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憎愛 二十

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二十
「先生、それで表彰の段取りはわかったんだけど、受験のことでちょっと相談があって」
「うん、なんだ」
「あの、ほら。大分どこを受けるかみたいなことが定まってきたわけじゃない」
「うん」
「それで、親がね、文学部に行くのにあんまりいい反応を示さないの」
「ああ、そうか。うーん。そういう相談か」
「どうしたらいいと思う」
「そうだねえ。そいつはちょっと大変な問題だぞ。文学部はやっぱりどうしたって現在の就職難のなか、かなり不利になるからね。千里の御両親はそれを心配なさっているんでしょう?」
「まあ、そんな感じ。就職できないって最初から決めつけてくるの」
「まあ、文学部を出ておきながら、その気持ちは十分にわかる」
「えー、じゃあ先生は御母さんたちの味方なの」
「いやいや、そういうわけじゃない。僕は千里の味方だよ」
「そんなのわかっていて相談しているんです」
「なに、はめられた」
「で、どうしたらいいだろう先生」
「そうだね。今度の三者面談の時に僕が説得してみよう」
「本当?」
「うん。どうしても文学部系に行く生徒の親御さんや、美大に進む生徒の親御さんというのは不安にかられてしょうがない部分があるからね」
「やっぱりそういうものなのかな」
「そうだね。僕もまだ若いから親の気持ちというのは実感としてはわからないけれど、理解はできるよね。ほら、窪田先生知っているだろう、美術の」
「うん。良く話すよ」
「僕は高校時代窪田先生の下で美術部にはいっていたけど、その時僕の友達が美大に行くって言っていてさ。かなりもめたんだ。美大なんか行って食っていけるはずがないだろうってその子の両親が怒っちゃってね。それで学校まで来て、窪田先生が唆したからそんなことを言うようになってしまったんだ、とまあそんな風に直接はいわなかったけれども、主旨としてはそういう方向で相談に来てね。なかなか壮絶なものだったよ」
「うわー、先生も大変ですね。だからそんな風になってしまったんですか」
「僕の場合はまた、それはまた別の原因があるかもしれないけれど」
「うちの両親、説得できるかなあ」
「わからない。でも、今回の受賞がかなりアドバンテージになったのは確かだ。こんなのは滅多にないことだからね。文学部に行って、さらに才能を伸ばせば、普通の就職ではなくて、研究者や文藝批評家にもなれるということを説明するさ」
「私、院に行くことになるのかな先生」
「うーん。たぶん行くことになりそうなルートだねえ。今のところ。ただ、僕も院は行こうとしたけれど結局両親が赦してくれなかったからいけなかった。でも、こうやって批評家としても活躍できているし、大丈夫だ。もしその時がきたらまた先生が相談にのってあげよう。それに、この賞を受賞しているんだ。批評の仕事もいずれは少し斡旋してあげられるかもしれないよ」
「うわ。仕事だなんてそんな」
「まだ無理さ。でもあと四年専門的な勉強をすればできるようになる。千里にはその才能が秘められている。僕は一年のころからそれがわかっていたんだ。どうだ、僕の判断に間違いはなかったろう」
「ええ、ええまあ、それは。っていうのもなんだかおかしいけど」
「大丈夫さ、心配しないで。今のところは先ずご両親に文学部に行くのを認めてもらうようにしよう」
だが、実際には三者面談は大いに荒れた。三者面談は二学期に入ってからすぐに行われる。夏休みを終えたとあっては、何か方向性を変更するならば、この期間が最後となるからである。優也は多少油断していたとしか云わざるを得ない。今回の受賞のため、説得は割と簡単に行くと思っていたのだ。だが、意外と千里の両親は頑なで、就職ができなかったらどうするのだ、その責任を先生が取れるのかといった趣旨で反撃してきた。
「それは、責任というものは、どうしても最終的にはご子息の判断になります。それは、どの親御さんでもそうです。教員というものはそこまでは責任を持てません」
「ええ、ですから、責任を取れないのはわかっています。だから、今の就職難のなか、そのような責任がとれないような危ない学部に行くのではなくて、就職率の高い経済学部とか、法学部とかに行かせた方がいいと思うのです」
