時間をめぐる一考察。 『あなたはどれだけ待てますか : せっかち文化とのんびり文化の徹底比較 』/ ロバート・レヴィーン著 ;をメインに

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 前々から徐々に興味が出始めて、今年は沢山の本を読むぞというのが私の目標の一つなのですが、なかでも、社会心理学系の本を沢山読もうというのが大きな目標になっています。
 私の専門は近現代の文学ですが、やはり文学を論じるためには、文学だけの知見では読み解けないことが多々あると感じています。ある人は心理学の分野の知見を活かしたり、哲学の知見を活かしたりしています。その中で私は社会心理学の知見を獲得しておきたいなと思って、いろいろと読んでいます。
 今回読んで感銘を受けたのは、ロバーと・レヴィーンという社会心理学者の『あなたはどれだけ待てますか』(草思社・2002)という本。
 原本は1997年に発売された本で、訳本が2002年です。この本は是非皆さんにも読んでほしい。社会心理学系の学術書は、いずれも同分野の研究者による訳本が多いのですが、学者が訳してよかったことなんて一度もありません。もう、ほんと日本語として意味がわからないものばかり。しかし、この本は、原文も平易だったのか、ものすごく読みやすい本で、別に社会心理学について何か知っていなくても、十分楽しめる内容となっております。
 冒頭では、著者がブラジルの大学に初めて勤務した際、授業が始まっても学生がほとんど来ず、授業終わりに近づいてからぼつぼつと学生が現れたというカルチャーショックのコラムから始まります。なぜだか、私は数年前の受験勉強の際にその原文を読んだことがあったらしく、あれ、前に読んだことがあるぞと妙な懐かしさを感じたものです。こういう文から受験の試験って出るんですね。

時間
 我々はとかく現在の日本の中で息苦しさを感じていないでしょうか。この本は、時間をめぐって書かれた本で、それぞれの文化にはそれぞれの時間のリズム、テンポがあると書かれています。何よりもこの本が素晴らしいのは、学生の協力も得て、世界30か国で、歩く速さや店員にものを頼んでそれができる速さなどを測った、テンポの図表。そのテンポの図表からは、様々なことがわかってきます。
 この本はアメリカの学者が書いた本ですが、日本についてかなりの項が割かれています。日本を別の文化で育った人間の視点を通じて見直すと様々なことが見えてきます。
 我々が非常に現在のテンポに窮屈を感じているとしたら、それはそのはず。世界30か国で観測したデータをもとにすれば、何に置いてもほぼ最高の速度を有しているのです。そりゃ疲れますわな。

 著者は、文化にはせっかち文化、テンポの速い文化(タイプAと命名しています)と、のんびり文化、テンポのゆったりとした文化(タイプB)に分かれていると述べています。
 近年では、日本でも過労死が問題となり、週40時間労働制が導入されるなど、自分達の時間に対する考えが深まってきたように思われます。しかし、それでもまだ忙しい。最近ではブラック企業という言葉も登場し、日本人が今迄にもまして忙しい時代を迎えているように感じられます。そんようななか、「スローライフ」や「スローフード」といった言葉とともに、ゆっくりとした人生を歩むことの重要性を説いた本も沢山発売されています。私は去年辻信一著の『「ゆっくり」でいいんだよ』(ちくまプリマー新書・2006)を読んで大変感銘を受けました。同時に読んだサティシュ・クマール『君あり故に我あり』(講談社学術文庫・2005)(この本は辻先生の本の中でも紹介されています。辻先生とサティシュ・クマールさんは交流があるそうです)も感銘をうけ、何度も記事にしようと思ったのですが、あまりにも膨大になりそうだったため、終にやめてしまいました。
 本当に素晴らしい本なので、この二つも是非皆様に読んでいただけると幸いです。
『「ゆっくり」でいいんだよ』(ちくまプリマー新書・2006)
サティシュ・クマール『君あり故に我あり』(講談社学術文庫・2005)

