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〈清時代の書―碑学派―〉を見て

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 今年は碑学派の祖と称される鄧石如、生誕270周年らしい。ということは碑学派と呼ばれる書風の作品を集めた今回の展示は、少なくとも270年以降の作品しかないということである。私は国立博物館の方を見学してきたのだが、確かにどの作品もそれほど時が隔たっていない分、状態もよく、墨もまだ黒々と残っていて当時の息遣いを感じられるような生き生きとした状態であった。
 今回の展示は国立博物館と書道博物館とで同時に行われた企画展である。ここ数年美術系の展示にはかなり足しげく通っていると自負している私であるが、このような展示の仕方は珍しく感じる。書道博物館のほうに行けなかったので何とも言えないが、書道博物館の展示スペースは限られているのかもしれない。
 さて、今回の展示は清時代の碑学派をメーンに展示したものであるが、時代区分でいうと日本の江戸中期あたりからになる。清と聞くと歴史の教科書を思い出すせいか、とても昔のことのように感じられるが、日本の歴史で考えるとそこまで昔ということでもない。

 書道史の教科書などをぱらぱらとめくっていると、序盤に金文の拓本がでてきたり、その前になると甲骨文などが登場する。そして次第に流麗な現代の書に近づいてくる。だがあるところで、ふと教科書の序盤に登場するような篆書体の文字が登場する。どうしてだろうかと思っていたが、今回の展示でその謎が解けた。王羲之、王献之の文字にならうことの隆盛を極めた清時代。そのような時代のなかで碑学派は誕生した。碑学派の誕生により、それまでの帖を手本としてきた書のありかたは帖学派と呼ばれるようになった。
 なぜこの碑学派が誕生したのかということを考えると不思議に思う。私はある意味ここで一種の限界に達していたのだと思う。21世紀の現在においても、4世紀の二王、特に書聖王羲之の書を超えるものを書けた人物はいないとされている。確かに王羲之の書は素晴らしいし、王羲之の書は人類の宝である。それには間違いない。だが、この17世紀ほど、他の人間は何をしてきたのかという疑問が生じないでもない。いくらなんでも一千年以上、それを超える人物が登場しないというのはあまりにも不自然ではないか。書以外の分野でこれだけ過去の人物を超えられなかったという例はないだろう。とすると、この例外をどう考えるかである。先ほど私は一種の境地に達したと述べた。それは行書や楷書においてであろう。
 清時代の書を学んでいた鄧石如の気持ちを想像してみるに、王羲之の書を褒め称えてそれ以上には誰も恐れ多くてなれないという状況はあまり面白くなかったのかもしれない。せっかく書をやったのだから、何か新しい境地を開きたい。もちろん過去の偉人を手本にするのは重要であるが、何も王羲之だけに限らずともいいじゃないか。王羲之の書は書の歴史のなかでも一つの流れに過ぎない。とすれば、王羲之より遡ることによって、そこから王羲之ルートにはいかない別の書の在り方を模索できるのではないか。おそらく鄧石如はこのような考えを持っていたのではないだろうか。

 国立博物館の展示スペースはごくごく小さなものであったが、そのなかで一番目を引いたのは、鄧石如による篆書白氏草堂六屏。1804とあるから、鄧石如亡くなる一年前、最晩年の作品である。還暦、60歳ほどの書である。鄧石如の作品は他にもいくつか今回の展示にあったが、やはりこれが一番の出来であるように感じられる。熟成とも大成とも言える、見事な書だ。隷書の作品もいくつかあるが、この篆書は文字の力強さが違う。他の展示作品と並べられていても一際異彩を放っていたので、すぐに目に入った。圧倒的に作品のもつ力が違うのである。篆書の文字はややもすると、文字を持ち始めたまだ未発達の、未熟な文字とも見受けられてしまうが、篆書に倣い、それを作品として極めた鄧石如の書からは、古風な香りを残しつつ、怜悧に洗練された力強さが感じられる。素朴でありながらも鋭さを有している。篆書を大成するとはどういうことかをこの書が如実に示していると思う。
 鄧石如の草書行書を見てみると、そこには力強さが溢れていて、コントロールが効いていないようにも見える。書の素人であるから、何が良いのか、何が悪いのか私にはちっともわからないのであるが、草書も行書も自由でのびのびとしていいのだが、当人でさえコントロールできない熱いものがあったのではないかと感じる。帖学派しかなかった時代に、碑学派というものを創造してしまうくらいの人間であるから、かなりバイタリティーのあった人なのだろう。そういう自由で意思の強い人間が行書は草書で書くと度を越してしまう。篆書はそういう意味でも、力をセーブするために必要な書体だったのかもしれない。

 書道博物館は直接見たわけではないのだが、図録を眺めているうちにこちらも素晴らしいと感じたので、碑学派後期の方も少し論じたい。
 呉熙載は鄧石如とちょうど入れ替わるようにして生まれ、碑学派をさらに発展させた人物である。彼の書を見てみると、鄧石如との比較も相まって、本当に書には人柄というものが現れるなと感じる。鄧石如の書が力強いのに対して、呉熙載のなんと柔和なことか。女性が書いたのではないかと感じられるほど柔らかな線。彼の隷書や楷書を見てみても、いずれも優しさが漂っているような書風である。だが、やはり鄧石如を超えることはできなかったのかとも思う。
 呉大澂になると、篆書どころではなく、甲骨文に立ち返っているように思われる。呉の書を見ていると、ヒエログリフやメソポタミアの文字を読んでいるような気分になる。甲骨文の象形文字を一生懸命練習し、鄧石如の昔に立ち返るというスタイルを習いながら独自に開発したのだろう。だが、甲骨文にまで立ち返ると、それを書としてどう生かすかというのが少し難しかったようだ。その後誰も甲骨文をもとにした書を作成していないことからも、その活かし方が誰にも模索できなかったのだろう。

 鄧石如は大事なことを現代の我々に教えてくれていると感じる。というのは、書が特別的だったという事もあるかもしれないが、何かの頂点に達した時、それから先をどうすればよいのかという指針になるからである。彼の行った発想の転換は、書以外のすべての分野に適応できるものである。何かの頂点に達して流動的でなくなったら、一度昔に立ち返り、そこから再出発すればいいのである。過去の一点に戻り、そこから別のルートをつくるのである。あり得たかもしれない現在を作り出すのだ。ポストモダンとなった現在は多様性の世界と言われている。一元的な世界ではなく、多様的な世界を尊ぶのである。ポストモダンは20世紀はじまったとされるが、鄧石如はそれよりも前に、すでに多様的な世界の在り方を書を通して体言していたのである。

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