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憎愛 五

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 芸術家の本質とは何であろうか。芸術家とは何をする人間であろうか。最も世界で読まれた『マネジメント』の本を執筆し、経営学という学問を起こしたマネジメントの父ピーター・ドラッカーは、まず定義づけから始めなければいけないと述べている。そうして、当たり前と思われている答えほど実はだれもよくわかっていないことであり、それを考えることが重要なのだと述べている。芸術家とは何をする人間であるか。誰が「顧客」になるのだろうか。
 グスタフ・フォン・アッシェン・バッハは20世紀最大の芸術家のひとりとして描かれているが、その彼がこのように悟っている部分がある。「言葉は感覚の美をただ讃えるだけで、再現することはできないと思った。」作家であるトーマス・マンは彼の言葉を通じて何を述べたかったのだろうか。優也は一人の作家として、また芸術家として、『ヴェニスに死す』のバイアスの解放をしようと決心していた。
 優也が芸術方面で当確を現したのは、高校時代からであった。優也はそのころ丁度人間というものを恐ろしく信じられないほどに心を打ちのめされていた時期であった。教室では失語症になったのかと思われるほど、何も発しなかったこともあると以前述べた。しかし、その彼がなぜ学校へなお通い続けたのだろうか。教室は苦痛でしかない。他人は自分を利用する対象でしかない。そのような中へなおも彼がかなり消極的ではあるが、勇敢にも入っていくことをやめなかったのだろうか。優也はきちんと出席していた。遅刻や保健室登校などをすることはなく、ずる休みもせず、体調が悪くなる時も時にはあったが、激しい怒りで自分の身体と精神を叱咤して、学校へ通い続けた。一つには、こんな愚かしい人間のために自分が妥協するのは許せないという思いがあったのは確かだ。しかし、そのような感情だけで当然学校へ行く意志が続くはずがない。優也の最も学校へ行こうという情動を助けたのは、美術であった。美術への愛と、美術室と、美術の教員であった。優也が目の当たりにしたのは、人間の醜い部分であった。必然その反動として優也は美しいものを見なければいけないという強迫観念に襲われた。芸術の血が、ある意味では人間の酷い仕打ちによって目覚めさせられたのである。本当に美しさというものを知っている人間は、その対極である醜さにも熟知しているものである。反対から言えば、本当の美というものに到達するには醜も見なければいけないということである。正義を知っているものは、当然悪を知っているのである。でなければ正義とは何かを定義づけすることが出来ない。愛を知っている人間は、憎しみを知っているのである。憎しみを知っているからこそ、人を愛すことが出来るのだ。
 優也が人間の醜さを知るということは、神様が仕組んだある意味必然だったのかも知れない。優也は当然非常に苦痛を味わったが、その結果美を見極める審美眼が開花された。その審美眼の素質を見抜いたのが、現代の美術家として日展に出展するほどの実力を持ちながら教師という職業をも掛け持っていた美術の先生であった。名を窪田善明(よしあき)と言った。この窪田先生は、丁度人生五十年を迎えたぐらいの年齢で、彼の芸術家としての人生で脂がのってくる時期であった。愈々高齢の巨匠と呼ばれる芸術家たちにこれから加わろうかという頃合いであった。窪田先生が何故それだけの実力がありながら、教師という職業を掛け持ちしていたのか、優也は今になってこう解釈している。勿論高校時代、直接先生に尋ねたこともあったが、教師と生徒という関係上本心かどうかはわからない。多少脚色がはいることもある。優也は自分も窪田先生に見習って、芸術家として花開いていながら、教師としての職業を掛け持ちするというスタイルをとって、実感として当時の先生の心情を解釈したのである。一つ目の現実的なレベルの問題としては、やはり芸術という自分の才能一つだけで勝負するなかで、その芸術性が失われた際のリスクを考えなければいけなかった。窪田先生は確かに身体が悪かった。時に腰痛を非常に訴え、ギプスをしている姿を何度か目にしたことがあった。この身体への不安、いつ自分の身体が動かなくなって、筆を持てなくなるかも知れないという恐怖が、安定性のある職業を手放したくないという方向に感情が向かったのだろう。そうして、またそれとは相反する部分が少しあるが、自分の才能を生かすという面では、教師もまた才能の一つであった。決して安心したい、安定したいという利己心だけから来ていたものではない。事実教師として教えることにも楽しみを覚えていたのである。そうして、教えるという能力もまた、自分の芸術と並ぶ才能であると認識していたのである。そうして最後に、人間としての向上するために教師をしていたのである。やはりどうしても苦労というものは必要になってくる。苦労はしないに越したことはないという思想と、反対に苦労はお金を払ってでも買えという思想がある。芸術家は一般的に苦労をした人間である。苦労をしたために、自分の芸術性が開花されたと多くの人間が意識、無意識関係なしに感じている。だから敢えて教師という人間を教えるという極めて厳しい環境に自分を置くことによって、自己を向上させようという心持があったのだと優也は解釈した。
