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憎愛 六

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 優也にとっての親友は、彼の表記に従えば「眞友」とした方が正しかった。優也は彼の文学作品のなかにおいて、現代作家では珍しく、積極的に表記に対して新しい漢字やことばを当てることを躊躇わなかった。それは、彼が感銘を受け、そうして偶々その人物の没日と、優也の誕生日が同じだということで、彼が秘かに生まれ変わりではないかと感じていた夏目漱石に倣ったものである。夏目漱石はかなり自分の好き勝手に言葉を選び、また漢字を変え、送り仮名を変えたりしている。それは深い漢籍の教養からきたものであったが、優也はそのような知識はなかった。
 有吉の存在が彼の人生に登場したことによって、深く悲しみに包まれていた彼の薄暗い人生には、一つの灯篭が浮かび上がってきたように見えた。有吉は紛れもなく、優也を救った人間である。優也はここにきて、初めて人間性の回復という言葉の意味を理解した。優也の美術の師であった窪田善明の美術性は、人間性の回復というテーマに求めることが出来た。これは窪田善明が、ある展覧会で賞を受賞した際の作家のことばである。
「ふと『我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか』という名作の題名が心に引っ掛かっている。嘗てゴーギャンに傾倒したことはないが、『人間性の回復』や『命の連鎖』をテーマに制作する私の世界観に重なる言葉だと感じる。人間が重ねて来た歴史の功罪、その中で引き起こされた悲喜劇を私たちは日々目撃している。私たちの魂は、傷つき悩みつつも悲しみを乗り越え、希望に向かって進んでいると信じたい。絵画は、その希望や祈りを実現できると思う。」
 優也はそれまで窪田先生の先生としての一面しか見ていなかったことを悟った。いくらプロの画家と言っても、普段から芸術性を学生の前で披露するわけではなかった。優也は高校時代には、窪田先生が芸術家としてどのように感じ、考えているのかということを、真剣に考えたことはなかった。こうして明文化されたものを見たとき、優也は初めて新しい感覚を覚えた。窪田善明の言う『人間性の回復』。窪田善明は、その人生の中でどのようにして、何を失ったのだろうか。このテーマを考えるということは、窪田善明がどこかしらで大きな人間性の喪失を得たということである。だが、優也はそれを直接聞こうとはしなかった。それは第一に自分の恩師に対してそのような詮索をするのが失礼だと感じたからであった。そうしてその次に、彼の作品と芸術性は、彼そのものではないので、それを聞いても参考にはなっても、本質的な理解にはつながらないと思っていたからである。どうして彼が「人間性の回復」をテーマとするのかということを追い求めたとしても、それは窪田善明の理解につながるとしても、彼の作品の理解には繋がらない。窪田善明は、自分の作品のテーマが「人間性の回復」であると言っただけで、自分の人生がそのテーマであるとは言っていない。そうして、作家として優也も、自分のテーマを自分の人生のどの点において体得したのか、どんな経験があるのかなどを、たとえ親しい人間にも詮索されたくないという感情があった。
 だから優也は窪田先生にあらぬ詮索をしなかったわけだが、この言葉を見て、優也は自分の作品にもそのテーマを参考として取り入れることにした。優也が有吉という唯一気が置けない眞友を持ったことと、この「人間性の回復」というテーマに触れたのはちょうど同時期であった。優也の作品制作はここで一段階つくこととなった。
 その後優也が本格的に力を入れていったのは、専ら文学作品の創作であった。優也はその文体を自称没後弟子であり、自称生まれ変わりである夏目漱石に倣っていた。また、漢字の組み合わせや言葉の合わせ方などは泉鏡花の『女系図』にも倣っている。優也の文体は、しかし、漱石が落語を筆記することによって得た散文調で多弁な文体とは異なり、非常に詩的な文章を書いた。同時代評としては、綿谷りさとも、池澤夏樹の後継者とも呼ばれたあの独特の文体である。
