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憎愛 十四

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十四
導久のもとへ逃れ込んでから二三日は石庭を見て過ごした。そうして、次第に身体が思うように動かせるようになってきたので、朝餉の用意を自分でしたり、といっても導久の母がつくってくれたものを運ぶだけだが、寺のなかを少し散策できるようになってきた。
白米、味噌汁、いくつかの漬物という質素な朝餉の後、
「関さん、だいぶお顔が良くなってきましたよ。」
「ん?そうかな。そうかもしれない。すこしこころが楽になったよ」
「目が生き生きとし始めています。」
「よかった。ありがとう。なにもかにも全て君と君のご両親の御蔭だ。本当に感謝が絶えない。だけど、今何かお返しできることもなければ、またお金でお返しするというのもあまりにも無礼千万だから、どうしたらいいものかちょっと困っているんだが」
「恩返しなんていいんですよ。そんなものを求めて関さんを泊めているんじゃないんですから。でも、そのお心があるのならば、そうですね。関さん、少し掃除でもしてみますか」
少し心の余裕が出来ていたからか、げ、面倒なことになったと一瞬関は思い、苦笑いしながら言った。
「お掃除するの?」
「そうです。いいですか関さん。禅門にはこんな言葉があります、『一日作さざれば、一日食らわず』」
「はあ、漢字は」
「こうです」と言って畳の上に指で文字をなぞって見せた。「一日不作一日不食」
「つまり、働かざる者食うべからずという意味かい?」
「と普通思いますよね。でも違うんです。」
「というと」
「これは唐の時代の禅僧百丈懐海の言葉なんですが、この懐海和尚がよぼよぼのおじいさんになった時に、まだ和尚は自分で作務をしていたんです。作務っていうのはお掃除や、食事の用意やらそうした日常の雑務のことです。そんで弟子たちは当然そんな偉い和尚に作務などさせるわけにはいきませんから、やめてくれ言うたんです。それやけど、和尚は作務を続けるもんですから、御弟子さんたちがお掃除用具を隠したりしてなんとか和尚に作務をやらせないようにしたんです。そうすると、和尚は作務をしていない日は食事をとりませんでした。そいで困ったお弟子たちが、どうして食事をとらないのかと聞くと、さっきの『一日作さざれば一日食らわず』という言葉を発したそうです。」
「うむ・・・わかったようなわからんような・・・」
「作務というんは作業勤務の略です。御弟子たちはそいで和尚に道具を返したところ、作務を再び開始して、御飯をお食べになったとか。つまり、作務というのは、雑務ではないのです。仕事ではありません。どう説明したらわかるやろか。生活のための仕事ではないのです。」
「それならわかる気がする。『それから』に書いてある。『働くのも可いが、働くなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている』ほかにも『つまり食うための職業は、誠実にゃ出来悪いと云う意味さ』。馬鈴薯(ポテト)が金剛石(ダイアモンド)より大切になったら人間は終わりなんだ。大助君はそう自認している。そして平成の文豪であるこの吾輩もそう自認している。」
「ほう、一字一句間違っておりませんか」
「私の記憶が正しければね。これでも漱石で論文を書いた身だから」
「まあ、つまりその生活のための仕事ではないんです。毎日毎日繰り返しするという事が意味あるのです。労働をすることによって、余計なことを考えることなく、また働くという行為を通じて仏法を行ずるのです。」
「禅のこころというやつだね」
「そうです。禅においては、一挙一動すべてに無駄はありません。全てに意味があることなのです。掃除にしてもなににしても、雑用ではなくて、一つの修行なのです。関さんにとっては、食べること、寝ること、休むことが今の修行です。今度は、それに付け加えてお堂の拭き掃除もしてみませんかということです。」
「うん。掃除は嫌だが、修行ならやろう。馬鈴薯より金剛石だ。」
 ということになって、関はその日から石庭前の本堂の拭き掃除を始めることとなった。
「いいですか関さん、あんまり濡らしすぎたらあきませんよ。木腐ってしまいますからね。そんで、しばらくはここの廊下だけでいいですからね。といってもこの廊下30メートルはありますので、これだけでも大変な仕事ですけれどもね。」
「うん。大丈夫だ。お寺の大事なものを壊さないように細心の注意を払うし、何かするときにはきちんと聞きに行くから安心してくれ」
「では、お願いしますよ」
と言って導久はしばらく掃除用具か何かが入っている押入れに行って、いろいろな道具を取り出してきた。関にはバケツと雑巾が渡された。導久は先が柵のようになっている木の棒を持っている。
「それは何だい」
「これは、僕たちは線引って言ってます。庭の石を整えるんです」
「ああ、いいな。私もやりたい・・・が、石庭は寺の顔だから、これもそうとうな技術がいるのでしょうねえ。観るにとどめておきますが」
