憎愛 一

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様々な分野に手を出している私こと、石野ですが、そのなかでもこれだけは本気なんだというものがありまして、雄恥ずかしながら、小説を書いております。
以前からそういうことを友人にちらりと話したり、見せたりしていたのですが、なかなかそれよりも上へと目指すことが難しく、小さなコミュニティのなかでくすぶっておりました。
小説は一度ネットに発表してしまうと、受け付けてくれないというのがほとんどです。なので、この小説も、あわよくばどこかの賞を受賞、ということを狙っていたのですが、なかなか現実そう上手くはいかず。
しかたがないので、いくつか小説を手放してみなさんのために無料で奉仕しようかと考えがかわりました。
いくつか書いた小説のなかでも、比較的新しく、自分のなかでは満足の行く出来栄えとなっている作品をネットに公開しようと思います。
もちろん著作権は放棄していないので、私に属しますが、個人の間で楽しむ分には、どのようにしてもらってもかまいません。
それでは、半自伝的小説である、『憎愛』。お楽しみください。



 悲しみが時を包むだろう。黙の向こうに見えていたものは、もう見えなくなった。深淵の縁と思われたこの世の断崖に、足を踏みかけて、僅かに鈴の凜とした音色が聞こえた気がした。暗闇のなかの微かな光が、ちらりとでも見えたのであろうか。生き物のいなくなった、湖畔の静かな空気。霧の香り。花の匂い。全てを集めて一つの形にしようとしたならば、そこに意志が込められたならば、それは形になって心をなすのだろうか。救うのだろうか。言葉はもはや意味を失った。なんの価値もなくなった。すべては無に帰そうとしている。それは始まりか終りか。そのような判断もなくなった世界に足を踏みかけていた・・・

 その日はまだ陽も明けない時間から、冷たい雨がふっていた。時に弱くなって、あたっても良いかと思われるほどの雨にもなったが、すぐに強まった。暗雲という言葉のよく似合う、墨を溶かしたような天気に覆われていた。季節はまだ五月であった。五月晴れという言葉があるが、その日はまるでそんな言葉が最初からなかったかのように、一日中雨が降り続いた。神も泣いていると、参列者たちのなかの、詩的な抒情を持った人間は思ったかも知れない。事実、関優也の心は、その天気が現していた。天気が優也の心を投影したとも言える。
 都心から然程はなれていない、ベッドタウンとの中間地にある、まだ都心の影響が多少及ぶくらいの場所で、式は行われた。生憎の雨であったので、車で参列したものが多かった。優也はその日、眠れもしない朝、睡眠剤で無理やりうとうとと自分のからだをさせたあと、結局眠りにつくことなく、黒い礼服に着替えて式に参列した。優也が会場についたのは早かった。そうして、優也は睡眠不足なからだにむちうって、会場のこまごましたことに指示を出していた。それくらいのことは出来たのである。
 一台のタクシーが会場の前に止まった。先ほどから、黒塗りの車に乗り付けてくる礼服をきた中年の男性や女性が多く到着していた。他にも、駅前からひろったであろうタクシーに乗ってくるものもいれば、自分の車にのってきて、式場の駐車場に泊めている参列者もいた。
 緑色のタクシーが雨の中、ブレーキの甲高い音と共に止まった。ハザードランプが点滅し、清算している年老いた老人の姿がちらと、暗闇のなか車内に灯った明かりに映し出された。老人のように、からだを強張らせた中年の男性が降りた。その後を、まだ礼服がからだにあっていない学生が続いた。学生にとってはその服を着るのは初めてであった。
 式場で空元気を出していた喪主の優也や、そろそろ来る頃かと思い、しばらくの間式場にやってきた人々をちらちら見ていた。そうして、ふとタクシーから降りる人間を確認した時、優也はすぐさま駆け出した。
「嗚呼、関君・・・」優也に気がついた中年の男性は、その言葉を発するのが限界であった。それ以上何も言えなかったのである。すでに感極まっていた。
 優也もとてもそれに答え得る言葉を用意していなかった。男は優也の義父に当たる男であった。二人ともまるで、冷水を浴びせられたかのような悲惨な面持ちをしていた。少し後につづいていた礼服の似合わない学生は、その男の息子である。これも、緊張した顔をして、とても会話が出来るような状態ではなかった。
