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憎愛 十二

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十二
芳春院の石庭は、花岸庭と言う。京都の地理に詳しい人は、大徳寺が金閣寺や龍安寺に近いことを知っているだろう。実際、大徳寺に泊まっている関からすれば、自転車を一寸借りて一走りすれば、10分、20分で赴くことができるのだ。特に龍安寺の石庭と言えば、教科書にも掲載されているほど有名であり、また確かに東洋的な芸術性の頂点に位置するものであった。かつて生徒たちを修学旅行で連れてきた際には、関は好んで龍安寺に赴いた。だが、今彼が必要としているのは、絶えず観光客でにぎわっているような場所ではない。石庭がそもそもなぜ存在するのか。自然と人間の一体。調和。農耕の民族であった日本の民族にとって、自然とは神であった。西洋は自然をコントロールすることによって、生活を営んできた。東洋は自然と共に生きることによって今まで生きて来た。その東洋的な思想に西洋的な思想を無理やり取り込んだから上手くいかなくなったのだ。今から百年前、このあまりにもちぐはぐな思想によって精神的困窮に陥った者が居た。言うまでもなく、漱石のことである。関は、結局文学においては漱石を専門としていた。太宰もやったし、また生きている作家を対象とした現代文学、また文学理論、ナラトロジーも勉強していたが、一応履歴に書けるような代表的な分野としては漱石が専門であった。
一寸ここでは正確な出典が思い出されないが、漱石は彼の作品において、電車という鉄の塊が人をすし詰めにして運んでいく様が実に非人間的であるようなことを皮肉を込めて書いていた。凡そ多くの社会人のストレスの温床となっている満員電車は、なによりの害悪である。座席を指定制にするか、あるいは人数制限を設けて人と人とか正常な距離感を保てなければならない。それができぬというのであれば、それぞれの企業が企業同士で連携を取り合い、出社時間をずらすようにするなり、そもそも大きな会社がある特定の区域に集まるのを阻止せねばならない。関は人生に疲れていた。その大きな原因の一つには、先の大いなる喪失がある。が、そうした兆候というものは人間性とでもいうべきようなものは、徐々に徐々に形成されてくるものであり、彼が若い頃からすでにその傾向はあった。関は学生時代に満員電車があまりにも嫌で、しかも学生時代の関は現在よりもさらに神経が過敏で尖っていたため極度の潔癖症でもあった。手すりに触るのも嫌、つり革につかまるのも嫌、極めつけは学校の教室のドアを触るのも嫌だったのだから、関の苦労の大きさは常人でははかり知ることが難しい。
確かに昔の日本では、紙と木だけでできた建築物であったので、プライバシーの観点からすると、壁に耳あり障子に目ありといったような言葉があることからも連想できるようにそうした概念は極めて軽薄であったろう。しかし、考えてみれば壁に耳があろうと、障子に目があろうと、身体的な距離、あるいは精神的な距離というものはかなり守られていたのではないか、関はそう考えた。どうもやはり人と人とが接触するような状況というのは通常の状態ではあり得ることではない。
関は自分と他人の身体が間接的でさえ接触するのが嫌な人間であった。その関が満員電車など乗れるはずがなかった。学生時代は、なんとかそれでも我慢して乗った。人には苦手なもの、得意なものがある。関の苦手なものは自分の個人的な領域に他人が土足でづかづかと侵入してくることであった。そうした苦手を持った者に対して、そういうものが大丈夫だからといって関がなんだかひ弱な人間だとか、我慢の足らない人間だとか勘違いしてはいけない。それは傲慢である。己の長を以て人の短を表すことなかれだ。関にとっては、これは人間個人ではどうしようもないことではあるが、たまたまこの部分が苦手だったのだ。多くの人間はこの分野に左程、たまたま抵抗があり大丈夫だったに過ぎない。
なので関が彼の苦手なことに対して苦心しながらも頑張ったことはある意味大変なことであった。だが、毎日満員電車に乗っていれば、通常の社会人でさえ心を病む。ましてや関がどうなったのかは言うまでもない。確かに関は生まれつき神経がか細く、生きて行くのには辛い精神の持ち主であった。その反面彼は豊かな精神の働き、ものごとの機微な部分を捉えられる緻密な精神の働きができたのである。有名税だと回りの人は思ったことだろう。しかし、関は自分が理解されないためにさらに苦しんだのである。
