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『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL2.0』 感想とレビュー どこまでも身体的な映画

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 初めて攻殻機動隊を見た。以前から見ようと思っていたのだが、ネットで検索したかぎりにおいては、多数の派生作品があり、どこから見ていいのかわからなかった。この作品のネットという問題にもかかわってくるが、現物とネット上のバーチャルなものとの差というのを感じずにはいられない。
 話しがずれるが、日本でのCDの売り上げはネットでの音楽販売が始まってからさほど落ち込んでいないどころか、一部的に持ち直していると聞く。なんのデータも提示できないのでいささか説得力にかける無根拠な話だが、あながち否定もしきれない。というのは、日本人は(日本人に限らずとも)収集癖がある、というか、実際にものを集めることに重きを置いているからだ。
 データでいくらあっても気が済まないというのが人間、あるいは日本人としての心情なのだろう。やはりすぐに目に見えて、手に触れる「モノ」としてのものがいいのだ。

 私もネット上で情報として見ているだけではちっとも作品を見てみようという気持ちまで持っていけなかった。レンタルショップで現物を手に取って見るからこそ、見てみようという気持ちになる。
 意外とこういう作品ばかりを見ていると、ウェブ上、ネット上の架空のほうがいいのではないかといった錯覚を起こしてしまうものだが、ネットと現実というのは、相互補完的なもので、どちらか一方がいいという認識はどうも間違っているような気が私にはする。この作品でも、「ネットは広大だわ」といって、プログラムと同化した素子が街を見下ろしながら終わるわけだが、やはりそこは現実を目の前にしたうえで、そこにひろがるネットという、どちらか一方という認識を逸している感じがする。

 こういう作品を論じるのは難しい。
 例えばこの作品が鬼才と呼ばれた押井守監督による作品であるとか、その後世界を騒がせた「マトリックス」に極めて大きな影響を与えた作品であるとか、そういうことを指摘してみたところで、何の意味もないように私には思われるからだ。なるほど、そうしたこの作品の外部をまつわる知識的な部分は、確かにこの作品をいまだに見ていなかった私のような人間にとっては新鮮かもしれない。しかし、それが何か創造的な、これから何かに活かせるようなものに展化していくような気がしない。
 この作品には、かなり重要な指摘がいくつかある。それを一つ二つ拾い出してみることで何か有効な批評になるのではないか。

 私とは何なのか
 この作品は自己や自我といったものを作品によって捉えなおそうとしている。押井守は、自分が気持ちのいい、それで本当にいいと思われる世界ならそれがたとえバーチャルであってもいいんじゃないか、つまりそのバーチャルが本人にとって現実になったとしても、本人がいいのならばいいのではないか?といった発言を、たしか「アヴァロン」制作時に述べていた。この作品は95年だから、それよりも前になるわけだが、その思考へ至る経過地点といえばそうなるかもしれない。

映画から。

素子「あたしみたいな完全に義体化したサイボーグならだれでも考えるわ。もしかしたら自分はとっくの昔に死んじゃってて、今の自分は電脳と義体で構成された模擬人格なんじゃないか。いやそもそも初めから私なんて存在しなかったんじゃないかって」
バトー「お前のチタンの頭蓋骨の中には脳味噌もあるし、ちゃんと人間扱いだってされてるじゃないか」
素子「自分の脳を見た人間なんていやしないわ。所詮は周囲の状況で“私”らしきものがあると判断しているだけよ」
バトー「自分のゴーストが信じられないのか」
素子「もし電脳それ自体がゴーストを生みだし、魂を宿すとしたら。その時は何を根拠に自分を信じるべきだと思う?」
バトー「くだらねえ」

 確かに自分とは何なのか。これは哲学の世界では「第一の問い」や「最初の問い」などといって、誰もが確かに一度くらいは考えるもっとも根源的な問いである。多くの場合は、子供時代にこういうことを考えるようで、しかしそれを大人にいっても答えてはくれないし、次第に大人になっていくにつれ、そんなもの、こんなものさ、とこの問いを問うことをやめてしまう。私のような人間は、この問いを考え詰めることによって、一時期精神的にかなり危険なところまで行ったが、こういう問いのために死んでいく人間は少なくはない。
 確かにこの「私」が存在するその理由というのは、わからないし、わからないと命を落としかけない大事な問題であることに間違いはない。


