スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

憎愛 二十一

student-reading-in-library.jpg
二十一
二学期に入ると、いよいよ勉強にも身が入ってくる。ほとんどの人間は、予備校か、塾に行っている。なので、どちらかというと、学校の授業は、予備校や塾でやった授業の復讐というかたちになる。学校が塾レベルの授業を展開してあげられれば、わざわざ二つの学校に通い、洒落にならない料金をはらうこともないのにと、優也はいつも悩むのであった。なかには、学校の授業はつまらないし、塾のカリスマ講師と比較してつまらないから、必要ないんだという認識をしてしまう学生もいる。そういう生徒は、学校の授業中には、塾のテキストをやっていたりして、しかもそれを教員が指摘すると馬鹿にしているから、ずいぶん横柄な態度を取る。そういう生徒はだが、仕方がないのだ。受験勉強という名の戦争のなかで、こころが荒んでしまっているのだ。そういう時、教師は優しく接してあげることしかできない。他にも、学校はただの睡眠時間としか考えていない生徒も出てくる。教師としては心苦しい季節となる。
この学校は行事に力を入れることで有名な学校であった。この学校は運動部系の生徒もなかなか強く、様々な受賞歴があるが、文化部系の部活もそれに負けず劣らず強かった。運動面、文化面でさまざまな賞を獲得している文武両道の学校として名高かったのである。だが、文武両道というのは、少し語弊がある。運動の強い学生は、特に文化系のことができるわけでもなく、その反対もまた然りだった。文化系も、運動系も、どちらも強いのが集まっていたというだけであるから、それが果たして文武両道と言えるのかは、疑問に思うところがあった。だが、そのように世間にも名高い学校であったから、その中でも文化祭は一番の学校の見せ場となる。三年生にとっては最後の大きな行事だ。文化祭は学校によってはやらないところもあるが、この学校では、一応行事が売りということもあって、三年生でも文化祭をやる。もちろん、二年生までと比べれば大分簡素なことをやるにとどまったが、それでも十分に他の学校に比べれば自慢のできるレベルだった。
二学期に入ってから、千里とはあのようなこともあり、二人の文学のレッスンは行っていなかった。だが、文藝部の方には時に千里は顔を出していた。
「さて、今年も文化祭の季節がやってまいりました。みんなには、文藝部の活動時である、夏休みに全然これなくて悪かったと思っている」
「そのことなんですけど」元気のいい二年生が手を挙げて発言する。「私たち、先輩たちのもと、先生が居ない間もきちんと活動していたんです」
「え、そうだったの」
「はい、元部長が、夏休み中ずっと面倒を見てくれました」別の生徒が言う。
元部長とは、紛れもなく千里のことであった。通常部活動というのは、受験勉強の妨げにならないように、部長は二年生になることが多い。だが、今の文藝部の部長は、いかにもアニメ好きですといった感じの少女であったが、リーダーとしての能力はあまりなかった。それで、元部長である千里、彼女が面倒を見ていたのである。
「千里、そうだったのか」
「はい。一応部長の補佐というかたちで、みんなの活動をサポートしてきました」
「そうか、それはすまないことをしたな」
「いいえ。私も好きでやっているし、それに受験勉強だけじゃつまらないから」
「いやあ、みんな、受験勉強っていうのは大変なんだぞ。そんな大変ななかみんなの面倒をみてくれた千里先輩に感謝しなくちゃな。それで、じゃあ、文化祭でやることは決まったのかい」
「はい」部長が優也の質問を引き継ぐ。「毎年の展示と、文芸誌『ハレー』五十六部の刊行をして、配布します」
「発表の内容は」
「私がジブリ映画にみる上下運動という論題で評論を一つ」
「私は、ジャンプ漫画にみるつくられたヒーロー像というタイトルでやります」
「僕たちは共同研究で、ワンピースの擬音を研究し、発表します」
「よしよし。なかなか見事に進んでいるじゃないか。僕が居ない間もきちんと活動していてくれて、先生はとても安心しました。君たちのことを子供扱いしすぎていたのかな。みんな立派で、感動しました。千里元部長は?」
「私は、もう引退していますので、個人として何か発表するものは特に考えていないんですけど・・・」
「あ、あれをやろうよ。この間千里がとった論文。あれを拡大コピーして貼るのと、賞状も一緒に飾っておこう。そうしたら、部活動のいい宣伝になる。どう、これなら負担にならないからやれる?」
「あ、それならやれます。後輩のみんなは、私のを展示してもいいかな」
