中島義道『働くことがイヤな人のための本』感想とレビュー

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 私が去年の秋ごろ、生きるのに疲れていた時に奇跡的に出会った本があった。その本は『生きることも死ぬこともイヤな人のための本』。このタイトルはまさに私のその時の状況を言い表していたのである。
 生きることがいやだった。生きるということはとても恐ろしく、怖いものに感じられた。生きるために人は食べる。何を食べるのか。生きているものを食べるのである。その当時の私は肉をできるだけ食べたくないと思ったりもした。自分ががめつく生きるために、他の生き物を殺してまで生きているということがどうにも辛かったのである。しかし、では、死にたいのかというとそうではなかったのである。生きたくない、生きるのが辛い、というと、すぐに人はでは死ねばいいという結論をよこす。そういう答えをよこした人も何人かいたような気がする。しかし、私は生きるのも嫌であったが、なんということか、死ぬこともイヤだったのである。
 私はその時この気持ちは僕だけのものなのかと思っていた。それを言い表されてしまったことに、ちょっとくやしさは感じたものの、私はこの本と奇跡的に古本屋で出会うことによってかなり救われたのである。内容は私よりも重症で、そうじゃないなと思うところも多々あった。だが、生きることも死ぬことも、どちらもイヤであるという悩みは正常であると中島義道は私を励ましてくれたのである。それ以来私は中島ファンになった。
 さて、今回『働くのがイヤな人のための本』であるが、これもまた私にとってはベストマッチな本であった。心療内科に通うようになって、体調も回復してきた私は、次に直面、対決しなければならなかったのは、就職というものであった。だが、生きることにも死ぬことにさえも疲れていた私である。当然働くことを考える力さえも残っていない。とにかく私は2,3年は休養しなければならないと考えていた。ところが、現代日本社会においては、そのような休養を許してくれるような風潮はない。周りを見渡せば、一緒に会話をし、価値観を共有できると思っていた知人たちが、リクルートスーツに包まれて、没個性と化し、やれエントリーシートだ、面接だと意気込んでいる。私はまるで異世界の出来事を見ているかのように周りのことを見ていた。私は結局何もしなかった。エントリーシートは実物を見たこともない。
 そんな時に、中島義道の本にこのタイトルの本があるのを発見し、手に取ってみたのである。
 今回は最後の数ページだけを残してしばらく放っておいてしまったので感想を書くのに間が空いてしまった。

 まず私にとってこの本はとても相性のいい本だった。本との相性というものはあるものである。同じ日本語の本であっても、すっと頭に入ってくる本もあれば、なんだか意味がわからなくて何度も同じ場所を読み返していたり、頭に入ってこず、眼だけでおっていたり、ということがある。本との相性というものもあるものなのだ。
 さて、結論から話そう。私はこの本を読んで、さらに自分のなかにあった考えが強まった。それは、働く「必要」はない、というものである。
 私は大学四年間で、ひとびとがなんとなく信じているものに対してずっと疑問を持ち続けていた。そういう訓練をしていたのである。あるいは、そういう問いが生まれて来たのである。なぜ生きなければならないのか?普通こんなことを考える人はいまい。だが、私にはこの問いがどうしても気になって仕方なかったのである。一応今現在のところで達している答えを紹介しよう。これは私の問題であり、私の答えであるから、これを読んでいる人には何を言っているのかわからなかったり、あるいはそうではない!と憤る人もいるかもしれない。だが、これは僕オリジナルの、誰にも侵犯不可能な答えなのである。それは、生きる「必要」などないというものだ。だが、だからといって、死ぬべきなのかというとそうでもない。生きる必要もなければ、死ぬべきでもない、そういうちゅうぶらりんな状況が現在の僕だ。だから、僕はとりあえず自分が生きられるように、生きやすいように生きたらいいのではないかという結論に落ち着いている。
 で、働くことについてだ。私は、なぜ生きなければならないのか?という問いと同時並行で、なぜ働かなければならないのか?という問いについてもずっと考えて来た。この二年ぐらいはかなり真剣に考えて来たのではないかな。一人で考えていてもよくわからないので、何か僕のことを納得させてくれる本はないものだろうか、考えはないものだろうかと思って、何十冊もの働くことについて書いてある本を読んだ。
 「はたらく」とは「端楽」と書いた。端というのは、他の人という意味である。他の人を楽にするのが「はたらく」ということだ、という答えはいままであった多数の答えのなかで最もしっくりくるものである。だが、だからといって、なぜこの「僕」が「働」かなければならないのか?はわからない。
 いろんな本を読んでも、途中までは働きたくないということに同意的であるにもかかわらず、最後はなぜか理由をいわずに、でも働かなければいけないんだよ、と終わらせている本が多数だった。しかし僕はそんなものに納得できなかったのである。
 なぜ人を殺していけないの?有名な問いがある。数年前凄惨な事件が立て続けに起こった際に、ある子供が発したこの問いに、評論家たちが答えられなかったというのが大問題となった。私も個人的にこの問いに向かって行った。結論はこうだ。人を殺していけない理由はない。だが、である。だが、人を殺してもいいか?という問いをここでセットにしなければならない。これが私の答えである。人を殺してはいけない理由は決定的にはないし、場合によってはしかたないかもしれない。だが、人を殺してもいいのか?ということになると、それはまた違うぞということになり、結局は人を殺さないという状況に落ち着ているのだと思うわけである。
 この発想方を見付けたのは僕にとって大きな出来事だった。これを他でも応用ができるのである。それをあてはめてみて答えを導いてみればいい。
 なぜ生きなければならないのか?という問いに対しては生きる必要はない。死んでもいいのか?究極的には死んでもいい。だが、しかし、自分に聞いて見る。死にたいのか?答えはNOだ。
 なぜ働かなければならないのか?という問いに対しては働かなければならない理由などない。では働かなくてもいいのか?それをいけないという理由はない。ということになる。

