ゲーム『空の軌跡FC』 感想とレビュー 縛られたヒロイン像

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はじめに
 戦後のヒロイン像を追っているものとしては、ゲームに反映されるヒロイン像というのはすぐれた研究材料になる。ただ、私の研究対象は漠然と戦後ヒロイン像であるが、それではあまりにも研究対象が広すぎて私一人では研究しきれない。戦後のメディアはメディアミックスと呼ばれ、特にここ最近では、本、漫画、アニメ、ゲーム、様々な媒体のことなる分野で同じ作品を多面的に捉えるということが主流となりつつあるので、研究範囲はさらに広がる。現代の文学は当然、マンガやアニメなどの媒体から影響を受け、また与えている。ひとつの分野にしぼって見ているだけでは全体像を見失う可能性がある。が、だからといって、全体ばかり見ていても何も見えてこない。ここが研究をするうえでの難しいところである。
前置きはこのくらいにして、ゲームのなかでもRPGの有名な作品はなんとか押えておきたいと私は思っている。

RPGゲーム系譜の流れ
 それほどゲームをやったわけでもなく、ゲームが専門でもない人間がこのようなことを偉そうに論じる意味はあまりないようにも感じられるし、また多くの間違いや誤解もあるだろうから、読者諸氏におかれてはそのことを了解してもらいたい。
 狭見で申し訳ないのだが、数少ないRPGゲームをやった者として見えてくるのは、RPGゲームの大まかな流れだ。ドラクエやFFに始まり、最近ではテイルズシリーズに受け継がれてくるような一連の流れである。今回プレイした『空の軌跡FC』も、この一連のRPGの系譜のなかに位置づけられるのではないかと思う。
 特に、この作品では古代文明が一つの重要なキーであった。古代文明は、テイルズシリーズの十八番と言えるだろう。今は失われてしまった古代文明、その文明によって作られた古代兵器。こうしたシチュエーションは随分昔からあり、SF小説などによく取り扱われていた主題であった。現在のゲーム製作者たちに大きくこの古代文明を使いたくなるような魅力を与えたのは、おそらく宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』ではないだろうか。あれほど古代文明がなんだか魅力的に映る作品は他に見ない。
 古代文明、古代兵器が重要な役割を果たすという面では、テイルズシリーズからの流れを感じる。他にもテイルズの影響は大きいと思う。このRPGでも、近年のRPGゲームと同じく、主人公たちの名前は最初から決まっている。これは以前にも論じたが、ドラクエの主人公は自分で名づけることができる。それに対してその対極に当たるテイルズでは、主人公はなんと声優付きでしゃべる。ドラクエでは、自分が動いているような感覚でプレイヤーはプレイする。テイルズではアニメを見ているようにプレイする。
 この作品でも声優の声が当てられていて、多少は言葉を発する。そういう面で、私はアニメを見ているようにこの作品を今回プレイした。

ゲームの自由さ
 RPGゲームと自由さとは切っても切り離せない大きな問題の一つであろう。RPGゲームは物語の本筋があり、そこからあまり逸脱してもらってはゲームをクリアできなくなるという問題がある。だが、あまりにもそのレールの上を走らせていると、ロールプレイングというそのものの意味がなくなってしまう。自分がその登場人物を自由に動かせるということがミソになるからだ。
 RPGゲームのなかで最も早く自由さに挑んだのは、ドラゴンクエストⅥだと言えるだろう。ドラクエⅥでは、夢と現実と海底とはざまと、3つも4つもの世界を自由に行き来することができた。RPGゲームにはかなり慣れていると自負しているので、ドラクエⅥは楽しくプレイした。が、世の中では、自由さを高めると、次に何をしていいのかわからなくなり、クリアできなくなってしまうという人が多々続出したらしい。
 この作品では、自由さという点ではほとんどなかった。全てが一本筋のレールの上を走らされているような感覚がして、RPGに慣れている人間としてはあまり自由さは感じられなかった。なんとかその自由さの無さ、というのを解消しようとしたのかわからないが、この作品では「依頼」と称して物語を進めていくのであるが、そこに本筋とは関係のない脇道にそれる依頼をちょこちょこ入れることによって、なんとか息苦しさを回避した感がある。が、それがゲーム初心者の私にわかってしまうくらいの小手先の技に過ぎないのは残念である。続編であるSCをこれからプレイするのだが、その作品ではこの自由さがもう少しあることを期待する。

 追記しておくならば、この依頼形式で進んでいくというのは、どこかモンスターハンターのような感じを受ける。そうした意味では、話しが細切れになっている、と一見思われるのだが、実はそうではない、大きな流れが後ろにはあるのだということで、東浩紀が言ったような、大きな物語の消滅、小さな物語の乱立、という構図から何とか脱却しようとしているように感じられる。
 布石を打っておいて、最後にそれを結び付けていくという点では、それまでの謎が解けていくようで、ミステリー小説を読んでいるような楽しさを感じられた。


