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羽井佐友くん出演の劇団CHEAPARTS『星空ともぐら』 感想とレビュー

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 普段からできるだけいろいろなものごとに触れておこうと思っているが、なかなかそうはいかない。ようは億劫なのだろう。新しい生活も始まって、ようやく慣れて来た今日この頃。そんな五月の初旬に、大学の後輩でもある羽井佐友君という知人から、演劇のお誘いを受けた。もちろん、一緒に見に行こう、というものではない。観に来てくれないか?というお誘いである。
 思えば、宝塚の舞台や、狂言や能、歌舞伎といった舞台は大学時代に多く見て来たものの、いわゆる普通の演劇というものは、ほとんどお金を払ってみたことはなかった。大学の友人で演劇部に所属している連中がいたので、彼等の演劇を何度か見た程度であった。学生がサークル活動の一環として行っているので、そんなにレベルは高くなかった。だから、本物の演劇というものに触れるのは、今回が初めてである。
 今回の『星空ともぐら』。入場料は3500円。前売りは3300円。
 演劇の相場はわからないが、小劇場で行われる舞台としては妥当か、少し安いくらいであろう。
 チケットは売り切れで、私は羽井佐君が取ってくれたから入れたものの、現在ではキャンセル待ちだという。

 大学時代の友人の感覚をもとにすると、こういうものにこれだけのお金を払うというのは、それだけでもハードルが高いようだ。おそらく多くの人がそう感じていることであろう。しかし、私はだからこそ、敢えてこういうものにきちんとお金を払っていきたいと思うのである。こういう文化は、きちんとみんなで支えて上げなければいけない。そうでなければ、せっかくの良い芽は、すぐに枯れてしまうのである。私も芸術を少しはやっていたものとして、そういうことがよくわかる。
 さて、では、そろそろ内容の評論に入っていこう。
 私は不感症、泣かない方なので今回も涙はでてはこなかったのだが、私の周りには鼻をすすって泣いている人達がいた。このお話は、泣けるお話なのである。
舞台は現代。
 突然ホームレスのおじさんが若者に暴力を振るわれるところから劇は始まる。物語の終盤までいくとわかるのだが、このおじさん、配役では「男」と表記されるこの人物は、主役である月嶋尚の分身である。未来の姿といってもいいし、心の声といってもいい。演劇は比喩であるので、確実に未来の尚なのだ、とはいえない。限りなくそれに近いものとしておこう。
この男は、殴られた後に、今の若者は何を考えているのだ、と嘆く。しかし、と自分のかつてはどうだったのか?という疑問にかられ、そして舞台は始まっていく。いわば回想シーンのようなものなのだ。最初と最後だけ、物語りないの「今」の時間で物語が描かれ、物語の本部は回想シーンというものだ。サンドイッチ構造になっているのである。
 だが、正確なサンドイッチではない。途中この男は、ホームレスのように舞台中に登場する。その際は、実存しているかのようにも感じられるような演出となっており、尚とは別人なのではないか?という憶測もなりたつように、深みが醸し出されている。未来の自分との対話。あるいは、自分のこころとの対話なのである。この男が重要になってくる。

 さて、どのような物語りなのかというと、月嶋尚は、永田友介と神戸俊樹という男たちとバンドを組んでいる。ちなみにこの永田友介を演じるのが、今回私を演劇に招いてくれた羽井佐君である。この三人は25,6歳になってまだ夢を追い続けている青年たちである。バンドを組んで、売れることもないのだが、日々自分達の夢を追い、生活をしている。
 この主役三人を脇で固めるのが、それぞれの個性あふれる登場人物たちである。永田友介には岸谷光という、幼馴染の彼女がいる。しかし、この彼女が結構な問題児なのだ。彼女はコミュニケーションが苦手で、時として引っ込み思案であったり、あるいは時としてテンションが高くなってしまったり、情緒が不安定なのである。そんな彼女は芸術家肌で、三人のバンドのアルバムの絵を手掛けたりしている。月嶋尚の物語が主旋律だとすると、友介、光二人の物語は横で低く流れていくベースのような音を発している。
 一方神戸俊樹のほうは、彼氏持ちで、バンドのダンサーをしたこともある、田中律子に恋している。律子には、彼氏がいるのだが、この彼氏がDV,暴力を振るう男性で、そのことについて、律子は平気な顔をしているが、内心困ってもいる。直接舞台では描かれないが、とあるところで、律子はふとした心の隙から、一方的に行為を寄せて来た俊樹と一夜の関係を結んでしまう。このバンドがどのようなメンバー構成だったか、はっきりと覚えていないのだが(というのも、劇中では一度もバンドとして演奏する場面がないので)、俊樹がベースだったか、ドラムだったかは忘れてしまったが、友介がベースのような物語を展開しているとしたら、ボーカルの尚の隣で、ドラムのように物語を添えているのが、この神戸なのである。
さて、このメンバーに加え、ダンサー律子の後輩でもある加藤麻美香と、駅前の公園で出店の屋台を経営している山浦アンナ、それから月嶋尚の兄で、警察官の月嶋富尾の三人が、中立的な存在として登場する。
 これらのバンドメンバーに、それぞれ関係のある友人、それから最後の三人を合わせたグループは、しょっちゅう駅前の公園で山浦の店の前でたむろしているのである。それが彼等の平和な日常だったのだ。