 優也は当然教師の目からみても、明らかに人間に対して何か諦念のような眼差しを持っているように映った。同世代の生徒からも、諦念という言葉が浮かばなかったとしても、死んだような目をしていると、多少人間観察に優れた生徒なら思ったはずである。まして、窪田善明は、日本の芸術分野である程度顔の知れるほどの実力の持ち主であった。美と醜を当然見極め続けてきた人生の中で、優也の状態がどのようなものかを見極めるのは造作もなかったことであった。窪田先生もやはり両親との関係においてあまり幸福な身の上とは言えなかった。父との不和、母の早すぎる死。そうしてその母の死が父との不和とから来るものだと長年思い続けていたこと。こうした事情を優也は窪田先生と長く付き合っているうちに聞く機会に恵まれた。窪田先生は、自分の授業の短い時間を通じて、優也の人間に対する根本的に憎しみを持っているという目を見抜いた。そうして、人間に対して善く接しようとすることを諦めているのを見抜いた。また、優也の審美眼が開花されつつあることも感じ取り、そうして彼が作ったものをみて芸術への深い造詣と、技術的センスに溢れていることを悟った。教師の愉しみの一つは、窪田先生が優也に出会った時のように、金の卵を発見し、それを自分の手で育てることが出来るというものがある。これはどの職業にも与えられない、教師の特権的な関係性であった。
 優也は見事に窪田先生の付きっきりの指導のもと、実力を伸ばして行った。優也は自分の母親からも自然と芸術的なセンスを吸収して育っていた。なので新しい芸術のセンスを窪田先生から吸収することによって、相対化され飛躍的にセンスを爆発させたのである。優也の芸術性は静と動であった。これはまさしく彼の引き継いだ父と母の家系の血そのものであった。感情を爆発させようという強い力と、それを制御し、人間として理性的に生きようとする怜悧さとが合わさったものであった。高校時代は粗削りながらも、窪田先生の指導と、善い働きかけで幾つもの学生コンクールで見事な成績を収めた。元から、この学校には芸術家として有名な窪田先生に教わりたいということで、敢えて美術学校には行かずにこの学校に入ってくるという生徒もいるくらいであったので、窪田先生のもとで美術製作をする情熱のある人間は多かった。窪田先生自身は非常に静かで、滾々と湧き出てくる情熱を絵にしていくという恐ろしく静謐な人間であった。だが、生徒には優しかった。それでも、生徒はやる気のある人間しかいなかった。自然と情熱と才能のある人間が集まることによって、やる気のない人間は排除され、常に向上しつづけ互いに影響しつづけるという良い環境が生まれていたのである。窪田先生のもと、美術部は多くのコンクールで団体としての成績も修めた。特に優也の代が優れていたのは、その後優也が教員として再びその学校へ帰ってくるころには、当時一緒に美術室で制作をしていた人間の名前がメディアからちらちらと聞こえてくるほどであったからである。優也はその後、高校時代にかなりその業界で有名になったということもあり、美術系の大学へ行くことを勧められたが、優也は文学を学びたいと思っていた。そうして、周囲の勧めを断り、文学部へ入学したのである。回りの大人たちは落胆した。このまま美術の路へ行けばある程度名前が売れるだろうと思ったからである。ただ、窪田先生はこのことに関しては沈黙を守っていた。
 優也はしかし、自分ではこちらの方がいいと思っていた。それはまず、彼が母と窪田先生というセンスの異なった芸術性を吸収することによって自己の内部で相対化されたからであった。優也はもし、このまま自分が美術の路をすすんだとしても、自分の予想できる範囲内でしか能力を伸ばすことはできないと感じていた。つまり、自分の限界を予測することが出来たのである。それは美術一筋で生きていく最低のラインに近かったが、それでも美術だけで生きている人間の数を考えると、美術をやる人間としては願ったりかなったりの状況であった。しかし、優也は一旦美術から離れることを自己に課したのである。結果としてその選択は正しかった。
