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『ペイ フォワード』感想とレビュー

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 今回は映画『ペイ フォワード』についての記事だ。普段近所にあるTSUTAYAで借りている私だが、TSUTAYAで行っている、ランキングというのは結構役に立つ。なんかの映画何選みたいなのをやってくれているので、そこで上位に入っている作品をいくつか借りてくるのだ。さすがにそういうランキングにはいってくるだけのことはあって、なかなか面白く、楽しめる。今回の『ペイ フォワード』もそのようにしてであった。
 この映画を観て、久しぶりに「こういう映画をみたなあ」という感慨にふけってしまった。
 この映画は実に単純なストーリーで、何かアクションがあったり、ものすごいストーリーがあったりという、意外性などはない。しかし、それでいて、観終わった後にはうーむとうならせるような力があるのである。
 物語は簡単で、中学生に進学した主人公ハーレイ・ジョエル・オスメント扮するトレヴァー・マッキニーがケヴィン・スペイシー演じるユージーン・シモネット先生の授業で「世界を変えて見ろ」という課題に対して、あるアクションを起こしたことからはじまる。その課題をオリヴァーはこう解釈したのだ。すなわち、世界を変えるには、善意を人に渡すという方法がいいのではないかと。彼の考えは、善意を三人に渡す、こうすることによって、ネズミ算式に、善意が広がっていくのではないかという、極めてシンプルなものだった。このシンプルな発想が、この映画をシンプルにしていると言える。
 まあこの物語は当然作り物であるから、ここでは上手くいくように描かれるのであるが、現実にはそうはいかないであろう。しかし、そういうつまらないことは置いておこう。
 オリヴァーは善意を三人の人に施そうとする。一人目は浮浪者に。もう一人はお母さんに。そうしてもう一人は自分の友人に。
 1人目の浮浪者は、最初成功したかのように見えた。彼は麻薬をやっており、破滅的な人生を送っていたのだけれども、そこにたまたま通りかかったオリヴァーの善意によって、更生する意欲に目覚める。しかし、その後オリヴァーが彼のもとを訪ねるも、前後不覚の常態になっていた彼はオリヴァーの呼びかけに答えることはなかった。おそらく麻薬をがまんできずにやってしまったということなのだろう。
 1人目の善意が駄目だったと自分のノートに×をつけるオリヴァー。観客もやはりそう上手くはいかないとオリヴァーと同じようにしょげてしまう。
 そうしてこの物語の本筋とも言える、自分の両親の問題へと向かっていく。母親は子供を育てるために二つの水商売のような仕事をしているのでが、彼女には問題があって、アルコール依存症なのだ。『男が女を愛するとき』のように、彼女にはアルコールを断ち切るための何らかの方法が必要なのである。
 オリヴァーは子供ながらに母親のアルコール依存症をやめさせようとお酒を捨てたりする。しかし、母はどこかに隠しておいた酒を呑んでしまい、そうしてそれがオリヴァーにばれて、二人の仲は険悪になってしまうという繰り返しの日々を送っている。
 この母親をなんとかしようというのがオリヴァーの第二の善意であった。新しい中学で社会科の先生となったユージーン先生を母と会わせようとする。ユージーン先生は、何があったのかはわからないが、顔がやけどによってケロイド状になってしまっている。そのために一般的な感覚で言えば、やや近寄りがたい印象を与えてしまう。なんだかんだ言っても人間は第一に容姿を気にしてしまうから、女性からしたら、このユージーンは恋愛の対象になかなかなりづらいということになろう。
 それをなぜか、オリヴァーは自分の母親にくっつけようとするのである。そこには、一つには、子供だからそのようなケロイドをなんとも思わなかったという感覚も存在しているであろう。彼は善意を三つ他人に施せば世界が変わるという、善意に働きかけることができるように、そうした恋愛についても、善意によって人が動くだろうという予測のもとに行動しているのである。だから、おそらく自分の母親は、ケロイドのことをなんとも思わないだろうという善意と、先生も自分の母親とだったらうまくいくだろうという善意によっての行動だったのであろう。