 漱石や鏡花によって得られた独特の言い回しや言葉と、言葉と言葉を紡いでいく詩的な方法とによって、優也は「平成の文豪」という異名と共に、筆名を清雅として華々しくデビューした。清雅を優也はきよまさではなくせいがと読ませた。そこにはこのような意味が込められていた。まさしく人間の汚い部分を見て来ただけにあって、太宰治の『女生徒』にあるように「美しく生きたい」という想いが何よりもあった。清雅はこの作品を解釈するにあたり、この美しさを清さと同質のもとの認識した。清雅はこのように、優也自身が清く生きたいという強い願いによって、まず清いという字が選ばれたのである。そうして、優也の家系のなかで排出された芸術家の一人に日本の伝統文化の一つでもある菊人形を作る女性が居た。その女性は優也の祖母であった。優也は特別この祖母にかわいがってもらったのを今でもありがたく思っている。無条件に優也のことを愛してくれたのは、両親よりもこの祖母だったのではないかと、今思い返して感じていた。この祖母は実は優也とは直接血がつながっていなかったのである。それはこの家系図の一つの謎になっていた。優也はそれを知らなかった。その女性は恐らく自分との直接の血の繋がりが無いことも含めて、余計に愛情を注いだのかも知れない。その女性はこの家系からかなり異端として存在していた。まず彼女はとても霊感が強かったのだと、優也は祖母が死んでから後に大人になって聞かされた。その祖母は回りの人間に自分の心霊体験のようなものを幾度か聞かせていたようである。その霊感の強い祖母は、優也の下の下に生まれてくる子どもが女の子だということを言い当てている。ただ、その祖母は予言めいたその言葉を残して間もなく脳梗塞で倒れ、それ以降認知症も重なり言葉を発しなくなってしまった。それはまだ優也の幼いころだったので、優也はいまでももう少し自分が早く産まれてくるか、祖母が倒れるのが遅かったらと、とうてい叶わない願いをいつまでも続けていた。その祖母が優也に対してはなった直観のような、予言のような言葉のなかにはこんなものがあった。「この子はいい子だ。人の苦しみや辛さがわかる子だ。」「あんまり身体が良くない子だ」「この手先の器用な、この手が何か書く仕事を与えるだろう」
 祖母はこれらの言葉を優也がまだ小学校に入る前にはすでに言っていた。祖母が倒れたのは、優也が小学生の中学年の頃である。優也の両親は、それらの言葉を覚えていて、倒れて口の利けなくなった祖母のお見舞いの時には必ずと言っていいほどそのことを優也に述べた。そうしてそのような話をするときは、はっきりとした意識があるのかわからない祖母も、不思議とそれ祖母が語っているような雰囲気を優也は感じた。この優也の祖母たる女性の雅号が、「紅雅」だったのである。祖母が何故この雅号が使用したのかは、結局それを知りたいと思ったころにはすでに脳梗塞で倒れて口がきけなかったので、終ぞ優也は知ることが出来なかった。祖父も何故自分の妻がそれを使っていたのか知らなかった。ただ、この雅号が、彼女の息子である、優也の父の名前の一文字であることは確かだった。関一族の父方の家系には、優也が自分の雅号に雅という文字を使用することによって、雅の一字が三代に渡って引き継がれることになった。雅という言葉は、言葉に敏感な清雅にしてみれば、とても美しい言葉であった。第一にみやびやかという意味がそこには込められていた。紅雅も、優也の父も、清雅も、他人から見たらみやびやかという言葉を確かにイメージさせる人物であった。紅雅と清雅は、まさしくその作品においてもみやびさという日本の美しさを湛えた作風であった。上品で、風雅、優雅。こうした何処か浮世離れしているような形式的な美というのも、清雅は好んだのである。清雅の文学性とは、江戸っ子の漱石から引き継がれたように「粋」の文学性でもあった。だから清雅にとっては、太宰治を筆頭とする無頼派のような人間としてぼろぼろになりながらなお生きるという生き方を粋だとは思えなかったのである。太宰は人間失格で仮面を被って生きて来たということを主人公の葉造に言わせているが、清雅はだったら作風でも仮面を被ればよかったじゃないかと厳しい批判をしている。雅について、清雅が見出した意味合いはまだある。あでやかやなまめいて美しいというのは清雅が好んだことであった。そうして、何よりも正しいという意味があるのを知って、優也は自分の雅号にこれを選ぶ最終的な判断を下したのである。優也の人生において正しさとは何かを求める青年期であった。何が正しいのか、正しいことが行われなかったために、自分は酷い目にあったと思っていた。優也は自分にこの異名を付けるにあたって、清く美しく、そして粋であるようにと決心して付けた。
 関清雅が文壇デビューしたのは、『一滴の想ひ』であった。優也の高校時代の、辛い冬の時代の後に、わずかながらも幸せだと感じることが出来る期間があった。その期間にちりばめられた幸福を、集めて結晶化させたような小説であった。この作品が優也二十歳の時のデビュー作である。優也はこの作品が処女作となった。しかも、ほぼ書下ろしに近い状態であった。優也は自分の作品を読むのを非常に嫌う人間であった。自分の作品を人よりも読まない作家というのは、なかなかいないものだが、日本ではこちらの表題で通っている『モンテ・クリフト伯』こと『巌窟王』を書いた、アレクサンドル・デュマ・ペールは自分の作品を読まない人間だったらしい。真偽のほどはわからないが、死の間際になって、自分の作品を読み返しつつ「いやあ残念だ、結末を読み終えずに死ぬとは」と言って読み終えぬうちに死んだという逸話が残っている。そうして、また『老人と海』で知られるアメリカ文学の代表格でもあるアーネスト・ヘミングウェイは失われた世代と呼ばれる彼が、その価値観を失ってからパリへ逃れるようにして移住した先で、煌めくパリの想いでを記した『移動祝祭日』の中において記している。現代文藝と現代芸術を大きく拡大するのに尽力したガートルード・スタインは、彼女自身の作文を読みたがらなかったらしい。
