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うつで、仕事にいけなくなりました

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情けないことに、うつで仕事にいけなくなってしまいました。
僕自身について語るのは約二ヶ月ぶり。二ヶ月前には、「僕は仕事なんかしないで、友人のお母さんのところでドライバーとして雇ってもらうんだ」なんて豪語していました。
ですが、縁あってか、私は非常勤講師として横浜のほうにある学校に採用されてしまったのです。
それがよかったか、わるかったか、その当時には知る由もありませんでしたが、今からしてみれば、やはり悪かった。

周りに誰も私のことを分かってくれる人がいない、という孤独のなかで、僕はずっと戦ってきた。しかし、もうそれも、限界を超えてしまったようである。もう戦えない。休ませてくれ、それが僕のこころからの願いだ。
そもそも、僕は最初のところからつまづいているのである。
いつからだろうか、うまくいかなくなったのは。
もともと屈折した人間だった。幼稚園生のことから、自分が嫌だとおもったお遊戯会には最後まで意地を通して出なかったし、小学生のころも、低学年のうちは徒競走が嫌で、最後まで走らなかった。大勢観客がいる前で、母親にいやいや引きずられていったことを想いだす。そうした恥が、僕には人生のいたるところに沁みついている。
僕には普通の人の様に生きることはできない。
挫折だけの人生だった。
今、人生最大とも言える挫折を味わっているなかで、過去の挫折がつぎつぎに走馬灯のように思い出される。
小学六年生の時。私はいやいやながら父親に受験をさせられた。僕があるとき、受験なんていやだ、といったら父親は切れて、僕のことをなんどもぶったのである。
あの父と、いまでも仲は悪い。いまいましい父め。早く死んでくれればいいと僕は切に願っている。
その父との確執はいまにもつながっているし、僕が今回うつで仕事にいけなくなったのも、半分は父が原因だと思っている。
高校三年生の時も、そのまま大学に行けたのにもかかわらず、大学受験をさせられた。あのころはまだ国立出の父に対して立ち向かうだけの言葉の力がなかった。だが、大学受験だけは、幸か不幸か、良い方向に転がったと思う。もともと法律学部に入ろうとしていた僕は、すべての法律学部に落ちて、文学部に入学した。そこで言葉の力を学び、本を読みまくることによって、論理力や弁論術を身に付けた。今となっては、エリート大学を出て、社長にまでなった父親に対しても、論理力の面では私のほうが優れている。
高校の時に彼女や周りにいた友人たちに裏切られるという事件があった。今もその傷は癒えていないのだろう。その結果私は人間不信に陥り、大学受験の失敗もあって、大学一年の夏に急激に体調をくずした。夜眠れなくなり、気がついたら朝の7時。疲労困憊のなかで、なんとか眠りにおちる、という状況が続いた。食事もだめだった。お腹がすいた、食べたいと思っても、いざ食事を目の前にすると、気持ち悪くなってしまう、ということが続いた。体重は47キロまで落ちた。

僕は「なぜ生きなければならないのだろう」と問うようになった。
僕の問いの根源はここにある。
僕は死にたくはないけれど、かといって生きたくもない。
なぜこのように苦しいなかで生きなければならないのだろう。
僕は生まれたいとも、生きたいとも思っていない。にもかかわらず、社会は、父は、僕に働けと命じてくる。それがあまりにも煩わしかった。
大学四年の時、僕は度重なる教授による論文指導というなの罵倒と、父との仕事をしろという戦いのなかで、かなり疲弊していた。僕にはとても仕事ができる精神状況ではなかったのである。
なんとか大学四年にもなって、度胸がついたので、はじめて心療内科に通い始めた。そこで、なんとか薬を出して貰って持ちこたえていたのである。
だが、やはりまだはやかったのだ。僕はまだうつから立ち直れてはいなかったのである。
にもかかわらず、あまりにもうるさい父から逃れるようにして、周りの人間が勧めるので、その流れにのって、面接を受け、見事に受かってしまったのである。

