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憎愛 二十五

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文化祭の前日になった。学生たちも今までこつこつと積み重ねて来た成果を発揮するときが来た。文化祭は教員にも愉しみのイベントだ。普段授業や、教室だけでは見られない別の一面を垣間見ることができたり、生徒たちの自主性や独自性というものが遺憾なく発揮されるからである。それを見ることは、教員の愉しみの一つである。自分たちが育てて来た生徒たちがどんどん立派になっていく。大人になっていく。これは他の職業では味わえない特別な報酬であった。だが、今回の文化祭に限っては、優也の心は晴れなかった。自分の担当の教室は大した問題もなく順調に進んでいた。文藝部のほうも準備は左程遅れることなく進んでいた。それでも優也は、数日前に見てしまった千里と男子学生の一件以降、とても陰鬱な日々を送っていた。
優也は芸術家であるということが多くの生徒にしられているから、生徒は文化祭になると優也に絵を描いてもらったり、デザインをしてもらったりしようと近寄ってくる。しかし、芸術家である反面、教師でもある優也は、確かに可愛い生徒たちが自分の芸術家としての才能を認め、慕ってくれるのは可愛らしい、それに自分が描けば生徒たちは大喜びしてくれるだろうと予測できても、それでは生徒たちのためにならないと思っていた。優也は自分が己の人生の主人公になれなかったからか、常に主人公は誰だ、誰が主役なんだということを念頭に置いていた。彼は様々な場、環境に今まで身を置いてきたが、それらを経験して考えたことは、上の重い組織はよろしくないということであった。特に教員になってからその思いは激しくなった。かつてから、若い頃に一生懸命頑張って、一財を成してきた人間に対して思うことはあった。文学の世界でも、芸術の世界でもそうだ。かつての苦労のために、今では立派となった巨匠と呼ばれるような人々。確かに偉大だ。しかし、そのような人たちがいつまでもその業界で幅を利かせていると、やがてその業界の流れは停滞し、若い人間が埋もれてしまうということにつながった。何時までも巨匠が出しゃばるのであるから、若い人間が出てくる余地がない。それは確かに彼等の功績ではあったが、しかし、だからといって何時までも自分たちの好きにやっていいわけではなかった。優也もまた、芸術の世界にしても文学の世界にしても、優也を認めて、そして陽の当たるところへ連れて行ってくれた師があったから良かったものの、本当に才能があってもそのような人間関係を持たない若者は、陽の目を見ずにつぶれて行くということがあった。それに、何時までも高齢の人間の常識でやっていると、時代錯誤になってくる。やはり平均年齢に合わせるべきだというのが優也の考えであった。四、五十代のまだ若さを失っていないくらいの人間に任せるほうが、流動的で良いと優也は思うようになっていた。
教育現場では、ややもするとすぐに教室という閉塞された空間は教師の独擅場、独裁政権になる。そのことを非常に恐れていた優也は、自分の部屋に「誰が主役かを考える」という張り紙を自分で書いて貼っているほどである。自分が主役になれなかった人間は、通常教員のように権力を持った環境になると、その権力を行使してかつて満たされなかった欲求を満たそうとする。すると、大変な独裁政権になってしまうわけである。優也は、極めて自制の力の強い男であった。これが彼の不幸のもとにもなっていたが、少なくともこの自制の力のために、彼の周りにいる人間は過ごしやすい環境に居られた。教室において主役は生徒だ。学校において主役は生徒だ。だから自分ができることであったとしても、それは自分からはやらない。どうすればいいか聞かれた時には、アドバイスとして考える力を付けさせるように指導する。教員の指導とはここまでが限界だと思っていた。これ以上をやるのは教員の仕事ではなく、宗教家や思想家のやることだと思っていた。そのため、優也は、生徒たちがやってきても、先生がやったらそれは芸術的にまあまあの価値がある作品ができるかもしれないけれども、でもそれは君たちの作品ではなくて僕の作品になってしまうよ。来てくれるお客さんは僕の作品が見たいのではなくて、君たちのがんばりや努力がみたいのではないかなと諭していた。
