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憎愛 七

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 それだけ評論活動をして、論理的に精緻に構成された文体を獲得しておきながら、彼に作品では詩的な文章を散りばめたような文体を用いたのは面白いことであった。清雅は見事に評論家としての自己と、作家としての自己を分けたのである。そうして、作家としての自己を鍛えると同時に、そろそろいい塩梅になったかと思われた時期に、評論家としての清雅と作家としての清雅を組み合わせ始めたのである。元から評論家としては下手な評論家よりも経験の分野で力のあった清雅は、それを隠して作家をしていたと思われる。そうして、作家としての限界を感じた際に、再び評論家として花咲き、さらに今までの二人の自分を混合することによって新たな境地へ入った。評論で特筆すべきは、『太宰治「女生徒」試論‐秘められた反戦メッセージ‐』である。ここで清雅はそれまでの太宰論の中では主張されていなかった、実は反戦のメッセージが隠されているのだという主張を鮮やかに展開している。これを文学雑誌で発表したことによって、作家としての清雅は、さらに評論家としての清雅を社会に認識させることになる。その後、数多くの現代作家論、現代小説論、映画のレビュー、アニメのレビュー、など数多くの論評を展開した。そこから評論家の関清雅は、メディアという媒体への視座も獲得している。『テレビコマーシャルに見る、機械の擬人化。コミュニケーションツールの発達による人間の孤独への試論』では、昨今のコミュニケーションツールの発達がさらに人間を孤独にさせ、悪循環に陥っているという論評を発表し、メディア媒体への深いまなざしを証明している。
 さらに優也が感銘を受け、一時期は自己を投影させるほど陶酔した作品、マンの『ベニスに死す』については『トーマス・マン『ヴェネツィア(ベニス)に死す』試論 本当に同性愛小説として読み解けるのか?』という論文において、それまで同性愛小説として解釈されてきた読みの歴史に終止符を打ち、芸術家の美術の保存の衝動を見事に示したのである。ここで、清雅はアッシェンバッハがこう言っているのを心に留めている。以前にもちらと紹介したが、「言葉は感覚の美をただ讃えるだけで、再現することはできないと思った。」という部分である。清雅の論文では、アッシェンバッハは偉大な芸術家であったために、究極の美に出会ってしまったために、彼の人生は終止符を打たなければいけなくなったという逆説的な展開が説明されている。アッシェンバッハがであったのは、まさしくタージォという完璧な美であった。そうして作品内で言及されている何度もこの少年が長生きできないということを認識する部分を考えると、アッシャンバッハは美を保存する必要性がなくなったために死を迎えることが出来たのであると解釈している。つまり、もしこの少年がこれからも健康に成長し、歳を重ねることがアッシェンバッハの眼に明らかであったなら、彼は急いでその全芸術性をつぎ込んででも、美少年タージォの美術性を保存しようとしただろう。しかし、彼が長生きできないとわかったために、保存を究極の目的とする芸術家はその役目を終え、死をもって祝福されるに至ったのである。人間としての優也は、芸術性を考えた際に、やはりアッシェンバッハが口にしたあの言葉が真実だとしか思えなかった。言葉の限界は、やはり美を保存するまでである。新たな美を構築することはできない。限界は完璧な美をそのまま冷凍保存し、言葉によって固めておくことである。清雅は美の保管、あるいは保存において、言葉の限界を感じた。この一点に関していえば、視覚的には美術の方が優れていると信じていた。彼自信美術家として創作を続けていたが、人間の美については絵画よりも彫刻の方が表現しやすいと考えていた。オーギュスト・ロダンを超える彫刻家が出ていないのは、彼が最も人間の美を石膏と大理石とブロンズのなかに保存することに成功したからである。