 優也は自分の文章を後で読み返すことになって、あまり時間が過ぎていないと主観的になり、時間が過ぎると客観的になるものの、どうしても過去の記憶があるのでそれが邪魔になって客観的に読むことが出来ないと憤り、自分の作品を読むことを放棄してしまった。そうして、その言い訳として自分の作品を読まない人間もいると言い張ったのである。しかし、彼の場合はその作風が詩的情緒に溢れているということもあって、流れるような文体のなかで、どこかを後から捏ね繰り回すというのはあまり望ましいことでもなかった。言葉の細部を変更する程度しかできなかった。国文学科の人間として当然作家の研究もしていた優也であるが、所狭しと書かれた作家の構想ノートや、いつまでも作品の構成まで変えつつ捏ね繰り回す作家を知って、とても自分にはできないことだと感じた。作家関清雅の文学性は、そのような構図や構成に重きを置くよりは、むしろ感情の迸るままに流れ出る言葉の川を、理性によって徐々に整えていくという過程にこそ注意を払うべきであろう。
 デビュー作『一滴の想ひ』が「平成の文豪」という異名を取ってデビューすると同時に、清雅は矢継ぎ早に作品を発表した。一つは優也の制作スタイルが書下ろしに近いものであったという点と、もう一つは明らかに原因のわからない焦燥感に駆られていたからである。優也は何か得体の知れないものに怯えていた。それもパトスやリビドーと言った強力なものに似ているものの、その中には明らかにタナトスの力も含まれていた。強く美しく生きようと願いながらも、死に近づいているようであった。優也の命の燈火は、この時「短くも美しく燃え」ていたのである。一時的に輝きを増すために、命を削りながら輝いていたのであった。それは日本的に考えれば、自分の身体から羽を抜いて生地を織った鶴のようでもあった。作家関清雅は、何としてでも書き続けなければいけない、今書かなければいけないという強い衝動によって、身を削りながら文筆活動を続けた。
 清雅が次に発表したのは、『一抹』であった。ここでは自分を投影させた主人公が、一人の少女との恋の記憶をかき集めて一つの形にしようとする物語であった。失われてしまったものを、必死にその破片を集めることによって形にしようとする、ある意味では芸術の普遍的な問題を扱った作品であった。だが、これはストーリー性を重視する現代の読者からはあまり受け入れられなかった。その次に発売されたのは、清雅の代表的な作品の一つになった『Kの黒点』である。私という語り手が、ジャーナリストとなった現在において、Kという男が逮捕された記事を目にするところから始まる記憶の追想の物語は、Kという男の謎を解き明かすと同時に、それは人類の暗黒面をも照らすものとなった。普遍的な悪への考察をも含んだこの小説によって、清雅は芥川賞を受賞するに至った。清雅にとっての文学性とは、何度も何度も自己の内面において過去を反復し、一体どこで自分が間違ったのか、あるいは人間性の喪失をどこでしたのかを追い求め、何度も再生と成功への道を探すものであった。その結果、清雅の文学には、記憶の追想という形式がごく自然体として取り込まれることとなった。清雅が異国への憧憬の念を募らせていた結果生まれた作品が情熱的で幻想的な詩散文となった書簡小説である『アラビアの手紙』である。嘗てまだ見ぬ異国の地スペインのグラナダに果てない想いを寄せたメキシコの作家アウグスティン・ララは『グラナダ』という幻想と創造の入り混じったメキシコ的情熱さをもって鮮やかに歌い上げている。芸術を理解しないつまらない読者が、現実と作品を混合し、リアリズムがないと大声を挙げて叫ぶ中、一種ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケスが大成したマジックリアリスムの手法を採用しつつ、蜃気楼のような幻想的な小説を書き上げた。書簡を通じて記憶の追憶をすることによって、現実と非現実の境界線の危うさを指摘したこの小説も大きくヒットし、現代文学から廃れていたマジックリアリスムのジャンルを再び活性化させた。この系統の作品としては、清雅は夢を扱った『夢七夜』が連作と言うことが出来よう。夢の世界を旅するという在り来たりなテーマではあったが、夢というテーマと、彼の文体のひどく抽象的なものが読者の詩的感覚を擽ったようであった。ほとんどの小説を一人称でしかも抽象的に書くことによって、清雅の文学はかなり多義的であった。それは彼が何よりも大学で学んだことの最も大きな価値観であったからである。多義性があるテクストこそ文学の研究対象たり得たので、清雅はそれを自分の小説のなかに取り込むために、敢えて漠然としてすべてを語らないという手法を取ったのである。しかし、いくつかのそうした小説を書くことによって、清雅はもう少し具体性のあるものは、人称を変えてみたいという思いを抱くようになった。そうして、試行錯誤の末まず清雅は自分の文学を破壊することから始めた。
