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『風を見た少年』感想とレビュー

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 残念ながらヤフー映画では星が1,5しかつけられなかった、低評価の作品であるが、私は意外と魅力があるのではないかなと思う。それと同時に、やはりこの作品がこの点数を取ってしまうのはわかるな、と思うのである。今回はそれを文章にして、なぜこの作品がダメだったのかを、文藝評論的に分析してみたい。
 個人的には私はこういう作風の作品は大好きである。アニメーション映画の『幻魔大戦』を思わせる、ダークな作風で、世紀末的なにおいがプンプンする。そして超能力を持った少年。条件は最高なのだ。ともすれば、『アキラ』のようにもなり得ていた作品なのである。それに声優も豪華だ。安達裕美、前田亜季、戸田恵子、夏木マリ、内藤剛志。これだけ作品の制作にお金をかけていれば、大抵の場合はまあおおコケとはいかない。
 ところが、これだけ条件がそろっているにもかかわらず、この作品は大いにコケた。というよりも、観客がのってこなかったのである。その原因はいくつも考えられる。
 まずどうしても、少年が成長していく物語は、あの伝説の名作『天空の城ラピュタ』を彷彿とさせずにはいられない。しかも今回は少年が空を飛ぶのである。どうしてもラピュタをイメージしないわけにはいかないだろう。ところが、ラピュタには多くの人が感情移入できたのに対して、この作品にはできないのである。それはなぜか。
 ラピュタでは、多くの人はパズーに感情移入したはずだ。そしてここが重要なのであるが、パズーは選ばれた人間ではない。パズーはシータのように王家の血筋を引いた選ばれた人間ではなかったのである。その選ばれなかった人間だからこそ、パズーは努力をし、選ばれた人間であるシータやムスカたちを肩を並べるほどまでに成長したのである。ところが今回はどうか。なんと主人公であるアモンは選ばれた人間で、空を飛べるのである。この時点で我々一般の観客は、もうそこに感情移入をすることはできなくなってしまうのである。
 そこに感情移入する前に、どうしても私たちは実際に空を飛びたいと、だれもが少なからずは思っているので、そこに嫉妬のようなものを感じてしまうのだ。いいな!と思いながらも、同時にねたましいと思わずにはいられない。もしもこれが自分だったら!と思い込めるほどの思い込みが強い人でなければ、この作品は鑑賞できないのである。

 また作品の構成にもやや問題がないとはいいきれない部分がある。
 例えばこの作品は全体が暗いイメージでおおわれている。それは、アモンの父の助手であったルチア先生であるが、この先生の噛ませ犬っぷりはひどい。もう少し内面を描いてもよかったのではないかと思われるほどである。そもそもアモンの父は高名な学者である。しかもその父はただ一人しか助手をとっていなかったのである。それほど偉大な人間が一人しか助手をとらないからには、その助手は相当のできがよくないといけない。にもかかわらず、ルチア先生は、アモンの精神的保護者になるわけでもなく、ほんとにひどり私利私欲に目がくらむだけの人間として描かれてしまう。
 むしろここではルチアはもっと葛藤し、アモンをなんとか救おうとしなければならなかったのではないだろうか。
 唯一といっていいほど、アモンの精神に本来寄り添い、潜り込むことができなかった人間を、ダメ人間として描いてしまったために、主人公アモンの心情もあまりぱっとしない。深く切り込んで描かれていないのである。

 最後にこの作品がちっとも救いようのない作品になっている原因として、この作品の構造に問題がある。
 この作品は、まるでラピュタのように、かつて天空を支配したような古い一族があったというような話がある。それ自体はいい。だが、最後になって、なぜアモンが飛べたのかという段階になって、アモンが実は風の民の生まれ変わりであるようなことが判明する。
 その時に、敵役であったブラニックは、実は彼自身まったく自分の意志でやっていたというのではなく、かつて、空の民と対決した争いの神=へびが憑依しただけ、というあっけない敵であったことが判明してしまうのである。彼が残虐なことを行うのはなぜなのか?という読者が一番知りたい内容への回答が、昔争いを好む神様がいて、そいつが憑依したから、というそれだけのことになってしまうのである。
 どうにもこれではブラニックも救われない。
 結局この作品は、最後まで物語が始まる前から決まってしまっているのだ。つまり風の民と争いの神との戦いという大きな物語に集約されているだけなのである。それでは、作品内における現在、一生懸命生きて戦っているアモンやブラニックは、まったく意味がないただの入れ物ということになってしまう。
 そこにはアモンやブラニックの意志や努力といったものは反映されない。だからこそ、そのような大きな、最初から決まってしまっているようなことをただ淡々と見せられて、我々はどうしていいのかわらかずに、ああそうなのか、といってそのまま、右から左へ受け流すようにして終わってしまうのである。
 やはり少なくとも、アモンやブラニックには、そうしたかつての風の民や、争いの神、に抗う姿勢が必要だったのではないかと思う。アモンもその力がたまたま我々の正義の概念からはずれない力だったから、好き勝手やってもよかったものの、やはりその力に疑問を感じ、危険なものなのではないかと使用を控えたり、葛藤したりしなければならなかったのではないだろうか。
 私には、こうした作品が個人的に好きなので、他の人よりかは楽しく映る。だが、実際に冷静に見るときっとつまらないだろうな、というのもまた同時に分かるのである。今回はそれを登場人物たちが葛藤していないからだ、という文脈で読み取った。

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