 優也は、義父を視界に入れる前から、何度も何度も常に興奮状態にあった頭脳で、どのような応対をすればよいかを検討していた。優也のここ数日の状況は、特に酷かった。ほとんど食事が喉を通らなかった。通らないという言葉だけを見ると、大したこともないように思われるが、食事を目の前にすると、普段人が肝が冷えたと言われるような部分が、急激に縮小する感覚に見舞われた。内臓器官で言えば、胃や腸に当たる部分が、食事を拒むように、萎縮してしまうのである。無理にでも口に運ぼうとすると、吐き気を感じた。烈しい吐き気ではない。寧ろ眩暈に似ていた。頭の上に白いスクリーンが投影されたような感覚がして、頭から血が引いていく。こうしたことは優也にとって初めてのことではなかった。かつてから極度の神経症に悩まされていた優也は、このような症状を繰り返してきた。無理することもないと自分に言い聞かせ、そうした際には食事を出来るだけとって、栄養を取った。固形物はあまり食べられなかったが、飲み物であれば大丈夫であった。
 また、優也は睡眠障害も同時に引き起こしていた。眠くならないわけではなかったが、いざ蒲団に入って眠ろうとすると、暗闇が恐ろしくなった。はじめは暗闇が恐ろしかったのではない。蒲団に入っても、脳が静まらず、常に興奮した状態であった。頭皮の間から、だんだん冷や汗が出始める。どうして眠れないのだろうか、こんなにからだが疲れているのに、精神も疲れているのにどうして眠れないのだろうか、また眠れない時期が来てしまった、このようになるともう自分の意志だけではそこから抜け出すことはできなかった。
 優也はこうした際には、かつては医者にもらった薬でなんとか対応していた。現在の精神科とよばれるものは、とにかく薬漬けにするというのが新聞に載っていた。優也はしかし、それでも構わないと思った。自分のからだが薬漬けになろうが、この苦しい世の中をいきていくには、死にながら生きるほかないのだという極論まで考えていた。
 自分でどうにかできなかったらどうするのか、優也が出した答えは他力本願しかないというものであった。優也は極めて努力家であった。彼はその答えを学生時代にはすでに出していたが、それと同時に強い怒りもまた伴った。それは、最初から他力に希望を見出す人間にであった。自分で努力せずに端から他人の力を求めている人間に対しては烈しい怒りをもった。そうした部分が、優也の神経質な部分であった。許してやればいいのに、というメタ認識を持っているだけに、余計に腹立たしかった。腹立たしいという感情に飲み込まれている自分を認識して、さらに腹だった。
 優也は、とことん物事を深めて考える人間であった。それは、キケロが雄弁の本質とよんだ「絶え間ない精神の運動」のことであった。これをしていた人間は他にトーマス・マンの『ヴェネツィアに死す』に登場する架空の人物グスタフ・アッシェンバッハと、夏目漱石の『それから』に登場する架空の人物の長井代助である。事実、国語の教師であり、また作家でもあった優也は、自分の著作をもって他者との関係性の重要性を訴えながら、本人は自分のことを理解できるのはこの架空の人物くらいしかいないだろうと半ば諦めににた感情を抱いていた。
 優也はその類稀なる精神の力によって、先ず視を鍛えた。彼は芸術を通して審美眼を手に入れた。それは紛れも無く人間の高度な知的な部分をつきつめていく鍛錬であった。そうした絶え間なく自己を向上させていくことが、優也には出来たのである。その点優也は多くの人間からその人間性を評価されていた。優也が長年の研究から見付だした答えは、審美眼の本質は認識の問題であるということだった。同じ目で見るという物理的なことは他人とそう変わることは無いと優也ははじめに思った。彼は実際に視力はよかったが、それがものごとの判断の基準になるとはどのような結果からも考えられないという答えに達していた。事実それは誰が考えても同じことだろう。ただ、遠くの些細なことが見えるということによって多少なりとも認識に差が出ることはある。彼はその認識力をもって、他者との関わりをどのようにしたらよいかを考えた。そうして彼は反省深い人間であり、また心理学をも学んでいたので、メタ認知をすることに長けていた。問題は、優也が自分の状況をメタ認知できたとしても、そこから自分をコントロールできなかったことである。彼は完璧主義者で、理想主義者であった。だから、先ほどのように、怒っている自分を認知した時に、どうしてこんなことで怒っているのかとさらに自分を怒るということをした。そうした、爆発的なファナティシズムをも、彼は持っていたということである。