「確かにそのお考えは最もです。私には残念なことにまだ子供がいませんので、お子さんを思う気持ちというのは本質的にはまだ理解できていない部分がありますが、自分がもし親だったとしたら、そう思うと思います。けれども、私もつい数年前まで大学に居た身として申しますと、決して経済学部だから、法学部だからといって就職ができるわけでもありません。それに、文学部であっても、きちんと勉強していれば就職はできます。実際、私の友人たちも、苦労はしましたが無事就職できています。ですから、学部でというのはあまり実質的には関係ないと思うのです。それは、確かに全体を見れば文学部の就職率は他の学部に劣るでしょう。しかし、最終的には個人の問題です。もし、あまり真面目でない生徒で、そのままでは就職が難しそうだなと思う生徒に対しては、できるだけ就職がしいやすいような学部を進めることはあります。しかし、ですね。千里さんのように、目的を持って、このように邁進してこられた生徒は、必ずと言っていいほど就職はできます。まだ教師生活は短いですが、そうした生徒は上手く就活できています。千里さんが、このあいだも賞を獲りましたが、ああいう生徒というのはごくごく限られた生徒しかできないことなのです。私からみても、千里さんならば大学へ行けばよりその才能を磨かれて、活躍できると思っております」
「しかし、先生。そうはいってもですよ。文学部を卒業して一体どのような職種に就けるのですか。先生には悪いのですが、教員だけっていうことはあるのでしょうか」
「それは、いわゆる一般企業にも就職できます。している友人も居ました。もちろん、事実を言えば、一般企業への就職は他の学部より不利になることは確かです。しかし、それはそこまで問題ではないかと思われるのですが」
「うーん。千里のやりたいこと、先生のおっしゃりたいことはよくわかります。できれば千里には、好きなことをしてほしいし、これだけ頑張ってきたのだから、文学の道というのですか、そちらの方面に進んでほしいとは思っています。ですが、親心として、やはりどうしてもこの不況の中に文学をやって、その後大丈夫なのかという心配があるんです・・・」
千里の両親は教育熱心な親だ。三者面談には母親のみが来たが、それでもかなり自分の意見を有している人だった。このように厳格で、きちんとした素養がある家、環境だったから千里のような人間が生まれたということは確かにある。だが、文学や芸術などをあまり解さない両親を持つということが、いつの世も芸術家のことを苦しめて来たのである。優也自身も、母親は芸術家であるし、父親は読書家ではあったが、しかし文学だけで食べて行こうとするのには猛反対をされた。それでしかたがないので、教員をやらざるを得なくなったのだ。しぶしぶ納得して千里の親は帰って行ったが、残された千里と優也はあまり良い心持になれたものではなかった。
夏の放課後はまだ暑さが引かない。緑の多い学校では、蝉がいたるところで鳴いていた。三者面談は学校にある応接室の一つで行われた。千里の母親が帰ってから、二人はしばらくそこに留まっていた。
「けっこう頑なでしょう」
「うん。思った以上に大変だった。いつの世もそんなものさ」
「先生もそうだったの?」
「僕も両親に反対されたよ。だから教員やっているんだ。内緒だけどね」
「でも、先生くらいに活躍したらもう筆一本で食べていけないの」
「それが、これだけ頑張ってもまだ難しいんだ。本当に昔の作家が羨ましい」
「先生でも筆一本ではだめなんだ。難しいいんだね生きるのって」
はっとした。この生きることの希望に満ち溢れた女生徒の口から、そのような言葉が飛び出してくるとは思わなかった。決して千里にはそのようなニヒリズムの影響を与えまいとしていた優也だったが、やはりいつの間にかこの思想に浸されている部分があったか。優也は食物にカビが生えてしまったのを見てしまったように感じた。もちろん、自分などもうカビに覆われて原型をとどめていないものではあったが。それで、まだカビの生えていない新鮮な少女を見て、一緒にすごして、心を慰めていたのである。そのような対象であった千里から、生きるのが難しいと言う言葉が出てきてしまった。いけない。まずいと思った。彼女には生きることを辛いと思うことなく生きていてほしかったのだ。それが優也の希望でもあった。
優也が予想以上に自分の言葉に傷ついたように見えたので、千里も驚いた。
「先生?どうかした」
「え、いや、どうもしない」
「そう・・・」
「うん。まあ、あれだ。千里ができることは今、勉強に集中するということだ。文系を受験することに変わりはないんだ。別にもし、何かがあって他の学部を受けるとなっても、教科は同じだ。もういまさら国語なんてほとんどやらなくてもいいかもしれんが、英語と歴史をやっておけよ。僕なんか英語まったくだめだったんだからな」