 関清雅の名は、一度作家として名声を確保したのちに、評論家としての側面を加え、そうして再び美術の世界で名を轟かせた。嘗て関優也の名で高校時代に活躍した優也が、その後清雅になって帰ってきたのである。優也はこの時期、丁度大学を卒業して母校に教師として戻ってきた頃であった。免許は国語しか持っていなかったものの、社会的に評価されている点を鑑みて、授業外では美術も教えていた。優也が教員になって二年目に、清雅は窪田善明と共に日展に出展している。清雅の芸術家としての腕前は、ここがほぼ限界であった。それは清雅自身が感じていたことでもあった。同時期に窪田善明の元でともに制作の教えを乞うていたタマチカユは、今では一流のイラストレーターであり芸術家としてマスメディアに取り上げられるにいたっていた。タマチカユの絵を、清雅は評論家としてこう分析している。
 「あの、多少グロテスクとも思われるようなキャラクターは、ある意味では現在の社会そのものの象徴である。目が離れて視点が定まらず、どこか呆けている感じ。そうして、あのキャラクターは常に何かしらを被っている。それは着ぐるみなのかもしれないし、あるいはただ毛が生えているだけかも知れない。いずれにせよ、あれは脆く毛のない部分と対比されることによって、おぞましい自己の内面を毛によって覆い隠そうとしている現状の象徴である。そうして、あのキャラクターが牙や爪と言ったものを有しているのは、あの呆けた状況の存在が無意識のうちに非常に危険な状況で相手を傷つけてしまう可能性のある凶器を持っていることを現している。まるで愚かな人間が、火の使い方もまだよくわかっていないのにも拘わらず核爆弾を持っているような感じだ。」
 清雅は自分の居るべき場所は、タマチユカが戦っている前線ではないと感じていた。タマチユカほどの才能もなければ技術もないことは自分でよくわかっていた。それに清雅乃目指すところは、まず文学をより洗練させることと、いつの日か美術と文学を何らかの形で融合したいという思いだった。
 
 三寒四温という言葉を考えた日本人は天才ではないかという評判が立つほど、見事に厚さと寒さを繰り返した春も終わり、式も終わった。新学期が始まってから、休みボケした調子がちょうどよくなってくる時期にゴールデンウィークというものが、そのリズムを破壊するので、教師としての関は、この休み明けの教室をどのようにしてまとめていくかという問題が常に念頭にあった。ただ、ちょうど式はゴールデンウィークに合わせることが出来たため、忙しい職がらの関としては、幸いなことだったのかも知れない。せっかく、春休みのあと、締まりきっていた声帯が開きかけ、授業の調子も良くなってきた先での不幸と、長く寂しい連休のため、休み明けに登校してきた関は、教師としては失格であった。生徒が気を使わなければならないと感じるほど傷愴し、疲弊しきっていた。
 関は根が真面目な人間で、しかもかなり自律し、自らを罰する人間であったので、本来人を失った悲しみという他人と分かち合うことによって癒していくような事柄でさえも、すべて自分で抱え込んでしまっていた。関の授業は生徒には人気のあるほうであった。立て板に水を流すようにカリスマ的な授業はできなかったが、それでもその論理的な展開や、どうやったら生徒にわかってもらえるだろうかという、感覚的な部分がかなり生徒の実情とあっていたため、生徒にとっては実りある授業だったと言ってよいだろう。関の強みは、論理性と感性という通常別個で存在するものが、彼の中では両方相まっていたということだろう。通常論理的な人は、ユーモアにかけたり、融通が利かなかったりすることが多い。反対に、感性が強い人は、論理的な跳躍があったり、心があっちへいったりこっちへいったりして、一緒にいるぶんには楽しいが、授業をするのには向いていないだろう。関は、自分で培った論理性と、芸術的な感性を両方持ち合わせていた。
