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筒井康隆『アホの壁』 感想とレビュー

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 筒井康隆と言えば
“昔、筒井康隆の作品に影響をうけて、高校生がおじいちゃんを殺したという事件がありました。本人が「筒井作品に影響をうけて」と、はっきり言っちゃったんですよ。
あの時の筒井康隆は偉かったよね。
「文学とはそういうものだ」ってはっきりと言い切ったんです。
文学というのは人の心を立派にするようなものではなくて、人の心を下品にしたり、殺人者を生んだりする毒である。毒であるからこそ素晴らしいのだ。この世の中にはない「毒」がつくれるからこその文学である。
だから俺は「俺の作品で人殺しが出た」ということを誇りにはしないが、隠そうとも思わない。”

 岡田斗司夫『遺言』
 という名言を残した日本の文学界の重鎮である。
 1934年生まれなので、今年で御年80歳。今回読んだ『アホの壁』は2010年発売であるから、75歳を超えた際の作品である。
 さすがに前回読んだ、つぎはぎだらけの駄文である『ぼくたちは就職しなくていいのかもしれない』とは大違い。往年の作家の文章であるから、文章は上手い。
 なんといってもこのタイトルからしておもしろい。この本は、当然あの脳科学のブームの火付け役でもある養老孟司の『バカの壁』を念頭においていることは言うまでもない。ところが、さすがに自虐ネタがうまい筒井先生である。第四章、「人はなぜアホな計画を立てるのか」という章では、七 「成功した事業を真似るアホ」というケースで、『国家の品格』が大ヒットしたあと、「品格」をタイトルに付けた新書が100冊以上発売され、全員アホだ、「品格もへったくれもあったものではない」と断じつつ、自分が『バカの壁』の追従となっていることへもすまんと謝っている。

 筒井康隆と言えば、『文学部唯野教授』で、あれだけの勤勉振りを見せた作家である。理論書をわかりやすく解説した本としても十分に読める本を書いた人間だ。今回もその勤勉振りは隠しつつも、やはり垣間見れてしまう。この本はただの作家が、おもしろおかしく書いたというだけの本ではない。協力者が何人かいたようではあるが、本人もフロイトのことなどについてかなり勉強しているのだろうということがわかる部分が多々あった。
 本書の内容はといえば、この本は、人はどうしてアホなことをするのかを、フロイト的な解釈などを踏まえておもしろおかしく解説したものである。
 特に私がおもしろいなと思ったのは、二章の「人はなぜアホなことをするのか」という章立てで、こちらはどちからというと、ものごとを脳がどのように解釈しているのかということが主に書かれている。

 本書には具体的な例が沢山あげられていて、それらに解説がされているのだが、アホのもっとも根本的な原因はなにか一言で内容を要約してみようとすると、こういうことが言えるのではないかと私は思った。すなわち認識のズレである。
例えばある男性に彼女が「仕事忙しいのね」というメールを送ったとする。すると男性側は、このメールが、仕事が忙しいことに対しての彼女からの気使いなのか、それとも彼女が忙しさにかこつけて構えってくれないことにたいして怒っているのか、男性には判断ができないということが起こる。こうした認識のズレが人々をアホな行動へと導く原因だと、この本を読んでいる限りでは思ったわけである。
 この本ではではどうしたらいいか、といった解決策は示されない。なにせ、アホというのが悪いことであって、アホでないことが良いことであるという考えがないからである。最後には全員がアホでなくなったら、そんな世界は嫌だといって、アホ万歳とまで、この往年の作家は言ってしまうのである。それまでさんざんアホをこけにしておいて、である。流石としか言いようがない。

 アホというのは、時に人々を殺すこともある。アホのアホな行動によって、それが戦争の火種になったことは歴史を見れば明らかであるし、これからもそのアホによってアホな戦争が引き起こされることが多々あるだろうと簡単に予想がつく。あやまって人を撃ってしまったりするなんてこともアホなことだし、人間が完全にアホというバグが起こらないような機械的な存在になりでもしないかぎり、アホによる死や災害というのはなくならないだろう。
 だからといって嘆くには値しないのである。どこかでだれかがアホなことをしでかして、損害が出たとすれば、他の人間がその埋め合わせをしようとする。人間の歴史はつねにそうやってよりよい方向へと向かってきたわけである。もちろん時には後退もするだろう。しかし、破壊と再生は常に一緒なのだ。アホにほる破壊があるからこそ、新しいものが創造される。新しいものはアホによって創造されるといってもいいくらいなものである。
 また、アホによって人間が救われていることもある。なんにもアホなことがない世界というのは、すなわち機械のような世界なので、ちっとも笑いの要素がない世界ということになるだろう。そんな世界では気づまりで、きっとそんなところで生活したら、人間は数か月のうちに発狂して死んでしまうことだろう。人間は人のアホなことを見て笑う。私も今日、たまたま風呂に入らなければと思って気がついたら、自分の部屋で服を脱いでいたものである。これは誰にも見られなかったが、アホな行為である。こうしたアホなことがあるからこそ、人間は笑うことができるし、生きていくことができるわけである。

 人間からアホが必要不可欠であり、またなくならないかぎり、人間はアホを無くすという方向へではなくて、いかにアホと上手く付き合うのかという方向で生きていくほかないだろう。
自分のアホがゆるせるように、他人のアホも許せるような人間になりたいものである。

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