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憎愛 十八

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十八
関が休んでいた夏にコンテストで賞を受賞したのは、この年に新入生で入ってきた古河という女子生徒であった。古河千里という、とても可愛らしい少女だった。関は少なからず、男性としてこの可愛らし少女を自分で教育し、自分好みの生徒に育てるのに並々ならぬ感情を抱いていた。もちろん、理性的な人間であった関は、それが決して教師と生徒の関係のなかに集約されるように自分を律していた。だが、時として彼はその生徒に対して、親とも言えぬ、恋とも言えぬ、非常にあやふやではあるが美しい感情を抱いていたのである。
関は思った。きっと千里と一緒に学校へ入ってきていたならば、間違いなく自分は彼女に恋をしただろうと悟った。千里は、とても利発で、元気がいっぱいといった感じの少女だった。文化部に所属したにしては、とても引き締まった身体をしていた。運動の成績はあまり良いとはいえなかったが、彼女は健康そのものだった。まったく無駄がなく、それでいて痩せすぎているのではない。膨らむところは膨らんでいたし、見ていて非常にやわらかそうな肌をしていた。よく文学少女にありがちな、引きこもっているような少女ではない。むしろ太陽の下に置いたほうが良く似合うような感じだ。肌は白すぎず、かといって褐色なわけでもなく、程よく淡い桃色をしている。凜とした輪郭に、泉を湛えた黒い瞳。はっきりとした眉に、つんとした小鼻。髪の毛は瞳と同じく、深い深い黒い色をしていた。長さを肩に触れるか触れないかくらいで揃えていて、清潔な感じがした。少女の声は、どことなく春風のような甘い香りのする音だった。
千里は優也からみて、非常に優秀な生徒だった。全科目、全教科が得意というわけではない。優也自身も、数学や英語など点でダメだ。これだけ作家、評論家として活躍しているのだから、英語くらい簡単に話せるのだろうという周囲の眼にいつも怯えていた。千里も、得手不得手のある学生だった。関はそれをみていて、彼女がそのことにコンプレックスを抱いているのを知ってずいぶんいじらしく思った。心配することはない。受験では少し苦労するかもしれないが、大学へ入ってしまえばこちらのもんだ。得意な科目をうんと伸ばせばいい。
千里は最初、漫画やアニメというとっつきやすいことをやっているのに興味を持って文藝部に入ってくれた。まだ、いたいけな、どことなく夢見がちな子供らしさの残るころにである。実際、千里の黒い眼は、黒曜石のように神秘を湛えた瞳だったので、何かそこに引き込まれるものがあった。決して光が無いわけではない。だが、その目の光というようなものを一度彼女の眼のなかに見出そうとすると、ずっと奥深くに秘められていそうで吸い込まれてしまうのだ。教員というのは、授業に関するいろいろな小技のようなものを持っている。例えば、授業中の視線のやりかた。どのように視線を送ればよいのかというようなことまで、事細かに書いてある本などもあったりする。関がこころがけているのは、大学時代に教職課程の先生に学んだ、八の字をかきながら視線をやるということである。そして、時には生徒の眼を見つめることも必要だと学んだ。二十名ほどとなった文藝部は、もはやひとつの小さなクラスであった。関は講義式の活動の際には、それぞれの眼を見ながら漫画論、アニメ論というものを論じた。だが、そのように視線をやっていると、どうしても関のことを熱心に見つめる千里の眼から逃れられなくなることがあった。ふと気が付けば、千里を見つめて講義をしている。いつまでも見ていたい気持ちになる、少女はそんな目をしていた。しかし、あまりにも見つめすぎていると、他の生徒が不信に思い始める。そうしたスキャンダルというものを嫌悪、恐怖していた関は、できるだけ小さな噂もたたぬようにと細心の注意を支払っていた。だが、いくら千里の瞳を見まいとしても、どうしても視線がいきそうになる。次第に関は講義に集中できなくなることも増えて来た。
千里は、はじめ漫画やアニメといったものを論じるのを愉しみに聞きに来ていたが、入学したてということもあり、関のことを良く知らなかった。だが、二学期にもなると、噂が伝わったのか、彼女のもとには関が作家の関清雅であり、また文藝批評や画家としての腕もあるということを知った。二学期のある活動後、
「先生は、小説をお書きになるんですね」と目を輝かせながら聞きに来た。
「あれ、そんな情報が伝わりましたか。うん、内緒にしているけど、そうだよ」
「先生すごい!」
優也はとても嬉しかった。なによりこの可愛らしい健全な少女に、何の裏腹もなく褒められたことが嬉しかった。この純情な少女には、どこにも関のような疑り深い人間でさえ疑うべき余地はなかったのである。
