最近の日常生活 「だからさ、単位に不自由のない人が、云わば、物数奇に出る出席でなくっちゃ、真面目な勉強は出来るもんじゃないんだよ」

駒沢大学


 最近あまり更新ができていませんで、また他のブログへの訪問もできておらず、相すみませんでした。
 いよいよ私も大学四年生となり、最後の一年間を楽しむべく、毎日楽しく、充実した毎日を送っております。
私は教職課程も取っていたので、2年、3年時は教職課程に必要な科目がたくさんあり、授業面では必要になる単位を取るので精いっぱいでした。ですから、自分の興味ある授業や、単位は取るのが難しそうだけれども、愉しそうな授業というものに出られなかったのです。
 ですので、今年は面白そうな授業を縦横無尽に聞きにいっています。もう卒業に必要な単位は、四年生になってからでなければ取れないものと、卒論を残すだけになりました。ですから、本当は三つの授業を取りに、週に3日行けばいいだけなのですが、週6で行っています(笑)。どれだけ大学が好きなんだよって感じですね。
 私も大分考えがかわり、最初大学に来た時にはなんてところだと絶望したのですが、まあ最近では愉しくやっております。
 自分が興味ある授業、愉しい授業しか出なくていいというのは、予想以上に楽しいですよ。ああ、この授業はつまらないな。90分間、自分で図書館に行って本でも読んでいたほうがよほど学びが多いなと思ったらやめればいいのです。
夏目漱石は『それから』で次のようなことを言っていますね。
 「働らくのも可いが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている」
 「つまり食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪いと云う意味さ」
 「だからさ、衣食に不自由のない人が、云わば、物数奇にやる働らきでなくっちゃ、真面目な仕事は出来るもんじゃないんだよ」

 で、私はこれを次のように書き換えて言いふらしています。
 「出席するのも可いが、出席するなら、単位以上の出席でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な勉強は、みんな単位を離れている」
 「つまり単位の為めの勉強は、誠実にゃ出来悪いと云う意味さ」
 「だからさ、単位に不自由のない人が、云わば、物数奇に出る出席でなくっちゃ、真面目な勉強は出来るもんじゃないんだよ」

 こういうことを言っておりますと、四年生になって単位に困っている人からにらまれるのですが、それはご愛嬌です。
 単位を分けて上げられればいいのになあと思うのですけれどもねえ。我が大学は仏教大学なのですけれども、仏教では「回向(えこう)」という概念があります。カラオケではありませんよ。回向というのは、自分の徳を自分の先祖や、他人に分け与えることによって、自分ではない他者を救済するという考えです。自分が現世で徳を積むことによって、地獄に落ちてしまった他人を救うとか、そういう概念なんですね。ですから、そうした教えの伝わっている大学であるからこそ、単位も回向して、足りていない人のために、単位を余計に持っている人が譲渡できるようにならないかなと思うわけですけれども、まあそううまくはいかないというわけですねえ。

 私は「ゆとり」全盛期の時代の学生のはずなのですけれども、中学から私立に入ってしまったので、ついぞここ十年間、週六の生活をしていますよ。自分でもおどろきです。昔は学校大嫌いだったのになあ。
 自分の好きな、おもしろい授業にだけ出ていると、こちらも、また教える教授にも、お互いにいい関係が結べます。こちらは最初から単位はいらない、ただ楽しいから、先生の話が知的刺激になるからという理由で聞きに行きます。そして、向こうにとっても授業を履修していないのだから、本当に純粋な気持ちで来てくれているということがわかりますし、自分が教えていることが一部の生徒にはきちんと伝わっているんだという肯定に繋がるわけです。私も最終学年ですし、もうそんなに長い間大学にいられるわけでもないでしょうから、はやく仲良くなった先生とはノミニケーションしたいなあと思う限りです。

