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『あらしのよるに』感想とレビュー

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 今回は2005年に公開された映画『あらしのよるに』についてのレビュー。
 私が小さい時に話題になっていたものの、結局見ないでいてしまった作品の一つだ。まずはそうした話題になっていたけれども、実際には見ることができなかった作品からひろっていきたい。
 作品の雰囲気は2012年に公開された『おおかみこどのも雨と雪』に似ている。というのも、まず第一におおかみが出てくること。それから、雪山が舞台であること、作品世界が広大な開かれた大地であるのに対して、小さなコミュニティで終始していること、などがあげられるだろう。
 一応作品分析の世界では、先行する作品が後出の作品に影響を及ぼしたと考えるので、『あらしのよるに』が『おおかみこども』に与えた影響は大きいのではないか、ということができるだろう。
 さて、この『あらしのよるに』であるが、なかなかおもしろい作品だった。
 この作品を一文で表せといわれれば、本来食う食われるの関係である、おおかみとやぎが、その自然の理を越えて友情で結ばれる話、ということになる。
 もちろんこういう作品を見ていて、自分のナンセンスなつっこみがないわけではない。そりゃいくらなんでも擬人化しすぎなんじゃないの?実際おおかみとやぎがいたら、本当に食べてしまうわけだし、なかなかそんなものはありえないよな、と。しかし、時として、ネットで話題になるように、本来自然の世界においては、食く、食われるの関係にある動物が仲良くしていることもあるのだ。特にペットなど、もう十分に餌が与えられている状態では、動物といえども本能に勝てることもあるのである。例えばネコと鳥が一緒に飼われているとか。
 そういう例もなくはないから、この作品を、リアリティーという観点から見た時に、まったくないとはいえない、ということはいえるだろう。
 だが、こんなリアルかどうか、などという批評はつまらない。それよりもおもしろい読み方ができると私は思うのである。
この作品がおもしろいところが、ガブとメイがそれぞれ自分の所属するコミュニティにおいて、敵となる存在とつながっている、ということがバレてから後である。それぞれのコミュニティでは、やはり食う食われるの関係から、その奇跡的な関係をなんとか利用して自分達のためになるようにしようと画策する。ここは本当にリアル溢れる場面だった。
 ひとつ言い忘れていたが、こうした動物が登場し、人間などが一切登場しない作品などは、よくよく、この作品がメタファー、比喩であるということを自覚しておかなければならない。この作品は人間が描かれないかわりに、むしろあえて人間を描かないことによって、より人間の本質の問題を描きだしているのである。
 だから、この相手をいかに出し抜くか、というやりとりはまことに我々人間の世界を描き出していた面白かった。
 それは例えばいろいろなところで我々は実際に目にしている光景なのである。大きな話であれば、例えばおおかみとやぎをそれぞれ対立するアメリカとソ連などに見立ててみればいい話なのである。たまたまどこかの国、日本にしておこうか、で知り合ったアメリカ人のソ連人。二人は意気投合し仲良くなる。しかし、相手が実は自分の国の敵国の人間だということが判明。祖国に帰った二人はそれぞれ相手の情報を探るように命じられる。
 あるいはもっと小さな話をしよう。クラスで二つの対立するグループがある。Aグループに所属するA子は、実はその学校に入る前、Bグループに所属するB子ととても仲が良かった。グループが対立してしまってから、A子とB子の関係が判明。二人はお互いの弱点を探り合うように他のメンバーにおどされる。
 このような話は我々の日常の世界のどこにでも存在している。
 そして私が秀逸だなと思ったのは、この作品での、ガブとメイの決断である。
 それぞれに所属するコミュニティがあり、お互いの情報を探り合うようにいわれてしまって、もうどうしようもない状況になっている。この作品はメタファーであるから、例えば二つ目の例、対立するグループの少女の例として考えてみれば、通常この二人の仲は引き裂かれるのがオチである。
 ところがこの作品はその童話的な世界、牧歌的な世界観というものに支えられて、極めてハッピーなエンディングを迎えるのである。通常どちらかが傷ついたりして終わってしまうような話の構造を、この作品は越えて見せるのだ。二人はどちらのコミュニティを活かすことも、そこに帰ることも思いつかない。この二人は極めて勇敢な存在であったために、二人は自分達二人のあたらしいコミュニティを作ろうということになるのである。
そこで彼らは山の向こう側に新天地を望む。
 二人は自分達の世界では自分達の希望はかなえられないとして、その自分達の所属するコミュニティを変革することや、自分達の信念を曲げることなく、自分達で新しいコミュニティを築き上げてしまうのだ。山から自分達のいた場所を観た際に、あんなに小さかったんだ、と二匹はこぼすが、それは、我々がしばしば対立していることへの痛烈な批判である。ようはどんなにいがみあっていようが、おなじあなの狢ではないか、ということなのだ。
 この作品が極めて完璧な様相を呈しているのは、ヘーゲルのいうようなアウフヘーベンをしているからである。
AとBが対立している。Aもだめ、Bもだめ、ではどうしたらいいか。全くあたらしいCをつくったらいいじゃないか。これがこの物語の出した答えなのだ。
 彼等が目指した新天地では、おおかみとやぎという、本来は食う食われるの関係さえをも超えることができる理想郷である。そこへ到達したからこそ、この物語はおおかみがやぎを食べてしまうという結論を迎えずにすんだわけなのである。
そしてメタファーであるこの作品は、つねに、いがみあい、対立しているものたちへの厳しい批判であり、警鐘でありつづけているのである。そんなところにいないで、その二項対立がなくなる場所にまではやくアウフヘーベンしろと。そうした意味で、一見すると牧歌的な、童話的な、良くも悪くも「いい話」に見えてしまうこの作品は、極めて批判の精神を強く持った優秀な作品であるということができるだろう。

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