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憎愛 四

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 優也はとKとの抗争は続いた。優也は彼女がKと裏で秘密裏に何がしかを工作しているのに気が付いたのである。しかし、それはすでに救いようがないと医者が匙を投げるような末期がんが発見されたのと同じことであった。かくして、Kとそれを取り巻く手下のような人間たちと、彼女と、優也をめぐる人間の最も醜い争い、欲に塗れた戦いが始まったのである。優也は友人と彼女とを守ろうとした。そうして何度も何度も友人と彼女に対して説得を行った。しかし、優也が言葉の力、といってもその当時の優也の言葉にはまだ力がなかったが、とKの力では戦いにならなかった。Kは言葉の力がまず、常軌を逸するほどあった。悪の権化とのちに誰もが認識するほどの、喫水の詐欺師と思われるほど弁の立つ人間であった。何よりもまず、張ったりを利かすのがうまかった。そうして、さらに言うことを聞かない人間を力で押さえつけるという、暴力の使用にも何ら抵抗を感じないこころがものを言った。彼が恐れることは、彼の近くにいた部下のような生徒たちには想像もつかなかった。それほど悪い意味で度胸が据わっていたのである。
 この人間の慾と慾の戦いを、優也は克明に覚えていた。彼は自分の言葉の力がKのそれと対比してとんでもなく貧弱なのに絶望した。しかし、その絶望は、現在の彼の心の中にまだ残っており、それよりか優也はそれを大切に保管し、時にはそれをもう一度自分のなかで思い返して臥薪嘗胆し、それをばねにして芸術への力へと変換させたのである。結論から言うと、この抗争のなれの果ては、優也の言うことを聞かなかった連中が、すべてKの言うことを聞いて、あろうことかKのほうを信じ、優也と縁を切ったということである。表面的に見れば、それで済んだことだが、優也にとっては、友人と思っていた人間が全員Kとつながって、自分に対して牙を向いてきているように見えた。何よりも、彼が恋をした女性が、Kと非常に親密な関係を持ち、優也のことを内通していたことを知って、優也は人間の愚かさと醜さをすべて知ったと思った。
 優也の思考は、まずこんな状況になったのは文明も文化も腐っているせいだと思った。もし、もっと原始的な生活をしていれば、このようなことには成りえなかったと思った。半ば中途半端な文明の皮を精神の貧弱な学生が被るために、このような悲劇を生んだのだと思った。何よりも、学校という小さな箱に人間を押し込めたことが問題だと思った。そうして、箱のなかで閉じ込めるだけなら裏表がなくてよいものの、半分を自由にさせたのがいけないと思った。箱に閉じ込めるのであれば、徹底しなければいけないし、それがだめならば、最初から箱に詰め込まなければいいと思った。そうして、半分箱に閉じ込め、半分自由にさせるから悲劇が生まれると信じた。自由な半分を、精神の未熟な学生が考えることとやることといったら、たかが知れているじゃないかと思った。文明を恨んだ原因は、その自由な時間に、彼らが誰にも見られない電子の情報を見事に扱っていたからである。優也はそれまでそのようなものを買い与えられたことはなかった。むしろ、彼の父方も母方も、人間に対して誠実で、社会的地位もあり、人間と人間の交流を直接おこなっていた世代のために、携帯というツールが必要だとは思わなかったのである。優也は自分が知らない場所で、皆が携帯をいじって連絡を取り合い、そうして自分を裏切ったと思った。事実そうであった。だから、優也は携帯というもの自体に嫌悪感を抱くようになった。優也は今でも、自分と他人が話している最中に、携帯をいじる人間を嫌った。
 優也はここからコミュニケーションとその媒体の問題、それから言葉の力を考え始めた。そうした成果がすべて、文章に活かされているのが、皮肉なものであるが、優也の才能であった。作家という職業を考えてみると、よく言われるのが、不幸ということである。大体の文豪と呼ばれる人間は、その人生の何かしらの点において汚点とも呼ぶべきものを抱えている。夏目漱石は、生まれてすぐに捨てられたという伝説は有名である。両親が年を取ってから生まれた子ということもあって、当時は年をとってからの子は恥ずかしいという常識があっために、愛情を受けられなかったのである。漱石は、心理学の発達段階で考えれば、最も根源的な基本的信頼感を与えられなかった人間である。太宰治も、母の愛情を受けられなかった人間のひとりである。