そして千里は、実はアニメや漫画よりも文学のほうが好きであるということを打ち明けた。関が国語の担当で、しかも小説家であることを知って打ち明けたのである。
「先生、私実は文学が好きなの。小説を勉強したいの」
 少女の告白には、どこかほんのわずかではあるが、切羽詰まったものを感じさせるものがあった。一体なにをそんなに切羽詰まるのだろうか、この時優也は一寸判断がつかなかった。
「そうか。千里さんは文学少女なんだね」
「先生だって、文学少年だったでしょう」
「そう思うだろう。だけど違う。僕が小説を読み始めたのなんか、君と同じくらいの時からだ。それまではまったく、一年に五冊も読まなかったぞ」
「えー、信じられない。それでよく小説家になれるんですね」
「あはは。本当だ。なに、千里さんも小説家になりたいの」
「うーん、まだよくわかりません。書いたこともないし。だけど、文藝部で先生の漫画論とか聞いていて、小説でもそういうことができるのならやってみたいなって思いました」
「そうか。もちろん小説にもあるよ。というか、小説を分析、研究する手法を応用して、漫画論とかアニメ論とかはやっていたんだ。漫画やアニメとかじゃないと生徒が出てくれないだろう。あんなのは僕も適当にやっていたんだがね、内緒だよ、小説だったら専門だ。なんでも聞いてくれ」
「だったら、先生。私小説をきちんと勉強してみたいんです。受験勉強みたいな、読解じゃなくて。先生が教えるようなもっと深い、答えの見つからないような勉強がしてみたいです」
「そう。だったらいくらでも教えましょう」
「でも、どうやって教えてくれますか」
「そうだね。僕は今年二年生が担当だから、一年生の国語は他の先生だしな。文藝部で小説をやろうとするのには、まずみんなの了解を得るとかなんとか時間がかかる。どうしよう。千里さんがよければ、放課後の空いている時間で教えてあげることもできるけどどうする」
「ええ、それがいいです。先生に小説を教えていただけるのなら」
「でも、マンツーマンじゃ千里さんも大変でしょう。誰か他に興味のある人も一緒にいるといいかもしれない。文藝部でも、小説の講義を別に設けることにするからと言って来たい人を誘ってみよう」
「はい」
関が咄嗟に、学生と二人きりになる空間を避けたのには理由があった。一つは、そうした個人的なレッスンが他の人間の眼にどのように映るかを考えたためである。教員の仲間も、あまりにも一人の生徒と仲良く過ぎるのを見ればいい眼ではみないだろう。それよりも、生徒の眼が怖かった。ただの教師と生徒の関係であっても、たった二人で教室にいるだけで、変な噂をはやし立てるのだ。学校という実に閉塞された空間では、空想とも、妄想ともつかないでっち上げの話で楽しむということのほかに暇をつぶすものがないのだ。彼等にもわかっている。生徒と先生がデキるなんていうことが、現実的なことではないkとくらい。だが、それを意識下ではわかっていても、それを野次り、自分の感情のはけ口とせざるを得ないのである。どうしたって、学校という空間は、外へ目が行かず、内へ内へと向かって行ってしまう。千里は、そういう部類の人間ではなかった。どちらかというと優也に似たタイプだったのかもしれない。彼女はそのようなことを考える人間がいるのだということもまるで念頭にないようであった。まだ、千里は人間に対して基本的に信頼を持っていたのだ。だから、そのような噂が立つという事が予想できなかったのかもしれない。
関が二人きりの空間を避けようとした二つ目の原因としては、変な感情が生まれないようにしようとしたからである。それは何より自分の愛した女性、妻への背信でもあると思った。だから、できるだけそのような環境、空間にならないように配慮したのである。
文藝部で声をかけたことによって、最初四五人の生徒が集まった。関にとっては、時間外で、しかも部活外の時間を拘束されることとなったが、これは本来彼がやりたかったことだったので、彼はむしろ楽しんで講義をした。今までの文学理論の歴史。印象批評だとか、ロシアフォルマリズムだとか、構造主義だとかを一通り勉強した。そして、作品は実は作者がつくるものではなくて、読者が積極的につくるものだということを論じた。だが、これは関が大学の後半になってからやっと理解できたことである。自分が一体どのくらい理解力がある人間なのかというのは、なかなか自分ではわかるものではない。自分に理解できたからといって、他人が理解できるとは限らないし、またその反対もしかりだ。関は確かに理解力や認識力には優れた人間であった。その彼が大学後半になってやっと理解できたそうした観念的な、概念的な思考というのは、やはり高校生にとっては難しかったようである。なんだかぽかんとした顔をしている学生が多かったので、理論はやめにして、実践のほうへ移っていった。実際に小説を読み、これをどのように捕える、解釈することができるのかということを論じた。こちらのほうは大体わかってくれたようであった。