 優也は非常に勤勉で、誠実な人間であった。そうして自己の鍛錬のためであればどのような困難にもあまり省みることなくすすんで飛び込んでいったものである。そのような情熱やエナジーがどうして奪われてしまったのか、リビドーそのもののような精神をしていた人間が、何時の間にタナトスの権化に化してしまったのか。優也はもちろん、自分の状況がこのようにあるということを認識していた。しかし、それでも自分の状況を変えることができなかったのである。それが、他力本願という結論を出した。ただ、それを自分の論にすると同時に、努力をせず最初から他力本願をしている連中を許すことができなかったのである。
 そのような結果から、優也は自分の投薬をすることをあまり不快には思わなかった。それに、タナトスに見初められていたため、はっきりいえば彼は彼自身の肉体の終末を淡い希望を持って期待していたのである。
 その死へのリビドーに取り込まれた男が、食欲と睡眠欲という人間の個を維持する基本的情動を失ったことによってどのように変化したのであろうか。性欲に関しては種に対する基本的情動であるため、ここでは優也個人とはあまり縁がなかった。彼はまぎれもなく死に掛けていたのである。はじめは隈ができただけであったが、このような状況が数週間続いていたために、すでに体重は50キロもなかった。そもそも健康体であったときから、極端に痩せていた。周りの友人は病気でもないのにどうしてそんなに痩せているのかと学生時代は常々不思議に思ったが、彼は死に掛けているからという冗談にもならない冗談を連発した。友人たちもそのような笑えない優也の冗談に苦虫を潰したような顔をしながら、つきあいづらい人間だと感じてそれ以上その話題には触れなかった。
 一つ優也がそのような体型であった理由としては、やはり絶え間ない精神の活動が原因だろうと考えられる。人間はマクロコスモスとミクロコスモスをつなぐ媒体であると優也は考えていた。そうして、彼は専ら時分はミクロを研究するものだと考えていた。多少ラベリングしすぎて自己をそこに規定していた感は否めないが、確かに優也はミクロコスモスに向かう典型的な人間であった。彼はそのような多少偏りのある考えから、殆ど自分には運動が必要ないものだと考え込み、からだを動かすことを嫌った。ただ、それを考慮しても、同じ運動量の人間がもう少し体格の良いことを鑑みると、もとからかなりからだが弱かったということも出来る。
 それと同時に、彼は自分の精神を運動させ続けた。常に思考を止めることをしなかったのである。考えるのは人類に与えられた最上の行為だと、優也は自分の論理のなかで最初に規定した。考えること自体が人類と動物を区別するものであり、神が人間をほかの生き物と区別するために与えた能力だと考えた。そうして、考え続けることが、人間のなかでも最も崇高な行為だろうと考えた。そうして、その考えを持続させることを、彼の普段から鍛えてあった精神と、一種暴力的なまでの情念が推し進めたのである。しかし、人間胃は限界があるということを彼は考えていなかっつた。マクロコスモスだということだけにフォーカスをあてすぎて、もしもそれがコスモスではなくて有限のもの、あるいは一定以上は連続して働かせることができないものであるという点を全く考慮していなかった。
 その結果が、空焚きのようになってしまった彼の身体が示しているといえよう。全てを自己の小さな宇宙のなかで支配しすぎた。そのために、脳は常に興奮状態になり、ありもしないことを考えるようになった。考える題材があるときはまだよかった。考えがぶれなかったからだ。しかし、そうした題材がなくなってまで考えるという動作をとめないために、考えが空回りになってしまったのである。おんなじことを何度も繰り返し繰り返し考えることが時にあった。そうしたおんなじ動作は人間の脳にとってえらくストレスを与えるらしい。この世の中で最もストレスになるものは何か。それは地獄の話にある、いくら石ころを積んでもそれが山になりかけたところで鬼によって破壊されるという、終りが無く、無意味な動作の繰り返しである。から周りで考えることはこれに似ていた。そうして、考える材料のなくなった脳は、いずれ自己の内面の問題を取り扱うことになる。考え自体が自己の内面であるが、それが取り扱うものは外の事象であった。そのため、どのような答えが生じたとしても、決して自己の内面が傷つくということはなかった。しかし、次第に自己の内面まで考えることになると、その結果がいちいち内面を傷つけた。自己の内面でぐるぐる考えが輪廻しているのだから、終りもなければどちらにころんでも良い結果は出ない。次第に考えが煮詰まってくると、自意識のどん詰まりを感じるようになった。
