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最後にして最初のメッセージ ~独我論を超えて~ (教育実習最後に私が生徒に贈ったメッセージ)

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 まずは三週間、短い間だったとはいえ、みんなと出会えたことに感謝している。そして、未熟な僕に対して様々な面で協力してくれてありがとう。もし、君たちが何かいじわるをしようと思っていたならば、僕はすぐにでもつぶれていたことだろう。三週間、こうして無事に教育実習を終えられたのは、なによりも君たちの協力しようという豊かな心のたまものだったと思う。
 そして悲しいことだが、「さようなら」といわなければならない。初めから決まっていた別れとはいえ、いざその時となると込み上げるものがある。
 キャリアガイダンスの時にもちらと言ったが、私の中学高校時代はさんさんたるものだった。特に中学は人間関係や、自分の問題があり、今でも思い出したくないことの一つだ。だから当初僕は高校で教育実習をお願いしていた。ところがいざふたを開けてみれば中学になっていた。十年前の情けない僕をよく知っている恩師の前で話をするのはとてもやりづらかった。
 三週間一緒に過ごして皆も僕がどんな人間かわかってきたと思うが、僕はこのようにマイナスから出発するようなネガティブな人間なのだ。ところが、この三週間。みんなのあたたかい心に包まれて、僕は本当に幸せだった。本当にこのままずっと君たちの担任になりたいと思うくらいだ。だが、どうやらお別れのときは近づいてきているようだ。そこで、僕からみんなに最後のメッセージとしていくつか伝えておきたいことがある。

 最初の授業で僕は〈僕〉は〈僕〉なんだ、ということをやったね。これは、〈僕〉あるいは〈私〉、〈自分〉といった存在が、他の人の「僕」や「私」とは完全に違っている、交換不可能なことなのだということだった。僕はこの授業で、なんとか〈自分〉というものが掛け替えの無いもので、交換不可能で、ユニーク(変わりになるものがないという意味)なものなのだということを伝えたかった。どうだろう、伝わっていただろうか・・・(本当に人生初の授業だったので、伝わっていない可能性がかなり高いのだが・・・)。
 しかしこれは本当のことなのだ。〈私〉という存在が今ここでこうして生きているというのは、何故かはまったくわからないが、とても奇跡的なことなのだということを、どうか忘れないでほしい。
 ただ、一つだけ注意してほしいことがある。というのは、〈自分〉の大切さに気が付いた時、人はしばしば独我論的(他のものはすべて自分のための存在するものだという考え)な人間になってしまうからだ。それでは単なるエゴイスト、ナルシストになってしまう。自分だけが大切で、自分さえよければいいという人になってしまう。
 しかし僕が伝えたかったのはそういうことではない。まだ君たちは本当に自分の存在の奇跡さに気が付いていないかもしれない。でもいつかはきっと気が付くときがくると思う。よく考えてみてほしい。もしこの〈自分〉や〈私〉という存在が奇跡的なものだとすれば、自分のまわりに存在している〈私〉もまた、特別な存在であるということにならないだろうか。そしてこれはきっとそうなのだ。私たちは本当に〈自分〉が大切な存在であると気が付いた時、ふと周りを見渡して、そこにはいたるところに究極的に特別な〈私〉の存在しかないことに気が付くのだ。
 だから、本当に〈自分〉の大切さに気が付いた時、君はきっと他人にも優しくなれるだろうと思う。だって、その人もまた、特別な〈私〉なのだから。

 僕の時代にはいじめやハブといった様々な問題があった。そういうことをしてしまう、自分達の存在の大切さに気が付けない心の貧しい人がたくさんいたからだ。
 あれから十年経って様々なことを見て聴いて経験して、僕の目もすこしはクリアになってきた。そういう僕が今中学時代を振り返り、こうすればよかったなということを君たちに何とか伝えたい。この三週間で僕が話してきたことはみんなそうした動機があった。

 三週間君たちと過ごして、深刻ないじめもなさそうで安心した。もしかしたら僕に見えていないだけで今苦しんでいる人がいるかもしれない。しかし、〈私〉の大切さに気が付き始めた君たちなら、きっとそういうことはもうよそうじゃないかと行動してくれることを信じている。

 なかなか中学という時代は、心理学でいえばちょうど「自我」(自分は自分だという感覚)が芽生えてくる時期で、どうしても自分を中心に世界が回っているように感じられてしまうのだ。「中二病」なんていう言葉もこういう傾向から生まれたものだ。(こんなのは病気なんかではなく、人間なら誰しもなる傾向だ)。自分は自分なんだということが自分のなかで出来上がるためには、一度この段階を迎えなければならない。だから、だれしも一度は中二病にならなければならないのだ。だけれども、いつまでもそれでいいというわけではない。現在の大人には、残念ながらまだ自分中心の世界から抜け出せていない人が沢山いるけれども。
 だからこそ僕は、みんなに〈自分〉の大切さに気がついたら、周りの人間にもその大切さがあるということに気が付いてほしいのだ。そうすると、世の中で起こっている様々な問題が、突然対岸の火事ではなく、自分に関係のあるものとして考えられるようになるだろう。
 君たちは遠くで起こっている戦争をニュースやネットで見てどう感じるだろう。やはり遠い国の世界で、自分とは関係ないことに思われるだろうか。あるいは、遠い国だからいけないのかもしれない。場所をもう少し近くに絞ってみよう。東日本大震災、これは日本で起きた震災だ。ニュースでよくみる話だが、これらを自分と結びつけて考えることが果たしてできているだろうか。