 なぜ今この本を引用したかというと、この本でも時間のことについて書かれているのです。クマール先生の本は時間についてはそれほど書かれていませんが、辻先生の本は、今の日本はあまりにも忙しすぎるとしてナマケモノに学ぶべきだと述べています。私もそう思っています。
 ただ、いきなりお前たちは忙しすぎるからナマケモノを見習えといっても、それはなかなか難しいものがあります。辻先生の本はちくまプリマー新書といって、中高生向けに書かれた非常にわかりやすい本ですから、それはそれでいいのですが、そのぶん真面目な大人たちは取り扱わない可能性もある。きちんとした研究で、真面目な大人たちも無視できないのが、この『あなたはどれだけ待てますか』という本です。
 この本は何も日本の読者に読まれることを想定して書かれたものではありませんが、それでも日本は著者にとっては特別な例外として映ったようで、日本のことについてかなりの項が割かれています。
 この筆者はなにもゆっくりとしたテンポが素晴らしいとタイプBの文化をただ賞賛するということではありません。タイプAもきちんと精査したうえで、どちらがいいと単純に述べることはできないとしています。それぞれの文化ですから、それを否定、肯定することはできません。しかし、文化にタイプABが存在するように、人間それぞれにもタイプAよりの人、Bよりの人がいると述べています。その人たちにとって一番しあわせなのは、自分のテンポにあった文化に行くことです。
どんなにテンポが速いAの国、場所、例えば東京やニューヨークでも、そのなかにはテンポBしか適応できない人間もいるわけです。そうすると、周りが物凄いスピードで回転していくわけですから、その人は周りに合わせることができません。その中で無理をしていると、例えば過労死とか、ストレスにつながるわけですが、そもそも完全についていくことができないとなると、その文化圏のなかでは落伍者、無能者としてのレッテルが貼られてしまうわけです。そういう人は確かによくいます。何時まで経っても課題が終わらなかったり、いつも授業に遅刻してきたりする人。しかしその人達は、テンポAのなかでこそ異端者として迫害されますが、テンポBのなかに行けば、普通の人として扱われるわけです。
 日本に住んでいるとなかなかそういう考えには達しません。特に東京などの都会に住んでいる人は。反対のことでいい例が書かれているので紹介しますが、この著者も自分の時間を持ちたいと考えて大学教員になったと述べていますが、それでもやはりアメリかの人間。テンポは速い方です。その著者がブラジルで教鞭をとった際には、いつも周りから、「落ち着け」「焦るな」と言われたそうです。
 日本やアメリカ、西洋などの比較的工業が発達した文化ではタイプAのテンポで時間が進んでいきます。その文化のなかでは遅刻は大体5分から15分までが許容範囲です。それを越えると何故待たせるのかと、待たされた方は怒り始めます。また、この文化では時間通りであることが美徳とされています。我々にとっては当たり前ですよね。会議にでも遅刻したものであれば、もう昇進はできないとあきらめたほうがいい。やれやれ。
 しかし、時間通りに行動することが、我々が時間通りに行動しない人に対する感情くらい、悪いことだとみなされる文化は往々にしてあるわけです。そうした文化の中では、時計は「邪悪な野望と結びついた非礼」と非難され、時間通りに行動する人は小物として扱われます。ブラジルなどでは、いかに待つこと、待たせることがその人の人間的な大きさに繋がるらしく、約束した30分程度の時間で待ち合わせ場所に来ようものならとんだ小物ということになります。平均して1時間ほど、酷い時には2時間程待つ、あるいは待たせるのだと言います。
 ブラジルまで顕著な例でなくとも、我々が時計に従った「時計時間」の文化の中で生きているのと同じように、タイプBの文化ではものごとを大切にするように「出来事時間」に基づいて生活しているのです。我々は、例えば何時に人と会う約束があるとすると、今行っていることを中断してでもそちらを優先させようとします。例えば、3時から会議があるとする。すると2時30に友人が訪ねてこようものなら、せっかく来た友人を拒んで会議に向かうのです。これが我々の文化です。ところが、出来事時間の文化のなかでは、訪問してきてくれた友人が最優先されることになる。一時間か二時間ほど友人と楽しく会話をした後に、会議に出席するわけです。
 こういう例を聞くと、つい私たちは自分たちの生まれ育った文化の尺度でものを言いたくなります。それは、その人たちの怠慢だ、惰性だ、時間を守らないのはいけないことだ、と。しかし、と世界中を研究し、なおかつきちんとした学問的な基礎を踏まえた著者はいいます。文化を観察し、学ぶ際の最も避けたり逃れたりするのが難しい罠は、自分の文化の意味でそれを推し量ってしまうことだということです。
 彼等にとってみれば、時間通りに行動する人間は、せっかくの友人の訪問などを無視するのですから、見方によってはかなり冷徹な人間に思われるはずです。