優也の勤めている学校は、生徒の自主性というものが全体的に高かった。そのため、必要最低限、教員が協力すれば自分たちで勝手にやっていくことができるくらいの自主性はあったのである。優也が担当している教室はその年には詩や短歌、あるいは短編小説などを好きな画材、書道であったり、絵具であったり、または立体的なものであったり、様々な画材で表現、展示するというものであった。三年生になると、勉強との兼ね合いがあるので、どのクラスも二年生までの規模よりは小さくなった。優也はクラスで、そのような企画が始まるころから、準備の段階、そして文化祭が翌日にせまるまでの間、殆ど何も手出しすることはなかった。それだけ、生徒たちが自分たちで考え、行動していたからである。
優也の教育の方針というものは常にこのようなものであった。相手ができるようになるまで待つ。千里に対してはかなり積極的に教え込んだが、それでも彼女が理解できるまで待つという基本的な姿勢は変わらなかった。文藝部の展示企画に関しても同様であった。これは、優也が休養している間に、優也によって自主性を引き出された千里が見事に指揮をして自分たちで企画していたということもある。展示の内容も、計画通りにほぼ進み、文化祭当日の朝になってまで準備をしなければならないということにはならなかった。文化祭前日の午後に終われば上出来である。優也はそのような点から、自分のクラスも、文藝部もほぼ問題なく進められているのに対していは安心を覚えていた。
学校全体では、まだ何かとあわただしい。文化祭の前日にもなると、いたるところに釘がころがっていたり、のこぎりが置きっぱなしになっていたりして、かなり危険だ。そのために、つまらない怪我をして保健室を訪れる生徒は激増する。優也は、自分の教室と部活は面倒を見なくても良いと判断してからは、そのような危機管理を見て回ることにした。生徒は意外と危なっかしいもので、大丈夫だと思い込んでいるからいろいろな危険を冒す。足場の不安定な場所に登って作業をしたりしていることがある。すると、優也の眼から見るといずれ怪我をすること間違いなしだ。たとえ上手くジャンプして着地したとしても、そこに危険なものが落ちていたりしたら洒落にならない。そのようにならないように、優也は学校全体を歩き回りながらそこは危険だから別なやり方にしなさいとか、こうやったら安全だよと教えて回ったりしていた。
学校は前々日から授業が無くなる。準備期間が二日もある。一日目で基本的な枠組みができて、二日目には装飾が施されるといったのが大まかな感じである。装飾が施され始めると、とたんにがらんとしていた教室は複雑な迷路ができたようになる。お化け屋敷だとか、アトラクションだとかが出来始めると、教室はジャングルになるのだ。そのような人目のつかなくなった教室のなかでは、生徒たちの密やかな人間関係が生まれることがある。いつの間にかいないと思っていた友人が、実は文化祭の準備期間中にある異性と結ばれたというようなことはあるものだ。優也は若いうちに沢山、良い恋をしなさいと穏やかな目で見守った。だが、あまりにも常軌を逸しているのには教師としていやいやながら注意せざるを得ない。教師はこのようなことまで仕事のうちにはいるのかと思うと、苦笑が漏れて来た。優也が気を付けていても、小さな怪我というものはどうしても起こるものだ。カッターで切ったとか、友達とふざけあっていてぶつかったとか、そういう怪我人がいくらか出た。しかし、それほど大きな問題は起こらずに、文化祭前日の準備は終わりに近づいていった。
