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憎愛 十三

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十三
人間は元来哲学的にできている、と関は考えていた。少なくとも類は友を呼ぶせいか、彼の回りにはそのような人が多かった。関は倖せというものについて考えてみた。実物主義、現実主義から脱却した関にとっては、物質による幸福はただの幻影にしかすぎず、それによって本質的な、いまだかつて誰もたどり着いたことのない倖せにはたどり着けないと思っていた。確かにこの物質的な倖せというのは、目に見えてわかることであるし、たった一度の短い人生を騙しきるのには十分なものではあった。しかし、この物質的な倖せが、他者の物質を奪った上に成り立っており、決して人類のためにはならないと関は考えていた。
そして、物質的な倖せというものは際限がない。あれが欲しい、これが欲しいまでは良い。だが、実際にそのあれとこれを手に入れてみると、また別のものがほしくなる。とすると、これはやはり倖せではない。本当に倖せになったのであれが、満足すれば次は欲しくなくなるはずなのである。関は、倖せとは何かを手放す方向、満足し、そこで止める方にこそあるのではないかと考えた。なので、倖せを追い求めるとは、自分がいかに小さな出来事で充足し、満足できるのかということだと考えた。
眼前を視、現実を認める。それを不平不満を持つより先に、先ずは充足し満足する。しかし、改善の余地があればすれば良い。何も我慢する必要はないのだから。
石庭の大きさはかなり広い。25メートルプールより縦長といった感じ。本堂はその長い側面にそってあるから、丁度真ん中に座っている関には、左右に十数メートルずつ石庭が臨んでいる。右奥には、壮大な石が並んでいる。屹として聳え立つ石が二つ三つ。よく中国の山景として思い浮かぶような、水墨画の題材になるような高く直立した山である。それから次第に裾のが広がっていくように、平べったい石が真ん中を開けて右方と左方に伸びて行く。山も裾のになると、樹海を思い起こさせるような苔が覆っている。山々の合間を縫って、一番奥の中国の山から流れ出す水の行方。ゆらゆらと二度三度左右に振られながら、大河とも思われる、大海とも思われる、この石庭のほとんどを占めている部分につながる。
龍安寺も確かに良い。どこか禅めいていて、理知的な感じがある。だが、少し自然というよりは、芸術に近い感じがする。人間の思索がそこに介在しているような気がする。それに比べると花岸庭というのは、雄大でありながら、朴訥としていてそのままの自然、人工的な感じがしない庭である。奥深さや面白さで行ったら龍安寺のほうが圧倒的だろう。しかし、単純でいながらも、だからこそ寛容的である。花岸庭を舞台から臨むと、法学としては大徳寺の最上の箇所から、南を向いていることになる。だから他の寺や仏塔が見えるだろうかと思うとそうでもない。芳春院は大徳寺全体のなかでも少し坂の上にあるのでそこからならば大徳寺の他の建物くらいは見えてもよさそうなものであるが、2メートルとない塀の向こうには、いくつかの高い木の他には何も見えない。木々の頭しか見えないから、余計にどこかの森のなかの家にいるようである。
関は石庭を前にして、何時もの時間を過ごした。数日の間はそのようにして過ごした。時に、本堂から住職の低く朗々としていて、それでいてどこか人間の暖かさのようなものを感じさせるお経の声が聞こえた。関は大学時代に、お経が一体何を書いているのか興味を持って、現代語訳を読んだことがあった。そこには実に人間味あふれた、心配をするな、大丈夫だといった励ましが書かれていたことを記憶している。
人間の悩みなど、この大きな世界、自然を前にしたときには実にちっぽけで取るに足らないものかも知れない、と関は思った。しかし、それでいても、当人にとっては一大事なのである。人間には、人間の外にあるマクロコスモスと同様に、人間の内部にあるミクロコスモスが存在している。そのミクロコスモスが危機に陥れば、必然その人物を死に至らしめるほどの強力なものとなり得る。ちっぽけで取るに足らないことかも知れないが、しかしその取るに足らないものでも、一人の人間を死に至らしめるのに十分なのである。
関は極限まで追い詰められて、すべてを放りだして京都へ逃げた。そうして、石庭を前にして自然と自己を一体化した。その一体化している最中に、人を救うお経を聞いた。峠は乗り越えたのである。関は何とか自我の崩壊からはまのがれた。