 しかし、そんなところにふとしたことから、田中えみ演じる林原恵莉が仲間に加わるのである。
 恵莉は、眼が見えない。徐々に明らかにされていくのであるが、彼女は世界に十数名しか発祥していないとされる奇病に侵されており、徐々に語感を失っていくのである。彼女はその中期の段階で、すでに視覚を失っていたのである。タイトルのもぐらとは、彼女が自分のことをもぐらだと比喩したところからとられている。
バンドメンバーたちの日常に加わった恵莉。その平穏な日常は、いつまでもつづくと思われた。
 しかし、そんな時に、医者であり、恵莉の病を治すと心に誓っている父の忠久のもとに、海外の同じ症例を見ていた医者から連絡がある。恵莉と歳もかわらない患者が亡くなったというのである。そして、もしかしたら、それは新しい人々との関わりなどによって、強い心的衝動が生じ、ホルモンバランスが変化したからだろう、というのである。そこで、ますます忠久は、自分の妻を失い、娘まで失おうとしている現状で、こころを頑なにしていくのである。
 やや注文をつけたくなるところに、テーマが多すぎるのではないか、というところがある。ただ、それもどうせ描かなければ「作品が浅い、薄い」として批判していたところであろう。この作品は、主旋律、すなわち恵莉と尚の恋物語の横に、伏線律が多すぎるのである。もちろん、それはそれぞれひとつをとっても、どれも重要なものなのだけれども。その中の一つに、恵莉の妹である香奈の物語も含まれる。母は亡くなり、父は病気の姉につきっきり。誰もかまってくれないなかで、自分はしっかりしなくちゃとけなげに頑張る香奈。しかし、1人の肉親である父は姉ばかりをみていて、自分を見てくれはしない。それなのにもかかわらず、姉はいつも自由に生きている。自分は一体なんなのだ、ということになり、これもまた心に問題を抱える感じやすい時期の少女なのである。
 恵莉と香奈、それから忠久の家族の問題は、尚と恵莉との恋物語と終盤で見事に対立してくる。父忠久は、他の人物と関わることによって病気の進行を早めると考え、恵莉に誰とも会うなと迫る。にもかかわらず、外に出たがる姉に対して、香奈は不満の声をぶつける。この家族問題を欠損した母の役割を演じることによっておぎなっていくのが、浅井実希絵なのである。

 さて、ここまで描写すればわかるように、この作品はテーマがてんこ盛りである。やや盛り過ぎている感じがある。私は一つ、二つ削って、上演時間をもう少し短くしてもらったほうが、体力的にも嬉しかったが、これはこれで、重厚感ある作品と仕上がっている。テーマがてんこ盛りになっているぶん、中だるみもなかったと感じた。これはすごいことなのではないだろうか。それぞれのテーマは恵莉と尚の恋物語を中心として重なっているのではあるが、しかしその重なりがやや足りないかな、とも感じた。特に林原家の家族問題は、友介と光の恋愛、律子をめぐる三角関係、それぞれのテーマが重ならなかったは、少し残念である。これらがお互いに影響し合い、かさなってくると、何とも絶妙な、切手も切り離せない一体感のようなものが生まれただろう。この作品では、それがややばらばら独立してしまっているために、ぱさぱさしすぎたチャーハンのようになってしまっている感はあった。

