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宮台真司『14歳からの社会学』 感想とレビュー

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 去年の秋ごろから冬にかけて、私のなかでひとつのブームがあった。それはYouTubeにアップされている評論家たちの動画をみることだった。見るというよりは聞くというほうがより正確かもしれない。私は岡田斗司夫が好きだったので、よく彼の動画を聞いていた。彼は定期的に「岡田斗司夫ゼミ」と称して、その時々の話題の作品や起こった事件などについて彼なりの意見を述べるだけの映像を発信している。それがYouTubeにまわりまわってアップされているわけである。
 その延長線、関連動画として、例えば苫米地英人や宮台真司などの動画も上がっているのだ。私自身彼等のような鋭く 知的でかっこいい評論家になりたいと思っている。そんな自分の理想もあって、彼等の動画をよく見ていたものである。
が、苫米地英人や岡田斗司夫の本は何冊か読んだことがあったものの、宮台真司の本は読んだことがないということに気が付いた。それではいけないと思って、本屋でたまたま出会ったのが今回の『14歳からの社会学』であった。14歳からの~というのは、池田晶子の『14歳からの哲学』という本が大ヒットしたために一躍ブームとなった現象である。それまで難しいとされてきた哲学や社会学、経済学など、それぞれの分野の研究者が、中学生にもわかるように平易な文章で書いたというのがこれらの書物だ。わかりやすいブームというのはときどきくるものなのである。去年、一昨年あたりは、池上彰がわかりやすくニュースを解説する番組がブームになった。我々は普段何気なく言葉を使い、なんとなくわかったつもりで生きているが、実はよくわかっていないというのが現状なのである。だから時にはその分野に詳しい人が、中学生でもわかるように、という名目のもと、大人でもわかるように、誰もがその分野に詳しく、理解できるとは限らないので、わかりやすく平易に解説することが求められるのだ。

 さて、今回の『14歳からの社会学』であるが、おどろいたのは、まず横書きであるということだ。文学部の人間であるので、論文から普段読む本まで、ほとんど縦書きの世界にいた私には、それだけでも社会学が何を目指しているのかがわかる。縦書きという文化は日本固有のものであり、世界的なまなざしからみたら異端である。にもかかわらず、自分達のやりかたを通しているところに何を読み取るか、美徳を読み取るか、あるいは時代錯誤を読み取るか、はそれぞれの自由であるが、やはり世界基準で考えた時にはソリが合わないことの方が多い。それをこの本では横書きで書いている。ワールドワイドで考えているようにも読めるこの表現の仕方は、宮台真司の視野の広さを読み取っていいものだろうか。

 私のこのブログを読んでいる方はわかってくれるかもしれないが、私は文学部で一応専門は文学である。だが、もはや卒業しか残さないというところまで来て、私は文学に対しての思いがやや変化してきている。というのは、文学は文学だけのなかに留まっていてはいけないと思うのだ。私が目指しているのは、文学やサブカルチャー作品などを通して、広く文化や社会を論じなければならないのではないか、というものなのである。だから、大学の文学だけに終始する読み方にはあまりうまがあわなかった。
 社会学にも当然興味のある私は、この本のなかで、興味深い知識を沢山得ることができた。たとえばこんな部分を引用してみよう。

 〈試しに環境問題の議論の最先端を紹介しておこう。ドイツから出て来た「環境ラディカリズム」がある。これは、人間視点(「人間が生きるために環境をどう守るべきか」〉じゃなくて、(「環境が生きるために人間はどうするべきか」)に立つ考え方だ。)
 〈現在の地球人口は約70億。ある試算だと、6億に減らさないと地球環境を保全できない。アメリカの人間が一人しねば、アフリカの人間50人分の資源が節約できる。だから、戦争やテロが起こって先進国から順番に人間がしんでいくのが、地球環境に優しい―。〉

 〈能力によって自由を愉しめる度合いが違ってくる。これは本当のことだ。でも能力がとぼしいからといって過剰にみじめにならず、自分がそこにいてもいいんだ、自分は生きていていいんだ、自分は他者に受け入れられる存在だ、と思える。それが「尊厳」ということだ〉
 〈自由であるためには「尊厳」が必要なんだ。「尊厳」は、君以外の人(他者)から「承認」される経験を必要としている。逆にたどれば、他者から「承認」された経験があるからこそ、「尊厳」(「失敗しても大丈夫」感)が得られ、それをベースに君は自由にふるまえるんだ〉
 〈すると、現実には3つのタイプの人間が出てくる。1つ目が、他者に「承認」して欲しいあまり、周りの機体に反応しすぎるタイプ。他者に気に入られたくて「いい子」を演じたり、周りに遠慮して意見をいえなかったりする「ACアダルトチルドレン」と呼ばれるタイプだ。
2つ目は、他者に「承認」して欲しいあまり、周りの期待と自分の能力の落差に直面して失敗するんごあこわくなり、「試行錯誤」にふみだせなくなるタイプ。「尊厳」に問題があるので「自由」から見放されてしまうこのタイプは、一部「ひきこもり」に当てはまる。
3つ目が、他者から「承認」されない環境に適応してしまい、「承認?何それ?」とばかりに、他者との交流とケツ道した「尊厳」を投げ出すタイプ。「AC」や「ひきこもり」はまだ他者を必要とするけれど、このタイプはそうじゃない。これが結構こわいんだ。〉

