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憎愛 二十三

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千里は、自分が行った行為が決して人間として善なるものに従うものではないとわかっていた。これではまるで、有島の描いた葉子、漱石の描いた藤尾、谷崎の描いたナオミじゃないかと思い悩んだ。千里にとってはそれは初めての本格的な恋だった。幼稚園や小学生では、平気でだれだれ君と結婚すると言ったものである。それは誰だって結婚というものがどういうことかを知らなかったからだ。恋というものを文学から学んだ千里は今、はじめて恋をしたのだ。自分に恋がどのようなものであるのかを教えてくれた人に恋したのである。しかし、千里とその人との間にはいくつもの壁があった。それは不幸なことだった。そして、その壁を破壊するのには自分一人の力では足りない。是非とも二人で力を合わせなければ越えられないと思った。にもかかわらず、その相手は壁を見るや否や、それを壊すことではなく、それに隠れようとしたのだ。
壁の向こう側に隠れてしまったその人を引きずりだし、一緒に超えて行かなければいけない。しかし、その人は壁を越えること、壊すことを望んでいないのだ。だから、千里はしかたなく、こうした女のもつ密やかな技というものを使用せざるを得なかったのだ。
優也と千里の関係は、千里がそのような技を使ったことによってより凄惨さを増した。優也のなかで、相対する力と力が今まで以上に激しくぶつかり合ったからだ。もはや二重人格といってもいいくらいに明確に分かれた二つの優也は、一つの身体のなかで激しくやりあった。その結果、肉体も精神もぼろぼろになった優也が残った。
優也の惨憺たる姿を見て、千里は自分のやったことが間違いだったのかもしれないとは思った。しかし、今まで少女だった人間が、女の技をどのように、どの程度使ったらいいかなど知る由もない。初めてのことだったのだ。だからそのさじ加減というものも上手く操れなかったし、また分量もわからなかった。そのことが優也をより追い込むこととなる。
文化祭が近づくと、生徒たちは放課後も残ることが増える。三年生は受験勉強も差し迫ってくるので、できる範囲での活動ということになるが、やはり人間は愉しいものの誘惑には勝てない。すぐに帰って受験勉強をやるのだという少し強硬な人間もいるには居たが、ほとんどの生徒は学校に残り、みんなで楽しく文化祭の準備をしていた。文化祭の準備に燃える放課後というのは一種並々ならぬ雰囲気を醸し出す。暑かった夏が過ぎ去ろうとして、少し秋が顔をのぞかせている。西日が強く鮮やかに差し込む中、ふっと吹き去る風は涼しい。夏の余韻が残るとはいえ、そこにはどこか物寂しさがある。蝉が鳴かなくなってしまったことが、うら淋しさを覚えさせるのだろう。
陽が沈む。教室から漏れてくる蛍光灯の明かり。教室の外、芝生の上で作業をしている生徒たちは寒くなってきたのか、体操服のジャージを羽織り始める。だんだんと薄暗くなっていくなか、お互いに頑張っている生徒というのは掛け替えのない存在になるのだ。力仕事をする男子、ペンキ塗りなどをしている女子、人間がここまでなんの魂胆もなく、人と分かち合えるのはこれが最初で最後の期間かも知れない。若いとはいいことだ。過ちもある。行き過ぎることもある。劣ることもある。だがそれでも決して傷つくことを恐れずに、相手を理解しようとする意志に溢れている。クラスの枠を超え、学年の枠を超え、一つの学校が一体となる。そこで生まれた絆というのは、部活でもなく、クラスでもなく、特別な関係としてまた一つ、心に残るものなのだ。
放課後、暗いなか頑張っている生徒たちを見ていると、優也はなんだか泣けてくる。彼は歳を取るにつれて琴線に触れることが多くなり困っていた。ふとしたニュース、例えばどこかで人が救出されたといったニュースでさえ、気が付くと一筋の涙が伝っているのである。優也はそこに生を感じるのだ。私は確かに人が救われるということを聞いて涙を流した。その涙はまさしく自分にひととしてのこころがあるからに他ならない。自分はこれだけだめな人間だと思っていたけれど、まだ人の心を有していたのだ、と感じられるのだ。暗くなっても頑張っている生徒を見ていると、そこには若い生が垣間見え、優也は感極まってしまう。私はかつて、あそこにいたのだ。しかし、実につまらない人間関係から、思い出したくもない記憶になってしまった。