 一応映画だから、そう簡単には上手くいかない。暴力を振るうオリヴァーの本当の父が登場したり、二人の仲はうまくいったりいかなかったりする。
 オリヴァーの父の登場によって物語は急速に展開する。実は、ユージーン先生の火傷は、オリヴァーの父のように、妻に暴力を振るっていたユージーンの父からのものだったのだ。ユージーンは母に暴力を振るう父をなんとかしようとして、その父によって焼かれたのである。そういう経験を持つユージーンだったからこそ、自分はそうはなるまいと、良き人間、良き教師になろうと厳格につとめていたわけである。当然暴力を振るうオリヴァーの父を許せないユージーンであるが、改心したという言葉に再びよりをもどそうとしてしまう母も、そこには存在してしまう。そういう人間の心の弱さみたいなものがここにはあるのだ。
 結局のところその父とは再び上手くいかずに、父は家を出てしまう。
 さて、そんなころ、都会では、善意を人に施すというのが一大ブームになっていた。それは細いながらも連綿とつづいていった善意を渡すゲームの延長だったのである。オリヴァーが最初に助けた浮浪者が、自殺願望者を救ったり、あるいは母親からその母親へ、オリヴァーの祖母へ伝わった善意が他の人の善意へ。その善意がまわりまわって、ある記者のもとへとたどり着いていた。その記者は、この善意のゲームがだれから始まったものなのかということを辿り当てて、ようやくオリヴァーのもとへたどり着いたのである。
 取材を受けるオリヴァー。彼はそこでスピーチをする。オリヴァーがスピーチをするのはこの映画で二回。冒頭でこのゲームを簡単に説明することと、最後のインタビューでこのゲームをどうしてやろうと思ったのか。最後のインタビューでは、善意を与えられているのに与えられない人は、人生に負けているのだ、自分はそうなろうとしていた、けれども自分は人生に勝ったんだ、というようなことを話す。それは、おそらく彼なりの、これ以上発展しそうにない母とユージーン先生に向けてのメッセージだったのだろう。そのことにはっとした二人は、その後再び付き合うことに合意する。
 そのような感動的な場面で、この映画で悪ガキたちにいじめられている子供が再びいじめられるという場面が発生する。それを発見してしまったオリヴァーは悪ガキたちを退治しに。そこでオリヴァーは悪ガキたちともみくちゃになり、最後には刺されてしまう。まさかこの程度の傷で、と私は見ていて思ったのであるが、なんとこの映画は、オリヴァーを殺してしまうのである。
 これにはおどろいた。さすがにこのすばらしい心温まる物語で、主人公のオリヴァーを殺してしまう必要があったのだろうかと何度も考えた。結論は半々だ。殺す必要はなかったというまっとうな答えは、やはりいつまでも出てきてしまう。母と先生とオリヴァーと、三人でなかよくくらしましたとさ、というハッピーエンドでもよかったのではないだろうか。しかし、一方で、確かに臭すぎるという感覚はあるにはあるのだ。この物語はあまりにも人の善意によりすぎていて、ユートピアすぎるのである。だからこそ、こんなことは現実には起きませんよということを証明するために、オリヴァーを殺さなければならなかったのである。こんなことがもし現実に起こるとしたら、それはその善意の発信者であるオリヴァーを犠牲にしなければならないくらいのことですよという意味が込められているのだ。
 最後の最後にオリヴァーが死んでしまうことによって観客はかなりのショックを受ける。これまでなんて心温まるいい話なんだと安心しきっていた読者は、突然物語側から裏切られてしまうのである。
 オリヴァーを殺さなくても、予定調和だったとしても、この作品は人の善意を信じさせてくれるような心温まる物語として、ある程度映画史に残ったであろう。しかし、オリヴァーを殺してしまうことによって、それは現実には起こりませんよ、という厳しい自己反省をすることによって、さらに印象深くさせ、名作と呼ばれる作品になったとも言えるだろう。
 とにかくこの作品を見ると、久しぶりに人を信じることや、人の可能性について明るい考えになれる。そういう力を持った作品であると言うことは確かだ。是非見てもらいたいと思う。

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