 ただ、五月に入ってからの彼の授業はとても聞けたものではなかった。何とか頑張ろうとしているのが伝わってきてしまった時点で、教師としては失格であった。生徒というものは大人が考える以上に、というよりは子供だからこそ感覚は新鮮で敏感な部分がある。関の発する言説化できない不穏な空気は、即座に生徒たちに看破されていた。初めの内は授業をがんばろうという気持ちからか、関は声をきちんと出して授業をしていたものの、しばらくたち、そうした意識が薄れてくると、次第に教室の後ろに座っている生徒が聞くのに困難が生じるレベルの声量に落ち込んでしまった。それを後ろの元気な生徒が先生声小さいです、などと指摘すると指摘されたことにショックを受け、その場では頑張るものの、ショックを受けたという様子が生徒に完全に伝わってしまった。
 最も関の精神がよろしくないと生徒に感じられたのは、授業中の沈黙である。あれほど多弁であり、明るい人物だったのが、授業中に沈黙をするようになった。もちろん今までだって一秒も間をあけることなく話し続けるなんていうことはしていないが、通常の沈黙がただの間として生徒たちに何の印象も与えなかったのに対し、今の関の授業中の間は、沈黙のそれであった。間という言葉は、言の葉思想を勉強していた関にとってはどのように感じられたのであろうか。おそらく彼には間という発音は魔にも通じるから、人間ならざるものが通ることによって、人間の通常の運行が阻害されるものだろうと認識していた。そう信じていたからか、あるいは本当にそうだったのかはわからないが、彼が黙った時には本当に魔が通って関の心を奪っていってしまったように、実に重苦しい空気が支配した。しばらくすると、といっても実際のレベルではものの数秒なのだが、それが何分もの沈黙だったくらい感じられるほどの重さが去ると、はっとしたように再び意識を取り戻し、授業を再開するのであった。当然このような事態に、元気があり溢れている生徒たちが何も言わないはずもなく、生徒たちはそれは彼らの純真なる心で、そこに悪気はなかったとしても、親に言ったり、他の仲のいい先生に関の状態を言ったりした。
 この時の関の顔をすこし見ておきたい。
 関は、何をするにしても精神を使用することしかできない人間であったから、肉体はかなり虚弱であった。思考をするのも、文章を書くのも、芸術作品をつくるにしても、どれも精神のみを使用していた。ここに彼の人間としての欠陥のようなものがあるのだが、彼はその論理を持ってして、肉体と精神を分け、精神活動のみをするために肉体の側面をおろそかにしたのである。文化人、教育者としては本来親身一体的な考えをした方がよかったのかも知れないが、天は二物を与えず、彼には素晴らしい精神的な力を与えたが、その思考の一点において多少無理のある論理を展開せざるを得なかったようであった。関は、教師である間こそ教壇の上に立っていたが、それ以外ではほぼ動かない生活をしていたため、同僚の教師と比べても驚くほど細かった。ただでさえ痩せている方ではあったが、不幸が続いたことによって、彼は食欲も睡眠欲も消え失せたため、一気に体重を減らしてしまった。その結果が、皮膚があまり、顔に醜いしわをつくることになった。
 彼の顔の皺というものは、しかしただ単に体重が減って皮膚が余ったからというだけではない。彼がもともと「平成の文豪」と呼ばれた所以は彼が年齢に比例しない容貌をしていたからである。元から彼は老成した顔の持ち主だった。しかし、関が老人の顔を付けるようになったのは、学生時代からであって、子供のころは子供らしかった。関が小さかったころを知っている近所の住民たちは、彼が大人になって急変していったことを目撃している。関は、前にも述べたが交友関係にはかなり恵まれなかった。不幸であった。その時点から彼の人生に影が差しこんだごとく、彼の顔にもまた皺が差し込んできた。先ず、関は人間を恨み、自分以外の人間は敵でしかないとまで思った時期があった。そこでできたのが、鋭い眼光と、しかめっ面である。その際に、人をにらみつけるあまり、眉間と、眉間から鼻の横にかけて一本の深い線が刻まれた。皺の名称というものは、どうやらこれといった決まったものがないそうだが、ちなみにこれはゴルゴ線というらしい。さいとう・たかをの漫画ゴルゴ13に登場する東郷という人物に特徴のある線だからだそうだ。そうして憎んだために、鼻の横から口の横へかけてのほうれい線とよばれる皺が刻まれることとなた。人を憎むと、歯を食いしばる。そうして鼻を持ち上げようとするので、自然とここに皺が生まれることとなるのだ。
