テイルズオブファンタジア 感想とレビュー テイルズシリーズを読み解くカギ 

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―はじめに―
 幅広い視野を持ち、決してサブカルチャーだからと卑下したり、蔑視したりすることをしない。サブカルチャーから「サブ」の二文字をなくさんがためにと思い、日々文芸批評めいたものを書き続けている今日この頃である。
 今回は現代の若者たちにとってなじみのふかい、名の知れているテイルズシリーズの最初の作品をプレイしてみた。私達20代の人よりもう少し上の世代となると、RPGと言えば、ドラクエやFFとなるだろうが、最近の若者、2000年代にティーンエイジャーであった人々にとって、RPGと言えば、もちろんドラクエ、FFも来るには来るが、テイルズシリーズといったほうがなじみがあるようだ。
 ドラクエ、FF,テイルズの比較は何度もしているので、詳しくはそちらを見てほしい。

 私も少なくともメジャーどころのRPGだけは押さえておきたいという思いで日々ゲームをする毎日である。テイルズシリーズも断片的にやっただけのことだから、テイルズファンの人たちから顰蹙を買うかもしれない。
 その後順調に売り上げをあげていったテイルズシリーズの初となった作品、こちらもこころしてプレイした。
なるほど、王道の王道といった感じである。
 テイルズオブファンタジアが発売されたのは1994年。スーパーファミコンのソフトとして発売された。私がプレイしたのはPSPに移植された作品だ。自分が生まれてまもない頃にこんな作品が出来ていたのかと思うと、胸が熱くなる。
 テイルズシリーズはそれまでのドラクエ、FFなどの王道RPGゲームへの批判の目をもって生まれた。ドラクエ、FFが1234とナンバリングされる作品なのに対して、テイルズは最初から一貫して、ナンバリングはせず、それぞれのタイトルをつけると決めている。
 2000年代に入ってからのテイルズ作品は個性豊かで、製作者たちが冒険心あふれた制作をしているのがわかるが、最初となったこの作品は、ひとまず王道を押えておこうという感じが強い。

ストーリーも明解である。
 魔王がいて、それを倒さなければならない。ただ、今までのRPGと比べてやや説得力を持たせるためか、なぜ魔王と戦わなければならないのか、といった点や、魔王がなぜ人間に対して宣戦布告をしているのかといった理由の説明がなされている。
 魔王ダオスは他の星から来た人物で、その星は資源が枯渇していて10億人の民が死に瀕している。それを救うために主人公たちのいる星にやってきて、世界樹ユグドラシルから生まれる「大いなる実り」というものを得ようとしている、そういうストーリーである。
 結局魔王ダオスも自分が守らんとするもののために戦ったわけで、戦いの動機は主人公たちとなんら変わりはない。物語終盤で主人公たち、クレスやミントはダオスの心情を理解し、自分達がしたことが、ダオスの星にいる10億の人々を殺したようなものではないかと後悔する場面がある。今までの、ただ「全世界を支配するのだ、わっはっは」といった、理解不能な魔王像に対して、一種の批判的な魔王像を作り出している点で、王道でありつつも、新鮮味を持たせていると言えるだろう。

―構成要素―
 RPGと言えば古代文明、という一つのパターンがある。薄学狭見にして、何もわからないが、テイルズシリーズには素晴らしい技術を持った古代文明という設定が多用されているように感じる。
 その発端となったのはこの作品のためだったのかもしれない。
 この作品を構成する要素は多く、例えば国の名前や武器の名前が主神オーディンからなる北欧神話に寄っていることがわかる。ほかにもウェルズの『タイムトラベル』から端を発した、タイムワープなど。やや構成要素が多すぎて一つ一つを処理しきれていない感じもしないわけではない。
 この作品では「時空を超えて」ということで、100年前だったり、50年未来だったりにワープして主人公たちが行動するわけなのだが、それによって未来が変わるとか、そういう面はうまくごまかしつつ、処理してしまっているように感じられた。つめこみすぎで、一つ一つを丁寧に扱えなかったような印象は、私には残った。

ヒーロー像、ヒロイン像
 ただやはりどんなに新しい作品を作ろうとしても、時代から逸脱しきれない、時代に集約されてしまう面があると言わざるを得ない。
 例えば、ドラクエで流行った職業などが無く、単純明快でいいのだけれども、クレスは剣士として完全に前衛で、ミントはナースのような装束を着て、主人公を支えるだけという固定観念的なヒーロー像、ヒロイン像を呈しているのは時代の限界を感じる。忍者であるすずという少女が戦う少女として仲間にいるが、それもどこかとってつけたような感じもあり、批判の目を持って作られた作品も、逸脱しきれなかったという感じはある。
 ただそれが、明解さとなって、多くの若者に受け入れられたのだから、ある意味成功だろう。

