと思ったのか、バトンタッチ。声がでかいし、体育会系の先生だ、彼はたぶん百回生まれ変わっても精神病にはかからないだろう。そんな強靭な精神の持ち主が、こんどは私を追い詰める。
「とにかく来てもらわないと困るんですよ。どこまでならこれます?もよりの駅まではこれます?」
いけないと答える。
僕の声が小さいからだろうか、それとも耳が悪いからだろうか、周りがうるさいからだろうか。なんども大声で「もしもし?」と聞く。これは怖い。ほぼ恫喝に近いものがあった。
最終的には、僕が持っている教務手帳を持ってくるという点に議論は絞られた。僕はもう学校にはいけないし、郵送させてくれと頼む。しかし、個人情報がのっているものだから、ということで、手渡しでないとだめだという。しかも、テストの点数を入力しなければならないために、今日中にという。彼等は彼等の論理でまわっているのだ。病気だろうがなんだろうがそんなことは知ったことではない。私のような病気になった人間のことなどどうでもいい。とりあえず点数をつけなければならないので、それに必要なものさえあればいいのである。
先生はこういう。「本人が無理なのでしたら、実家暮らしですよね、家族の方に持ってきてもらってください、今日中に」

ということで、私は已む無く両親に頼むことになった。
それ以外に方法がないのだもの、仕方ないではないか。
両親も最初はそんなものはお前の仕事だ、お前がやれ、としかいわない。
そんなことは百も承知なのだ。自分でだってそのくらいのことはわかる。しかし、自分ではできない状況に陥っているからこそ、助けてくれといっているのである。
それはお前がやるんだよ、という当たり前の前提を何度も言ってくる両親。そんなことはわかっている、でももうそれができないからこうなっているんじゃないか、と僕。しばらく同じやり取りが繰り返される。
最後には、両親が折れて、私の教務手帳を学校に届けてくれた。そして、私の職場に置いてある荷物を回収してきてくれたのである。

父はなにもいわなかった。
しかし、母が一言「お父さん平謝りだったよ」

もし、父さんよ、私のために頭を下げるだけの力があるのだったら、なぜそれをもっと早くに使ってくれなかったのか。私はあなたたちがいつまでも、仕事をしろ、働け、家を出ろとずっとうるさくいうから、あんまりにもそれが不快だったから、その不快を軽減させようとして仕事をしたんじゃないか。その結果が精神を壊して、この状況を産んでしまっているのだよ。なぜもっと早くに、息子のために、という力を発揮させられなかったんだ。

傍から見れば、私の仕事の面倒を親が見るという、ものすごい醜態をさらしたわけである。
だが、今の私には、それが恥ずかしいことだといった感情はまったくない。むしろ、当然と思っている。それどころか、私は被害者だと思っている。
私は最初から、大学四年時のころから、仕事は無理だ。数年間の休養が必要だと何度も何度も、繰り返し述べてきた。にもかかわらず、それを彼等は受け入れなかったのだ。聞き入れなかったのだ。そして、マントラのように、仕事をしろ、働け、家を出ろ、と言い続ける。そんなことを言い続けられた人間がどうなるのか。ものすごいストレスを感じ、精神的に弱っていく。そしてその不快からなんとか抜け出すために、仕事をしてみるかという気持ちになる。仕事ができる状況ではないにもかかわらずだ!
その結果がこれである。精神がよろしくない状況であるにもかかわらず、見切り発車をした。ナウシカに出てくる巨神兵のように、「腐ってやがる 早すぎたんだ.」
私は大きな屈辱を味わった。侮辱である。無理だといっているのに、まわりが大丈夫だ、できると無理やりにやらせた結果大失敗。それで周りの人間は、それをわたしのせいにしようとするのだ。会社の上司はうつなんかお構いなしだ。来いという。家の人間は無責任にも行けという。私はいけない、という。
全てはあんたたちが悪いのだ。私は最初から無理だといっているのに、それを聞き分けもせず、無理にやらせたから。だから失敗した。私はこんな大きな失敗をあなたたちにさせられたんだ。立ち直るのは難しいだろう。私は一生仕事なんかについてやるものか。無理だからだ。どうせまた今回と同じように失敗するのが目に見えているからだ。だから私は仕事などにはつかない。そもそも私は働く必要なんかない!と宣言している人間だ。なぜかというと、私にはそもそも「生きる」という意志がないからである。

私はそもそも死にたくはないが、生きたくもないのだ。何もしたくはないのだ。私はこの世界に生まれたくなかった。にもかかわらず、無責任にもセックスをして、私を産んだのだ。だから、私の面倒は私が死ぬまで何らかの形で親が見なければならない。
私は生きたくないし死にたくない。であれば、少なくとも最低限の生活をさせるだけの援助を親がしなければならないのは当たり前ではないか。
いきなりこんな意味不明な世の中に投げ込まれ、世界は私の思い通りにはならないし、私に働けだの、生きろだの、仕事をしろだの、とにかく何かをさせようとしてくる。もううんざりなんだ。私は何もしたくないし、なにもしないのだ。
ぼくは、この世界が、だいっきらいだ。

