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ROAD TO NINJA -NARUTO THE MOVIE- 感想とレビュー

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 〈『ROAD TO NINJA -NARUTO THE MOVIE-』(ロード・トゥ・ニンジャ ナルト・ザ・ムービー)[2]は、2012年7月28日に公開された日本のアニメ映画。漫画『NARUTO -ナルト-』を原作としたテレビアニメの劇場版第9作。〉Wikipediaよりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/ROAD_TO_NINJA_-NARUTO_THE_MOVIE-
いよいよナルトも大詰めである。
 現在二十代の私の世代は、ナルト世代といってもいいくらいなものである。ナルトの連載が1999年から続いているとなると、ちょうど私の場合は小学生になるかならないかというくらいの年代から始まっているわけである。私がナルトにはまったのはそれよりももう少し後で、アニメが始まって一年ぐらいたっていたころだったと思う。漫画でいうと14巻あたりであっただろうか、三代目火影と大蛇丸との戦いは手に汗握って見た物である。私がナルトを見始めたのは中忍試験が始まるくらいであっただろうか。
 私はナルトの一ファンとして、すでにだいぶナルトの知識があるので、こうした作品を見る際に、正確な判断ができない。私が考える正確な判断というのは、はじめてその作品を見た際にどの程度わかり、たのしめるかということが基準になっている。が、私はナルトの世界をあまりにも知り過ぎているため、そうした漫画やアニメという本体があって、そこから派生されるようなこうした映画を冷静に見ることはできない。
 が、おそらく、ナルトのことをあまりしらない人間がこの映画を観たとして、それはとても低い評価にならざるをえないだろう。そもそも暁とはなんぞやという説明から、マダラがなんぞやという説明までしなければならないのである。こうした派生作品はそうした初めてナルトに触れるという人たちにとっては、決してやさしくない作品なのである、ということを忘れはいけないだろう。

 今作は2012年作とあり、比較的新しい作品である。
 映画版のナルトはユキが主題歌を歌っていた雪国での戦いの作品が懐かしい。おそらく一作目だったと思うが。あのころから比べると、この作品は後期ナルトの雰囲気を比較的忠実に描いていると思う。
 が、そもそも私はマンガ派の人間なので、どうしても自分の頭のなかの声と、声優との声があわずにイライラしてしまう。
先日キャラクター本である、『陣の書』を購入した。そこに書下ろしで付録としてあったのが、この作の冒頭にある、銭湯のぞき見事件である。おそらくこちらの映画が先で、それをあとから岸本先生がそれをたどりつつ、新たに修正を加えて書き下ろしたのだろう。ただ、こういう映画の作成現場がどうなっているのかわらかないが、「原作者岸本斉史が自ら描く劇場版最高傑作!!」というキャッチコピーからもわかるように、原作者がたびたび映画製作の脚本等にかかわっていることがある。とすると、このエピソードが岸本氏から出てきたものなのかもしれないので、どちらが後先という話はあまり意味がないだろう。

 設定として、この映画のほとんどは、マダラ(実は違うが)が生み出した限定月詠の世界に囚われたナルトとサクラが活躍する。だからこそ、なんでもありなわけなのである。マダラが創造した世界ということなのであるから、基本的になんでもありだ。だが、なんでもありのアナーキーな状況に陥らないために、マダラでさえ「全部は自分の思い通りにならない」とつぶやかせるほかないのである。
 なんでもない、ということは、何を表現してもよいというわけである。そうすると、俄然製作者たちの本気が知れてきてしまうわけである。
 今作の名シーン、これはなかなかすごいと思ったのは、九尾対九尾。これがすごかった。私はこのシーンを見るために、他の百分があるようなものだと言ってもいいと思う。おそらく製作者たちも、この巨大な九尾と九尾の戦い、というのが念頭にあって、どうしたらそれを実現できるかというところから発想したのではないか、と思われるくらいである。
九尾同士のたたかいは、書き込みもすごく、巨大なものどうしが戦っている臨場感や質感、質量感といったものがうかがえた。
 他方、欠点としては、どんなに九尾同士が戦ったとしても、これらがすべて幻術の世界の中であるという、ニヒリズム的な視点が我々を邪魔するのである。作品に熱中してしまうようなタイプの人にはこれはほとんどなく、楽しめると思う。だが、私のように作品を分析する目を持ってしまった人間は、常にどこか冷めた目をして、メタ的に見てしまうのである。とすると、すべて幻術のなかではないか、という構造ばかりに目がいってしまい、なかなか本編を愉しめないという欠点が残ってしまう。これが少々残念ではあった。
 暁が味方になってしまう点など、やりたいほうだいの代名詞である。これはさすがにむちゃくちゃだった。いくらものごとが反転するからといって、暁を敵から味方にしてしまうのはよろしくないだろう。

 もう一つのこの作品の見どころは、最近忘れられてきていた、ナルトの身辺問題である。
 私達も物語が進んでくると、ついついそのストーリーばかりに目がいってしまう。が、人間そんなに変わるものではない。ナルトを理解するためには、きちんとナルトの状況をおさえ、それが自分であったらどうであろうという認識を忘れてはいけないだろう。
 そこで近年は暁との戦いから、マダラとの戦いへと、ずっと戦い続きで、忘れられがちであった、ナルトその人に迫っているのである。ナルトは確かにどんなに強くなったとしても、どんなに仲間が増えようとも、家族は蘇られないし、いないのである。まあ、穢土転生でよみがえってしまっているのであるが・・・(さすがにこれは無理があると常々思っているが)。
 実際問題として、17,8の青年が、両親なく、一人暮らしをずっと続けているのである。冒頭、家族に常任推薦をしてもらっている仲間たちがいるなかで、独りぽつんとしているナルトは、どこまでいっても現実のナルトの姿なのである。現在どんなに英雄と言われていても、ナルトが結婚等をしないかぎり、ずっと独りなのである。そのことを忘れてはいけないだろう。
 映画の中盤まではきちんとそれを映画いていた。限定月詠は、かけられた者の願望が反映される。ナルトの父と母は蘇り、サクラは反対に父が英雄として死んでいるという設定である。この反転はなかなかいい考えだと思う。我々は自分たちの置かれた状況でしか物事を考えることはできない。どんなにメタ認識が優れた人でも、限界があるだろう。しかしいざ実際にそうではない状況に身を置いてみると、考え方というのはおもしろいほど変わるものなのである。
 だからこのいつもこうであったらな、という環境に一度身を置いてみる、それをフィクションとしてでもやってみるということは、我々を思考停止から救い、更に次の段階へとアウフヘーベンさせるような機能を持っているといっていいだろう。
 中盤から終盤にかえては、戦闘場面になる。そうして、最後はふたたび家族の問題に帰結するのである。家に帰ったらイルカ先生がいる(どうやってはいったんだ!!)というオチによって、すべてが完結するわけである。サンドイッチ構造になっていて構造もはっきりしていて、わかりやすい作品だと思う。サンドイッチの中身にやや、私は苦手意識を持ったが、それも決定的な弱点ということはできないだろう。
 ナルト映画のなかでもまとまっていてよかったのではないかと思う。次作で最後になってしまうのかと思うと、だいぶさびしい思いである。

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