スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

憎愛 二十二

student-reading-in-library.jpg

二十二
優也がそのような思考に陥ると千里は見据えていただろうか。だが、踏ん切りのつかない優也を何とか振り向かせようとする手段など、女性にはいくらも持ち合わせているものだ。優也はこの点において、彼が教えたことが仇となった。優也は千里に何を教えたのか。それは、ジェンダー、つくられた女性らしさというものだった。千里は、日本の歴史に残るような女性文学を愛読していたし、漱石や有島の作品に出てくる、蠱惑的な女性のこともよく知っていた。まさしく持てない文学者の典型である優也など、千里の手にかかればもはや落とすことなど簡単だったのかもしれない。
千里は文藝部に所属している、文学少女ではあった。だが、彼女は他の根暗で陰鬱な文学少女とはことなり、至って健康的であったしはきはきとして活気にあふれていた。そのため、決して持てないわけではなかった。彼女がいるとどこか空気が涼やかになるような、そんな清々しい女性。健康的でありながら、文学的な素養があり、非常に理知的で才気にあふれた女性。精力に支配されているような男子高校生にとっては、自分と付き合えたら誰でも良かったのかもしれないが、しかし、中にはそうした知性溢れる女性を発見し、恋をするなかなか鋭い人間もいる。優也が高校の時はまだ磨きがかかってはいなかったが、そのような洞察力の片鱗はうかがえた。だが、優也よりも早熟な人間というのは意外にもいるわけである。優也はまさしく数年に一人の逸材ではあったが、数年に一度の逸材であれば、一年に一人の逸材もいるし、二三年に一人の逸材もいるだろう。そのような人物が決して千里の周りにいないとは限らないのである。優也は少し過信していた。千里がまだ少女で、そして最後まで自分の言いなりになるだろうと思っていた。
だが、千里はそんなに幼いわけではなかった。女性に生まれ持ったある種の能力というものがある。それは意識して行っているのか、それとも無意識に行われるのかはわからない。そうした能力というものは、或る時、それは女性が男性に恋をしたときに次第と発揮されるものなのである。これにかかったら男などというものは、その地球より重い引力に打ち勝つ術等ないだろう。優也ほどの理性、理知を持っていたとしても、所詮は人間の作り上げたもの。そのような人工物で、女性の神秘に適うはずがない。
千里の学年には、確かに優秀な男子生徒が居た。運動もでき、勉強もできるといった部類の人間だ。だが、体格が大きく、汗を振りまいているような体育会系の人間ではない。学力を鼻にかけた委員長風のインテリでもない。至って文学的で、様々な教養に溢れ、話も上手ければ、顔もいい。女性を歓ばせるために生まれてきたような人間というのが、世の中には存在するのである。彼は紛れもなくこの分野においては数年に一人の逸材であった。コンプレックスが多く、いつまでも自分の自信の持てなかった優也は、教師としては失格であるが、このような生徒に対して内心良くは思わなかった。表面上決して生徒にばれないような演技こそできたが、内心ではかつての僻んでいる自分がそのクラスにいるような気持ちになって仕方がなかった。
優也がいつものように授業のため廊下を歩いていた時、あるものが視界に入った。
「ほら、チャイムなっているぞ、教室に入れ~」きゃっきゃ言いながら散り散りになっていく生徒たち。そして現れたあの光景。よく見たことのある後ろ姿だと思っていたら、壁に沿って何か親密に話している二人組があった。教室入れと言おうとして気が付いた。それは千里だ。千里が誰かと話している。しかもずいぶん親密そうだ。何を話していたのかはわからないが、千里は随分楽しそうに笑っていた。あの笑顔を私は見たことがないと優也はその場で思ってしまった。私に見せたことのない表情・・・。繊細な文学者きどりの人間の精神をぼろぼろにするのにはたったそれだけで十二分だ。優也は何とか慣習から身に付いた「授業はじまっているぞ」という言葉をかけた。大分距離も狭まっていた。優也の声に気が付いて振り向いた少女。千里は優也を認めるや否や彼の眼を捉えた。どのようにも形容できない眼差しで優也を見つめ、そして教室に入っていった。見つめられた時の長さは、実際は二秒もなかったろう。