 ここまで書いたところで、ようやくこの物語のメーンテーマに入っていこう。
 もちろん、恵莉と尚の恋物語もテーマではあるが、それはあまり重要ではない、と私は感じる。大抵の物語は男女の恋愛によって成立する。しかも、今回は少女の側が難病に侵されていて、先が長くはなさそうだ、という展開。これはまさに、しばらく前に流行った泣ける恋愛ものに他ならないので、二人の恋がどうなろうと、それは私にとってはあまり重要なテーマにはならないのである。
 それよりも重要なのは、この物語が未来の「男」によって、回想され、そして過去を変えていくような形式をとっているところにある。未来の「男」がしばしば、どうすればいいんだよ、と袋小路になり泣き叫ぶ尚の前に現れる。そして、その都度、人生や生き方、夢などについて対話するのである。つまり、この作品のメーンテーマは、いかに生きるか、というものなのである。未来の「男」はいう。「何ができるかではなくて、なにがしたいか」なのだ、と。
 25,6歳にもなって、まだ夢を捨てきれずにバンドをおこなっている尚。彼に対して世間の風当たりは強いだろう。ただ、この作品では彼に対してそう辛くあたる典型的な人物はいない。劇団員という、どちらかとえばこの登場人物たちのような夢を追っている人々が作っているからであろうか。そういう夢を否定してくるようなよくいるタイプの人間は登場しなかった。しかし、すでに社会人になっている友人が登場したりはする。そのような環境のなかで、尚はもう自分の夢を追い続けていくことが辛くなっていくのである。
 そのような中、同じバンドメンバーだった友介は自分の彼女のそばにいてあげる、という人生を選択することによってバンドを降りていく、同時に俊樹も律子の彼氏をナイフで刺してしまったことによって裁判沙汰。バンドどころではなくなってしまう。夢を実質遂行不可能なものとなってしまった尚は、未来の自分の「なにができるか、ではなくて何がしたいか」という言葉に従うことによって、忠久というハードルを乗り越えて、恵莉のもとへ向かっていく。
 結局彼はバンドでデビューするという夢を実現することはできなかったのであるが、それでも彼は、最愛の恵莉とともに生きることを選択していったのである。それが、彼が結果的にはできることであったのであり、したかったことなのだ。
 「どうすればいいんだよ」と、尚はなんどもなんども劇中叫ぶ。それは彼の叫びであると同時に、現代の若者の叫びでもあろう。夢を追おうとしても、それが実現できることはほとんどない。そのような閉塞的な社会のなかで、どのようにして生きていけばいいのか。妥協して就職して、そのような生き方でいいのであろうか。結果的に尚は山浦の店を継ぐというような形式で、半分ホームレスのようになりながらも、なんとか生きていくのである。だが、これはそのような、一般的な価値観から見たら脱落した人達を笑おうとか、反対にそれを称賛しよう、といったものではないのだ。そこには価値はない。ただ、そうなったという結果があるだけである。すべてを失っていくなかで、しかし彼は最後の最後に、恵莉という存在だけをなんとか失わずに済んだのである。それが彼の人生なのであった。

 最後に感想を少し。
 プロの演劇を見たことがなかったので、本当に上手いと思った。みなそれぞれ、素の自分というものが透けて見えたりはしなかった。大学生のサークルだと、演じ切れていないなという感じがあったが、ここではみなプロである。そのようなことはなかった。
 個人的には、私自身が光のように起伏の激しい女性と付き合っていたことがあるので、一番友介と光との恋愛場面には感情移入した。というか、ただただ、かつての自分を見せられているようで、ものすごく嫌だったのである。だが、そのような感情を持たせるほどに、迫真に迫った演技だったということであろう。
 私も生きる、ということには迷っている。ちょうど、夢を追っている彼等と同じ年代だからであろう。私は、とにかく生きることが辛いので、なんとか出来ることから始めてみようと、半日ほどで済む非常勤の講師をやっているが、それはすでにドロップアウト、バリバリ仕事をしていくという出世コースからは外れてしまっている。これからの未来は決して明るくない。そのなかで、どうやって生きていったらいいのか、ということは常に念頭にある。今回はその若者に、いや人々にとって普遍的なテーマを扱っていたために、多くの人々が共感、感動できる作品となっていた。
私も願わくば、これだけは、というものを見付けて生きていきたいものである。

劇団CHEAPARTSのブログ
http://ameblo.jp/cheaparts/

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