太宰もまた乳児期、児童期、遊技期といずれも課題を残したまま大人になった。それが自殺を招いた原因であろう。対して、優也は生まれは実に豊かな愛情に恵まれた。しかし、学生時代になって、それまでクリアした課題を、根本から揺さぶられ、そうして破壊されたのである。恋人に裏切られたということが、一番の優也の黒点であった。優也は人間を信じていた。そうして、自分が恋した相手を信じていた。優也は自分のこころを彼女のさらけ出したのである。しかし、それはすべてKにさらしていることと同義であった。優也は学校において精神的に服を脱がされて、公衆の前で裸になったも同然であった。Kは優也を辱めるために、そうした工作をしたのだった。漱石が書いた「こころ」の「先生」は、自分を裏切った父の実の弟、つまり叔父のために、すべての人間を信頼できなくなった。「先生」は自分の父があれだけ信じていた弟に裏切られたことが、人を信じられなくなった原因だと語っている。
「私は叔父が私を欺むいたと覚ると共に、他のものも必ず自分を欺くに違いないと思い詰めました。父があれだけ賞め抜いた叔父ですらこうだから、他のものはというのが私の論理(ロジック)でした。」」私は私の敵視する叔父だの叔母だの、その他の親戚だのを、あたかも人類の代表者の如く考え出しました。」「私は他に欺かれたのです。しかも血のつづいた親戚のものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。」「彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。」
 高校で習う「こころ」の授業では、これを「先生」の不思議な論理だと教えることだろう。普通裏切られたら、その裏切った人間は、人類のなかの悪い部類に入る人間だったのだと考えるだろうと。しかし、極端なまでにあまりにも唐突に、ましてそれまで裏切られたことのない人間が、最も自分の信頼していた人間に裏切られた場合はどうなるか、国語の教師たちはわかっていないのだ。夏目漱石はそれをわかっていたのである。だから「先生」からこのような言葉が飛び出してきたのである。優也はこれを高校の際に授業で聞いていて、国語教師を馬鹿だと思った。そうして、優也は「先生」のことを理解してあげることが自分にはできると思った。
 優也は自分が心を開いた相手に悉く裏切りという行為を受けたことによって、そうした人間を人類の悪い人間だったと思うことなく、人類の代表と考え、人間全体を恨むようになった。元来根の明るかった優也は、高校ではそうした裏切りの人間たちとまだ同じ箱に押し込められ、毎日そうした人間の顔をどこかで視界に入れなければいけなかったために、発狂しそうになった。通常の人間であったらどうしたであろうか。Kの恐怖政治は、残念なことに一貫校だということもあり、高校では全盛期を迎えていた。優也は人間というものが信じられなかったため、ほとんど口を聞かなかった。一日中だんまりを決め込んだこともあったし、休み時間には本を読み、イヤホンをして音楽を聴いていた。決して裏切りの人種が発する言葉を耳に入れたくなかったし、視界にも入れたくなかった。自分に近づいてくる人間は、全員Kに脅されて、自分から情報を引き出し、何がしかの悪意を持って攻撃するだろうと疑ってかかった。新しい学年、新しいクラスになっても、誰とも花さなかったし、仲良くもならなかった。唯一教師とだけは、話すことができた。それは優也にとって教師が、何らかの慾で動くことがなく、自分のことを害する必要性がないと判断したからである。時には、話しかけられても無視をしたこともあった。優也は非常にイラついていた。人間というものを許すことができないまま、その人間たちと無理やり小さな箱にいれられて、集団生活を送らされることに対して、腸が煮えくり返るほどの怒りを感じた。そうした怒りは常に優也の身体から発せられていた。少しでも人間観察に優れた人物が優也の近くを通ったら、とても不快な感じを受けるか、その男に恐怖を持つか、あるいは痛いと叫ぶかも知れなかった。それほど優也の人間に対する悪意は強かったのである。
 優也は一年間完全に沈黙を守った。それは誇張でもなく、本当に一年ほどの期間をまったく喋らなかった。そうして、大学受験が近づいてくると、と閉じられた箱の中での慾のぶつかり合いが次第と減り、そのエナジーが外へ向かうようになったので、やっと優也は多少人と話すことができるようになった。優也は基本的信頼感を完璧に破壊されたが、一年間自分の殻を作り、そこに籠ることによって、なんとか他者とのかかわりを持つことまでには回復したのである。大学に入ると、優也はそれまでのブランクを取り戻そうと、もって生まれた外向性をまた発揮し始めた。そうして、ある女性と出会った。しかし、その女性もまた、彼のもとを去って行った。この話はいずれすることになるだろう。
