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憎愛 十一

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十一
特にこれといった用意もなく、関が気に入っていた、アンティーク調の古い皮の鞄を手に、彼は京都行きの新幹線に乗った。かつてのことが思い起こされる。あのころは、若く、友人たちととりとめのない話をしながら京都まで向かったものだ。席をぐるりと回転して、向かい合って話していた。空は曇り、雪が関西方面を覆っていたとしても、関の回りは暖かかった。
すべてを失い、ことばを失い、もはや残すものは彼の命の燈火だけとなった関は、一人京都へ向かった。外は晴れていた。途中の晴れ渡る空の下、青々と稲の生い茂る生命の強さ。水の滴り。爽快な風。しかし、いずれもまた関の心を癒すどころか、その悲しみを一層深いものとした。
観光という気力もない。関はまっすぐに、あるいは一縷の光を求めて、かつての後輩、導久の下へと向かったのかも知れない。夏の京都。観光で外国人が多い。相変わらず京都の人びとの運転は荒く、信号が赤になっているのに交差点に突っ込んでくる車たち。響き渡るクラクションの音。それらの喧噪をよそに、関はひたすら大徳寺へと向かった。寺のなか、歩くたびになる砂利の小気味の良い音。芳春院の門は、以前来た時と異なり、開け広げられていた。両手を囲む緑の色は蒼い。大徳寺の中に入っても、それまでの京都の喧噪からはかなり逃れられるのであるが、まだ観光客が居たりして、俗世を離れたという感覚はない。ところが芳春院の門をくぐると、ここはもう観光客の入るような場所でなくなってくるため、やっと心の落ち着ける空間にやってきたという思いが湧いた。庫裡の玄関を入ると、建物に似つかわない、現代的な電子音が鳴り響く。来訪客を知らせるチャイムである。すると、住職が出て来た。導久の父親である。
「よういらっしゃいました」恰幅の良い体躯から発せられる柔和な声である。
 関が言葉を探している間に、住職は彼を招いてくれた。
「まあ、こちらにいらっしゃい」
荷物を持ったまま、関はかつても訪れた茶室へと通される。学生時代に来た時分に、すでに還暦を迎えるくらいの年齢であったため、流石に歳を感じられるようになった。人は皆老いる。しかし、そこには以前にもまして、何か包容力のようなものが感じられた。無言のまま、ちんちんと炭の鳴る鉄瓶の様子を見ている。竹の勺でお湯をかき混ぜる。それぞれ面持ちの異なった器のなかから、一つ御誂えのものを選んで出してくれる。緩やかな動作には、それぞれ異なった動作が、どこかでつながっているのではないか、動作の余韻というものが空気中に漂っているように感じられる。抹茶を立てている動作に力を感じられなくなったと関は感じた。以前はもう少し豪快さというものがあったように思えた。その代わりに、流れゆく河のような印象を得た。鉄瓶の左に和尚が座り、右手に掛け軸がある。檀家からいろいろと頂き物をすると聞いた。中には陶芸家の檀家もいるようで、様々な陶芸品が日常に組み込まれている。何焼きなのか関は一寸詳しい知識を有していないのでわからなかったが、藍色の深いえんどう豆のような形をした壺に、笹に似た葉とともに、向日葵が添えてあった。掛け軸には、きっとこの寺のかつての住職の漢詩かなにかが描かれている。山水画がちょこっと描かれている。しかし、あまりにも文字が崩れすぎていて、関には一瞥しただけでは判断できなかった。
住職がたててくれたお茶とお菓子を食べ、やっと一息つけた。美味しいですと言おうとして、ありがとうございますという言葉が出た。そのまま寝床に就くかのように、頭を深々と下げた。
「うん、そうか。ま、しばらく前のように泊まっていきなはれ。ちょっと導久呼んでくるわ」決して心を覗くというような野暮ったい感じではなく、ただ悟ると言った感じで関の心を見て取った住職は、おもむろに立ち上がり、出て行った。住職が関の横を通る際に、何とも言えない香りが鼻を掠めた。部屋には、線香の香りが立ち込めている。それとは異なった、さらに甘い葉の香りであった。