十一月にもなるととたんに寒くなる。冬服の着用が丁度十一月からなので、今までカーディガンで凌いでいた生徒たちは、晴れてブレザーを着用することができた。十一月は、生徒たちの衣替えでもあり、文化祭という最大のイベントもあり、なかなか心浮き立つ季節である。文化祭の準備もいよいよ終わり、下校時刻が近づいてくる。すでに五時ごろには陽が沈みはじめ、異様な速さで暗くなってくる。ある時優也は職員室の自分の机で、茜色の西日の差し込むのを見ていた。いつもの優也の物思いである。最初西日が机の上の小説の端に当たっていたのが、しばらくして気が付いてみると、その端の側まで移動していた。たった数分の間のことである。陽が沈むのが早くなってきたと優也はさめざめと思った。
下校時刻が近づいてくる。他の教員たちも生徒を帰すべく催促に向かう。優也もまた、自分の教室の出来と文藝部の出来を確かめに行こうと席を立った。廊下には、まだ装飾が出来上がらないのだと半泣きになりそうな顔をして粘っている女子生徒や、何時までも出来ないことに苛立っている男子生徒たちが居る。その気持ちがわかる優也としては何とかしたいものの、仕方がない。何時までもそれを認めていれば全生徒が帰らなくなってしまう。そのためしぶしぶながら、帰れと言わざるを得ない。教員とはどこまでも嫌われ役なのだ。教員が回っているはずだが、なかなか生徒たちは帰らない。どこかではまだ金槌をたたいている音がしてくる。よく粘るなと優也は思った。
三階にある自分の教室へ行った。生徒たちはもう帰る準備をして、最後の数人だけが残っている状態であった。
「わーすごいのができたね」
「あ、先生。準備が早めに終わったので、みんなもう帰ってしまいました」
「うん。そうみたいだね。もうちょっと早くに来た方がよかったね」
「どうですか」
「素晴らしいじゃない。これだったら明日きてくださる方々も満足でしょう」
「じゃあ、先生、私たちはこれで帰ります」
「おう、寒いし暗いし夜道は大変ですので、お嬢様方お気をつけておかえりください」
「はい先生」
「気を付けて帰れよーじゃあなー」
優也は教室を点検してから、電気を消し教室を後にした。次に文藝部の展示が行われる教室へ向かう。文藝部は特別、部活動をする個室を与えられていないので、普段あまり使用しない教室を宛がわれている。そのため、文化祭の時には教室から少し離れた場所にある化学室やら物理室などで展示することになる。今年は社会科室であった。社会科室は教室のある棟から渡り廊下を隔てて少し距離がある。
社会科室に行くとまだ電気が点いていた。しかし、生徒は帰ったのか物音は全くせず、人気もなかった。学校全体から生徒たちが居なくなり、あたりは大分しんとしていた。廊下には、節電のためいくつか抜かれた蛍光灯がうすら寒く光っている。廊下を歩く足音は優也のスリッパの音が反響した。
「おーい、誰かいるのか・・・」
教室に入った優也はパネルボードで仕切られて全体を見渡せない教室を一瞥して言った。だが、生徒たちはもうすでにいないようであった。最後の生徒が電気を消すのを忘れただけなのだろうと思い、電気を消そうとした。優也は教室の全体が見えていなかったが、どこか寂しさや孤独感に襲われて、ここに長居したくなかったのである。教室の奥には生徒が隠れている気配はなかった。なかったと思おうとした。それで早めに職員室に戻ろうと思ったのである。ぱちんという音とともに電気が消える。すると、外の窓から街灯の明かりが差し込んできた。教室から出ようとして優也は微かに物音がしたように思った。
「ん?誰かいるのか」
 怪訝そうに覗き込んで、右手でもう一度スイッチに触れようとして、それを察知したかのように声がかかった。
「つけないで・・・」
 その声の主は、優也にはすぐにわかった。千里のものだ。だが、いつもの明るい、春風のような声とは違い、どこかくぐもった湿気た声をしていた。泣いているのかもしれないと思い、彼は彼女の要望を聞き入れた。
「ああ・・・千里か?」
返事はない。
「そっちへ行っても大丈夫か」
