『ぼくらの』 鑑賞メモ 3 十三話から十八話

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第十三話 地球
・そもそもなぜこうした巨大な敵が登場し、戦闘しなければならないのか。エヴァンゲリオンでは、ついぞその理由は明かされぬまま、作中の「補完計画」なる単語をいいことに、読者がこういう設定があるのではないか?という設定に監督たちまでが参加して、戦いのそれらしい理由をつくるはめにいたってしまった。
この作品では、なんと宇宙の淘汰、枝分かれし、膨張しすぎた異次元をも含めた世界線の剪定のためにこの戦いがあるということが語られた。「並行宇宙」という概念を出してきたあたりから、やれやれと私は思ったけれども、それを剪定してしまうという設定には流石に度胆を抜かれた。
・相手の地球では、「地球を消さないで」というプラカードを抱えた宗教人たちの存在が描かれ、「ぼくらの」に登場する主人公たちの「地球」よりも情報が開示されているということが判明している。
・しかし剪定には、できるだけ似たような分岐軸を破壊するように仕向けられているというところがまた、なんともつらい。我々は自分達から離れた存在に対しては異常ともいえるほど冷酷になれるのだ。例えば黒人に対してあれだけのことができたように、自分達とは異種異形の存在に対しては人間はどこまでも冷酷になれる。ところがここでは、かなり近しい存在であることが判明する。日本語を話している人物たちも描写されていた。自分達と同じ存在を破壊せしめるというのは、どんなに冷徹な人間であってもできることではない。それをおこなってしまっている時点で、この作品のリアレティは失われてしまってはいるが、考えさせられる作品ではある。
・何度もうまいなと思うのは、生命の破滅と誕生が一緒に描かれている点である。しかも、二重にである。今回は、ひとつの宇宙の破滅と、まるで世界がそのままよみがえったかのような自分たちの宇宙への移動、パイロットの死と、その弟の誕生、という二つの軸での生命のサイクルが連動している。
・エンディングがバーミリオンへ変更。死んでいった順番で手を繋いでいる絵が印象的である。十三話ということもあり、後半に入ったということなのだろう。ただ、ここで順番がわかってしまった。


十四話 迷い
・十四話はこれまでよりもより一層大人の世界が描写されている。「ぼくらの」が子供の世界だけを描いている作品ではないことがよりはっきりとわかってきた。
・やくざが登場してきた。田中一佐が会長といわれる人物となにがしかの関係があることが判明。会長の口からは、おもわせぶりなセリフが垣間見られる。一郎と呼ばれる人物の忘れ形見が事件に巻き込まれているとのこと。親が描かれていないこどもたちの誰かに、このやくざで恐らく人気があった一郎と呼ばれる人物の子供が含まれているのだろうか。親を調べてくれという要望に対して、これは私の問題だとゆずらない田中一佐。おそらくかなちゃんか、うしろの親が、このやくざと関わりのある人物であった可能性が高い。
・吉川かんじの母親が認知研の教授であったことが判明。さすがにちょっと結びつきが強引すぎるなと感じるが・・・。作品がこのあとどう展開していくのかが愉しみである。
・順の母親が田中美澄であることが判明。しかもこの世界が平成28年であることも判明。

第十五話 自滅
・「ぼくらの」は、設定上、夏に臨海教室のような活動に参加していた子供たちがパイロットになってしまったというものである。ではなぜ臨海教室にやってきた人物たちが、そろいもそろって親との関係に問題があったのか、というと、親と問題があるからこそ夏休みのひと時を家の外で過ごそうということになったのだろう。文芸批評的にこの作品を考えるとすれば、この作品が公開された2007年ごろには、親と子との関係が崩壊していたということなのだろう。世紀末的な1990年代のあの異様なふんいきが終わり、あたらしい世紀に人々は希望していたが、なんということはない。たとえ世紀が変わったからといって、そこで暮らし、生きている人たちは根本的にはかわらない。そのままの雰囲気が2000年も続いていたのだろう。
特にネットやケータイの普及にともない、人間は根本的に実際に会って話すといった直接的なコミュニケーションが揺さぶられることになった。そこでディスコミュニケーションが発生したわけであるが、これによって、そと当時の大人は子供たちのこころを知ることができなくなった。知らないと人間は恐怖する。だから、その恐怖を反映するかたちで、子供たちのこころの闇を徹底して描くことによって、当時の自分達に麻薬的にこの作品を注射したということだろう。
・この作品では、14話めにして、新しい登場人物が登場する。たもつと呼ばれるやくざの男である。これまでの陰鬱な雰囲気には、どうしても外向きの風を通す存在がいなかった。ここにきて高田純次ばりのテキトー男を登場させることによって、作品の風通しをはかったものと言える。やや作品が陰鬱になりすぎたための緩衝材かもしれない。
・ここにきてなんとパイロットが戦いを放棄宣言。自分の母親を自殺に追い込むような世界、地球というものは他の地球や世界を滅ぼしてまで生き残るに値するのだろうか?というあまりにも素朴といえば素朴で、共感できる理由である。これまでこの登場人物は私が名前を覚えられないくらい、どうしようもなく影の薄い存在であったが、そのニヒリスト的な考えは非常によくわかる。これまで日陰者として生きて来た人間の哲学としてはあまりにもまっとうだ。
・ところがなんということだ。相手もまたきりえ並に戦いに対してニヒリズムを有した相手だった。たもつの「はらきりやがった」という言葉通り、自決するものの美学、日本的な美学を有していた。相手を殺してまで生き延びるのであれば、潔く自ら逝く。そうした諦念、哲学的な考えが反映された作品と言えよう。