若さと体力のために何とか精神の弱さを埋め合わせていた彼も、時には電車に乗れなくなることがあった。一種の強迫観念、パニック障害であろう。人は言うかも知れない。そんなに満員電車が嫌ならばもっと早くに出ればいいと。しかし、そんなことは強者の論理だ。関は強者の論理が大嫌いだ。彼が常に弱者であり、社会的に阻害されてきたという意味も込めて。さらに、その論理はどこかで破たんしている。満員電車が嫌なのであればという問題の設定の時点で、満員電車が好きな人はほぼ皆無であることが常識と照らし合わせれば判明する。だとすると、満員電車に乗っている殆どの人はその状態を嫌だと思って乗っているのである。この提案の通りにしてみよう。その人たちが、では満員電車は嫌なので、みんな早く行こうとする。すると、全体的に満員電車になる時間帯が早めになるだけであって、何ら根本的な解決にはなっていない。
次に関だけが特別に早めにでる場合を考えてみよう。つまり全体としてはこの時間帯が満員になるが、関だけは特別に早い時間に乗るということである。この構図は、満員の時間帯を避けるということになる。だが、その代償はなんであろうか。朝早く起きることが考えられる。関はこのように神経過敏の人間によくありがちな、低血圧のような人物であった。往々にしてそのような人物というのは、朝が苦手である。関にとっては満員電車も嫌であれば、朝早く起きるということも満員電車に乗ることと同じくらい容易にできることではなかった。ここに彼の苦悩がある。自分でも確かに早く起きて学校へ向かいたいと思った。当然である。時には満員電車が嫌であると友人や親にも零した。そうして帰ってきた答えが先の答えだ。しかし、彼にとっては朝起きるということもまた苦痛なのである。自分で変えたいと思っていることが、苦痛で苦痛でたまらず、己の力では変革できないこのディレンマ。責任感や正義感の強い関にとっては、自分が悪になるという極めて危機的な状況であった。結局その解消されないディレンマによるずれやゆがみは、すべて精神、ないし心が引き受けることとなる。余計に関を弱らせるだけである。
関は学生時代に、満員電車を前にして、遅刻するということが彼にとっては自分の誇りを傷つける重大なことに思えてならないその時に、しかし一歩を踏み出せなかったのである。スーツを着たおじさんおばさん連中が押し合いへし合いしている中へ、彼は歩むことができなかった。そして遅刻は決定となる。彼はしばらく失念して、駅のホームのベンチで泣いた。関のかわいそうな部分は彼の強固な意志、優れた判断力、認識力、その他もろもろに対して、それに耐えられる精神、肉体を有していなかった点である。彼はつねづねこう思った。身体が付いていかないと。そうして、その口惜しさは、やがて彼の心に黒い染みを拡げていった。
さめざめと泣いた。涙がはらはらと落ちた。ふと関は自分がこれまでどんなに情けなかった人間であったのかを思い起こしたのである。正確には思い起こされたというほうが良い。関は無理をしてきたためか、これまでの自分の不甲斐なさというようなものが、物語的にフラッシュバックしてきては彼を襲った。彼は広大な石庭を前にして板張りの舞台の上に正座していた。後ろの本堂から持ってきた紫紺の座布団を敷いている。
「花岸庭・・・」
この庭の名である。週に一二度、芳春院の住職、すなわち導久の父か、導久自身が白い玉砂利を敷きなおす。なんだゴルフ場のあれと同じ要領じゃないかとそれを聞いて関は思った。しかし、それとこれとでは全く質が異なる。方やスポーツ上の環境の一つであるのにたいして、こちらは一つの自然、天地を表している。そのような軽い気持ちで行ってはならない。遊び半分でそんなことをやればどうなるのか。目に見えた変化はなにもないだろう。だから現実主義者、実物主義者にとっては特に困ったこともなかろう。彼らにはこころというものがないのだから。しかし、僧侶にしても、また関にしても、こころを有する人間にとっては一大事である。石庭というものは、人間が自然との調和を目指して作られたものである。一つには、人間が自然を理解しようとし、きちんと自然を推し量れるように作るという人間側からの側面。もう一つは、自然を忘れて生きると道を踏み外し、養和が乱れるという戒めとして自然から見る側面であろう。石庭を蔑ろにした時点ですでに、そのものは自然との調和を忘れ、ただ只管人間のエゴに走るのみである。

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