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アニメーション映画 『タイガー&バニー The Rising』 感想とレビュー 今作の主人公はネイサン・シーモア

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はじめに
 2014年2月8日公開の「タイガー&バニー」の新作映画『The Rising』を見てきました。劇場版は、2012年9月22日公開の「The Beginning」に続く二作目。一作目の「The Beginning」がアニメ版の2話と3話の間の話を描いたのに対して、今作の『The Rising』はアニメ版のその後を描いた完全オリジナル作品となっています。

資本主義のヒーロー
 私はこの作品が公開当時から、注目し、高く評価してきたのですが、この映画も現在の映画不況のなかにおいては輝いていた素晴らしい作品だったと思いました。
 初めての劇場版となった「The Beginning」も、アニメ版の一部の物語でしたが、それ自体を切り離しても十分通用する作品でした。今回の映画も、アニメ版、前作を見ていなくてもそれだけで楽しめる映画でした。その点は、今迄のように他の作品をすべて網羅していないとわからないというむずかしさがなくなり、観客にかなり優しくなってきているなと感じました。おそらくこのように観客に優しくしておかないと、なかなか売れないということが一つの要因かもしれません。現在の人たちは忙しいですし、わからないことはちっとも興味を持ちませんから。
 この映画も、実に丁寧に、この映画がはじまるまでにどのような物語があったのかということを、詳しく説明してくれます。この映画の強みは、そうした漫画のはじめにあるあらすじのような部分を説明しても、ちっともうるさく感じないような作品のつくりになっていることでしょう。
 この作品が画期的だったのは、それまで盲目的に信じられてきたヒーロー、ヒロインたちが、実際には完全無欠なヒーロー、ヒロインではなくて、スポンサーなどがついている実に人間的なヒーロー、ヒロインであったということです。彼等は何で動いているのかというと、「金」です。資本がなければ、いくらヒーロー、ヒロインといえども、自分の好き勝手はできない。この世界では、ヒーローやヒロインでさえも、資本主義の資本になってしまうのです。これは、実に深い、そして面白い現代への批判にもなっていることでしょう。
 この作品では、ヒーローやヒロインが戦うのも、ひとつのショーとしてお金稼ぎの道具になります。それはテレビと言うメディアを通じて、ショー形式で観客に提示されるわけです。ですから、この作品、アニメにしろ、映画にしろを見ている観客というのは、作品内でヒーローたちの戦いを享受しているシュテルン市の人たちと同一の視点になるわけです。私たちは、構図的にシュテルン市の人たちと一緒の視点を持つことになります。一市民としてヒーローたちの興行的な戦いを見ているのです。実際に、それにお金をはらって劇場に足を運んでいるのですから、なおさらこのメタフィクション的な構図に現実味が増してきます。

今作の主人公はネイサン・シーモア
 前作の「The Beginning」はその名の通り、始まりですから、アニメ版をしらない人でも入れる作品でした。それ自体で一つの完結した作品とも見ることができましたし、物語がこれからも続いていくから、これが決定的な終わりではないという尻切れ感はあっても、実によくできた作品だったと思います。今回の作品も、前作の映画だけを見ていてもわかる作品で、おそらくこの作品だけを見ていてもわかる作品だとは思います。
 もちろん、この作品も続きものですから、最後に一通りの決着がついたとしても、まだ終わらないといった尻切れ感はありますが、しかし全体としても良くできた作品だったのではないでしょうか。
 今回この映画が素晴らしかったのは、ネイサン・シーモアが主人公級に抜擢されているということです。今まで、様々なアニメ作品、漫画作品、ラノベなどにもオカマキャラというのはたびたび登場しました。そして、オカマという不思議な属性の人たちはなぜかわからないけれども、強烈な個性を持ち、そして味のある役回りをして、一定の役割を果たしてきたのです。
 ジェンダー研究をしている身としては、こうしたオカマなどが作品世界でも描かれるようになってきたのはいいことだなと思いながら見ているのですが、しかし、それまでの作品では、そうしたオカマというのはいくら活躍するといっても、脇役どまりでした。ところが、今回の映画では主役級なのです。
 今作ではシュテルン市に古くから伝わる女神の伝説がモチーフになっています。それを模倣した適役が今回シュテルン市を襲うことになります。そのなかで、ジョニー・ウォンという敵が登場します。老人なのですが、強い武術使いで、ヒーローたちが本気で戦っても互角以上の戦いをするかなりの強者です。彼の能力は対象となるひとのこころの奥深くに働きかけて、トラウマを見せ続けるというものです。
 実はこれらの敵として登場する能力者たちも、マーク・シュナイダーという資本主義の権化によって自分たちの居場所を奪われた哀しい人達であるということが提示されるのですが、それはおいておいて。
ジョニー・ウォンに襲われたネイサンは、彼の技によってトラウマを見せ続けられます。ネイサンは、かつて男として生きていた中で、クラスメートの男の子にキスをしようとしてそれがバレ、ひどく傷つけられる過去を背負っています。他にも、初めて女装をして町を歩いた時のこと。親との関係。おそらく、彼女ほど深く、自己について考え、傷ついた人はいないでしょう。
 そのトラウマと戦っている間、ネイサンは身体から炎をまちきらします。能力が暴走しているわけです。それをブルー・ローズが氷で冷やしながら時間は過ぎて行きます。
 このネイサンのトラウマとの戦いが単に挿入的に扱われて居たら、この映画は大変つまらないものになったことでしょうが、この映画はこの映画一本を通じて、かなりきちんとネイサンのトラウマとの戦いを描いています。ですから、小手先でこんな悩みも描いておこうというものではないのです。真剣にネイサンの悩みと私たちは対峙しなければならないのです。そうしたなかで、私は泣いてしまいました。別に私がオカマであるということではないのですが、マイノリティーとして生きて来たなかで、ネイサンの受けた気持ちというのが少しはわかったのです。そして、この映画がそうしたマイノリティーに常に味方であるというのも、カウンターカルチャー的な作風を帯びていることからも、一貫して貫かれたテーマであったことに気が付きました。
 結論を言うと、ネイサンはこのトラウマに勝ちます。彼女は自分は自分なんだ、何をいままで恐れていたのだといって、トラウマから抜け出すのです。そして、ただでさえオカマというのは、女性性、男性性両方を有しているから強いのに、メンタル面においても、トラウマを克服したとなっては、彼女に勝てるものはいません。
 ブルー・ローズとドラゴン・キッドがウォンに惨敗している際に、ネイサンは「男は度胸、女は愛嬌、って言うじゃない。じゃあオカマは何かって言うと、最強よおおお」といって登場、見事ウォンを破るのです。
 ウォンは悪役としてすばらしい個性を発揮していましたが、彼もまた被害者であったということや、相手にトラウマを見せるというのは、結局のところ相手を強めるためになるということから、随分鑑賞後はいい人に見えもします。

終わりに
 今作はネイサンが主人公となった映画でした。タイバニには、個性的なヒーローたちがあと六人います。彼等の内面をもっと深化させていけば、それぞれにあと一作ずつは作れることになるでしょう。
 私はタイバニがとても作品としての制度も高く、また現代への鋭い批判にもなっていて、そして面白いということで、とても高く評価しています。次回作があるのかわかりませんが、是非これからのアニメ業界と、アニメ映画業界をけん引していく作品になればいいなと応援しています。

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