 彼はまた酷く反省する男であると同時に傲慢であるという、一種相反する性質を同時に持ち合わせていた。反省しなければ反省しなければと深く考えていると同時に、また、自分の冷静でしかも情熱的な思考的弁別によって判断された結果に対してかなり傲慢に信じるくせがあった。ようは一か八かという性質だったのである。だめであれば猛烈な反省を自己に課して、ふたたび熟考する。そうして出した答えには絶対の自信を抱く。そんなに自分に厳しくしなければいいというかもしれないが、それは他人がとやかく言うことが出来る問題ではない。それは人間の性と呼ばれる部分なのだ。イデオロギーを変えるということは、何人たりとも基本的には出来ないし、してもいけない。
 ただ、例外があった。しかし、それももう既に失ってしまった。一時期、それは優也が大学のころから社会人にかけての数年間のことであるが、優也が落ち着いた、柔和な性格で暮らせたことがあった。それが、この際失われたのである。優也はそのために、ふたたびこの神経過敏な性格に戻ってしまったのである。
 あっと言って駆け出して義父に会ったまでは良かったが、それ以降言葉が続かなかった。優也の眼はもし視力の少しでも良い人間が近くに言ってみたら、とてもおそろしいものに見えただろう。目のしたは隈で黒くなり、皺が寄っている。だが、目自体は何か獲物に寝られているように危険な光を宿しつつも、煌々と光っていた。そうして命の炎が燃えているのではないかと思われるように、赤かった。これは紛れも無く睡眠不足によって生じたことではあるが、本当にそうした肉体的なものだけかといえば、そうではなかった。当然彼の性格や境遇、生き方も反映された目であった。
 日本の文化というものは、眼は口ほどのものを言う文化である。これに対してアメリカは口がものを言う文化であるということを優也は新聞か何かで読んだことがあった。だから、日本の絵文字には目が強調されるものがあり、アメリカの絵文字には口が強調されるものがあるのだということである。そうして、日本人はマスクを平気でする。それは口を隠していても、目が口ほどのものを語るために、それほど危険性や不安を他人にあたえないからだろう。外国でマスクをするという行為は、よほど外に出て歩くのが危険な状況を指し示すため、普段外でマスクをしている人間はほとんどいない。それが文化性の差異というものである。
 優也はその目が彼のことを多弁に語っていた。しかし、それを彼自身が認識することはあまりなかった。鏡を見るという行為をしばし嫌っていたからである。彼は自分の顔を見て、醜い顔だと自認した。優也は美術を通して審美眼を実に付けた。実際彼が創作した作品は日展で受賞するなど、芸術の分野でもかなり高い質のものであった。その彼は肉体的にもまだ若いのにも拘わらず、皺だらけの自分の顔をみて、厭気が差したのである。
 自分の顔がそこまで酷い状態だと認めていないために、敢えて式場では活発に動けたのかも知れない。ただ、それは他人から見たらあまり快いものではなかった。喪主である人間が大変な形相をしてはきはきと、しかも多少人の観察をすることが出来る人間ならだれでも無理をしていると分かるから元気をしているのを見て、誰も気持ちが良いはずがなかった。しかし、優也はそんなことを気にはしていなかった。現在の彼にとっての他者の目というのはあまり重要ではなかったからである。
 優也の義父は、優也を見て何とか一言発することができたものの、あまりにも喪主の顔が酷いのと、相当疲れが溜まっているという二人の共通した点を確認したため、様々な感情が溢れて言葉にならなかった。義父の後ろについていた息子は名を誠と言った。この誠は、精神上多少の問題がありしばらくそうした施設に預けられていたのである。現在も通院しながら社会生活を送っている人間であった。誠は、優也を見て人殺しと思った。あからさまに優也に対して怒りや嫌悪感を抱いていた。そうしてそれが伝わっても構わない、寧ろ伝わればいいと思っていた。
 優也は当然彼の目を見ることなく、その様子を想像することができた。タクシーにのって式場に到着する前から、きっとこのような感情を抱いているであろうということは予測していたのである。だから、タクシーから降りてくる際の多少がさつな、それこそタクシーの運転手でも気がつけなかったような動作を僅かに見ただけで、自分の予想が外れていないことを確認したのである。
「あ、こちらに・・・」この言葉が出てくるまでにどのくらいの時間がかかったであろうか。実際はたった数秒もないことだったろう。しかし、同じ境遇の二人の悲運な男にとっては、その数秒はお互いの悲しみを確かめ合うだけに充分な時間だったのである。

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