 優也の芸術性が開花したのは、大学の頃からである。思えば、それまで人間に苦心し、通常では考えられないほどの不幸に見舞われたために、自分の殻を構築した。そこに籠ることによって、暗闇のなかから人間を観察した。それが優也にとっての人間観察力を鋭くさせ、また自分を閉じ込めることによってそこから出てくる際の爆発力というものをコントロールするに至った。優也はその爆発力を維持させることができる類稀な人物であった。そうしてその爆発性の維持に何を用いたかというと感情であると前に述べた。その感情とは、今説明した優也の根本的な人間への不信である。Kとその取り巻きと、自分が恋した人間への絶望であった。優也は決して自分が黙ることは許されないと自分に言い聞かせた。自分が人間の負の面を描き出さなければ誰が描き出すのかと自分の存在意義を定義づけたのである。そうして、Kに言葉の力で負けたことが何よりも優也を叱咤させた。激励などない。優也は自分が負けたということを一生の黒点として考えていた。人間の暗黒面と、人生における不運と、そうしてそこへどのように立ち向かうのか、それが優也の文学性であった。それまでに、優也が書くような文学はなかった。そうした暗い側面を書いたものは、決して大衆には受け入れられなかったからであった。しかし、時代もそうした暗闇に目をつむるということに限界に達していたころでもあった。
 大震災のあった後に、人間は人間の愚かさというものを否応なしに目に入れなければならなかった。報道こそされていないものの、震災地、特に立ち入り禁止区域の住居では、ほとんどの家が荒らされている。震災があってから、すべての価値観は崩壊した。それは原子力が安全だと信じ込まされていたことから目覚めたからである。優也と関係のある人間には震災に対してそれぞれの意見を持つ人間が多かった。それはいずれも優也の教師であった。一人は震災後に被災地にボランティアを継続的にする活動家でもあった。優也の卒業した学校が私立であったということもあり、教師は比較的自由に行動することができたし、またミッション系であったためそうしたボランティア精神は学校全体にあった。優也と親しかったその教員が被災地にボランティアをしに学校の生徒を連れていくのを知って、大学生となった優也もそこに参加させてもらうことがあった。流石に高校生を連れていくということもあり、教員としての限界があったため原発の近くにはいけなかったが、被災地に直接足を運ぶことによって、優也は言葉にならないものを見た。優也の文学作品のなかで唯一優也が沈黙を続けているのは、この震災についてであった。彼の作品には、震災という言葉が出てくるものの、直接そこへ足を運んだのにも関わらず、そうした描写をしたことは一つもなかった。
 優也がその次に被災地と向き合ったのは、大学の講師と赴いた際である。非常勤講師として週に一度授業を持っていた教授が、原発のすぐ近くに住んでいた人間だったのである。もちろん東京にでてきての社会人の生活のほうが長いが、原発の村はその教授の故郷であった。そうして、その教授は映画に関係している人間だったので、まるで力士のような体格と、体力を持っていた。優也はその名があらわすように、体育会系とは全く縁のない男であった。しかし、その直向きな故郷への思い、正当な原発と国への怒りを目の当たりにして、是非自分もその原発の近くへ連れて行ってくれと申し出た。その教授は自分は責任を持てないといったが、優也はもちろん責任は自分で取るといった。教授は自分はもう還暦を迎えているから、これから放射能に浴びてその影響が出るのが二十年後であっても怖くないが、君はまだ学生だし、二十年経った際には四十代で新しい日本を支えていく人間になるのだから連れていけないと言った。しかし、優也はだからこそ、その時に何も知らなければ何も出来ない。だから今のうちに現状を見ておく必要があるのだと述べ、立ち入り禁止区域に特別に入ることに成功した。