 〈「みんな」に共通の前提がなくなった社会では、子どもは安心して「試行錯誤」できない。こわくふみだせなかったり、人付き合いを投げ出してしまう人だって出てくる。「ひきこおもり」「脱社会的存在」といった、昔は存在しなかったタイプの人間が生まれる背景だ。〉
 〈いまの社会では「みんな仲良し」どころか、想像もつかないような考え方やふるまい方をする他者たちがあふれている。それが当たり前になった現実の前で、「みんな仲良し」はあり得ない。仲良くできない他者たちとどう付き合うかについて、考えていかなくちゃいけない。〉
 〈アイデンティティというのは、会社をクビになろうとどうなろうと、あれこれ失敗しようが、「自分は自分だ」と言い続けられる根拠、つまり「尊厳」のことだ。君がこれから大人になるときに確実に直面するのが「尊厳」の問題だ。君は自分に「価値がある」と思えるだろうか〉


 いくらでも引用ができる。私は本を読むときには大事だなと思ったところに線を引いて読むのであるが、この本は特に多く線を引いた一冊だった。
 この本のなかには、今の社会を生きていく上で、重要な示唆が引用した箇所のように沢山書かれている。
 私のようなすねた人間は(すねさせた原因は社会にあると思っているが)、この社会はもう時代遅れで、現状に対応していないためにこんな無理が生じているのだと思っているから、社会なんて一度もっと簡単になってしまえ、単純になるまで、複雑な部分を破壊してしまえと思ってしまう。そういうことをいうと、周りの人間は嫌な奴、うるさいやつとしか思わないのだが。
 しかし引用した箇所のように、今の社会では、我々は自分の「尊厳」を守れないのが現状である。たまたま私は大学4年だから周りの人間が就活というものをしていたのでこういう話をするが、みんな何十社にエントリーシートを送って、そしてそれだけで全部落とされて、愉しかった学生生活はどこへやら、精神的にみんなおかしくなり、Facebookではまじめにがんばっていますアピール。朝井リョウの『何者』のような作品が直木賞をとってしまうような有様である。これはいかんともせん。
 社会が間違っているに決まっているのだ。だから私はその社会には汲みしませんよ、と周りの人間が就活をしているときに、私はしなかった。だからエントリーシートの実物を見たこともない。
 みんながみんなこのおかしな社会に汲みしなければ、社会の方が崩壊し、またそこで生きている人達に合わせたものに変化するだろうと私は思うのだが、一般大衆はそんな風には思わないし、考えないし、考えたとしても、そう行動できない。当初就活なんて、と言っていたのは私だけではなかった。だが、次第に周りのみんながやっているなかで自分だけやらないということに耐えられなくなったのか、みんなリクルートスーツを着てどこかへ行ってしまった。

 この本のなかでとても重要だなと思ったのは、社会学は人の幸せを追求する学問だ、と述べている部分である。私も、社会がなんだかんだというが、本質のところでは、人の幸せを一番に願っている。私の場合は、たまたま社会が人の幸せを阻害、妨害している、就活が悪いのだ、と思っているから、こいつらをやり玉にあげて攻撃しているだけなのである。
 事実就活をしなかった私の精神はいたってよいものであるし、過ごしやすい日々を送っている。近くに資本主義にどっぷりとそまってしまっている人間がいるので、いつも愉快にすごせているわけではないが、少なくとも就活を無批判でしてしまうような人間と比べれば、幸せに生きているはずである。あるいは、就活することになんの疑問ももたない人はある意味では幸せなのかもしれない。洗脳されているわけだから。
 しかし私は、やはり人間として生きているからにはこの頭を駆使して、自分がそう思い込んでいるのは、なぜなのかということを見据え、それを相対化したうえで、自分の本当にやりたいことを選んでいくのがいいと思っている。
 14歳からの社会学とは、まさしくそういうメタ認識、どうして自分はそう感じるのか、例えばマイホームを持つことが夢だとしたら、なぜそう思うようになっているのか、というところに目を向けるための訓練になる本なのだ。私はもとからそういう思考方法をするように文学で鍛えられてきたから、ものすごく新しい発見があった、ということはなかった。だが、それでも新しい発見、あ、そう考えるのか、という発見はあった。14歳には正直言えば難しいだろう。だが、大学生くらいにはわかる本だと思うので、この本を読んで少しでも自分の幸せのことを考え直してみたらいいのではないかと私は思う。

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