ゲームのオリエンタリズム
 このゲームで面白いというか、不思議に感じたのはオリエンタル、東方の神秘といったものが垣間見られたことだ。ドラクエにしろ、FFにしろ、これまでの日本のRPGというのは、なぜか西洋の騎士物語調であった。なぜ、日本の武士調ではダメなのか全くわからないが、そこもまたオリエンタルの影響なのだろう。異文化に憧れてしまう。なぜか私たちは西洋の中世の世界にあこがれてしまうのである。
 この作品は2004年から2007年にかけて発表されたもので、見方によって古いとも新しいとも言える。21世紀にもなり、アメリカ等の欧米列強にいまだに後れを取っているという幻想がやっと解体してきたように私には感じられるのだが、だからこそもうそういう西洋に無暗に憧れる必要はないと思う訳であるが、まだまだ西洋テイストが抜け切れていない。
 「テイルズ オブ イノセンス」では、中国風の街が登場した。作品内での東方の国である。今作でも、武闘家のジンなどの人物は東方からやってきて、身体に触れずとも相手に影響を与える「気功」なる術を扱う、とても神秘的な人物たちとして描かれる。私たちは明らかに東方の人間であるにもかかわらず、その私たちが作り出したゲームに登場する東方、つまり自分たちは、なぜだかよくわからないが、アメリカ人などが勘違いして抱いている日本人や中国人のイメージそっくりなのである。
 東洋、日本、中国、神秘、武術、ニンジャ、・・・・そういう発想の延長にこの描写は位置している。これを今回プレイ中に感じた。この発見が何を意味するのか、今後もう少し深めていきたい・


縛られるヒロイン像
 本題である。この作品はそれまでのRPGが大抵男性が主人公だったのにかかわらず、女性ヒロインが主人公だ。その点この作品には私はかなり期待をした。
 日本にウーマンリブや、フェミニズムの考えが輸入され、活発になったのは80年代あたりだろうか。ドラクエでは、Ⅳにおいて女性ヒロインを選択することができ、アリーナという個性的な少女が全面に押し出されたりと、ゲームにおいてもヒロインの活躍が目立つようになってきた。しかし、ここまではまだ、男性が主であり、女性が客であるという構図はまったく変わっていない。
 RPGにおいてはいまだに男性がやるものという固定観念も強く、女性が主人公という作品はあまりなかった。そのため、この作品は珍しいなと思いながらプレイした。なるほど、健康美と称されるほど、強く、美しい少女がヒロインで、なかなかの見ものである。ヒロインの系譜としては、完全にエヴァンゲリオンのアスカに連なる系譜だ。
 だが、同時にこのゲームからは女性をヒロインにするために生じた無理があまりにもありありと垣間見られてしまい、そこが時代の限界だったかと思わずにはいられなかった。
 斉藤美奈子の『紅一点論』の理論を援用する。斉藤氏はヒロインの大まかな像は、魔法少女、紅の戦士、悪の女王、聖なる母、の四つであると論じた。それぞれがどのような役割を果たすのかというのは、私の記事〈映画『マレフィセント』感想とレビュー 反転するヒロイン像〉に書いてあるので、検索して読んでほしい。話を先に進めると、この作品の主人公エステルは完全に紅の戦士。アニメなどで言えばセーラームーンなどに相当する。
 男性に引け目を取らずに戦う戦士としての女性。だが、これは男性によって作り出されたヒロイン像に過ぎないのだ。セーラームーンも所詮は男性の手の内で戦っている戦士に過ぎない。彼女がピンチの時にはタキシード仮面が表れる。その構図とこの作品は全く同じなのだ。一応彼女は光と影で言えば、光、主人公として張っているが、彼女は一人では成立しえない。彼女にはいつもヨシュアという訳ありの義兄弟がサポートについてまわる。さらには、彼女たちが活躍できるのは全て、作中で有名な、あの伝説のカシウスの娘だからという理由である。この点について斉藤氏は、紅の戦士がなぜ、紅一点で男性社会で戦えるかというと、その父親が研究者だからとか、軍のお偉いだからといった、コネであると断じている。まさしくである。
 エステルはヨシュアという男性のサポートと、カシウスという偉大な父の名のもとにおいてでしか活躍できない、縛られたヒロインなのだ。
 その縛られ加減は最後の最後に最も端的に描写される。ヨシュアには隠された過去があったのだが、その秘密の過去は、ヨシュアとカシウスとの間では暗黙の裡に理解されていて、当のエステルだけは知り得なかったのである。シェエラザードというカシウスの弟子であり、エステルの姉的存在である人物が、最後にカシウスとヨシュアがエステルのいない場で、秘密を共有していたことを「最低だ」と断罪するが、これが女性を主人公にする上での限界だったのである。まさしく「最低」なこと、男性のサポートと、男性の名の元においてでしか、女性は活躍できない。そういう構図をもう一度生み出してしまっていたのである。
 だが、だからといってこの作品がダメなのかというとそうではない。きちんと批判的な目を持っているのが、このゲームのいいところである。しかも、最後にヨシュアは失踪してしまう。父の名のもとにおいてであったが、かなりの実績を残したエステルは、すでにカシウスの娘ではなく、一人の遊撃士としての存在となった。彼女は今までの縛られたヒロインではなく、自立したヒロインになることができたのである。SCでは、自立した人間として、彼女がどういきいきと活躍するのかが愉しみである。

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