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文鳥・夢十夜 夏目漱石 感想とレビュー 短編集から見えてくる漱石の人物像

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今回は私の専門でもある夏目漱石についてその作品の中から今しがた読み終えた文鳥・夢十夜についての記事です。
小説の父とも称される夏目漱石、旧千円札でおなじみですね。ただ私からしてみれば漱石先生は群を抜いてというか、すでに桁が違うレベルの作家なのですね。なので福沢諭吉が一万円札なのはおかしいと感じる。それに野口英雄に代わってしまったのも納得がいっていませんな。
作品は短編集。漱石先生は割と中編から長編を書きますが、人生の中での短編を集めたのがここに入っているというわけです。短編集は他に倫敦塔・幻影の盾があります。こちらも少々紹介するとして今回の部立は、
文鳥
夢十夜
永日小品
思い出す事など
ケーベル先生
変な音
手紙

文鳥と夢十夜は有名な短編ですね。文鳥では漱石先生自身がその弟子から文鳥を飼うことを勧められて、その文鳥の死までを淡々と描いた作品。純文学ですから変なものが登場したりとかそういう現代的なおもしろさはまったくありませんが、ここがやはり日本の小説の原点であるわけです。淡々と綴っているなかに漱石自身の考え方や感情が垣間見え、100年前の人間がどういった生活をしていたのかという参考にもなります。
夢十夜は夢を10個ならべただけですが、ここに文学のエッセンスがあると感じます。どの夢も23ページで終わり、内容も夢ですから理論整然としているわけでもない。しかし、今の我々が何故か読みいってしまう何かがあるのです。
永日小品は完全に短編の寄せ集め。しかし侮ることなかれ。もし受験で夏目漱石を出題する学校があればその問題のほとんどはこの短編集から出題されます。一応国語教師志望なので書いときますね。なので大学受験まで少し余裕があり漱石が出そうな方は読んでおくとよいでしょう。
思い出す事などでは漱石自身が修善寺での胃潰瘍による大量吐血のことについての回想記録となっています。このときは本当に死にかけていたのでそれをまじまじと自分であとになって思い出し書き綴る心境がいかなるものかという想像もして読むと面白いかも知れません。小説内で漱石は「先生死に給うことなかれ」という応援のメッセージを多数の人に頂いて嬉しかったとあります。もちろん与謝野晶子の弟に向けたあの文句をもじっていますがおかしいですね。そういえば議員の与謝野さんは縁者ですよね。石原知事が前に与謝野氏に対して「君恥じかき給うことなかれ」なんて言っていたことがありましたね。
話が反れました。ケーベル先生は漱石の大学時代の恩師を書いたもの。
変な音では入院中に聞いた変な音について周りの入院患者が死んでいくなか自分だけが生き残ってしまったことへの感情とともに描かれています。
手紙は縁者である重吉というもと書生について、縁談を中心に動く人間模様を描いています。
思い出す事などのなかで死と直面した漱石がなにを考えたのか、そして彼が何についてそこまで悩み胃潰瘍となるまでになったのかが一瞬窺える文章があります。
「自活の計に追われる動物として、生を営む一点から見た人間は、正にこの相撲の如く苦しいものである。吾等は平和なる家庭の主人として、少なくとも衣食の満足を、吾等と吾等の妻子とに与えんがために、この相撲に等しい程の緊張に甘んじて、日々自己と世間との間に、互殺の平和を見出そうと力めつつある。戸外に出て笑うわが顔を鏡に映すならば、そうしてその笑いの中に殺伐の気に充ちた我を見出すならば、更にこの笑いに伴う恐ろしき腹の波と、脊の汗を想像するならば、最後にわが必死の努力の、回向院のそれの様に、一分足らずで引分を期する望みもなく、命あらん限りは一生続かなければならないという苦しい事実に想い至るならば、吾等は神経衰弱に陥るべき極度に、わが精力を消耗するために、日に生き月に生きつつあるとまでいいたくなる。
かく単に自活自営の立場に立って見渡した世の中は悉く敵である。自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。もし彼対我の観を極端に引延ばすならば、朋友もある意味に於て敵であるし、妻子もある意味に於て敵である。そう思う自分さえ日に何度となく自分の敵になりつつある。疲れても已め得ぬ戦いを持続しながら、煢然(けいぜん)として独りその間に老ゆるものは、見惨と評するより外に評しようがない。」
漱石先生はここに西欧近代自我をとりこんでしまった日本人の有りようを端的に描いて見せてくれました。その結果今にもたらされたのが独善的な個人主義、義務を全うしない権利権利と主張するもの、何でもかんでもプライバシーと騒ぎ立てる連中などなどですね。
それとあと一つ途中にある消耗ですが、これはしょうもうとは読みません。しょうもうは本来誤り。正しくはしょうこう。しかし現代においてはもう殆どしょうもうで通ってしまっているので「今日は体力を随分しょうこうしてしまったよう」というような文学かぶれは辞めたほうが良いかもしれません。誤用であってもそれが人口に膾炙すればそれもまた日本語なのです。

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