清雅はそれまで純文学作家としての名声を確保していた。その保守的な人間である彼が、それにも拘わらず、ライトノベルへ転向したことは、大きな転換期と呼ぶことが出来よう。清雅は大学での学生生活を振り返り、それを三人称視点から、それぞれの派閥が戦うありさまを活き活きと書いて見せた。そこでは登場人物たちは大学が仏教大学であったということもあり、法力を使える存在として登場し、それぞれ戦うという現代の若者が喜びそうなテーマを選んだ。清雅はしかし、そこで戦う原因となるのは人々の慾が原因であり、そのために生まれる悲劇をも上手く隠して忍ばせておいた。それが清雅の人間をまだ許せていないことを現していた。『こまび大戦』と名付けたこの作品で、清雅はライトノベルのジャンルへも進行した。この作品では、また人間の組織というものへの深い言及もなされていた。
試行錯誤の中から一時停滞した時期が生まれた。しかし、清雅はその文学の停滞を、自分の鍛錬の時間だと考え、丁度大学を卒業し、文学研究への一通りの学問を修めたということもあって、人気作家としての地位を利用してそれぞれの文学雑誌の書評やレビューを執筆することとなった。優也自身は、大学の国文学科で首席になるという偉業を成し遂げた。当然そこには現役大学生にして芥川賞作家としてのレッテルが大学教員の眼を寸分狂わした可能性もあったが、それでも優也は誰からみても努力していることは明らかだった。清雅の評論活動は、既に大学に入った最初の夏から始まっていた。それまで芸術と文学をただ受動的に感じるだけであったが、それを評価してみたいという情動が起こったのである。それを優也は清雅の名を冠することによって、自分のブログに掲載していた。このブログは、一人の大学生が本気で評論したものをただ只管に掲載していくというだけの、一般人からしたら無味乾燥にも思えるような小難しい内容のブログであったが、名もない大学生のブログにしては、一日に数百人の来訪者が訪れるほどの大きなブログとなった。世の中には、こちらが本気でぶつかれば、本気で返してくれる人間が何処かにはいるようである。清雅はそれをほぼ毎日続けた。例えば夏目漱石は、彼の文体を創るために落語を明文化することによって筆を鍛えた。音楽評論家であった、故吉田秀和は誰でも分かる音楽の情景を描写するために、彼は自分が書いた音楽評論とほぼ同じくらいの量になるだろうと思われる文量を、相撲の試合を文章化することに費やしている。他の作家がどのようにして文章力を鍛えたのかはわからない。しかし。清雅はほぼ毎日と言っていいくらいのインターバルで、只管作品の評論を続けた。一年、二年と続けて、彼は百万文字を突破している。同じく大学の友人で、源氏物語を読み解くゼミに入っていた友人に一度優也は尋ねかことがある。
「君が研究している源氏物語ってあれ文量はどのくらいあるかわかるかい」
そこで帰ってきた答えが、「百万字を超えている」という言葉だった。その友人は態々調べて優也の質問に答えたらしい。優也はまた独自に、翻訳されているので、本質的には意味のないことではあるが、ユゴーの『レ・ミゼラブル』が何文字か知りたくて、一ページ当たりの文字を数えて、全体の文字数を計算したことがあった。翻訳は辻昶に拠った。優也の計算によれば、ざっと百三十万字であった。勿論原文はフランス語で書かれているため、言語が異なるものに翻訳されたものを数えても意味がないことはわかっていた。日本語に訳す場合は、多少ほかの言語よりは文字数が減るのが一般的である。音韻文字を使用している日本語は、言葉一時が現す意味がほかの言語より多くなるからである。さらに翻訳した際に短くなるのは中国語である。全てが漢字によって意味で翻訳されるため、あの長大な『ハリーポッター』でも、外国人から見たらどれだけ削ったのかと疑いたくなるよう短さになる。ともあれ、評論家としての清雅は大学二年の時点ではすでに百万字を超えた文量を評論として執筆していた。清雅は自分でも認識していたが、その評論活動の御蔭で、論理的思考が鍛えられたのと、作品を体系的に分析することに成功していた。

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