 そもそもなぜ人間は働くのだろうか。
 金である。みんな金がないという。
 では金があれば働かなくていいのか。多くの本では、働くのは社会に承認されることだとか、人間と人間の間に入ることだとかなんとか書いてあったが、私は金があれば働かなくてもいいと思う。働きたい人は働けばいいと思う。だが、働きたくない人を引っ張り出してきて、働けというのは間違っている。どう考えてもそうとしか思えないのだ。
人は言う。働かなかったらどうやって食っていくのかと。
 ここに働くことに対する考えがたぶん違うのだろうと思うのだ。私は働くということを定職につくことだと考えている。恐らく多くの人もそうだろう。だが、多くの人は働くということを定職に就くということだけでなく、定職につかなければならない、というしなければならないこととして捉えていると思うのだ。だが、私は違う。働く必要はない。定職につく必要はないのである。
 金、金ならアルバイトをすればいい。それで事足りるのだ。僕は幸いあまり食べる方ではないし、そんなに贅沢をしたいとも思わない。ごくごく消費の少ない生活を送っている。そもそも私は資本主義社会が嫌いだから、資本主義社会が生み出した「消費」ということをあまりしたくないのだ。
 アルバイトで最低限のお金を得る。で、後は何もしない。それでいいではないか。実はそれでいいのである。
だが、それでは嫌だと思う人がいる。それは毎日毎日行きたくもない職場に満員電車に乗られていって、やりたくもない仕事を毎日毎日やって。嫌なことをずっと我慢している。でも、自分ではその厭な状況から抜け出すことができない。抜け出そうとしない。そういう人たちが一番厄介なのである。
 こういう人たちは人類の足を引っ張る。ニーチェが言ったルサンチマンに満ち溢れた人達だ。この人達は自分たちが苦労しているから、辛い思いをしているから、それを他人にもしなければ自分が救われないと思う。だからこの人達はものすごい形相で、ものすごい攻撃性を以て、自由に生きているアルバイターやニートやフリーターを攻撃するのである。
 私は働く人たちを馬鹿にしたりはしない。一生懸命働いている人たちにはむしろ尊敬の念を抱く。皮肉ではなしに。しかしだ。しかし、働いているけれども、働くことが嫌で嫌でしょうがない人達には軽蔑をする。嫌でしかたないのだったらやめればいいのである。実際私は南米に旅に行った時、仕事を辞めてきましたという日本人に何十人も会っている。じつは仕事なんて簡単にやめて海外に飛んでしまうことなんて簡単にできるのである。しかし、自分は仕事をしなければならない、働かなければならないという思い込みから抜け出せていないのが多くの日本人なのである。そしてその思い込みは、他人にも強く影響を及ぼす。みてみたまえ。日本の学生を。一年くらい遊んでから就職したって何の問題もないどころか、むしろそうするべきであろうはずなのに、みんな3年時からリクルートスーツを着て、現役で入ろうとしている。人生の無駄ではないのか。

 たぶん僕は死ぬまで定職には就かないだろう。
 なぜなら就きたくないからである。現代人は時間をお金に換えている。しかし私はお金を払ってでも時間が欲しいのである。だから、定職にはつかない。必要最低限なお金はアルバイトで稼ぐ。それの何が悪いというのだろうか。実は何も悪くないのである。
 これまで言って定職につかなければならない、という思い込みを捨てられない人がいたら、それはもうどうしようもない。メタ認知をしてごらんとは言っておくが、そう信じている方が幸せならそう信じていたほうがいいのかもしれない。私もこう信じているほうが幸せだからこう信じているだけである。それでいいだろう。

 おっと、熱くなりすぎた。本の感想だった。
 まあざっと大体僕が言ったようなことが、中島式に書いてあるのである。
 この本でおもしろいなと思ったのが解説。
 解説はなんと斉藤美奈子。私は斉藤美奈子の『紅一点論』を読んだ時、これはおもしろいなあとつくづく感動したものである。だが、今回の斉藤美奈子はひどかった。なんとこの本がわからないというのである。その解説たるやさんさんたるものであった。私は斉藤美奈子に対して、これがわからないのかと、幻想を破られた気分である。あの斉藤美奈子でも理解できなかったのなら、きっと多くの日本人は僕や中島義道のような考えの人間を理解できないのだろうなと思う。残念なことだ。



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