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富増章成『空想哲学読本』 感想とレビュー

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 世の中にはわずかではあるが、哲学に魅入られてしまう人間が存在する。その多くは哲学科へ向かうわけであるが、私が所属している文学畑にも哲学に魅入られてしまう人間がごくわずかだがいるのだ。というこの私自身がその哲学に魅入られてしまった、一般社会の価値からみたらダメ人間なのである。
 文学も深いところまで行くと哲学に通底している。源氏物語や夏目漱石、なんて表面上の文学をやっているだけではいけないのである。そもそも「読む」って一体どういうことなんだろう?という、考えもしなかったことを考えてしまうところに哲学は発生する。しかしそんなもの、普通の人間は考えないほうが身のためだし、考えたからといって何か得するわけでもない。それどころか、考えることによって日常生活にまで支障が及ぶというのであるから、考えないほうがよほどましである。
 そんな私のような人間が、さらに数段グレードアップして、私のような人間のために哲学をおもしろく、わかりやすく説明してくれたのが、この『空想哲学読本』という本である。

 筆者の富増氏は予備校の講師である。だから、哲学者ではない。いわゆる東大の哲学科を出た、わかりにくい哲学をやる人ではないのだ。そうではなくて、高校生に対して倫理学を教えている人間であるから、本書の内容も非常にわかりやすく、面白く書いてある。
章立ては
1 ウルトラマンでアリストテレスがわかる
2 セーラームウーンでキリスト教哲学がわかる
3 エヴァンゲリオンでデカルトがわかる
4 ときめきメモリアルでカントがわかる
5 ポケモンでヘーゲルがわかる
6 ガンダムでニーチェがわかる
7 巨人の星で東洋哲学がわかる
と、タイトルを見ただけでもわくわくするような内容である。
 私のブログをよく見てくれている人はご存知かと思うが、私は文学、美術、映画、アニメ、マンガ、ゲーム、サブカル、哲学、などなどの分野を縦横無尽にすきなところだけかいつまんできた人間である。だから、この人のように、哲学とサブカルを結び付けて考えるような方法がとても共感できるし、またその思考方法が非常に似ているのである。
 この本は二つの側面があると感じた。一つはもちろん哲学をサブカルの例を以てわかりやすく解説するというもの。私はこのためにそれまでどんなに哲学の入門書を読んでもわからなかった、哲学的な考えがわかるようになった。そもそもなんでもそうだが、入門書と書かれているほとんどの書籍は、かなり専門的な知識がないとわからないような本が多い。私はこの入門という言葉を非常に忌み嫌うようになったが、その原因は入門書のほとんどが入門ではなく、専門書だったからである。そんな愚痴はいいとして、確かにこの本もある程度やはり専門的な知識が必要になることは確かであるが、それでも他の入門もとい専門書と比べれば、ほんとうに入門の感じがした。
 そしてもう一つのこの本の側面はというと、よいサブカルの入門書になってもいるということである。私もこの本で挙げられているすべての例を知っているわけではなかった。名前は聞いたことがあっても、セーラームーンは全話みたことが無いし、ときめきメモリアルもよくしらなかった。そういう状況の私に対して、この本はよきサブカルの入門書にもなってくれた。いたるところでセーラームーンは重要であるということを眼に、耳にするので、私もそろそろ、卒論が終わったら全話鑑賞してみようと思い決めたところである。

 本書のなかで特筆すべきはニーチェの部分だろう。
 それまでニーチェの入門書は数冊読んできたが、どれも難解すぎてよくわからなかった。が、この本で私はよくニーチェの主義主張がわかったのである。私なりに本書のニーチェ解説を要約してみると、

 今までニヒリズムはただの虚無主義としか理解していなかったけれど、ニーチェの言ったニヒリズムの定義は、「従来の最高の価値がその価値を喪失すること」だ。信じられている価値が価値を失うことがニヒリズムのニーチェ的使用である。
なるほど、そして道徳というのはルサンチマンが生み出したものだというのがニーチェの言っていることなのか。「人は外見ではない、心なんだ」ってのはカッコイイ奴が憎い、外見上の敗者たちが唱えてきた道徳なわけである。
 ニーチェはより高いものへの向かっていく人間をキリスト教の道徳が貶め、平均化・凡庸化していると批判して、(キリスト教によって)「神は死んだ」と述べた(と解釈できる)。
 で、金持ちや権力のある人間をひきずりおろすことに関しては類を見ない日本は、きわめてキリスト教的といえるかもしれない
 もし、ニーチェの超人思想が価値として定着すれば、より高いものへと向かっていく人々へのルサンチマンがなくなり、一部の天才たちが現れ、それらが世界をよりよく導いていけるはずだったのだ・・・。だが、人間そこまでできていなかった、ということか・・・
 しかしニーチェの思想は「選民思想」とは相反するものなのだ(ここがよく間違われる。かのヒトラーでさえ間違えた)。ニーチェのいわんとしているところは、相互扶助によって、おたがい励ましあい、足の引っ張り合いがなくなるだろうということだったのだ。

 という具合である。他にもおもしろい部分や、わかりやすい部分が多々あったが、今のところ私の中では、この本はニーチェ入門としては最良の書という位置づけが大きい。

 また、最後にそれまでの西洋哲学からうってかわって、東洋哲学をきちんと紹介しているところがいい。筆者はほかにも「超時空要塞マクロスとショーペンハウエル」「コジコジとヤスパース」「アンパンマンとサルトル」なども用意していたと述べている。ものすごくそれらも読みたかった。だが、そのかわりに、「西洋思想の要点を書き連ねるだけでは、日本人がその思想を模倣すればよいように思われてしまう。西洋哲学の知識を蓄えた上で、日本の精神文化をとらえなおすことが大切なのである」と、冗談ばかりいってきた著者にしてはいやにまじめな、まっとうな見解のもとに、東洋哲学の紹介というか、私たちがどのような哲学をもって生きているかを考えるための章立てをひとつ設けているのである。
 西洋の論理ではどれだけ考えてもわからないところ、行き詰ってしまうところを、東洋の論理はぽんと乗り越えてしまう。論理を超越してしまうところにこそ、東洋の論理(言葉遊びのようだが)、東洋の哲学があるのである。だから、この日本で西洋の哲学をやることはけっこうであるが、それが全てだと思い込み、東洋的な考えは非論理的であるとか、そういう考えを持つのは間違っている。むしろ西洋では乗り越えられない部分を東洋は乗り越えるのであるから、この際両方のいいところを使用して、西洋と東洋とをアウフヘーベンし、さらに高次の哲学へと移行すべきなのである。

 タイトルといい、著者といい、いいかげんな本なのにもかかわらず、その内容はものすごくよかったことに驚かされた。特に著者紹介のところに、本人の名前は「富増章成(とますあきなり)」なのだが、洗礼名が「トマス・アキナス」というところがなんともいい。洗礼名さえジョークにしてしまう著者のセンスには脱帽してしまう。※富増章成は、ペンネームだそうです。後日知った

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