「難しいですよ。僕でさえまだたまに親父に怒られますからね」
導久が長い袈裟を玉砂利の上にこぼしそうになりながら、全くそちらに気を奪われず、また機械的に非常に正確な動きをするのを見て、関は感嘆した。人間も何か一つのものを極めればこれだけ正確無比な動きができるものか。
殆ど運動をしなかった関は、長さ十丈、幅一間はある廊下を雑巾がけし終わるころには、足ががたがたと震えだした。身体を動かさない関にとってはそれだけでも重労働である。筋肉痛は一日置いて、二日目に来た。筋肉の反応も遅い。すでに導久の元へ来て一週間が経とうとしていた。関の顔からは、笑みがちらと見えることがあった。肉体を使用し、疲労する喜び。筋肉痛になり、自分の身体が自分のいう事を聞かない面白さ。なんだ、私は生きていたじゃないか。
それからの日々、ほぼ一週間は芳春院に籠りっきりだったのが、だんだんと足を遠くまで伸ばせるようになった。終末は、大徳寺の他のお寺を見学した。導久が案内してくれる。
大仙院は芳春院の隣である。御隣さんといった感覚なのだろうかと関は思った。まあそんな感じだと導久は答えた。大仙院の和尚に挨拶に行くと、隣人だから、普段入れないような場所も特にこれといった許可がいらずに入れる。というより導久がどんどん入っていくので関はそれに従っているだけなのだが。
大仙院、方丈前庭。二つの山が玉砂利によってつくられている。
「この二つの山は何を意味しているんだろうか」
「さあ、なんでしょうねえ。私もよくわかりません」
「え~わからないの・・・・・・」
「いや~私にもわかりませんて、そんなん」
坊主も案外適当だと思った。今に始まったことではないが、嫌に詳しいところと、全然素人と同じような分野と変に偏っていると学生時代から思っていた。
「これが国宝の玄関なんですよ」
見たところただの木が壁の中に埋まっている、気にしなければそのまま通り過ぎてしまうような場所である。
「これ触れるじゃないか。あ、今国宝に触れている。触れる国宝・・・」
「関さん、こちらへ」導久は一寸ボケてみた関のことは無視して先を急いだ。障子をあけている。すると、中は何十畳もある広い部屋が出現した。障子の前には竹でできた柵のようなものがあるから一般人は入れないようになっている。導久はそんなことお構いなしに勝手に開けて入るから、関は入って良いものか、少々良心の呵責に耐えながら中へ進む。
「これも重要文化財とか国宝とかです。正確には忘れましたが。」
「どれ・・・四季花鳥図・・・伝狩野元信筆だな。」
「流石に御詳しい。」
「日本の芸術史をきちんと勉強すればこのくらいはわかるさ。勉強熱心だったものでね」
「いや、関さんは本当によく大学時代から勉強なさってましたね」
「好きだからできることさ。そのかわり僕は数学なんて高校レベルの問題も解けない」
「いいんですよ。人には得手不得手がありますからね」
聚光院もまた御隣さんのようなものだ。大仙院の和尚が狸のような割と大柄な人物だったのに対して、聚光院の和尚は乃木大将のような細面の老人である。聚光院を見学しに行ったさいには、導久は父から日本酒の一本をお土産に持ってと言われて持って行った。聚光院は襖絵が素晴らしい。狩野松栄、永徳父子の描いた方丈障壁画三十八面。狩野はは時の権力者に寄り添ったために、一族は確かに栄華を極めてはいたが、その作品は権力者が敗れ去ると同時に燃え尽きてしまっていたので、三十八面も完全な状態で残っているというのは奇跡に近い。花鳥図は、松・竹・梅、オシドリ・セキレイ・丹頂鶴などの花鳥風月を描きこんだとてものびのびとした絵だ。琴棋書画図、竹虎遊猿図、蓮鷺藻魚図など、いずれも国宝。国宝と人によって箔を付けられなかったとしても、いずれも素晴らしい筆である。なかでも瀟湘八景図は素晴らしい。古来より景勝の地として文人墨客がしばしば訪れた瀟水と湘水の合流する洞庭湖周辺の八つの風景を描いたものだ。名所百景のようなものの中国バージョンである。
龍源院の石庭は、真ん中に大きな丸い陸地のようなものがあり、丸と横の線とのバランスが何とも筆舌しがたい。現代芸術、シュールレアリスムを立体に戻したような心持がする。大徳寺はいくつものお寺が集合して大きな一つのお寺になっているという構造である。関はこれをお寺のメタ構造だと考えた。いずれそうしたお寺がどんどん増えて行けば、京都はさらなる大きなお寺の存在としてメタ的な構造を有するようになるかも知れない。しかし、大徳寺という大きな枠組みに所属するそれぞれの院は、いずれも全く別の顔を見せてくれる。あくまで芸術的な方面からしか関にはわからなかったが、例えば襖絵が素晴らしいお寺もあれば、能や狂言などに使われたであろうお面などが置いてある寺もある。石庭が素晴らしい寺もある。住職もそれぞれ違う。こんな話をしたら、関に以前日本芸術を教えてくれた教授などは歯噛みして卒倒するだろう。なんていっても、その教授は狩野派が専門だったのだから。

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