十六話 正体
・きりえのキャラクターがずいぶん鋭利になってきた。
彼は最終的にニヒリズムから脱却して、戦うことを決意する。彼のニヒリズムは、自分ひとりのものではなく、母親と密接につながっていたものである。彼の生きる希望というか、生きる糧となっているのは、彼の大好きな母親だったわけだ。マザーコンプレックスとも捉えることもできるが、母が自分の生きる糧になっていることに対して私は肯定的だ。男性は全員、基本的にはマザーコンプレックスを持っている、というのはよく聞く話であるが、確かに自分を生んでくれた存在である。この自分を生みだしてくれた存在が自分の生そのものであるといっても何らおかしくはない。
ここまでは娘も同じことになるが、娘と息子とが違うのは、やはりその性である。男性は母親が一番最初に接する異性である。ここにはどうしても、何らかの感情が抱かざるを得ない。それに付け加え、母親というのは自分の生の根本である、生の根本でもあり、性の根本でもある。男は全員マザーコンプレックスにならざるをえないのは致し方ないだろう。順にしても、彼は自分の母親が死んだことになっているが、それはやはり一番大切な存在を奪われたという意識から、かなに対してのあのような行動になってくるのであろう。
・たもつ曰く、自分を知り、相手をじっと睨む、ようなのはやくざの世界では一番怖いという。確かにこれまでの登場人物とは異なり、きりえは感情に激されない。あの禅僧のようなのと似たいような精神世界を有している人物であるが、きりえの場合はあの禅僧とは異なり、諦念がある。いさぎよい諦念である。だから、この世界は自分の母親が希望を持てる間は、守りたいし、希望を持てない間は守る価値もないと思うわけである。


十七話 情愛
・いちおう季節を感じさせるつくりにはなっているようだ。そういえば最初の自然学校は夏休みであった。みんな夏なので薄い服装であった。秋口になってきたのであろう。田中はジャンパーを着ていて、うしろに対して秋用の服装が必要ではないかと尋ねる。ここが隠された母と子との対話となっている。
・17話からまたあの与口奈津江が脚本を担当している。「情愛」というタイトルの通り、ニュースキャスターの父とモデルとの不穏な関係、ならびに、コエムシとその妹である町洋子の兄弟の情愛である。いままでコエムシは誰かと話しているそぶりを見せていたが、それが洋子であることが判明した。また、この二人の会話から、パイロットの順番は単にランダムということではなく、コエムシの意志でいくらでも変更できることが明らかとなった。
・また古茂田家への襲撃や、往住キャスターの熱愛報道など、ジアースの報道をつぶそうという陰謀の描き方は上手いと思った。
・また情愛には、吉川と徃住との関係も含まれるらしい。この二人の関係は描写が足りなかったために、恋愛まで発展できなかったが、もう少し時間を割けばきちんとした恋愛も描けていたであろうとから少しもったいない気もする。この作品にはきちんとした恋愛が描かれていないからである。
・最後に徃住が死ぬ間際に、吉川は「支配者」たちの姿を垣間見る。それは主人公たちの存在が、末端的であるのに対して、それらすべての末端の世界軸をまとめているであろう高次の存在である。いわば、神様のような存在であるのだが、ここではその支配者たちは複数人描かれる。この作品での神のイメージはどちらかというと、キリスとやユダヤのような一神教的なものではなく、日本のアマテラスや、ギリシャ、ローマの神話のような多神教的な世界に支えられている。


十八話 現実
・この作品が途中から田中一佐を中心に描いてきたことは明らかであったが、今回かつらぎ氏の「すべての発端はあなたにある」という発言から、田中一佐がすでにこの作品の主人公であることがあきらかとなった。実はこの作品はこどもを主人公としていながら、田中一佐が真の主役であったのだ。
・まさかの古茂田議員と田中一佐がなくなってしまった。ほんとかよ!!これは表向きで、実は本当は生きているのではないか?

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