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No title

非常に興味深く読みました。いい文章ですね。

匿名でコメントさせていただきます。
大変なときに、なんの救いにもならないコメントで申し訳ないですが、何かのヒントくらいにはなればよいのではとも思い。

当方の説明は要らないでしょう。言えることは、私は臨床心理士ではないし、自身も周りにもうつ病を抱えている人はいない、ということです。
すなわち、これから書く内容は一般人の普通の感覚です。

まず、私は社会常識や情勢は詳しくはありませんが、転職をされる方、うつ病などの精神疾患並びに様々な都合で、早期に職を失う、手放しざるをえない方が多いと耳にします。

貴兄は、そのことをわかっているようでわかっていないように見受けられました。
これは、苦しんでいる人は他にもたくさんいるだとかそういうことが言いたいわけではなく、一般論からするとそう珍しいことではないのかもしれないという可能性の話です。

周りにうつ病の患者がいないと申しましたが、知り合いレベルでならばいます。その方は生活保護を受けて暮らしています。この「生活保護」は人によって考え方が変わりますが、私は困った人が保護を受けるということになんら疑問を抱きません。

ここから関連して言えることは、
「うつ病は誰でもなりうる、心の風邪」のような標語があるように、広く世間に認知されて、かつ誰しもがなるかもしれないということ。そう考えた途端、何も貴兄だけの悩みではないと思えるのです。

なので、ご両親を憎むのはやめましょう。望まれない生はありません。「生きることも死ぬこともしたくない」という気持ちは、おそらく多くの人が共通した考えであると私は考えます。
誰しも絶望を味わえばそんな感覚が訪れます。

うつ病のカミングアウトで、何故人は共感し感動したりするのか、それは本来的な人間の生を感じれるからだと思います。

1日でも早い回復をお祈りいたします。
私が言いたいのは社会復帰しろだとか、元に戻れということではなく、貴兄の望む姿になることを優先してくださいということです。
鳥籠の中でもがき苦しんだのならば、その出口を見つけるまでしばらく羽休めすればよいと思います。
出口が見つかり、すっかり体力も回復したら翼広げて飛び立つ。
そんな姿を想像しつつ結びと致します。
長文失礼致しました。

はじめまして♪

この記事を読んで、初めに思ったことは「苦しい」「哀しい」でした。
私も中学生の頃に登校拒否になったことがあり、その時の事を思い出しました。家にも学校にもいたくない状態で、すごく苦しかったです。
「うつ病」は、まだまだ理解されず受け入れられないものなんですね。
幽玄さんの「親が子の面倒を見るべき」という考え賛成です。
親の「子供が欲しい」という意思だけで産むのだから、どんな子になろうと面倒を見るべき。20才を過ぎたら独立するべきとか、学校卒業したらとか、世間は言うけれどそれは誰かが決めた勝手なルール。親が解放されるために子供に責任を押し付けたように思えます。子を産むというのなら、“最期までみる”という覚悟の上で産んでほしいと思います。「年齢的に無理」と皆は言うのでしょうね。だったら死に際に「最期まで見てあげられなくてごめんね」と言えばいい。
>「お父さん平謝りだったよ」
という言葉もひどいなと感じました。「何が言いたいの?してやった感を表したいの?謝ってなんて頼んでないけど?頼んだのは荷物の運搬だけ。謝らずにはいられなかったのはあなたのせいでしょ」そう言いたくなりました。
幽玄さんにはとにかく休養してほしいです。癒される日を心から願っています。

はじめまして

とても率直で心に響きました。僕も働くことが嫌で、大学を卒業してからずっと無職です。

最初のうちはハローワークに通ったりしましたが、身体がうけつけませんでした。そんなとき中島義道さんの本に出会い、感動したことを覚えています。親にいろいろ言われましたが、何度も話をして、今は理解してもらえています。

「一生無職で生きる」というのが夢の一つです。

No title

とても興味深く拝見しました
色々なことを「こうするべき」と考えていたときの私に似ていると思い
コメントを残すことにしました
私は今 こう思っています
何年後になるか 何十年後になるかわからないけれど
いつか学校なんてものはなくなる
いつか家族なんて制度はなくなる
いつか労働なんてものはなくなる
こんなバカな仕組みがこれ以上のさばれるわけがないのです
世間のうまくやってる人たちがなんと言おうと
平気でやっていけているほうが異常なのです
おかしいのは世界のほうです
ただ いつなくなってくれるのか それまでどう過ごしたらいいのかだけが問題だと思っています
助けてくれる存在と出会えますように
プロフィール

幽玄

Author:幽玄

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