映画蟲師 感想とレビュー

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 アニメ蟲師の一期を鑑賞したので、アニメ監督の大御所である大友克洋が監督した実写映画、蟲師を鑑賞してみた。
「そこで問題は、それをアニメで撮るのかそれとも実写作品とするのかということ・・・。その点、プレスシートによると、大友監督は「前作の『スチームボーイ』のアニメ製作にかなり時間がかかったので、次は実写映画を撮りたいと思い、いろいろと企画を探しました」と語っているから、『蟲師』をアニメで撮るかそれと実写で撮るかという選択肢はなく、実写で撮るという大前提で企画を練っていたところ、たまたま『蟲師』になったとのこと・・・?」
http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-b-07-31musisi.htm
 この映画は、すでに上記に引用したサイトによって詳しく見分されている。
 ほとんど私が書く必要がないかもしれないが、上記のサイトで触れられなかった点を中心に、感想を書いていきたいと思う。
 上記のサイトによれば、そもそもどうしてアニメ監督である大友克洋が、実写映画なんかを撮ったのか?という理由の原因が分かる。
 私は、スチームボーイは最高の駄作だと思っている。あれだけ時間とお金をかけた作品が、脚本のために、大コケをしていると思うからだ。
 さて、原作の「蟲師」がヒットした作品であるこの作品。2007年に実写映画公開時には、すでにアニメ一期の放送は終わっている。つまり、アニメを鑑賞してから当然この作品をつくっているはずなのである。
 とすれば、いまさらアニメで同じ作品を作ったとしても、2クールのアニメ作品のまとめにしかなりえない。あるいは、アニメで触れられなかった話を取り上げるか、または、まったく新しい、オリジナル作品にするか、のどちらかしかない。
 そこで大友監督は実写にしたかったという元来の願いもあって、実写化したのである。ヒット作品の実写化は、最近ではずいぶん多くなったように思う。それまでまったく新しい作品をつくっていた制作会社たちは、不況のあおりをうけて、すでにヒットしている作品の他媒体での作品化しかしなくなったからだ。これでは新しい作品が生まれなくなってしまうので、そういう気風はどうかと私はつねづね思っている。が、製作者側がコケたくない、という理由もわかる。しかし、それでも、前にすすんでいかなければならないのだよ、と私はいいたい。
 さて、そんなこんなで実写化したわけである。
 実写化にはさまざまなリスクが存在する。特に、原作やアニメ作品が成功している場合、それが実写化したときに、元来のファンたちにとって、アレルギー反応を起こされる可能性が高いからだ。
 その点はどうだったのだろう。
 映画評をみていると、アニメもマンガも大好きで、という人の批評よりも、この映画をみて批評したという映画好きの批評のほうが多かったように感じられた。
 とすれば、アニメ、原作ファンたちからは、あまり相手にされなかった、というところだろうか。しかし、その反面、アニメ、原作に触れていない人達に、門戸がひらかれたという点では成功したといえよう。