批判の目
 批判の目としてこの作品が大きな批評力を持ち得ているのはやはり、魔科学の下りだろう。なぜダオスが人間に対して宣戦布告したのか。それは世界を構成するマナと呼ばれるエネルギーを人間とエルフから生まれたハーフエルフが作り出した魔科学とよばれる技術が、大量に消費してしまうからである。マナを自然界にあるエネルギー、石油や石炭、ガスなどの天然資源に置き換えればいい。それを大量に消費してしまう科学と呼ばれる人間が作り出した技術は果たしていいのか、わるいのか、そういう批判がなされている。
 学園闘争、バブル崩壊、世紀末雰囲気と、90年代には日本が抱えて来た問題のしわ寄せが一挙に押し寄せたような時代だったろう。そうしたなかで文明批判の目が大衆娯楽ゲームにまで及んでいるというのは小さなことではないと私は考える。


 今回は作品のおもしろさ、といったものを考えてみた。
 テイルズがなぜそこまでヒットしたのか。また実際に私もプレイしていておもしろいと感じた。それは一体どこから来くるのか。
 幸いこの作品は、メディアミックスがなされ、多くの派生作品がある。その一つであるOVAを取ってみよう。たまたまYouTubeにアップされていたのでURLを添付しておく。
https://www.youtube.com/watch?v=PFNFCVfgMzE
 この作品は2004年から2006年にかけて30分×4話構成になっている。
 ちなみに私は本を読むのも、ゲームをするのも、比較的時間のかかるほうだ。ファンタジアでは、60時間かかった。おそらく細かいことが気にならない人は40時間から、50時間でプレイするのではないかと思われる。どうしても、細部までやりつくそうと思ってしまうタイプなので、どんなに切り捨てて、こなすことを思っていてもこのくらいになってしまう。
 さて、その60時間という時間と、オリジナルビデオ、ちょうど2時間であるから一本の映画と捉えてみよう。この二つを比較してみる。
 戦闘を抜いて、ストーリーのみを追ったとしても、5時間から10時間はかかるだろう。無理なく映像化するならば、12話のドラマくらいにすればちょうどいいのではないかと思われる。それを二時間の映画にまとめてしまうのだから、かなり無理はある。当然映画として成り立たせるために、無理を生じさせないために、かなりの脚色と再構成がなされている。が、それでも、プレイしたことのない人が見れば、なんなのかさっぱりわからない映画になっていることだろう(一端ゲームをしてから見てしまうと、自分の内部で物語を補完してしまって、真っ白な眼では見られない)。

 「おもしろさ」というもののなかの一つの要素として、どれだけ入り込めるかというのがあるのではないかと考えた。二時間の映画では、ただストーリーを追うということを向こうから提示されるだけ、それを時間内に享受しなければならず、作業をしているような感覚になる。これだとこちらから入る混む余地はない。
 ゲームは本を読むのと同じで、こちらがプレイしなければ進まない。こちらが動かなければ物語も動かないのである。この差は大きい。ゲームやアニメや、漫画やその他もろもろの媒体を考える時、こちらが働きかけなければ発生しない媒体と、こちらが働きかけなくてもある程度独立して物語が進展していく媒体とに大きくわけることができるのではないかと思う。この基準を使用すれば、ゲームや小説は同じ媒体であり、漫画は中間にあり、対極には映画やアニメなどがあると言うことができる。

 ただ、こちらが働きかけなければ相手も動かないというのはやっかいなことでもある。RPGゲームをしていて、どうして他の連中は何もしないんだと不思議に思うことが多々ある。それは媒体の問題なのかもしれない。主人公たちが動かなければ、作品内の人物たちは動けない。
 OVAを見ていて思ったのは、他の登場人物たちが主体的に動いているということだ。OVAではミッドガルズとダオス軍との戦いがメインに置かれて描かれているが、そのなかでもミッドガルズの騎士団長であったライゼンの描き方が上手い。あれだけの事故を自分の判断で起こしてしまう。彼はゲームではパーティにはいらないので、まったく過去も未来もわからないし、話しかけても同じことしかしゃべれない。それに対してOVAでは作品内の世界を生きる人物として、実に生き生きと、人間らしく(ハーフエルフらしく?)活躍している。そこでやはり作品に奥行きを感じるわけで、これが媒体の差であると感じた。良くも悪くもである。
 ゲームは入り込みやすい、共感しやすい。ただ、周りが動かないから、そうしたつまらなさはある。反対に動画は提示されるだけでわからなくても過ぎ去ってしまう。それに対して主人公以外の人物の視点も確保できる。
 1つの作品をさまざまな角度から見る。構成しなおす。同じ作品を異なった媒体で扱うということがどういうことか、少しはわかった気がした。

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ファンタジア、実は続きがあるのです。

主人公も時代も変わってしまうのですが、「テイルズオブファンタジア なりきりダンジョン」というGBCソフトで(この作品よりも更に未来を描いた作品もありますが)、主人公=プレイヤーはある日出会った双子の兄妹の「親」になり、二人の成長を見守って行くのですが、前作の物語で繰り返されていた時間移動による歴史改編について触れられています。ファンタジアにはやはり語りきれなかった部分や説明不足な部分があるようで、ノベライズや続編などで少しずつ補完される様な形になっているので、その辺りにも手を伸ばして見ると、新しい発見があるかもしれません。

余談ですが、すずちゃんは原典に当たるSFC版ではパーティに加入しないキャラでした。取って付けたように感じるのは、おそらくリメイク第一作(PS版)でサブキャラとして追加加入することになった、後付けキャラだからでしょう。
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