「人形使い」と呼ばれるサイボーグの言。
サイボーグ「一生命体として政治的亡命を希望する」
部長「生命体だと?」
中村「バカな!単なる自己保存のプログラムにすぎん」
サイボーグ「それをいうならあなたたいのDNAもまた自己保存のプログラムにすぎない。生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ。種としての生命は遺伝子という記憶システムを持ち、人はただ記憶によって個人たりうる。たとえ記憶がまぼろしの同義語であったとしても、人は記憶によって生きるものだ。コンピュータの普及が記憶の外部化可能化したときあなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった。」
中村「詭弁だ。何を語ろうと、お前が生命体である証拠は何一つない。」
サイボーグ「それを証明することは不可能だ。現代の科学はいまだに生命を定義することができないのだから」


 この作品のおもしろいところは、サイボーグや機械と呼ばれる無機質、無機物なものを生命と捉えている点だろう。こういう生命あらざるものを生命と見る視野、視点というのは、日本では手塚治虫なんかが確立していったものだ。だが、手塚が確立したからといって手塚の発明と考えるよりは、日本にはそうした土壌があったと考えた方がより正しいのではないか。
 日本はなんにでも魂が宿るといった、八百万の神の思想を持った民族だ。
 またこの作品にもかかわってくるが、日本はいいものであるならばどんどん取り込んでしまうという体質を持つ。一方で純粋になりたいといった単一国家的な側面も無きにしも非ずであるが、これはおそらく百年前に西洋から持ち込まれた西洋的な思考様式からくるのではないかと私はにらんでいる。
 ともかく日本的ななんでもいいものなら取り込んでしまおうという思想背景があるからこそ、こうして自分の肉体をいじって、サイボーグ化したり、義手、義足を取り込むといった作品が作られ、またさほどのアレルギー反応がなく、大衆にうけいれられていったのではないかと思う。


 私がこの作品を論じたいと思ったのには、この作品が二度見る価値を有しているからである。二度見させる作品というのは、それだけ作品に力がある。大抵の作品は一度みたら、満足した、終わり、である。ところがこの作品は謎がわかりやすく提示されない。答えもままならない。となると、もう一度みるほかなくなるのである。
 最後まで見てもう一度見ると、最初っからコード2501というワードが出ていることがわかり、これはまんまとやられたなと苦笑いしてしまう。

 この作品はサイボーグや義手、義足といった機械的な身体を持ちつつも、やはり身体を非常に重要視した作品だと思う。スタジオI.Gで制作された作品で、おそらくこの時代においては最先端のCG技術を使用しているのだろう。
 途中からセル画のような映画になってしまうが、冒頭はフルCGである。
 主人公素子をなめまわすようなカメラアングルは、男性の視点と言えるだろう。いくら光学迷彩だからといって、途中で光学迷彩を使用した男のように、なにも裸でなくてもいいわけである。素子を裸にさせたかったのは、製作者たちの思惑というか欲望にほかならないが、しかし観客もまたそれに対して共感的であろう。このところを女性はどう見るのかわからないが、男性が男性の肉体を見る視点と、女性が女性を見る視点というのはどうも少し異なるようである。
 私は男なのでなんとも言えないが、私の女性の友人が、女性のストリッパーのショーを見に行ったことがあると言っていたが、第一の感想が「美しかった」ということだから、やはり私の想像の範囲を超えている。
 またこの作品が身体的であるのはこんな場面にもあらわれる。最初に「ノイズが多いな」というバトーのセリフに対して「せいりちゅう」と素子が答える。私は当初「整理中」、機械的な身体だから整備か何かをしている途中なのだろうと思った。これなら機械的な身体論である。ところが字幕を見て見ると「生理中」なのである。機械の身体を持って、頭だけが吹き飛んでも再生できる状態でありながら、なんとこの機械の身体は「生理」をするのである。CGの描写からは、女性器は確認できない。それは表現しなかったのか、あるいは機械の身体だから本当にないのか、わからない。が、生理しているというのであるから、極めて人間に近い身体的な感覚であることには違いない。表現しなかったのではないかと思う。

 結論もなにもないのだが、敢えて結論的なものを述べるとしたら、このような人間的な身体論に基づいた作品だから義手や義足といっても大きな問題にならずに、受け入れられたと言えるだろうか。あるいは、これは今後の我々を描いているとも言えるかもしれない。グーグルが必死にメガネだとか、チツプだとかを開発している。この作品に近い、肉体に機械を融合させるというのは、そんなに遠い話でもないかもしれない。

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テレパシーで他人の内心を感じ取ることはだれもできませんから、外見で判断するしかな

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