その高校時代の欠損を補うために、今こうして教師になって再び同じ学校へ戻ってきている。だが、一度取り損なったものというのは二度と取り戻すことはできないのだ。人生はすべて不可逆的だ。人は失ったものにしばられ、いつまでもそこから進むことができない。強い人間は、それでも前を向くことができる。しかし、前を向くことができなくなってしまった自分にはそれができない。いつまでも、いつまでも後ろ髪をひかれ続ける人生だ。懺悔と後悔の人生だ。そのつまらない人生に、若く、未来のある千里は道連れにしてはいけない。だが、そう頭ではわかっていても、紛れもなく自分は彼女を抱きしめたいのだ。あのきめの細やかな肌、触れたらどんなに心地の良いことだろう。竪琴のように繊細な髪、きっと奏でたら素晴らしい音色を聞かせてくれることだろう。甘い香りが漂うに違いない。
千里は廊下での一件以降、さらによそよそしい態度になった。授業では、他の学生が笑うようなことを言っても、千里はふんと澄ましている。文藝部の活動に、先輩として参加しても、優也がくると事務的な態度になる。これ以上傷つくのが怖かった優也は、そのような機械みたいな態度をとられるとどうしても腰が引けてしまった。廊下では、稀にあの男子生徒と一緒に話していることもあった。やはり二人の仲はもう、恋仲なのではないかという恐ろしい想像が優也を支配した。私の美しい千里、彼女が他の男に触れられ、穢されてしまう。想像するにも耐えられない。
つい先日まで暑くてやっていられなかった日々も、カーディガンがないと寒くて凍えそうになる。ひと肌が次第に恋しくなり、文化祭への気持ちの高揚はますます高まる。いよいよ文化祭が近づいてい来ると、学生間の言いえぬ雰囲気はずいぶんとしっとりとしたものになる。体育祭よりもむしろ文化祭のほうが、恋人が生まれる可能性が多かった。体育祭では、確かに団長や恰好良い先輩、かわいい先輩との間で、恋が生まれなくもなかった。しかし、それらは若さという今ある価値観に裏付けされているだけのものにすぎない。確かに筋肉隆々で大声をあげ、一団を率いている団長は恰好いいかもしれぬ。しかし、もし仮にその団長と恋をしたとして、その後がどうなるのかはわからない。体育会系の人間が通用するのは高校生くらいまでだ。それに比べ、文化祭は、意外な一面が垣間見られることがある。活動する時期も次第と暗くなってくる時期であるし、また肌さみしくもなる。次第と人と人とが恋をしたくなる季節なのだ。普段クラスで大人しい男子が、意外と絵のセンスがあったり、企画力があったりと、いつもの学級生活では見えてこない部分が露見してくる。そうした差異に人は惹かれるのかもしれない。このような一面を持っていたのか、もっとこの人を知りたいという欲求が現れてくる。
千里は、三か月余りの空白や、自分の満たされない欲求を埋めるため、密やかな女性の小技を披露した。しかし、悲しいから涙が流れるのではなくて、涙が流れたから悲しくなるといったように、感情を伴わずに使用したその技は、技のために感情もまた付加せざるを得なくなってしまったのかもしれない。千里は最初、優也を振り向かせるため、一人の女として見てもらうために小技を使用した。しかし、それでも優也が地団太を踏んでいる間、千里のこころには、わずかながら変化があった。それまで自分のこころは、知的でユーモアにあふれ、少し悲観的な人間だけれども人間味あふれている優也のことが好きだと思っていた。その心にはなんの偽りもなく、疑う余地はないと思っていた。私はあの文学者でもあり、芸術家でもあり、思想家でもある先生が好きなのだ。それは全く正しいことのように思われていた。しかし、小技を使用し、状況が変わったことによって少なからず心の持ちよう、あるいは心の置かれていた場所が変わったのである。人はだれも、突然今までの価値観を変えるということはできない。しかし、物理的にでも環境、置く場所を変えるとそれに従って動き出すものがあるのは確かだ。いきなり詩人になれと言われたところで、なれるものではない。雪をみて、美しいと思っても、それを表現するには至らない。しかし、雪の観方を変えてみると何か変わるものがある。雪をたったまま観るのではない。どこかに寝転んで、上からふってくる雪を真下から見上げてみる。すると、今まで知っていた雪というのは、こんなにもおもしろい、不思議な動きをするのかという発見をするのだ。それがすなわち詩人の始まりである。
