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『オカンの嫁入り』(2010) 感想とレビュー



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 映画『オカンの嫁入り』を見た。
 日本人にとっての母親とは何か?ということを考えさせる映画だったと思う。明治政府は日本の婦女子に対して、良妻賢母になるように指導した。これが俗に言われている良妻賢母思想である。その後日本は第二次世界大戦を迎えた。そこで果たした母の役割は大きい。銃後の母はそこで、戦争に向かっていく夫や息子たちを懸命にはげまし、戦地へと送っていったのである。日本はまさに母によって支えられてきたといっても過言ではない。
 その後は亭主関白の思想によって母は第一線から追いやられ、高度経済成長では、稼ぐ夫、家を守る母といった役割分担に徹することになった。これによって男女差別が生じ、1993年に男女雇用機会均等法を成立させなければならないほどになってしまったのである。
 舞台は2000年代のある家庭。
 すでに森井月子の父、森井陽子の夫はなくなっている。そんな二人暮らしの一軒家に、突如として金髪のヤンキーのような男が転がり込んでくる。服部研二はそのままなんということはなしに、家に居ついてしまい、ついには、母陽子と結婚するのだという。
 この物語はタイトルからもわかるように、オカンを見ている月子の視点で描かれることになる。月子は、会社でストーカーに会い、それ以降電車に乗れないという精神障害をかかえ、一年程自宅にひきこもっている状態である。突然母との平穏な暮らしを壊された月子は、そのあまりの唐突さに驚くと同時に、亡き父を見捨てたのではないかという母の貞操観念への疑いや、自分の母が見知らぬ男に取られてしまうという不安から、研二の存在を認めることができない。
ふだん邦画映画を私は見ないのである。というのも、邦画映画は厳選されて日本に輸入された洋画と比べて、厳選されていないぶん、つまらない作品が多いからだ。だが、今回の作品は、邦画映画の良さのようなものがきちんと内包されていたように思われる。
 ふと、今回の映画をみていて思ったのは、やはり邦画映画というのは、日本人を描写しているなという点だ。だから、邦画映画を観続けることによって、そこから日本人のことが浮かび上がってくるのではないかと感じた。だからこそ、今回は記事の冒頭に、かなりあらっぽいものではあるが、少しだけ日本人にとっての母親像というものを描写してみたのである。
何が普通かはさておき、要するに平穏な暮らしであった二人の親子の間に、新しい若い父親が介入してくる物語なのである。むしろ、普通の物語であれば、月子のほうに恋人ができるはずであろう。しかし、月子には恋人はできない。それは、彼女が一年前にストーカーされたことからもわかる。この映画では、月子はまっとうな恋愛関係を結べない人間として描写されるのである。もちろん、それはストーカーの彼がいけないのだ、という論はわかるが、構造として、月子にはきちんとしたパートナーを選択する自由がない存在として描かれる。それに対して、月子の母陽子は、何事にも明るく、器用に生きることができる存在として描写される。月子がすでに25歳ほどであろうから、それを産んでいる陽子は50歳ほどであろう。にもかかわらず、20歳も年下の30の研二をつかまえられるほどには、すごい女性なのである。
 研二は自分の祖母と二人で店をしていたものの、その祖母を死なせてしまう。たまたま喧嘩した日に祖母が倒れてなくなってしまったという過去を持ち、研二はもしその日喧嘩などせずに、そばにいてあげられたなら、救えたのではないか、あるいは救えなかったとしても、最後を一人でいかせることなく、一緒にいてあげられたのではないか、と悔やんでいる。
 もちろん当初は陽子が病気だなどと知る由もなかったであろうが、病気が判明してからは、大切な人祖母を亡くした後悔からも、陽子のそばにいてあげようと思ったに違いない。それは、研二にとっても、自己療養だったことであろう。
命の時間がわずかになった陽子は、最後に月子にもう一度一人で生きていくための力をさずけなければならないと感じた。そのためにはどうしたらいいか。もういつまでも一緒にいられることはできない。とすれば、月子にまず、ストーカーから受けた精神的なショックを解放することからはじめなければならない。ということで、陽子は自分の白無垢のために電車に乗ろうと誘うのである。

 映画は終盤になって白無垢の衣装を着た陽子の口上によって盛り上がりを迎える。そこで陽子は限られた時間のなかで、自分らしく生きることによって、その姿を月子に見てもらうことによって、月子自身も自分らしき生きてほしい、という願いを託す。
 その後、一番重要な場面である研二との結婚式の場面があるかと思いきや、それは写真として過去に追いやられ、その後の日常の場面が挿入される。え?っと観客である私はおどろかされたが、やがてそうした非現実も去っていき、日常がふたたび彼等を取り囲んだのだな、というところでエンディングを向かるのである。
 そして一番重要な婚礼の義は、エンディングスクロールとともに流されることになる。これはうまいなと思った。
 私は泣かなかったが、きっとこの映画で泣く人も多いことだろう。
 やがて消えゆく命であるとはいえ、このように自分らしく生きていくことに何らかの、力を我々は得られることであろう。

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