泉鏡花『婦系図』再論 感想とレビュー 鏡花の大衆性、原作と演劇を通じて

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―はじめに―
 大学に入りたてのころに、せっかく国文科というところに入ったのだから、恥ずかしくないように近現代文学において重要な作品をとりあえず片っ端から読んでいこうと思っていた時期がありました。もちろん、今でも重要な作品を読み進めています。その当時、読んでみて、漱石の作品を初めて読んだ時のように感動した作品がありました。感動というと少し異なりますが、あっと驚かされたような感覚です。それは、泉鏡花の『婦系図』。
 恐ろしいことに、専門であるはずの国文学科の生徒たちでさえ、泉鏡花の名前を聞いて「女かな?」と思っている人間が居ます(もう、私恥ずかしくて世間に顔向けができません)。男ですよ。画像検索をしてみてください。細面のおじさんが出てくることでしょう。
 なかなか、活字離れをした上に、タブレットに毒されてしまった現代には、その名さえも知らない人間が多くなってきてしまったようです。残念なことです。

-鏡花の大衆性-
 国文科において、ある作家がどのくらい文学的かといったことを調べる際の指標があります。これは私の個人的な調べかたですが。その作家についての論文を調べて見ればいいのです。文学的な作品(すなわち、テクストに余白があって、解釈にはばがある)であればあるほど、論文の数が多くなるわけです。そのような視点で鏡花を見てみると、他の作家と比べて大分少ないと感じます。私は今の感覚で読んだら随分文学的だなと感じるのですが、研究史を見てみると、あまり重要視されていないのが現実のようです。他にも、有島武郎などもあまり論じられてはいません。論文数が圧倒的に他の作家、例えば漱石や太宰などとは異なるのです。
 文学研究者が研究を避ける作品とはどのような作品でしょうか。それは、一義的な作品です。すなわち、解釈の幅が狭い作品になります。その点では確かに、泉鏡花の作品はどれも、読んでいて面白いのですが、多義的な解釈はあまりできそうにありません。現代に話を置き換えると、東野圭吾などは確かに読んでいて面白いことには面白いですが、あれを文学的に研究しろと言われても困るわけです。彼が書いた作品はどれも面白いですが、しかし、解釈の幅はありません。いわゆる大衆作品というものは、ある程度平易で、誰が読んでも同じ読みができるから売れるわけです。え?どういう意味だったの?と思われるような作品は、研究には向いていますが、大衆には向いていません。
 このような視点で考えれば、泉鏡花は紛れもなく大衆作家だったという事が出来るでしょう。彼の作品は、ある意味古典的な作品です。当時の古典的ですから、江戸時代から培ってきた、歌舞伎的な構図が小説に取り込まれているのです。義理と人情の物語であったり、独逸文学者、早瀬主税が実は掏摸(すり)、といった図式は歌舞伎によくあるパターンです。他にも、物語の展開の仕方、つまり最後の最後に一番のやまを持ってくるといったやり方も、歌舞伎の踏襲です。『婦系図』が書かれたのは、1907年のことでしたから、当時の人々はまだ、前近代的な、江戸時代の気風を多少は引きずっていた事でしょう。鏡花の作品は、めくるめく西洋化のなかにおいて、消えかかろうとしている古き良きものを体現した作品のように、当時の人々の目には映っていたのではないでしょうか。

-原作と演劇と比較して-
 『婦系図』と言えば、泉鏡花と、私の場合は出てくるのですが、世代によっては他のものが出てくることだと思います。今の70代、80代の方に聞くと、『婦系図』というと、「泉鏡花」より早くに、「湯島の白梅」「早瀬主税とお蔦」といった単語の方がでてくるのではないでしょうか。祖父に『婦系図』の話をした際には、後者のほうが出てきました。
 泉鏡花の作品は先ほど述べたように、江戸歌舞伎的な構図を踏襲していました。ということは、反対から見れば、歌舞伎などの演劇に向いているということです。もちろん、小説と演劇では全くメディア媒体が異なりますから、かなり手を加えないとメディアの壁というものはなかなか越えられません。小説のそのままの姿で演劇にしたら、恐らく相当つまらないものができることでしょう。この作品もいくら大衆向けと言えど、そのまま演劇にするわけにはいきません。
 『婦系図』は、原作よりもどちらかというとそれを題材にして制作された演劇の方が有名になりました。ちなみに、演劇史上においても、『婦系図』は重要な作品になるようで、この作品を上演したのが「新派劇」という演劇の一派だということが重要になるようです。新潮文庫『婦系図』の解説では、四方田犬彦先生が「湯島の白梅」の場面を例にとり、原作と演劇の違いを説明しています。少し御歳を召した方であれば知っている、「月は晴れても心は暗黒(やみ)だ」や「切れろ別れろのツって、そんな事は芸者の時に云ふものよ。・・・私にや死ねと云つてください」などのセリフは、実は原作にはありません。そもそも、原作と演劇を一度でも見たことがある人間はよくわかると思いますが、なんとあの有名な「湯島の白梅」の場面も、原作にはないのです。
 ですから、現在多くの人が知っている「湯島の白梅」や、先のセリフなどは、原作には登場しません。このことからも、原作と演劇との違いがいかに大きいかがわかると思います。ところが、演劇のために付け加えられた場面が、あまりにも観客の感動を誘ったためか、その後独り歩きを始め、『婦系図』といったら、「湯島の白梅」というようになってしまいました。
 原作はこのようにして、演劇によって作り出された「湯島の白梅」図に飲み込まれる形になってしまい、演劇の陰に隠れてしまいました。ただ、原作も今では読まれなくなりましたが、演劇が独り歩きする以前は大ヒットをしたようです。そして、原作と演劇とを比べてみると、果たしてこれが同じ作品なのかと思われるほど、両者は異なった様相を見せます。