これまた沈黙である。優也は躊躇った。こういう時どうしたらいいのか男は知らない。もしかしたら何か部活内で、あるいは考えるが嫌ではあるがあの男子生徒と何かあったのかもしれない。優也は千里が泣いているのを、二学期に入ってからの例の面談時の一件で初めて見た。それ以来いつも彼女の泣いているイメージが優也の頭を離れなかった。今もきっと千里は独りで泣いているのではないかというイメージが頭をよぎった。優也はどのように接したらいいのかわからない。こういう状況になると、言葉を操る芸術家であった優也も、全く何を言っていいのかわからない。時には沈黙がものを語るということもあったが、優也にはなにが語られているのか、また自分の沈黙が相手に対して何を語るのか、知るところではなかった。慰めていいものでもないだろう。そんな簡単に慰められるものであるはずがない。学校で、他人が居るかもしれない場所で泣かざるを得ないということは、相当な精神的な、心理的な危機にあるのだと優也は思った。それでも、黙ったまま一緒にいることはできた。優也が失った大切なもの。その大切なものがなくなる際、優也はずっとそばにいて黙っていた。そのことがつと思い出されてくる。だが、返事がない。近づいていいのかもわからない。こういう時は放っておいてもらいたいという思いと、一緒にいてもらいたいという思いと入れ混ざっているものだ。近づけば一人にしてと突き放される。身を引けばどうして一人にしたと責められる。男はこういう時無力だ。仕方がない、優也は自分のことをずっと救ってくれてきた千里を置いていくわけにはいかなかった。もし、一人にしてと云われても一緒にいる覚悟で一歩を踏み出していった。
街灯の白い明かりが窓から差し込んでいる。その白さが余計に肌寒く感じられた。パネルの裏に、白い光線を浴びてうずくまっている少女が居た。
「どうした・・・」
優也は微笑みかけながら千里のもとへ行った。千里の表情は、豊かな髪と、影によって見えない。これは時間がかかるなと覚悟して、優也は千里の横に一緒に座った。隣にいても、千里から漏れてくる暖かな息が感じられる。やはりあの時と同じだ、泣いているのだ。あの時には、優也は教師という理性から彼女を突き放してしまったが、同じ誤りはしない。教師であるまえに、自分は人間だ、人間として千里に接するのだと心に決めていた。
「ちさと・・・」と言って優也は彼女を見た。差し込む光が彼女の黒々とした髪を照らし、そこには光輪があるように見えた。優也は勇気を振り絞り、その光輪に触れてみた。サテンのように滑らかな髪、かといって弱すぎるのではなく芯の通っている美しい髪だ。その髪に触れてしまって、優也ははっとした。一度触れてしまったらもう終わりだ。そのすばらしい感触から逃れることはできない。優也の手は、猫を撫でるように、生地の触り心地を確かめる人のように、彼女の頭に触れた。すると、今まで静かだった千里が、ぐずぐずと鳴き声を上げ始めた。何かをずっと我慢していたのだろう、かわいそうにと思い、優也は丹念に彼女の頭を撫でた。すこしすると、頭を撫でている優也の手を千里が捉えた。やめてくれというサインかと思ってひっこめようとした手を、千里が離さないのを見て不思議に思った。千里は優也のか細い手を自分の両手で捉えると、その手を摩ったり握ったりして遊び始めた。優也はどうしたらいいのかわからなかったので、千里の好きなようにさせておいた。次第に叩いたり、つまんだりしはじめたので、
「痛いよ」と呟いた。
「私のほうがもっと辛いのに・・・」
優也には返す言葉がなかった。千里は優也の手を彼女の胸元の方へ押しあてた。手の甲が彼女の体温で温まる。優也は驚いた。さらに驚いたことには、千里がそれからぐるりと体勢を変えて優也に向かってきたことだった。左手を彼女に取られていた優也は右手で体重を支えるため地面についていた。咄嗟のことに何もできないまま、千里は優也の唇に彼女の唇を重ねた。いつの間にか優也の手は自由になっている。千里は両手で優也の背中に伸ばしていた。優也は逃げなかった。彼は自分の両腕も彼女の背中に回すと、より強く抱き寄せて接吻した。優也の行為に驚いたのはむしろ彼女の方であった。彼女はすべての勇気を振り絞って優也に向かった。しかし、それは優也が拒否するだろうと思ったからであった。いざ優也がそれに応えると拍子抜けしてなんだかよくわからなくなってしまった。最初はびっくりした彼女であったが、すぐに硬直を解き彼に身を任せた。二人はいつまでも裏寒い中抱き合っていた。

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