 しかし、だ。そういう新しい客層を獲得することには成功したかもしれないが、映画そのものとしては成功しているか?といわれると微妙である。どの批評サイトも、大手で褒め称えているのはない。どれもかなり批判的である。
 実写映画としては、成功した部分もある。例えばこんな部分だ。
 「2006年第80回キネマ旬報ベスト・テンは、第1位が『フラガール』(06年)、第2位が『ゆれる』(06年)だったが、この2作品は、どの映画祭や映画賞でもトップを争った傑作。そして『蟲師』では、『ゆれる』のオダギリジョーと『フラガール』の蒼井優という夢の共演が実現!」
 あるいは
 「この映画の映像美のすばらしさは天下一品!冒頭のシーンは美しい山々を鳥瞰するシーンからだが、そこにポツンと動くものがあり、徐々にクローズアップされていくと、それは細い山道を歩いている母子連れ。このシーンを観ただけでも、この映画の重要な狙いが映像美にあることがすぐにわかるが、そのすばらしさはラストまで続くから、その点に要注目!」
http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-b-07-31musisi.htm
といった点である。
 どれもアニメは漫画では表現できない、実写ならではの強みはぞんぶんに活かせたようである。
 俳優陣も強固に固めてきているし、撮影場所も厳選された、いまだかつて日本の原風景を残している部分をきちんとおさえている。
 では、この作品がだめな理由は何か。それは、ストーリーの難解さであろう。
 アニメを見ていた私としては、それぞれのストーリーが前半では特に、忠実に原作をなぞっているなと感じられた。だからこそ理解できたのである。だが、アニメだと誇張されて描かれていたものが、実写だとなんだかわかりづらい。アニメだと蟲かそうでないか、というのは、表現でいっぱつでわかるようになっていた。しかし、実写だと、特に最初の阿吽などは、ただのカタツムリにしか見えず、どこが蟲なのか、とんとわかりづらかった。だから、アニメを見ていない人々にとっては、この作品はとてもわかりづらいのではないか、と思った。実際、映画を観た人々の多くはストーリーの難解さをこぼしており、ネットでこれだけの文章を書いているネット論壇の、かなりの頭脳の持ち主たちだからこそ、映画を解釈できたのであろう、という部分が大きい。おそらく、一般大衆的なこの映画を娯楽映画としか思って観ていない人達には、かなりハードルが高すぎたのではないかと予想される。
 そして、私自身も、もはやここまでサイトを経営していると、そのネット論壇の仲間入りなのだろうけれども、私ですらも、最後のぬいの登場が理解できなかった。
 そもそもアニメでは、ぬいはおそらく死んだか、消えたかしているのである。この作品では、沼の水を抜くというよくわからない装置を使用することによって、ぬいは生きながらえるが、原作、アニメのヌイは、そのような生に執着する存在ではなかったはずである。だから、ぬいは生き延びては本来ならないのである。ぬいは、同じ蟲師として、世界の道理をよく心得ているものであって、同時に固有の人生哲学を有しているはずなのであった。だからこそ、ぬいはかっこよかったのである。
 だが、この映画のぬいは違う。生への執着を諦められておらず、あのようなへどろまみれの姿になってでも生きながらえてしまうのだ。それはぬいではない。ここにこそ、私はこの作品の決定的な無茶が存在していると感じている。
 さて、しかし、実際映画はそうすすんでしまっているのだから、いまさらああだこうだいっても仕方ない。映画に合わせて解釈してみよう。結局生きながらえたとはいえ、ほとんどあの当時のかっこよかった蟲師としてのぬいは存在せず、蟲(トコヤミ)に身体を犯された存在として、ぬいは生きながらえるのである。
 最後にギンコはぬいから自分のなかに救っている「ギンコ」を駆使してトコヤミを追い払うわけであるが、しかし、もはや蟲に侵されたぬいは、蟲をうしなって、まともな人間でいられるはずはない。
 そこには、どうしてそうまでして生きながられなければならなかったのか、というぬいの必然性のようなものが感じられない。どうしても、ギンコに会いたかったのだろうか。だとすれば、一抹の悲しさはあるが、魂を抜かれたようなぬいは、それでもギンコを求める、というような描写もなく、どうも中途半端である。
 ラストの難解さは、どのサイトにも表れている。みな、意味が分からずに、ネットに書かずにはいられなかったのである。当然私もその1人であるが。
なかには
 「急ぎです。劇場版「蟲師」のストーリー???ネタバレ有りです。」と題して、Yahoo知恵袋でラストについて尋ねているものもある。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115897906
あるいは、他にもラストのとつぜんさに驚きを隠せない評者もいたようだ。
http://www.eonet.ne.jp/~start/musisi-i.html

 ラストの難解さ、というか尻切れトンボというか、もやもやは、いいようもない。その点で、スチームボーイの
ストーリー展開と同時に、すでに大友克洋には、映画を面白く完成させる能力がないのではないか、と疑わざるを得ないのである。
 この作品は、アニメや原作をしらない人々が見て楽しめるものではない。むしろ、原作、アニメを鑑賞している者が補足的にたしなむというような方法でしか理解ができないからである。その点でこの映画は、映画として失敗しているというほかないのである。
 だが、先ほども述べたように、実写としての強い、媒体としての強みは成功している面もあり、その点において、この作品は十分に楽しめるのではない、というものである。

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