しかし、その眼差しによって優也は完全に心を支配されてしまったのである。まさかこのような瞳力があるとは露ほどにも思っていなかった。最初から彼女には、宝石をどこかに隠してしまったような黒い瞳があった。しかし、その眼がここまで力を持つようになるとは、自分で教育をしていながら、それが今さらのように恐ろしいことに思われてきた。彼女の教室への去り方は、実になめらかだった。そこには一種妖艶さもあった。一つ一つの動作は余韻を残し、優也を見つめたその眼差しは流し目であった。優也は千里が教室へ入るまで彼女に釘づけだった。目を離すことができなかったのである。千里のその瞳には一体どんな意味が込められていただろうか。彼女の眼差しを形容することは無理だとその時優也は悟った。彼は文学者として、これを言い表しうる表現など出来ないと思ってしまったのである。優也にはそこからなんでも引き出せるような気がした。どこか優也を蔑んでいるような目でもあったし、悲しみ、あるいは哀しみに溢れた目でもあった。冷たい眼でもあったが、どこか温かみのある眼でもあった。少し困っている眼でもあった。謝っている眼でもあった。怒りもあった。それらの感情が一挙に押し寄せたように優也を襲った。
一緒に話していた出来のいい学生は、優也を蔑んだ眼でみて自分のクラスへ帰っていく。勝ち誇った眼だ。男が女を勝ち得た時に、他の男に向ける勝利の眼だ、と優也は思った。二人にはどんな関係があるのだろう。千里は、自分のことを捨てて新しい、若い男を選んだのか・・・。
いけないと思い、教室へ入ったもののだめだった。今までのいろいろな感情があふれてきてしまって、授業を始めようとしたときにぽろぽろと溢れてしまった。ちょっとすまんと言って、優也は廊下にある男子トイレへ駆け込んだ。いけない、いけないと思いつつも、どんどん涙があふれて来た。自分で望んだくせに、いざそうなってみると耐えられるだけの精神がもう自分にはないのだ。人間は、自分が望んだことが現実となったときにそれを耐えることができないという場合が時にはあるのだ。優也はそんなことを考えなかった。いつまでも、どこまでも彼の人生は不幸の連続である。
それからの日々、優也には憂鬱な日が続いた。幸いにもその出来のいい生徒と、千里は別のクラスだった。優也の知らぬ間に二人が会う機会というのは限られる。それだけが唯一の救いだった。このようなことをしてはいけないと思いつつも、できるだけ授業の始まる前には廊下を通るようにして、千里とその男子生徒が話していないかなどをチェックした。これではまるでストーカーではないか、彼は思い悩んだ。しかし、いくら、理性や知性というものを集め、だめだとわかっていることであっても、時として人間はそれに邁進せざるを得ないものというのがあるのだ。優也にとって千里とは、最後の生きる希望、太陽の光、春のそよ風だったのだ。それを失うということが彼にとってどういうことを意味するのか、優也はなんとしてでもそれを阻止しなければならないと同時に思わざるを得なくなった。ここで、再び彼は教師としての優也と、人間としての優也とのディレンマに陥ったのである。彼は血筋や家庭環境というものが極めて厳格で、社会性、社交性といったものの土台の上になりたっている人間であった。それは確かに、社会から信頼を得て、それなりの発言力や権力を有すということになる。しかし、その代わりに彼は人間としての自由を失っていたのだ。人間にはこのようにして、さまざまな不幸というものがある。例えば、あまり経済的に恵まれず、家庭環境にも恵まれなかった人間にとって、優也はとても恵まれた人間として映っただろう。事実彼はずっと妬まれたり、ひがまれたりしてきた人生であった。両親とも、資産に困ったことのない家柄であったし、財産もある。海外に住んでいたこともあるし、上流階級に近い生活をしていたのは確かだ。しかし、彼のことをよく見た人間は果たして彼が幸せだと言えるだろうか。表面上、彼の境遇を思って、羨ましいと思う人間は沢山いた。いや、それがほとんどであった。しかし、時には彼の心の寂しさに気が付き、生きながら死へ向かっている彼をみてかわいそうと思う人間もいた。そうした極わずかな、稀有な人間によって彼は生かされてきたと言ってもいいだろう。しかし、その最大の救いを与えた人間を失った今とあっては、彼にとっての生は、千里そのものであった。