 人を恨むのに疲れた関は、その後人間とは何かという人生哲学へふけっていった。それは彼の大学時代に相当する。この時にはすでに前の二つの線が刻まれていた。そうして、次に深い深い思索へと陥っていったため、今度は答えの出ないような問題を考え続けた結果さらに眉間に皺ができたのと、額に皺が出来た。どれも皺というものは人間を恐ろしく老けて見せる効果があるが、関の場合は痩せて余った皮膚に加え、それらが典型的な線となって顔面に刻されてしまったことが歳をとって見えるようにさせてしまっていた。
 人間の歳の取り方というものは、年齢相応なのが善い。若作りしている人間が多くの人々に気持ち悪がられることがある。本当は50代なのに、60代なのに二三十代のような気持ちや恰好をしていると、あの人若くてステキという心情よりもなんだかがっついている、若さに執着しているという認識の方が強いようだ。何故だが若大将の歳の取り方は共感ができるのだが、郷ひろみは気持ち悪いと言われることが多い。反対もまた然りである。若さを保っている若大将のように、実年齢より歳をとって見えても、それが似合っている人はいる。そうしたものを老成しているとか、早熟とかいうのかも知れない。関の場合はどうであろうか。少なくとも人生の疲れとして刻まれたこれらの皺は、彼にとっては不幸ではあったが、人間全体においてありえないことではなかったので、歳の取り方としてはいささか歳をとりすぎてはいたけれども、ある程度享受された。関がメディアに取り上げられた時には、彼の年老いて見えるのを驚いた人間が多かったが、たまには実年齢をみて、偉そうにと糾弾する人間もいた。
 肌は黄色人種の典型と言ったような、黄色がかった色で、痩せているせいで欠陥は浮き立ち、観ていていいものではなかった。それが、今回の不幸のために、ぐっと死の気配が深まったように、誰もが見えた。学校の廊下は、震災があってから節電のために、陽が出ている間は消すようにされていたのであるが、廊下の壁に窓が配置されているとはいえ、ある部分は窓がなく、そこだけ陽が当たらないようになっている場所がある。チャイムが鳴り、教室で騒いでいる生徒たちは、教職員室のある管理棟から曲がってきた教師陣たちをみて、次の先生が来たと準備を始めるものであるが、関が廊下を歩いているさまは、そうした心浮き立つ若い人間の精神を凍てつかせるほど恐ろしい様相であった。関が日の当たる部分から、陽の当たらない部分へ入ると、手前の地面に当たって跳ね返った光が関の下からあたり、その皺がぞっとするほど浮き立って見えた。影のせいか肌は黒く、眼球の閃光のようなものが煌々と光っているのが見えた。皺は浮き立ち、羅生門に登場する脱衣婆が現れればこのような恐ろしさかと思われたほどであった。休み時間の興奮の冷めやらぬわかい精神の持ち主たちも、この死に囚われた人物をみれば、さっと冷や水を浴びせられたような感覚になった。この時点で関を死から最後まで遠ざけていた存在はなんだったのであろうか。ある意味彼はすべてを失っていたはずであった。彼は精神を病んで死の縁に一度立ったことがあったが、その際には消極的な生ということだけで、死を好んではいたが、望んではなかった。今回もまた死んで楽になりたいとは思っていても、積極的に死にたいと思っていたわけではなかった。ただ、それでも彼を教師として教壇に立たせるまでに奮い立たせていたものは、やはりそこになるかあると考える方が妥当であろう。関は、自分が失った愛すべき存在や、あるいは若さというものなどを混合して、自分の生徒に、とりわけ女子生徒によりどころを求めていたのであった。