だが、京都へ逃げるまで、ずっと張りつめていた緊張の糸がたるんだために、どっと様々な感情が押し寄せた。寂寥感、寂寞感、無気力感、悲しみ、悲哀、憐憫、後悔、疲労、喪失感・・・・・・。
関にとって、いや、関以外のすべての精神的困窮のなかにある人のとって、自殺とはその苦しみから逃れる最も魅力的な方法に思えてしまう。前にも述べたかと思うが、関は積極的な自殺は好まなかった。例えば縄。どうもやる気になれない。飛び込むのも嫌だ。身体がばらばらになったり、傷ついたりするのは関のとっては苦痛であった。また死んで後も、自らの肉体を以て他人に迷惑をかけるのはなんとしてでも嫌であった。
関は大学時代に文学部に居た。そしてその当時でも、大学で文学をやろうという人間は、もはや最初から就職の道を諦めたような風変わりな人間の集まりであった。文学をやらなければならなくなっている人間というのは、やはりどこか精神的な困窮にあるのである。文学部の人間は、関の回りの人間はいつも生きているのに必死であった。精いっぱいであった。君、僕が死んだら・・・私が死んだら・・後を頼むよということをお互いに言い合っているような集団なのだから大変だ。自殺・・・。どんな自殺。自殺の話をよく大学で友人たちと共にしたことを思い出した。
「本当の自殺っていうのは餓死らしいね」
 この言葉を聞いた時の関の衝撃は計り知れないものだった。
「そうか。確かに餓死というのは最後まで己の意思で自殺をしている。」
「そう。例えば縄で首をくくるのも、電車にはねられるのも、薬も、結局は自分ではないモノにたよっている。だからこれは本当の自殺と呼んでいいのだろうか」
「でも、こんなのを私は聞いたことがあるぞ。顔だけ水面につけて溺死するのも、立派なものではないかな」
「確かにそうかも知れない。でもそれも最終的には水に頼っているように僕は思うが」
「そういわれればそうだ。本当の自殺・・・素晴らしい響きだ。」
「今のこの時代の日本で、果たして餓死をすることができるだろうか・・・本当の贅沢とは、できることをしないということさ。食べられるのに食べない。こんな贅沢で優美な人生への反抗が他にあるだろうか・・・」
 関に最高の自殺を教えてくれた友人はまだ生きている。関の務める学校の東京の反対側のほうで同じく教員をしている。
餓死・・・。魅力的な響き。
その時、ふっとあたりの軽くなるのを感じた。眠りに入るときのような、夢から覚めるときのような、魂が肉体の出入りをする際のあの感覚である。暖かさを感じた。関の左肩を、読経し終えた住職がその厚みのある掌で優しく包んでいた。
「自然の声を聴いてみなさい。この広大な自然は何と言っている。関君に何を求めているかな。よおく心を研ぎ澄まして、邪念を追い払わないと聞こえない。それはとても小さな声ですからな。」住職はお経のような感覚で朗々と話す。
「人が自然のなかで生きて行くということは大変なことですわな。必ず他の生き物の御命を頂戴しなければならなくなる。かといって、それが嫌だからと思っても、殺さないわけにはいきまへんのや。人は皆、他のものの命を預かっておる。それを神様仏様から許されているんです。せやから、その命、大切にせなあきまへん。天明を全うするのです。それが唯一の神様仏様、並びに今まで頂戴した命に対する最大のお返しになりますんや。いいんですよ。御命を頂戴しているという心を忘れなければ、いつも御命を頂戴していかされているんやゆう心を忘れなければ、それだけで頂戴されるほうの命もこの世に生まれ、生きて来た意味がありますわ。」
 住職の厚い掌は、何か宝玉でも当てているかのように熱かった。停滞し、どす黒くなり、死にかけていた関の燈火、気。住職のてのひらからは、激流のようなそれでいてとても優しい気が流れてきていた。関は思い込む必要がなくなった。
「・・・ありがとうございます」
「捨てる神あれば拾う神ありですわ。あなたはこの寺に救いを求めてやってきた。せやから救われる用意はすでにできておるんや。きっとよくなる。大丈夫。」
住職の顔は、長い年月を生きた証として、皺がだいぶできていた。関もまた若さとは似合わず皺の多い顔であったが、皺の質がことなった。住職の顔には、柔和な皺が出来ていた。眦に集まった優しみの皺。口元にできた微笑みの皺。住職は笑ってなどいなかった。しかし、関には住職が笑っていないと思っていても笑っているようにしか見えなかった。アルカイックスマイルとはこういう顔のことを云うのかと初めてわかった。


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