だが、僕にはもう職場にいけるだけの力は残っていない。
とにかく怖いのだ。
なにがなんだかわからない。
身体が拒否しているのである。
僕はいかなければいけないと思う。しかし、そう思えば思うほど、こころとからだが、僕の意志には反して、いけない!と悲鳴を上げるのだ。
呼吸が浅くなり、気持ちが悪くなる。胸、胃、お腹のあたりがキューとしめつけられるようになって、はげしく苦しい。いわれもない不安、恐怖感に苛まれる。腰は重く、痛む。そしてなによりも、頭のなかで、「イヤダイヤダイヤダイヤダ」と叫び声が聞こえる。
原因ははっきりとはわからない。
考えられるのは3点。
1つ目は、単純。物理的に距離が遠すぎるのだ。歩く時間も含めると、片道2時間。毎日4時間もの貴重な時間が奪われているという現実が僕のこころを苛んだ。
2点目。教員。
なによりも辛いのは、職員室にいるときだ。職員室にいると、わけもなく涙が出てきそうになる。
僕はそもそも教員という人間が嫌いだった。教員はみんな自分のことが一番正しいと思っているから、傲慢な人間が多いんだ。僕が行った学校はまさに体育会系という学校で、ものすごかった。もはや軍隊だった。僕が一番嫌いなものだ。
生徒たちは私達教員がすれ違うと、その場で立ち止まり、「おはようございます」とあいさつをする。そんなことはしなくていいんだよ。お互いにどちらが偉いなんてことはない、人間なんだ。わざわざ立ち止まって挨拶するなんてしなくていい。
そして、教員たちも傲慢だ。生徒に対してきわめて高圧的な態度で接している。私は他の教員が生徒たちにそのように高圧的に接しているのを見ているのがとてもつらかった。私はこれ以上そうしたものを見たくはない。
そして自分は一番正しいと思っているから、普通なら指摘しないようなことを、僕にまでするのだ。
やれ挨拶をしたほうがいいだの、やれ人が来た時は立ち上がれだの、やれああしろこうしろ、あれはいけない、これはいけない、昼休みに寝るな、僕はもう限界だ。
3点め。生徒。
なんとか中間試験まではがんばった。試験もつくったし、採点もした。しかし、あれだけ丁寧に教えたし、なによりもみんなに満点近くとってもらおうと、ほとんど出るところを事前に言ったにもかかわらず、ほとんどが赤点という有様。勉強しようという気がないのだ。授業で行ったことを見返して置けばほとんど百点とれる問題で、平均点はどのくらすも40点ほど。僕はほとほと、彼等、彼女等に教えることの無意味さを感じさせられたのであった。

すまない、が、僕はもう限界だった。
限界をすでに超えていた。
静かに、コップから水がこぼれ落ちるようにして、僕は限界を迎えた。
先週の金曜日、僕はものすごい静寂のなかで目が覚めたものだ。それまでの辛さがまるで嘘だったかのように。それはすでに限界を超えてしまったからだったのだろう。
最初は、一年間でやめようと思っていた。しかし、それがなかなか難しく感じられてきた。
こんどは一学期でやめようと思った。それまではなんとか頑張ろうと思った。しかし、それも難しくなってきた。
なんとか明日行って、荷物を全部運んでしまおうとさっきまでは思っていた。
しかし、明日行かなければならないのだ、と思うと、いわれもない恐怖に襲われてしまい、どうしようもない。おそらく僕は明日仕事にいけないだろう。そしてもう二度と、あの職場には戻れないことだろう。
しかし、それでいいのだ。
多くの人が迷惑をこうむる。しかし、それでいいのだ。
僕はすでにそれらの人が困るのだ、なんだと言われても、それを負えるだけの責任能力のない、そんなことをいっていられない状況にある。
大勢の人が悪いのだよ。私をこのような状況にしてしまった。私は何も悪くない。私はただ、うつになってしまったのだ。
すまない、とも思ってはいない。私をこのように追い詰めた社会への、私からのわずかな意趣返しである。どうかありがたく受け取るがいい。
僕はすべてを放棄する。そして僕は明日学校へいかないだろう。
僕はうつで学校へいけなくなりました。
おわり

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