 死に取りつかれた反面教師が教壇に立っていられるほど、社会の目というものは優しいものではなくなってしまった。昔であれば、その教師が回復するように何とか周囲が手を尽くして介抱へ向かっただろうが、現在の社会においてはダメになった人間は切り捨てるという思考が先行する。これは皮肉なことにも、関自身が彼の著作のなかで批判していたことであった。彼は文学者と教育者という両方の側面を持ち合わせていたので、人間をどう育てるのかという点に関しては一本の筋を持った人間であった。彼は昔のコミュニティーは、確かに周囲の目というものがかなり強くあり、ヒステリーを起こしてしまうような人が出てくるくらい閉塞された空間であったことは確かだが、ダメになった人間に対してはもうすこし寛容であったと述べている。人間がまだ、人間として人間と接していたころ、能力的にあまり芳しくない人でも、それぞれやっていける隙間のようなものがあった。しかし、特に戦後から、非常にカリキュラム的な制度的なものが強く人間を縛るようになってから、そこから外れるような人間は不適合者としてはじかれ、社会から切り捨てられてしまうということが生じるようになった。良い意味でも悪い意味でもそこに存在した隙間を、埋めて行ってしまったのである。隙間は確かに無駄なのかも知れない。しかし、無用の用ということもあるし、隙間がないと軋轢が生まれる。現在の人間はその軋轢のなかでいているから、軋んだ音が聞こえるのである。この軋む音が生苦しさである。
関が、まだ社会人として地位も名声もあったころは、その隙間を造らなければならないと主張していたが、はじかれる側の人間となってはその主張もむなしく、切り捨てられる対象となってしまった。彼は自分が救おうとしていた部分の人間になってしまったのである。あるいは自分にとってもその隙間が必要だったのでそうした主張をしていたのかも知れない。あるいは自分がはじかれてしまうことを予見していたのかも知れなかった。
教師として、また人として廃人と化してしまった関のことを糾弾し始めたのは、生徒でも同僚の教員たちでもなく、保護者達であった。当然と言えば当然のことかも知れない。自分の大事な子供を高い授業料を払って教育を受けさせているのにも拘わらず、そこの担当の教員がいくら社会的に有名とはいえ、精神的によろしくない状態であれば、それは子供たちにとって良い影響があるとは言えない。むしろ、そうした先生の状態が子供たちにも何かしら悪い影響を与える可能性があると考えるのが親たちの意見だろう。実際問題、教師が精神的にまずい状態であれば、子供たちというものは意外と優しさを持ち合わせているものだ。中途半端にヒステリを起こしたりする教員に対しては、そんなことまでするかと思われるほど残酷な仕打ちをして見せることがある教育現場ではあるが、誰の目からみても、死に囚われているようなかわいそうな人間をみて、とどめを刺してやろうという魂胆が生じる生徒はその学校にはいなかった。子供たちは、そうした部分には意外と豊かな精神を持っているのである。あるいは、乙武洋匡氏が教員として教壇に上がった意義は、ここにあるのかも知れなかった。つまり、乙武教諭には、当然ながら生徒が喧嘩をすれば止める力もなく、また教師に対して暴力をふるう生徒が出て来た場合はただ殴られるだけになるだろう。しかし、誰もが人間としての心を持ちうるかぎり、乙武教諭に対して暴力をふるうこともなければ、誰かが察して喧嘩を止めるであろう。反面教師というわけではないが、五体不満足であったとしても、そちらのほうが生徒の人間性を高めるのには有効なのかもしれない。しかし、それは保護者が許さない。保護者というものは、自分の子供がというよりは、自分がそれを許せないのであろう。通常ではない状態の人間に教えられれば一体どうなるのか、ありもしないリスクばかりを引き出してきて、この点に関しては関清雅という作家などよりもよっぽど想像力があるが、通常の、平均の、最も安全な状態に改善しろと訴えてくるのである。保護者、特に母親達というのは、論理的に考えれば、もしかしたら空から隕石が降ってきて当たるかも知れないから子供は外を歩かせられないといったたぐいの理論とほぼ大差はなかった。

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