 立ち入り禁止区域には、そこに住居のある人間しか入ることが出来ない。しかも、防護服を着たうえで、時間指定までされている。それに再び外へ出るときは入念に特別車で除染をしなければならない。その教授が最も怒り、また優也もおかしいと感じたことは、「除染」という言葉である。放射能は、除染することなどできなかった。ちょうどその頃から文筆活動を始めていた優也は、言葉に対して深く考えるようになっていた時期でもあった。同じ言葉を何度もこねくり回して考えることをしていたのである。優也の作品が、詩的でありながら、通常とは少し異なった言葉の持ち運びをするのは、そうした熟考のためである。優也は、その教授の友人で、原発のすぐ近くに家のある、当然すぐに退居させられた現在でも避難民である男性とともに被災地に入った。その教授は常にカメラを回していた。
 立ち入り禁止区域で生活している人間がいることを知っているだろうか。優也はそれまでそんな人間がいることなど知らなかった。しかし、あの家畜たちがまだ野生化して群れで生きているということはどういうことなのだろうか。それを多少なりとも考えれば、常識的に矛盾が生じることがわかるだろう。いくら野生化して、人間が消えたことによって植物が自由に育つからといって、家畜として飼われていた動物が生き延びることが出来るだろうか。中には死んだ家畜の映像を見た人間もいるだろう。しかし、群れで生きている家畜がいるということは、まだその家畜に餌をやり続けている人間がいるということなのである。優也はほとんど聞き取れなかった。ひどい訛りだったからである。優也たち三人が防護服を着て大仰な装備をしているのに対して、その男はほとんど庭先にそのまま出てきたかのような恰好をしていた。優也は大変驚いた。死という言葉をそれまで認識したことは、現実レベルではなかった。こんな恰好をしていたら死んでしまうと優也は思った。
 優也たちが車で死んでしまった町を運転しているときである。勢いよくのびのびと走る家畜の群れに遭遇した。山羊であった。スモッグがかかったような曇りの日であったので、手入れされていない毛が茶色くなった生き物が群れで走っているのは、一種の恐怖でもあった。人間が築き上げた文明が、社会が、生活が、そのまま3・11から全く、一分、一秒とも立っていない状況の中で、そうした生き物と突然遭遇することは息を呑むほどの驚きであった。しばらく群れを車の中から静かに見守っていた後で、人間を発見したのである。優也はその人間が、ダメージのせいで痛んで水色に成りかけている青いジャンパーしか着ていないのを見て驚いた。優也はボランティアで被災地の人間とかかわって、そうして津波で流された場所を何度か訪れてはいたが、原発の周囲の状況はそれらとは全く異なっていた。だからすべてに驚き、まったく言葉にできなかったのである。
「え、ここで生活なされているんですか・・・」その後は、取材のためにカメラを回し続ける教授と、その友人である男性と、そこに住んでいた男の話になった。酷い訛りのために、優也には何を言っているのか半分も聞き取れなかった。が、ここで生活しているのは家畜がかわいそうだということ、そうして確かに自分は粋がっているかもしれないが、全く怖くはないということ、それから自分は餌をやっているが、その餌をひそかに運んでくれる人間がいることなどを聞いた。
 教授の友人であり、震災後に突然家、ないし故郷から追い出されたその男性は、公務員であった。現在は東京の方で仕事を与えられたが、震災が起こる前はその地区の図書館の館長であった。そうした文化に造形が深く、映画畑で鍛えられた教授とは正反対の、むしろ優也を年を取らせたらなりそうな、物静かで眼鏡をかけた初老の紳士は、自宅に帰る度に泥棒によって荒らされていることを嘆いた。その男性は、足の部分に合計三枚ものビニールの防護服を重ねていた。自宅につくと、一枚目を剥がした。もう一枚は禁止区域から出る際にはがしたのだが、何度も自宅に帰っているから身に付いた一つの小さな動作であった。果たして家はこんがらがっていた。勿論地震によって落ちたものが片づけられていないということもあったが、それはごくわずかだったという。この荒らされ方は、物取りだと呟いた。優也は涙も出なかった。教授は酷いことをする奴がいたもんだよねと声を荒げながら、乱暴に言った。
 優也はここで、人間性を考えた。一方には、人間の勝手で飼われて、そうして人間に食べられるために生きている動物をそのまま放っておいていいのかという感情から自分の身体一つ放射能で汚染された場所で生活するもの。もう一つは誰もいなくなった場所。人間が住めなくなった場所に入ってまでも、家を奪われたものの家からさらに追い打ちをかけるようにものを盗むもの。どうして命がけでものを取るのだろうか。本当にものを取らなければ生きていけないほど困窮した人間なのだろうか。優也はそうではないだろうと見当をつけた。この立ち入り禁止区域にまで態々遣って来てものを取る必要などどこにもない。これだけの距離を移動できる人間が、ここで態々盗まなくても、どこかもっと住んでいるところの近くで盗めばいいし、ましてここまで来て盗むだけの労力をほかのことに使えばいいし、さらに家を奪われた、故郷を奪われた人間からどうしてものを盗むのか、そうしたことを少しでも考えればしないようなものをと思った。