ちろちろという鉄瓶の音がたまにする。なんでも前回きた際には天正三年という文字がここに刻されていて、今から四百年以上は前のものだと聞いた。そんなに長い時間火にさらしていたら、朽ちはしないかと尋ねたが、日々きちんと使っていると特に問題なく使えるということだった。四百年の時の流れ、時の重み。十年前と全く変わることなく関を温めてくれる赤銅色の鉄瓶。なんだかわからないが、不思議なものだと関は心の中で呟いてみた。しばらくして、導久が後ろから入ってきた。
「いや、関さん御久し振りです。」
「急に押しかけてしまってごめんね」
「いいんですよ。関さん、しかし、大丈夫ですか」
「うん。まあ、この通りさ。大丈夫とは言えないが、今のところ生きてはいる」
「眞に今回は辛かったでしょう。でも、前逢った時よりかは、少し顔色がよくなってはりますよ。」
「そうかな。うん、そうかも知れない。此処へ来て、楽になった。」
「ええ、関さんが泊まれるよう掃除しておきましたから、しばらくは家で休んで行ってください」
「本当に済まないね。こんなこと、本当は酷く迷惑なことだと思っているんだけど。」
「いえ、いいんですよ。関さんみたいな方を救うのが我々坊主の使命でもありますから」
「私はたまたま君のような人と仲良くなれた幸運の持ち主だが、他の人はね。辛い人はもっと世の中にたくさんいるのに」
「関さん、辛さというものは、人と比べることのできないものですよ。関さんにとっての辛さは関さんの辛さでしかありまへん。心行くまでここで休んで行きはったらええんです。」
導久は昔から自分の感情が熱くなってくると、次第に京都弁が多くなった。最初は標準語で話していても、会話がスピードアップするにつれて京都弁になる。関はそれがおもしろくてしょうがなかった。関は東京育ちであったから、方言というものを持たない。関にとっては、京都弁というのは聞いていて面白かったし、新鮮だった。何よりも、導久が二つをごちゃまぜで使うのが彼には羨ましく思われた。そうして一寸笑った。
「あゝ、昔を思い出すね。また、いつの間にか京都弁になっているよ」
「ええ、なってましたか。でも、いいんですよ、ここは京都ですもん。大学の時とは違いますんで」
「そうだね。ここは京都だ。」
「関さん、荷物持ちますよ。こちらへ。」
導久に従って関は、茶室から離れに移動した。その日は久しぶりに眠るということが自然と行われた。睡眠剤があってもなかなか寝付けなかったこの頃であったが、薬を飲んでから比較的楽に眠りに落ちた。
睡眠薬を飲むようになってから、夢を見なくなった。関はどこに彼の創作力を有していたかというと、夢であった。いつも枕元には、彼の手帳が置いてあった。洋風の皮貼の手帳である。長年使うことによって、皮の茶色が深みを増してきている。皮独特の匂いに最初は閉口した彼であったが、長年かぎ続けていると手帳の皮の匂いは安らぎを与えるようになった。関は、夢を見て起きると、忘れぬうちにそれをメモした。きちんと目が覚めてから書いたものはいいが、書かなければという気持ちから書いたものには、こんなものを書いたっけと全く記憶のないこともあれば、文字になっておらず、全く読めないものもあった。関は、自分が夢見た素っ頓狂な内容を後から見返して、その奇想天外なものに論理性を与えて行くということで何か新しい作品を考えていたのだ。しかし、夢を見なくなってからは、何も書けなくなった。
朝起きると、関を蝕むのはとてつもない疲労感と、後悔である。特に朝起きたときに、曇りであったり、雨であったりすると気分は悲愴なものになったが、たとえ晴れていたとしても、また一日自分は生きてしまったのだなという気持ちになった。関は、痛みというものは嫌であった。消極的な自殺が望ましかった。眠っているうちに何か意識が溶け出していくかのように死ねないものかと何度も思った。そうして、そのような淡い希望を抱きながらも、それが達せられなかった朝、目を開けて、天井を見て、生きていると思うのである。
ある程度の波というものはあった。同じ生きているでも、それが無性に悲しくなって、しばらく涙を落とすこともあった。絶望に打ちひしがれて天井を睨み付ける日もあった。また、調子の良い日は、生きていてよかったと、泣きそうになる日もあった。

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