「先生もそうだけど、私もだいぶ偏っているんですよね。やっぱり先生についたからかな」
「え、僕のせいですか」
「あはは、冗談ですよ」
「あれ~、千里さん、英語できないんですか~」
「な、自分のことは棚に上げて、いや、少し出来ないと言うか、いやできません」
「僕もできないことにはできませんが、教員になるには英語の試験もあります、そのくらいはできているんですよ~。千里さんの云うできないと僕のいうできないはレベルが違うような気がするんですけど~」
「が、がんばるもん」
「なんだよがんばるもんって。なんかのモンスターかよ」
「違う。そうやっていつも私のこと苛める」
「いじめてなんかいませんよ。そんなことが知れ渡ったら私くびだ」
「ほら、そうやって冗談ばっかり」
「そうだよ。僕は冗談ばっかりだよ。冗談を冗談で塗り固めているから、けっしてどこからか崩壊するみたいなことはないんだ。僕の目標は自分の書いた作品で、世の中の読者を路頭に迷わせてやろうということだ」
「先生性格悪いー」
「そんなことは千里君が一番よく知っていることじゃないか。なにをいまさら」
「先生・・・」少女の眼に異様な光が映った。関は何かよろしくないことを咄嗟に悟った。
「ん、どうした」
「先生、私が大学へ行っても逢ってくれる?」
「もちろん、いつでも学校においで」
「そういうことじゃなくて・・・。映画連れて行ったり、美術館連れて行ったりしてくれる?」やはり来たか、と思った。だが、優也はいつも、いつまでも疑うということをやめられなかった不幸な人間である。いくら自分が手をかけて育てて来た千里と言えど、何か魂胆があるのではないか、裏に何かがあるのではないかと思えて仕方がなかった。
「うん・・・そうだな。まあ、たまには連れて行ってあげるよ」
「先生、いつも私から逃げる・・・」少女が伏せた目に、赤みが強くなってきた太陽の光線が降り注ぐ。そこで初めて千里のまつ毛がこんなに長かったのだなと優也は気が付いた。千里のまつ毛には、太陽の光線が降り注ぎ、雨上がりの葉っぱのように雫をちりばめているように見えた。優也は少し空気が重くなっていることに気が付いた。千里は、休みを挟んで再会してからというもの、どこか切羽詰まったような感じが瞳の奥底でしていた。
確かに、今優也には心の貞操を守るべき人間はいなかった。だが、そんなことは理論上の話である。まだ彼のこころは深く傷ついていた。それに、何よりも教師としての理性がいつまでも彼を支配していたのだ。優也は気まずくなって、自分の後ろにある窓のブラインドのもとへ立った。ブラインドを一二枚押えて、外の様子を眺める。入ってくる西日が強い。閉じられた窓から微かに蝉の鳴き声が聞こえてくる。夏ももう終わりだと思っていた矢先だった。優也の後ろで、物音がする。一人の少女が椅子から立ちあがる音だ。はっとして振り向いた時には、すでに千里は優也に抱き着いていた。
「先生・・・」彼女の声は優也の胸に押し付けられていてくぐもっていた。吐息が優也の胸を温かく湿らせる。こんなところを見られたら不味いと言おうとして、戸惑った。自分の胸に顔を埋めている少女が泣いていることに気が付いたからである。
「千里・・・」
優也が名前を呼ぶと、千里はぐっとつかんでいた優也の胸あたりのシャツを手放して、ぽかぽかと殴り始めた。
「ばかばか」
「いたいよ、千里・・・」
「何でいつも私から逃げるの。本当はわかっているんでしょ」
「逃げていないよ、何のことだよ」
「ほら、逃げているじゃない。あなたそれでも文学者でしょ。人間の感情なんてずいぶんわかるはずじゃない。ましてや、私はずっと先生のそばにいて、ずっと想って居るのに」
「悪かったよ、悪かった。だから、ほら、な、放して」
「なんで答えてくれないの、先生のばか」
彼女は一際大きいパンチを優也のみぞおちの当たりに入れると、顔を見られないように下を向きながら部屋を出て行った。
「本気で、殴ることはないだろ・・・」痛みに悶えながら優也はふと、自分が片手を彼女が飛び出していった扉へ向けているのに気付いた。私だって千里のことが好きにきまっているじゃないか。最初から好きだったさ。だけれども、その気持ちを打ち明けてしまったら、受験勉強も、学校のことも、家庭のことも、何もかもめちゃくちゃになってしまうじゃないか。もう少しまってくれ。その気持ちには応えてあげたい。だが、卒業するまでまってくれ・・・。優也は独り心の内で呟いた。


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