日本の時間
 さて、アメリカ人の著者にとって日本は相当目を引いたのか、わざわざ章を一つ割いて日本のことを分析してくれています。「日本の矛盾」という章では、日本人は世界のどの国に比べてもトップレベルのテンポを有する国ですが、そこには矛盾が生じているというのです。
 著者はAの文化もBの文化も単純に肯定否定はできないと述べていますが、タイプAの文化ではストレスが余計に感じられることは述べています。タイプAの文化のなかではストレスが多く発生しますから、そのストレスによって冠状動脈心疾患の発生率が上昇すると述べています。事実タイプAに属するアメリカや多くのヨーロッパの国々では、こうした病気にかかる人がタイプBの文化圏に比べて格段に多いそう。
 ところが、世界トップレベルの忙しさを誇るはずの日本では、こうしたタイプの病気は極めて少ないというのです。
日本がアメリカやヨーロッパと違う点は、アメリカの有能な社員にとってのごほうびが、有給休暇であるのに対して、日本ではその会社の強制的な定年退職年齢の免除だと言います。日本は仕事中毒なのです。著者は日本にはブルーマンデーはあまり存在せず、反対に日曜日になると休日病(休日になると身体が痛み出したりする)が見られるといいます。この部分はこの本が書かれた当時はそうだったでしょうが、訳者も2002年の段階で述べている通り、通用しなくなってきている部分はあります。
 ただ、それだけ忙しく、テンポの速いアメリカ、ヨーロッパに比べても勤労時間の長い日本は、アメリカ・ヨーロッパと比べてそこまで生産力が高いわけでもないということが指摘されています。もちろん日本の生産力は、アメリカ・ヨーロッパよりも高いですが、これらの国より働いている時間を考えると、その時間ほどではないということです。そこには、日本人の仕事観があると言います。アメリカでは、プライベートと仕事はきっちりとわけます。しかし、日本はそれよりも職場の人間関係や会社全体の「和」を考えるので、そこが曖昧だというのです。日本人は会社をひとつの有機体とみなしており、そこに所属することはプライベートの一部でもあるわけです。すると、職場での時間というのは、生産性だけを求めている仕事だけではなく、その中で同僚と話したり、仕事後の食事など、単なる仕事とは別の人間関係を円滑にするための時間も含まれるというのです。そして、自分の生活をそこに割り当てることができることの要因としては、日本の「終身雇用」の概念が働いているとしています。
 だから、日本人にとって会社とは、単なる生産性を求める場ではなく、もう一つの自分の居場所なのです。そしてそれはしばしば、自分の家よりも自分が居るべき場所になっているのです。だから、職場にいることが同じタイプAのアメリカ人や西洋人と異なり、ストレスにならない。その場に属することがストレスを和らげるのだとしています。
 ですが、この本が書かれたのは、1997年のこと。この著者が日本でしばらく滞在していたのはそれ以前のことです。バブルが崩壊し、リーマンショックのあったあと、日本の終身雇用制はもはや形骸化しているように思われます。定年退職を延長するのも、会社にいたいからというよりも、そうしないとまだ家族たちを養わなければならない義務があるからといったほうが近いようにも思われます。さらに、ポストモダン化し、西洋式の個人主義が強くなってきた現在となっては、私を含め、私の世代の人間は、会社は奉仕するものではなく、自分の人生を豊かにするための道具にすぎません。そのような場で、自分の日常の時間を束縛されることは苦痛以外の何物でもありません。
 大学の友人でさえ、飲み会は面倒だから行かないといった人間が多く居る中、会社では上司の食事の誘いは、職場環境を円滑にするための一貫とは認識さえず、単なる仕事外の仕事になるだけなのです。だから、会社でも若手の社員が飲み会などは断り、すぐに帰宅するというのも、何に価値を置くのかということが変化してきたからなのです。
 もはや会社に属することがアイデンティティーの時代は終わり、自分の人生、生活をいかにゆとりを持って生きるかということが日本人にも求められるようになりました。それが、スローライフを主張する本などが多く出て来た証拠にもなります。