授業にも集中ができなくなった。時に呆然として「先生」と注意された初めて気が付くということもあった。生徒たちにとっては、また彼の鬱が再発したのだと見えた。ある意味ではあながち間違ったことではないだろう。彼はずっと重度のノイローゼに侵されていたのである。それに加えてさらに、今度は千里の存在が問題となった。優也は紛れもない自分の気持ちに気が付いてしまったのである。しかし、それを教師として、社会に生きる人間としての彼が殺しにかかった。一瞬理性のほうが勝ったように思われたが、千里が優也の目の前で別の男と楽しそうに話しているのを見て、完全にその二つは分裂した。優也には常人の思考はすでにできなくなっていた。あまりにもディレンマが激しすぎて、自分のなかに存在する二つの自分が、対立どころではなくて完全に分裂してしまったのである。
彼は自分が何をやっているのかもう正常に判断できてはいなかった。遠くまで見渡せるその視力を使用して、廊下の端から端までを見通す。しかし、数多くの学生がそれぞれ自由な方向にうごいているなか、そこから千里と男子生徒を探すということはかなり負担を強いることであった。また優也の眼は充血し、くまが出来始めた。授業をしにいっても、まるで身が入らない。出来のいい男子生徒のクラスで授業を行う際は、あてつけに難しい問題を吹っかけて、答えられずにその男子生徒の自信を削ぐことに優越を感じるまでになった。優也は自分が今、男として最低なことをしているという認識があった。相変わらず認識力だけは鋭かったのである。だが、その鋭い認識力が、自分がやっていることが間違っていると判断しているのにもかかわらず、何か本性のような部分がそうせざるを得ないのを観るのはとても辛いことだった。自分が醜い人間であるということを如実にわかってしまうのである。
千里がいるクラスにいれば、男として認められたいという欲求から、何か面白いことを言って笑わせようとしてみたり、ひょうきんなことをしてみたり、あるいは自分がすごいぞ、できる人間なんだぞということを示すために誇張した表現を使ったりした。そして、そうしたことをするたびに、授業が終わると激しい後悔の念が襲ってくるのである。なんて愚かなことを自分はしているのだろうか。愚かだ、醜い、汚い。これは優也が最も嫌ってきたことがらである。理性の人として、彼が積もうとしていた徳。それは常に、正しく、清く、美しく生きようと努めて来たことにある。優也はそのあまりにも鋭すぎる認識力が、自分の醜い部分をも裁いてしまうという点に人並み以上の不幸があったのかもしれない。自分にはこんなにも人に見せられない部分がある。それを克服することが自分の生だと考えて、そのように生きようと努めて来た。しかし、やっとそのように生きられたかとふと振り向いてみれば、そこには、息も絶え絶えながら今にも死にかけている自分の姿がある。なぜこうなってしまったのだろうか。自分はただ、正しく生きようと思ってきただけなのに。その自分の考える正しさのために、ほかならぬ自分が傷つきぼろぼろになっている。自分の打ち立てた論理、培った知性の力。それらは一重に自分自身に無理を強いていただけだったのだ。それでは正しくいきることは人間にはできないのだろうか、いや自分には出来ないだけかもしれない。どうしてできないのだろうか。個人の力では人間は正しく生きられないのか。
無理を強いてでも正しく生きようとしてきた自分はどうだ。ここまで絶え間ない錬磨と忍耐をしたのだ、すこしはものになったろうか。だが、気が付いてみると、また愚かなことをしているのだ。優也は絶望するほかない。正しく生きようとすれば、傷つき生きられなくなる。しかし、無理を強いてでもがんばったのだから、何か成果があるかと思えば結局それもなし。だが、優也には、その崇高な魂が決して、妥協し、正しくない、俗悪な生き方をすることを赦さなかったのである。



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

幽玄

Author:幽玄

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
203位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
15位
アクセスランキングを見る>>
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。