「ええ、もちろんですよ千里先輩」
「ありがとう。じゃあ、展示させて貰おうかな」
文化祭への準備はこのように着々と進められていった。
千里との関係は、面談のあった日以来ずっと触れてはいけないもののような関係になっていた。授業時に、千里がいるクラスで教えるときも、千里は優也とは目線を合わせなくなった。文藝部の活動には、たびたびやってきてくれる千里ではあったが、どこかよそよそしさが隠せない。友人にも恋人にも恵まれなかった優也は、こういう時どうしたらいいのかちっともわからない。こんな時、彼が今まで磨いてきた知見、能力というのは恐ろしく役に立たなかった。これだけの文学者なのだから何とか考えでも浮かびそうなものであったが、こうなってしまっては優也も凡俗な人間と変わりなかった。あまりの無様さに、自分でも失望した。それを見ている千里もまた、あまり優也を見ていていい想いをしなかった。
時には不愛想な顔をし通していることもあった。時には、ふくれっ面のこともあった。またある時は、ちらちらと優也に視線を送ってくることもあった。だが、優也はそれに対して何もできることはなかった。ただ、おろおろして、教師として接すること以外に能がなかった。こういう時にはどうしたらいいのだ、次第に優也を焦燥感が襲い始めた。孤独となってしまった今、優也に残された生き甲斐は、自分が愛情をこめて育てた千里にあった。
彼はまだ、睡眠も食事も思うように取れない日が続いていた。睡眠薬を飲んでも眠れない日もあった。そういう日は、寝室から抜け出して、書斎に閉じこもった。ふたたび、ぽつりぽつりと零れ出てくる言葉を書きとどめていたのである。そうして、深い闇の中にいると、次第といろいろなことが見えて来た。私の心は今、どのような状況なのだろうか。私は何を望んでいる。私はなんだろう。どうしたらよいのだろうか・・・。そしてある時、こう思ったのである。その日も新聞配達がやってきて、しばらく窓を眺めてぼうっとしていると、東の空が明るみ始めた。それで、机の上のランプを消して、遠いそらを見ていた。その時、じっという強烈な音と共に、死んだ蝉があった。自宅の近くの木に居たのだろう。鳴き声のあとに、ぽとっという地面に蝉が落ちる音まで聞こえた。優也はその時に悟ったのである。私は紛れもなく千里が好きだ。何よりも好きだ、愛しているのだと。そのことに気が付いてからというもの、優也は気が気ではなくなった。
どうしよう、どうしたらいいのだ。自分は確かに彼女のことが好きだ。しかし、教師が生徒に手を出すということがどのようなことか・・・。厳格な家庭に育った優也にとっては、社会的な目というものは小さいころから叩き込まれた妄念のようなものであった。常に誰かが自分のことを見ているのではないか、監視しているのではないか。だが、別に今さら教員をクビになってもいいのだ。いや、いけない。そのような極論に走ろうとしている時点でだいぶ無茶なことをやっている、その方向へ進むのはやめた方がいい。だが、自分の心には素直になりたい。しかし、千里が本当に自分のことを好いているのかまだわからない。あのようなことがあったとしても、あれは何か一時的なものだったのかもしれないし、彼女の母性といったものからでる、一種の憐れみだったのかもしれない。私はどうしたらいいのだ。彼女の気持ちがよし、本当だったとしよう。それでどのように応えるのだ。僕も好きだと云うのか。そんなこと云えるのか。もし気持ちを告白したとしよう。それでどうするのだ。普通の恋人のように付き合うことができるのか。彼女はまだ高校生だぞ。まだ子供だ。やはりそんな子供をたぶらかすのはいいことではない。ばれたら他の教員になにをされるかわからない。恐ろしい。他の眼からなんとか逃れたとして、それでどうするのだ。私と彼女の間にはいくつ歳の差がある。六、七、八・・・八つか。私の両親は十も離れていたが、それは三十や四十の時に結婚したから問題がなかったのだ。もし、私が八つも下の生徒に手を出したなんてことがばれたら。いや、ばれることは今は置いておこう。しかし、八つも下の女性と付き合えるのだろうか。何をしたらいい。デート?わからない。どこかに連れて行けば喜ぶだろうか。しかし、何時までも子供扱いしていると彼女は嫌がる。だからといって、どこか高いところへはいけない。全部私が支払うくらいなんということはない。だが、それを彼女は嫌がるだろう。かといって、最近の若者がいく安いところを知っているわけでもないし。それにもしも彼女が付き合っている人間がこのような碌でもない、今にも死にそうなおいぼれ文学者だと知ったら、彼女がなんと思われるか。彼女の両親の問題もある。