終わりに
 著者は、のんびり文化がいいとは言いません。その代わりに、自分の属する文化とは異なった文化、特に別の時間を持つ文化に触れることが大切だと言います。我々タイプAの文化圏の人間は、ブラジル、メキシコ、インド、インドネシアなどのタイプBの文化に触れたほうがいいわけです。触れるといっても、一週間程度の旅行ではあまり意味がありません。もちろん、それだけでもかなりのカルチャーショックを受けるとは思いますが、自分たちの文化を省みるまでには至りません。その文化に慣れ、自分の文化を省みはじめるためには、3カ月は必要だと著者は述べます。3か月ごろから、その文化に慣れてくるというわけです。ですから、一年くらいはその文化に浸っていないと本来はいけないわけです。
 忙しい日本にとって一年とか、三か月でもかなり難しい問題があるとは思いますが、しかし、私は日本人はこうしたタイプBの文化にいったん触れる必要があると思います。著者は、異なった文化の時間に触れることによって、自分の時間を省みるきっかけになると言います。著述家エヴァ・ホフマンの言葉を引用しながら、中庸の時間がいいのだと結論付けています。タイプAならば、タイプBを見て、そして自分にあったAとBの間の時間を見極めていくということです。あまりに何もしなさすぎると、人間は無気力になると著者は指摘しています。ブラジルに二年いると、自分がそこで成し遂げなければいけない研究などどうでもよくなってしまったそうです。ですから、自分にあった、適度な刺激のある時間のテンポがいいわけです。
 日本は、いくらなんでも速すぎます。それでいいという時代はあったかもしれませんが、現状と照らし合わせて、よく考えてみてください。ブラック企業、過労死という言葉がこれだけ叫ばれているということは、限界が生じているのです。流石にいくら自分の時間を大切にしろといっても、その前に殺されてしまいます。日本はもう少し時間のテンポを抑えなければなりません。
 それから、自分の時間を人に押し付けないこと。私はどうしても、日本の今のテンポに合わないなと感じてきました。大学のゆったりとしたテンポでもなかなかついていくのが大変です。そして、仕事なんてとてもではありませんが、出来そうもない。大学に入りたてのころも、少し鬱ぎみになったのですが、恐らく私が仕事をしたら一週間で鬱になるでしょう。それくらい、私のリズムは日本に合わないのです。なんでだろうなと考えて思い当たったことがあります。私は、小学生のころを5年弱、アラブで過ごしたのです。そしてアラブはタイプBの文化。のんびり文化です。3時には仕事は終わります。お昼も長いですしね。そうした文化で人間が形成される時期を過ごした私が、その後いくら日本にいようとそれに合わせることができるわけがないのです(ちなみにこの本のなかでは、タイプAB両方に順応できる人とそうでない人がいると指摘されています)。
 だから、私は東京に住んでいますが、職場はよほど東京でのんびりしたところか、田舎にいかないといけないわけです。
 皆さんも、このテンポAの中で、もみくちゃにされて終には自殺というところに達する前に、きちんと自分のテンポを見極めてそれに見合った場所、職場に変えることをお勧めします。人それぞれのテンポは違いがあるということをよく考えなくてはいけないと思います。

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