 先日はこんなことがありました。我が大学に教えに来ている講師の先生。3時限目と、5,6時限目とあるのですが、少しややこしくて、ことしから我が大学では講義の名前が細分化されました。ですので、3時限目と56、時限目は授業のタイトルは違うのです。しかし、それは実はシステム上では、「哲学」の授業という一括りにされてしまう。3時限目と56時限目と行っている内容が違います。ですから、単位がかかっていた場合は、片方しか聞くことができないということになるわけです。
 ただ、私は単位から離れていますから、その先生の話がとてもおもしろい、というわけで、3時限目、5時限目両方出席していたのです。その先生もシステム上の不備に気が付いて、履修できないということを知っていたのでしょう。ある時、授業が終わって私に近づいてきて、「君は3限も取ってくれているようだけれども、単位は大丈夫?」と質問してくれました。単位は大丈夫かというのは、システム上履修できているかということだったろうと思います。私は単位はもうすべて取ってしまったので大丈夫です。単に先生の授業がおもしろいから聞かせていただいているのですと応えました。まだ三十代とおぼしき若い哲学の先生ですが、とてもおもしろい。私は素直におもしろいと言え、それだけで嬉しかったものです。ところが、その先生も私の好意が伝わったのか、ありがとうございますと返してくれました。いやあ、この時ほど嬉しかったことはありませんね。お互いの気持ちがわかりあえたような気がしました。

 というわけで、私は四年生になったにもかかわらず、毎日大学を縦横無尽しているわけです。あまりにも楽しそうな授業がたくさんあったので、最初魔法省にかけよって、逆転時計を貸して頂こうかとも思っていたのですけれども、やはり毎日四時限以上出るのは体力的に無理だということに気がつきまして、また思っていたほどおもしろくない授業がありまして、徐々に減らしている今日このごろです。

 そういえば、先日こんな質問を頂きました。ask.fmってご存知ですか。時は徳川将軍吉宗の時代、幕府が広く市民の声を聴くために設けた目安箱・・・ではないのですが、それぞれの人が質問箱のようなものを設けることができるサイトです。アスクフォアミーの略でしょうから、質問してちょうだいといったところでしょう。
 まあ、このサイトについても、現代の問題と絡めてお得意の評論をいくらでも繰り広げることはできるのですが、やめておきましょう。ただ、質問されるというのは、承認欲求を満たすためにかなりいいので、中毒的になる危険性があるとだけ指摘しておきます。
 そこにこんな質問を頂きました。
 「よく大学でお見かけしますけど四年生ですよね?」

 いやあ、焦りましたね。この質問箱、匿名で質問できるものですから、一体だれがくれた質問なのかわかりません。私のTwitterのプロフィールのところにリンクを貼っているだけなので、私のTwitterを知っている人なのかなと思います。そうすると、私が四年生だということくらいわかりそうなものなのですが。
 この質問を単純に受け取れば、私のTwitterは知っているけれども、私が四年生であると断定できるほど私のことを知っている人ではないということですかね。友人の後輩とか、そのくらいの関係なのでしょうか。
 それとも、悪意的に解釈すると私をよく知っている人で、四年生だと知ったうえで、四年生なのになんでそんなに大学に来ているんだ?単位がまずいのか?それとも単位が足りてて学校に来ていることに対して、そんなに大学に来るなという脅しでしょうか。いやいや、疑い過ぎですかね(笑)
 まあ、しかしどの道この質問には、四年生=大学にあまりこないという常識に裏付けられた質問であるということがわかります。しかし、世の中には単位が足りなくてとか、私のように大学が好きでたくさんきている人もいるわけですから、この質問には安易に四年生なのに大学に来ている人はちょっと変なのではないかという感覚が受け取れます。やはりそうしたマイノリティーを軽んじるような視線だけはやめたほうがいいなあと思う今日このごろでした。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

幽玄

Author:幽玄

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
247位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
17位
アクセスランキングを見る>>
フリーエリア