仮に、上手く付き合えたとして、そのあとどうする。あのご両親にどうやって顔向けするのだ。教師として接しておきながら、今さら自分の義父、義母として接するなどできるだろうか。辛い。あまりにも辛いことが多すぎる。昔からそうだった。いつだって辛かった。もうこれ以上傷つきたくないのだ。安らかに人生を終えたいのだ。生きる希望を与えないでくれ。千里、君は私にとっては生きる水だった。差し込む光だった。しかし、それと一緒に歩むということはわけが違う。私にはすでに、君と共に歩む力を失ってしまったんだ。生きる力のない、なんども自殺をしようとしているような人間が、これから希望に満ち溢れた人間の足を引っ張っていいわけがない。若者には未来を、老人には死をだ。確かに彼女には、私は見事な人間、立派な人物に映るのかもしれない。それはかつての栄光があるからだ。私が成し遂げた過去の遺産、それは確かに一人の人間が成し遂げたにしてはなかなか出来が良かったのかもしれない。人類、といっても日本人だけだが、の貢献に少しはなったのかもしれない。だが、私はすでにもう、その過去の遺産、かつての栄光によってかろうじて輝いているだけの産業廃棄物に過ぎないのだ。もはや可燃ごみだ。中身のなくなってしまった人形だ。魂を失ったただの入れ物、容器に過ぎない。私は自分のできなかったこと、自分の希望、未来を確かに千里の上に重ねてみた。それは私の勝手に過ぎない。単なるエゴだ。私は何故彼女を愛したのだ。それは、あの健康美だ。美しい生命。まだ死の影に脅かされていない、生きることに何の疑いもない美しい命をこの目に入れておきたかったのだ。その美しさを、ひと時の間、我が手中に収めておくこと、それが何よりの生きる希望となったのだ。私は自分の勝手で彼女を自分好みに育てた。そうして、その責任を今取らされようとしているのだ。だが、どちらに転んでも私が深く傷つくことは間違いない。彼女と付き合えば、それによって失うものが大きすぎる。しかし、彼女を失うということはそれ以上に大きいかもしれない。だけれども、彼女には未来がある。これから先があるのだ。それに比べて自分はどうだ。まだ二十代ではあるが、もうこの十年はずっと死を求めて来た人生だ。いつ死ぬか、どこで死ぬかをずっと追い求めて来た人生だ。そのような死の魅力に憑りつかれた人間が、他の人間の人生をその道連れにしていいはずがない。詩人は美人に花束を贈り、そして死の床へ向かうのだ。それが宿命、それが運命だ。その代わりに詩人には、凡人が見られない世界、美しいものを見ることができる。私はどうだ。もう美しいものを見たじゃないか。私はこの世で最も美しいものを見事に見つけ、そしてそれを開花させた。原石を拾ってきて、それを見事な宝石に錬磨したのだ。もう、それでいいのだ。ニーチェは云った。神は死んだと。バルトは云った、作者は死んだと。私は、千里という人間をあそこまで育てた。しかしそれは何のためだ。私のためだ。だが、私のためであるのはここまでだ。これ以上自分のエゴを彼女に押し付けるのはいけないことだ。彼女には自由を、自由を与えなければならない。もはや私の元から巣立つときが来たのだ。何時までも製作者が自分の作品を保有していてはいけないのだ。あるとても素晴らしいものを創り出した、生み出したのならば、それは他人に向かって放たなければならない。開かなくてはならない。手放さなければならないのだ。私はいつだって、執着することを嫌ってきた。金に執着すること。権力に執着すること。そして、生きることに執着すること。今、彼女から執着することをも辞めなければならない。彼女は自由なのだ。大空を飛ぶ鳥を縛るものは何もない。本当に手放したくないものを手放した時に、そこには何かが残るのだ。手放さなければ決して得られない何かが私の手にも得られるのだ。彼女を解き放たなければならない。私という人間の出番、役割はここで終わりだ。そうか、これが私の探していた自分の役割だったのかも知れない。では、粛々と私の役目を果たし、それを終えることを自分の最後の試練としよう・・・。


コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

幽玄

Author:幽玄

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
263位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
18位
アクセスランキングを見る>>
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。