 報道というものが、いかに一面的か、あるいは偏りのある情報しか提示していないということを、優也は強く感じた。それは映像の専門家である映画監督でもある教授とともに現地を視察したからわかったものでもあった。その教授は、常にカメラを回し続けていた。なぜだろうか。震災があって、テレビなどのメディアでは津波が町を、人を襲う映像がひっきりなしに流れた時期があった。そうして、それだけを取り上げていた。だから、被災地がみんな津波に飲み込まれて瓦礫の山だと思い込む人間が続出した。優也もその一人であった。原発の近くも瓦礫の山だろうと思っていた。しかし違った。震災のそうした映像は、津波と原発を一緒くたにしたものであった。それはある意味では戦略かもしれなかった。原発の場所も津波で流されて人間が築いたものが何も無くなった殺伐とした瓦礫の山だと思い込ませる手法かもしれなかった。というのは、原発の近くの町は、あの映像で流れたような悲惨な状態では全くなかったからである。優也は自分は瓦礫の山の中に行くものだとばかり当初思っていた。しかし、原発の付近一帯は、地震でこそ多少の崩壊があったとしても、津波に流されたということはないので、そのまま時が止まってしまったという感覚を覚えさせた。瓦は多少落ちていよう。ブロック塀は崩れていた。しかし、家はきちんとそのまま建っている。信号も立っている。倒壊している建物などない。
 地震と、津波は、取りざたされて放送されたあの映像の通りであった。しかし、原発の付近の状況をきちんと放映した番組があっただろうか。そこには実は何も外傷はないのだ。だから、放送されないのである。映画監督でもあったその教授は言った。
「原発の被害っていうものは、目に見えないから放映されないんだ。町を見て御覧。まったくそのままだよ。俺が昔住んでいたそのままだよ。地震では多少崩れたさ。しかし、津波は来ていないんだ。今にも生活ができそうだろう。だけどできないんだ。何故か、放射能があるからさ。それも目に見えないだろう。だから、放送できないんだ。原発の事故っていうのは、あの原発の爆発なんていうのは目に見えるだけで、本当にその被害っていうのはこの状況があらわしているのさ。俺も、こいつも実家を失った。故郷を失った。それが原発の事故なんだ。だから、俺はそれを撮らなければいけない。撮れないけれどもね。この状況は、何を撮ればいいのか。もう暦が廻ってしまったほど長生きしたけれども、まったく俺にはこれを映像化することはできないね。何も目に見えないからさ。だけれども撮る。俺はずっと映画を撮り続けたきた人間だからさ、撮れない、映像化できないと思いつつも、撮らなければいけないんだ。俺はもう死ぬさ。こいつももう死ぬさ。今の平均寿命が80だなんだっていったって、二十年後には生きていないさ。かろうじて生きているかも知れないけれども、何もできないさ。その時は、君が行動するんだよ。関君、君が俺たちと共に見た光景を次の世代に伝えなければいけないんだよ」

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はつよろです♪

なんだかファンになっちゃいました(^▽^●)

わたしですね…このところついてなくて(汗)
すべり台を滑っても滑ってもゴールが無い感じなんて言えば少しは伝わりますか?
ものすごい急降下中なんです。。

そんなこんなで色んなブログ読み漁ってたらここで足が止まりましたヾ(≧∇≦)ゞ不思議と心惹かれたんです。
石野幽玄さんも色んな時間を過ごされてるんですよね。きっと。。

急なお願いで戸惑わせてしまうかもしれませんが
話し込んでみたいというか話しを聞いてもらえたらって気持ちを持たずにはいられなかったんです(o^-^o)

連絡してくれたら有難いです。
もしも迷惑であればコメントごと私のこと消してください。
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幽玄

Author:幽玄

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