 今回僕の授業では井伏鱒二の『黒い雨』を取り扱った。みんなはこの授業をどう受けていただろうか。みんなは思うだろう。こんなのやったって意味ないよ。戦争なんて関係ない、ずっと昔の話でしょ・・・。
 僕だってもちろん戦争のことなんかちっとも知らない。しかしだからといって、今、この平和な世界で戦争を考えなくてもいいのかというとそうではないと思うのだ。この平和は、まさしく戦争によって築かれたものであるということを忘れてはならない。それに、昔といっても、大きい視野で捉えれば、70年なんてごくごくわずかな時間でしかない。もしかしたら、当時小学生くらいの子が、今老人になって生きているかもしれないのだ。
 私たちは直接戦争の記憶を持つ人々と話すことができる最後の世代だろう。僕たちの子供の世代の時、戦争の記憶を有している人たちはもうほとんど生き残っていないだろう。残された時間が少ないなかで、我々はなにをすることができるのだろうか。

 すこし話が大きすぎただろうか。僕は思考の仕方を変えて見てほしいと思っている。
 現在君たちはさまざまに分断された、細切れの状態で日々の生活を送っている。国語は国語、数学は数学、理科は理科、といったように、それぞれの科目もバラバラになっているし、授業も細切れになっている。はじめからバラバラになった状態のものを見せられているために、君たちの眼は曇らされているかもしれない。少なくとも私はそうだった。
 様々な本を読んだり、より深く勉強していると、あるところで多くの学問に限らず、ありとあらゆることやものがつながっているということに気が付く。国語と数学という一見すると両極端にある科目でさえ連続してつながっているのだ。
 何か問題が発生した際に、それを明確化するためにどんどん切り分けていくというのは一つの有効な手段である。だが、そればかりではいけないと僕は思うのだ。切り分けたなら切り分けたでいいが、そのぶん今度は繋ぎ合わせなければならないのではないかと、僕は思うのだ。
 だからこれから君たちは中学三年という、義務教育の期間を終えてひとりひとりの人生を歩んでいくわけであるが、その上において、あらゆる出来事を一度自分との関係のなかで捉えてほしいと願っている。
 様々な社会問題がある。それを対岸の火事ではなくて、自分にも関係のあることだと考えてほしい。


 例えばごくごく些細なことであるが、この三週間僕は放課後に教室の見回りをしていた。その時にこんな光景をよく目にしたものだ。それは、運動部の人たちが汗を拭いたシートをそのまま誰かの机にほったらかしのままにしてあるという光景だ。こういう人たちは完全に自分のことしか頭にない。汗をかいて気持ちが悪いので、体をふく。そして拭いて気持ちがよくなったらそれに使用したシートはそのまま置きっぱなし。もし、自分が運動部でないと想定してみよう。翌日、朝学校に来て自分の机を見たら、誰が使用したかもわからない汚い汗拭きシートが机の上にのっている。果たしてどういう気持ちを抱くだろうか。
 これを見た時に、まずは自分がこのシートを置かれた机の人間だと想像することが一番理解しやすいだろう。そうして当然嫌だなと思うわけである。この席に座っている人がだれかはわからなくとも、朝登校一番で気持ちの悪い思いをしてしまう人がいるということに気が付く。であれば、そうならないように、誰にも見られていなくともそのシートを捨てておこうとなるわけだ。

 僕はみんなにそういう想像ができるような人間になってほしいと思う。
 とくに〇組は人のことを理解できる人が多いクラスだから、それをこれまで以上に大切にして、また君たちが他の人のお手本にもなっていってほしいと思う。
 ありとあらゆるものは、どこかでなにかしらつながっている。
 そういう見えない糸に気が付き、それを大切にできる人にみんなになってほしい。
 〈自分〉が〈自分〉だけで存在するのではなく、他の〈私〉たちとつながって存在していること。そしてだからといって、自分が中心に世界を考えるわけでもなく、またあまりにも周りの人間に合わせすぎるのではなく、自分の信念を持ちつつも、探しつつも、エゴイストにならずに、これから生きて行ってほしい。
 少しくらい他人を違っていることを取り上げて笑うような人にはならないでほしい。些細な差にこだわっているだけで、あなたは本当に幸せになれるのだろうか。他人に笑われようが構わらない、そして他人のほんの少しのおかしさを笑わない、そんな人間になって、自分の幸せを見付けて行ってほしいと思う。

 これでひとまず僕が君たちに伝えたいことを書き終えようと思う。まだまだいくつも伝えたいことがある。しかし、本当に大切なこと、それはこの世に生まれてきて、生きるというのは、幸せになることだということだ。それさえ忘れなければ、これから君たちはどんなに辛いことがあろうと大丈夫だろう。
 またいつか会える日が来るのを心待ちにしている。僕ももっともっと人間として精進したい。大人になった君たちと出会えることを愉しみにしている。
 三週間本当にありがとう。君たちと出会えたことに感謝している。
 これが実習生としての僕の最後の君たちへのメッセージだ。これから自分の人生を生きる君たちへの最初のメッセージになればいいと思う。

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No title

初めてコメントさせていただきます。

これが最後の記事になるわけではないですよね?

次の記事、楽しみに待ってます。

Re: No title

ああ、確かにそういう風にもとれちゃいますね。
大丈夫です。最後の記事じゃないですよ。
実習生の私が生徒たちに対しては最後になるという意味でのタイトルでした。
勘違いを招くような表現をしてすみません。
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