 優也が高校のころ、人間を恐れ人と交わらなかった空白の期間、何をしていたのかというと、今述べた美術のほかに文学であった。自分が信じていた人間にこっぴどくしっぺ返しを食らったので、優也は人間を知らなければいけないと悟った。そうして人間を知るには最も適した、そうして手っ取り早い書物にあたったのである。書物は人類の宝である。書物は本である。本は言葉によって書かれている。人間が思考する際、一体なにで思考しているのかというと、それはイメージということもあり得るが、大抵は言葉である。何カ国語も話せる人間に簡単な質問をしてみると良い。今日のご飯は何がいいとかそんなことである。その人間が一体なんの言語でイメージをしたか、それに使用した言語がその人間にとっての母国語である。人間はこのようにして、思考を言葉で行っているのである。そうして、思考を論理的に人間の目に見える形にしたのが、文字である。その文字を羅列し、きちんと一つの体系としてまとめたものは、すなわち人間の思考の体系でもある。ただ、多くの書物がこの世にはある。そのなかから良いものを選ぶのは大変だろうか。実際はそうでもない。なぜなら時が選別してくれるからである。良いものは残る。悪いものは消える。優也はまず人間の本質的な部分を早急に知る必要があったので、古典と呼ばれる古典を片っ端から読んだ。それが人間理解への大きな手助けになった。優也は自分は文学によって救われたのだと思った。そこにはなんでも優也が求めることが書かれてあったからである。人間の醜い面、美しい面、人を愛すること、人を憎むこと。さらに、嘗ての文豪と呼ばれる人間の語りを静かに聞くことによって、それが一種のセラピーにもなった。人下の本質を見極めようとしてきた多くの偉大な人間の言葉をきちんと自分が聞けることがうれしかった。そうして、優也は夏目漱石の言葉を聞き、マンの言葉を読んだ。
 優也は大学で文学を研究することによって、そこできちんと文学を学ぶことが出来た。文学や美術という分野ほど教えるのが難しいことはない。教えるという概念がそもそもこの学問に当てはまるかということも怪しいし、そもそも学問なのかも自信を持って断言することが出来ない。ミヒャエル・エンデは文学を教えることは不可能だと言っている。文学は質の問題である。文学を教えることはできないが、質を教えることはできると言っている。優也が恵まれていた点は、何よりも彼が行く先々において、恩師足りうる人物が存在していたことである。優也は同年代の友人には恵まれなかった。それは、彼が人より苦労をして、苦悩し、精神的にかなり複雑で高度な領域に立ち入ろうとしている際、年齢分しか成長していない精神の持ち主の人間と話が合うはずがなかったからである。仮に何かの話があったとしよう。それは話題などのレベルの問題だが、しかし、考え方が圧倒的に異なった。異なるというより、むしろ同年代の人間の大半が物事を考えていなかった。唯一苦労して、一度社会人になって再び大学に勉強しにきたという男とは、優也は心置きなく話せた。つまり、優也は苦労によって精神的には二度目に大学に入りなおすくらいの年齢になっていたということである。その男は名を有吉と言った。優也は、それでも当初有吉もまた、無知な男だと思っていた。一度人間に裏切られた男は、そう簡単に人間を信じるには至らないのである。しかし、次第に有吉と話し、学生によるある議論をしつづけることによってお互いを深く理解するに至った。有吉は言った。
「僕は、もう一度大学に入ったのは、前の大学の時の勉強が最後のほうもう全然頭に入ってこなかったからだよ」
 文学部のゼミで合宿に行った際に、有吉は語り始めた。
「それで、今までとは全く反対の文系にきたけど、大学で勉強してよかったと思っているよ。親には二度も大学へ行くお金を出して貰ってありがたいと思っている。でも、大学に来て、こういう就職難にはとても勝っていけないような学部で、実学でもないものを勉強して逆に僕はよかったなって思ってるよ。まえテレビで見たやつで、ある学者が、大学は社会に出ていい職業に就くためじゃないくて、大学を出たことに意味があるんだっていう考えがあって納得したんだ。文学なんて、どうしてやるかっていうのはわからないけれど、やって何の意味があるのかもわからないけれど、だからこそ、やらなければいけないと思う。僕は、年齢こそ君より上だけれども、君は僕より先に文学の路に入った男だからさ、尊敬しているよ。僕をもっと高みへと導いてくれると思ってるしね。」
 優也は初めて尊敬という概念を考えた。テレビなどで登場する若手アーティストが軽々しく口にするだれだれをリスペクトしていますというような軽薄なものではない。有吉が使った尊敬ということばは、ある意味では友情であった。一人の男が、一人の男に対して、何の利害関係など考えることなく、ただ自分を高みに導いてくれる存在として、敬意を抱きつつも、違うと思ったことは心置きなくぶつけてくれる、そうしたものを尊敬というのだろうか。優也は自分よりいくつも年齢の高い有吉が、自分をそのように思っていたことを告白され、照れが混じりながらも、有吉を尊敬していることを述べた。
「いや、僕の方こそ君にお世話になってるし、なにより尊敬しているよ。まず君の方が僕よりも生きてきた年数が多いし、本当はこんな風にため口をきいているけれども、敬語で話さなければいけないしね。それを同学年だからって仲良くさせてもらっているけれども、やっぱり他の年上の人間は、敬語つかえみたいなオーラを出してくるのもいるからさ。僕は君と話していてこんなに気持ちよくなんでも言い合える人間はいないと思っているよ。それに君は僕みたいに神経衰弱でないし、僕がまいっているときは何かと支えてくれるし。
 優也にとって、有吉は唯一無二の親友と呼べる人間であった。


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