千里も、暗中模索しながらも一つの行為をした。これによって彼女の心の環境が、心の置き場所がかわったのだろう。寸分疑う余地なしの絶対的な自分の心にふと陰りが刺した。優也のことを好きなのには変わりはないが、明らかに別の感情がそこから湧きだしつつある。初めての心の変化に戸惑った千里は、自分でもそれがなんなのかよくわからなかった。何かが湧き水のように、じんわりと心のなかから溢れてくる。それはとても、なんだか興味を惹くものなのだ。わくわくするような、それでいてちょっぴり怖いような。このわくわくは本当に喜んで良いわくわくなのだろうか。わくわくのなかには、背徳のなかのわくわく、いけないことをやっている際に沸き起こる興奮というものも含まれる。果たして初めてのこのわくわくは、善良なわくわくなのだろうか。千里には一寸判断しかねた。そのわくわくとは、年上の知的な男性に憧れるという文学少女から生まれた新しい千里のこころであった。千里は新しい女性として、健康的な女性として、同年代の肉体の若い男性にも視野が広がったのである。今まではただの筋肉バカ、人間として錬磨されておらず、ただの性欲に支配されているだけのお子ちゃまと考えていた。しかし、いざ自分がその性欲に訴えかけるような動作をちらりとしてみたら、とたんに今まで秘められていた人間の欲求というものがふと頭を擡げたのである。千里にはその感覚は初めてだった。だから、戸惑ったのである。確かに優也という人間に対して私は好意を持っているという文学少女の千里にとっては、それは自分の心の忠義を失う背徳のわくわくだった。そして、新たな女性としての千里にとっては、そのわくわくとは新しい生命をこの世に育むための善良なわくわくだった。
千里は使用したことのない自分の動作をしてみて、自分でも驚くほど肉感的で奥ゆかしいものだと恐怖した。私にはこんなことが出来たのか、こんな思わしげな動作ができたのかと。初めは怖い火も、何度か使用しているうちになんだか楽しくなってくる。それとおなじで、恋というのも秘められた小技を使用して、一度は自分にびっくりするものではあるが、次第とそれが楽しくなってきてしまうものなのである。だが、気を付けなければならない。火遊びは愉しくなり始めた時が最も危険だ。それは火の恐ろしさを分かっておらず、楽しさだけで火を弄ぶからである。そのような人間には必ずしっぺ返しが来る。
恋も同じだ。最初に愉しみを覚えてしまうと、調子に乗ってどこまでいけるのか限界を試してみようとする。大概の人間はここで失敗するのだ。望まぬ子を宿してしまったりというのは最悪のパターンだ。恋と火遊びとは似たようなものなのである。下手をすると自分の手元が燃えている。
千里も自分の行為によって、新しい感情が生まれてきてしまった。ふと、優也という心に決めた人がいながら、その人とは結ばれずに、その人を思いつつも他の男性と付き合うという薄倖の少女をイメージしてしまったのである。それは紛れもなく物語であった。小説であった。愛する人が居ながらも、積み重なる様々な理由によって他の男性と付き合わざるを得ない。そこに少女としての葛藤や悩み、苦悩とともに、心だけは美しくという純白の想念といったものが内在しているのだ。優也もまた、そのような妄想の激しい人間であった。友人と恋人に裏切られたために、人を信じられなくなったかわいそうな人間。可愛い教え子との禁断の関係になろうとする寸前のところで理性が打ち勝ってしまった人間の苦悩。そういうものを客観的にみた時に自分の上に認めて、そしてそれでかわいそうな自分を慰撫していたのだ。言い方を変えれば可哀想な自分に酔っていたのである。だが、それは優也だけに言えたことではない。確かに彼は人以上に辛い経験はしてきたのだ。人間は誰しも自分に酔っているものである。それは優也や千里のように可哀想な自分に酔っていることもあれば、できる自分、立派な自分、恋をする自分、さまざまな自分に酔っているものなのだ。
千里は引き裂かれる少女としての自分に酔っていた。そしてその感情がまだ千里にはわからなかったのである。そのわからないものを何とか解明しようとして、彼女は判断を急いだ。その結果、彼女はその新しい感情が、実は出来の良い少年を好いているのだという錯覚に陥らせたのだ。半分はだが、本当だっただろう。若い女性が、自分と同い年くらいで肉体的にも健康で、他の男子生徒に比べれば余程理知的な人間に恋をしないはずはない。そして、出来の良い生徒のほうも、自分が好意を寄せられているものと解釈していた。

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