劇場版 Fate Stay Night 感想とレビュー

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 前々から気になっていたフェイト。今回は初めてその劇場版である『Fate Stay Night』を鑑賞した。
 この作品だけからでは、どのような設定なのか、おぼろげながらわかるが、全てがわかるわけではない。アーチャーと呼ばれる使い魔的な存在が、主人公である衛宮士郎と同一人物であるらしいことはわかったのだが、どうしたら人間の衛宮が魔界の世界の存在である使い魔的な存在へと変貌するのかがわからない。また、遠坂がアーチャーを呼び出した際には、衛宮がアーチャーの姿になるだけの、そしておそらく果てしもない長い年月を無視して、つまり時空間転移を行ったのか?といった疑問も残った。
 それらの疑問等々は、これからアニメ版や漫画版を読むことによってクリアしていきたい。
 さまざまな設定をああだこうだというのは、私の批評では意味がないと思っている。そういうのが好きな人はたくさんいるので、それらはそれらが好きな人へと任せたい。私が専ら自分の仕事だと思って行うのは、これらが時代や社会その他作品との関連の上で、どのような意味を持つのかといったことである。いわゆる文芸批評なのであるが、作品をより広くみていくのが私の視点である。

 今回は何もかもが初めてだということもあって、詳しい内容検証はできないが、この作品を一度見た限りにおいて感じたことを書いていく。
 もともとこの作品はゲームから出発したらしいが、ゲーム版ではどのような物語だったのか気になる所である。私はこの作品を考える上で、是非ともエヴァンゲリオンを比較対象としたい。このゲーム版が1994年。アニメエヴァンゲリオンが95年からである。一応作品の影響関係ではこちらのほうが先になるのかもしれない。
 エヴァンゲリオンは様々な問題点、論題点を抱えた作品であるが、私がなによりもあの作品がヒットした理由は、そのヒロインにあったと考えている。あの作品には男性の欲望すべてが抽出、結晶化されたヒロインが二人登場するからである。
 1人は綾波レイ。彼女は男性の欲求の究極の結晶である。男性は主に支配欲がある。もちろん女性にもあるだろうが。特に恋愛関係においては、相手の女性を支配したいという欲求がある。これを具現化したのがレイである。彼女は純白である。すなわち、なにものにも汚されていないということである。
 男性は特に自分の好きな女性が他の男性と性的な関係を結ぶことを一番の苦痛と感じるらしい。とすると、自分の支配下におさまり、しかも自分以外の男性と性的関係をむすばらない女性は理想の女性であるのである。レイはおそらく自分の言うことを聞いてくれるような人形であるし、自分がどんなに変態なことをしても怒らないだろうという予想がつく。これが男性がもとめる人形的な理想的な存在なのである。
 それに対して、いや言いなりではこまる、といった少々M気質をもった男性はアスカへ向かう。S気質を持った人間がレイに向かうとすると、ここにはその反動が描かれている。すなわち、言いなりでは困るのである。恋愛において、女性は男性にリードしてもらいたい、といういっぱんてきな幻想がある。が、実はこれは男性にもあるのである。当然最初から最後までどこへいって何をみて、なんていうことをいちいち全部決めなければならない、リードしなければならない、というのは男性にとってかなりの苦痛なのである。最近ではそうした感情を発露する機会が増えて来たからまだいいものの、世の中の女性の大半がリードしてもらいたいと思っているくらいには、世の中の男性もリードしてもらいたいと思っているのである。
そんなときに男性の欲求を満たしてくれるのはアスカである。彼女は自分、自己、自我といったものがあり、彼女の命令さえ聞いていれば、彼女との関係を構築することができそうだという願望が見え隠れする。
 私はここに男性の二大欲求が投影されたヒロインが構築された。それが何よりもの功績だと考えたい。

 そして話はフェイトに戻るが、このフェイトに登場する使い魔的な存在である剣士セイバー、彼女はこのレイとアスカのハイブリッドと言えるだろう。すなわち、S的な男性も、M的な男性もどちらもこの子ならば、という究極の理想がセイバーその人なのである。
 セイバーは、質実剛健。主君の言うことならばどんなことにも従うが、しかしそれが義に背くことであったり、自分の納得のいかないことであれば、自分の信念に従って行動するという人物である。レイの人形らしさと共に、アスカの行動力や意志力といったものを持ち合わせたのがこのセイバーなのである。
 そしてそのセイバーは、男性の欲求を究極的に抽出し、結晶化したものなのである。だからこそ、男性はこのセイバーに対して恋愛感情に似たものを持つのである。たった二時間の映画であったとはいえ、これだけ魅力的なキャラクターはそういないと私も思わずにはいられなかったのには、このような理由があるからだろう。
 しかもこの作品が絶妙なのは、さらにセイバーとともに、アスカ的なキャラクターである、遠坂を出してきているという部分である。やはりどんなに理想化されたとしても、一元的なものではいけない。人間、はいこれがあなたの理想ですと、確かに理想形を出されたとしても、一体何と比較して理想なのかがわからないと、よくわからないものなのである。だから比較対象として、作品に活力を与えるため、遠坂という少女がこの作品には是非とも必要だったわけである。遠坂の描写は比較的簡単である。そのままアスカをトレースしてきたような存在で、ツンデレである。最終戦の前には、身体的な接触にもにた契約の儀式があり、その場面では照れるのである。こうしたアスカ的な存在にもまた多くの男性は惹かれるものである。
 これが、セイバーと遠坂どちらがいいか、ということになると極めて難しい問題になるだろう。
 アスカとレイという選択肢ならば、難しいまでも、まだ選ぶ余地があったのである。もちろん人間SもMも有しているという前提のうえで、S気質が強い人はレイ、M気質が強い人はアスカと選ぶことができたのである。だが、今回は、レイバーはレイとアスカのハイブリッドである。対して遠坂はアスカだけである。となると、相対的にアスカに票をいれる人間の半数がセイバーに移ってしまうと考えると、セイバーのほうが得票が多くなってしまうだろう。しかし、それは全体的に見た時のはなしであって、個人レベルでセイバーか遠坂か選んでみろと言われたら、かなり難しい選択になるのではないかと思う。

 と、まあ私が分析しえたフェイトの作品の魅力はこんなところである。
 もともとが18禁の作品だったこともあってか、セイバーが拷問されている場面は、レイプ以外のなにものでもなかったし、バーサーカー使いのイリアという少女が殺される場面は凌辱以外の何物でもなかった。他にもグロテスクな描写も多々あり、スプラッターの苦手な私としてはやや目をそむけたくなるレベルではあった。
 だが、他にもこの作品はエヴァンゲリオン的な、背景になにか体系的なルールや世界観があるのだろうけれども、それを小出しにしかしていないという点で、その謎を解き明かしていく、謎解き的な要素、楽しみ方もあるように感じられる。まだまだこの作品の魅力は語り得ていないということになるだろう。
次はマンガかアニメを見たいと思う。

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