だが、やっている内容は大学の授業レベルである。次第と、学期などの節目に、一人、また一人と辞めていく学生が出た。
千里が二年になってからは、しばらくそちらの講義の方には千里を含めて二人の女子生徒が出席していた。何回かの関の講義形式の後は、それぞれが持ってきた小説を一緒に読んで議論するということをしていた。千里は実に優秀な生徒だった。文学的な素養、センスというものがあった。やはりいくら学問と言えど、センスが必要である。とくに文学は芸術的な感性が求められる。夏目漱石は日本で最も素晴らしい作家だと関は思っていたが、しかし、漱石を読んでもそれで?といったようなうんともすんとも心が震えない人も世の中にはいるのだ。関はそれを確かに残念だと思った。心の豊かさというものがないと、人間は生きていけないと思ったからだ。しかし、実際はそうでもない。むしろ朴訥として、芸術などわからなくても、力強く生きている人間はいる。無口で、そんなに感情がない人間であっても、力仕事をして生活する。よほど立派な生き方である。ことによると、変に知能がついて自分の欲求や欲望のために策略を図るよりはよほど良い。人間として上等かも知れない。優也などは、その点神経が繊細すぎて、社会のなかで生きているのが大変なくらいだ。果たしてどちらがいいと言うことは言えないが、芸術的なセンスがなかったとしても、人間は立派なのだ。
千里は、ずいぶん楽しそうに関の話を聞いてくれた。活動が終わっても、雑談をしたりして楽しんだ。関もそのひと時が楽しくて学校に来ていた時期もあった。時には、学校の帰りに一緒に喫茶店に行ったりもした。いろいろと教えてほしいというので、美術館にも連れて行ったこともある。他人からみたら、少し歳の離れた恋人同士に見えたことだろう。確かに二人の間には、恋人を越えた、相手に対する信頼感、愛情といったものが存在していた。
三年になってからは、もう一人居た女子生徒は受験に専念すると言って、辞めて行った。それを機に、一端この特別な講義はやめにしようと関は思った。しかし、千里は受験勉強だけだとつまらないから、そのまま続けてくれと願った。そのため、二人のレッスンは続くことになったのである。優也は今年、三年が担当だった。受け持ったクラスは異なるものの、千里のクラスの国語の授業も担当していた。できるだけ公平、公正に生徒に接しようとしても、やはりそこはどうしても人間であるから情というものが出てきてしまう。実際に千里は、優也の大学レベルをも越えようという指導を二年間みっちりと叩き込まれていたのだから、そこらの学生とは能力の差がけた違いだった。それほどまでに彼女は文学的な素養、能力というのを開花させていたのである。優也は私の育てた美しい実が、なんてすばらしい花を咲かせたんだと思わずにはいられなかった。もしかしたら、この子は大学でさらなる躍進を遂げ、いずれは文学研究者になるかもしれない。文藝批評家として自分を越える逸材かもしれないと関は期待するようになっていた。そのくらい思い入れがあったので、他の生徒よりも優遇せざるを得なかった。実際に優秀なのだから、授業中に生徒に当てて、わからなければ最終的には千里に行きつく。すると、千里は完璧な答えを引き出してくれる。他の生徒はそれを見てよしとは思わなかった。依怙贔屓されていると僻んだのである。関は確かに教師として、カリスマ性があった。両親から受け継いだ社交性、己の苦心で磨き上げた会話力などのため、生徒から人気のたかい先生であった。そのため、関先生のファンを語る女子生徒も居たくらいである。そのような生徒にとっては、関の一番弟子であり、師弟以上の関係が秘かに匂う千里という存在は邪魔として映ったのであろう。千里はあまり面白くないいたずらを受けたことが何度かあった。しかし、それらはいずれも陰湿で、決して誰がやったのかわからないようなことであった。それに、行なわれることも、実に小さくて、本人でさえ気が付かないくらいのいたずらが続いた。
そうなってくると、純真であった彼女の心にも多少の翳りが見え始めた。人を信じることしか知らなかった人間が、人の醜い部分を知ってしまう。人間は美しいまま生きることなどできないのである。ああ、彼女の心が汚されていってしまう、人間に対する負の面を知ることになってしまうと優也は絶望した。おりしもそのころは、優也も家庭が大変なことになっていた。そして、突然訪れた最愛のものの喪失。以前から神経衰弱をたびたび繰り返していた優也にとっては、その衝撃はあまりにも大きすぎた。精密機械に大きな衝撃を与えることと同じことだった。優也は人間として、壊れてしまったのだ。


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