 原作はどのような作品なのかというと、主人公主税(こう書いてチカラと読みます)と、芸者お蔦の恋愛話はあまりありません。主税とお蔦のお話は前半で終わってしまい、その後お蔦は、後篇の最後の部分に、お蔦の死の場面が少し挟まれるだけです。それに対して、演劇は、主税とお蔦の悲恋物語がメインになるのです。
 原作は恋愛物語という気配は全然なく、むしろ社会派小説と呼ばれるように、ブルジョワ一家への復讐劇がメインになっています。主人公早瀬主税は、今では有名なドイツ語学者の酒井先生の自宅で育てられ、立派な学者になっていますが、元はと言えば「隼の力」と言われた身元不明の掏摸(すり)です。主税は、そのような出自からか、芸者であるお蔦を内縁の妻に迎え、真砂町で下女と三人で暮らしています。ですが、芸者というのは、当時は現在よりももっと低い地位の人間と考えられていたので、学者である主税が芸者と一緒になるというのは、とても社会的に認められることではありませんでした。そして何よりも、ここまで育てた酒井先生にとってはそれがゆるせなかったのです。この構図を演劇では大きく取り上げて、作品のメインにしています。主人公早瀬主税は、育ててもらった上に、学までつけてくれた先生に対する義理があります。しかし、その義理を貫けば、お蔦との間を切らなければなりません。こちらが人情です。この義理と人情の物語を演劇はメインにしたのです。
 酒井俊蔵には、妙子という娘が居ます。主税は小さいころから酒井家で育っているので、妙子とは一緒に育った兄弟のような関係です。この妙子に、主税の友人の文学士河野英吉がお見合いを申し込みます。主税は妙子と一緒に育ってきたようなものだから、主税に口を添えて貰おうという魂胆です。ところが、その話をしているうちに、主税は河野家の思考に腹が立ち、友人であったはずの英吉とは縁を切ってしまいます。何故怒ったのか、といった部分は、鏡花の上手いところでほとんどが、できるだけ後の方に後の方に回されて語られていきます。すぐには答えを教えないのです。ここでは結論を先取りしておきますが、主税は、およそ「家族主義」といったものに対して怒ったのです。英吉の結婚に対する態度、すなわち、全部親があれこれ言って、それに従っているだけというのも気に食わなかったのでしょう。しかし、それ以上に、河野家、河野英臣(英吉の父)の思想が気に食わなかったようです。その核心部分は、作品の最終部分、復讐劇の場面に主税の口から直接語られます。自分の娘を使って、婿を選び、家を繁栄させていくことだけに目のくらんだ思考はいかんというのです。
 原作では恐ろしいことに、主税の復讐劇は約一年に及ぶ長期のものです。あることから、主税が掏摸の手伝いをしたということがバレて、彼は東京に居られなくなり、静岡に引っこみます。この静岡というのが、実は河野家の実家がある場所で、実家にいた河野家の長女菅子夫人や、これから結婚する道子と不倫をするのです。敵を倒すには内側から入り込んでやるという、徹底した暗黒さ。主人公早瀬主税は、確かに一面では江戸っ子で恰好いい面がありますが、よくよく行っていることを考えると、実に恐ろしい人物です。これを、四方田先生は開設でエミリー・ブロンテの『嵐が丘』に登場する、ヒース・クリフ的な人物だと評しています。私もなるほど、言い当て妙だと思いました。
 菅子は、弟の英吉のために、主税を色仕掛けで落として、妙子との結婚をよしと言わせようとします。主税はそれを逆手にとって、不倫をするのです。道子は、実は英臣の子ではないのです。彼女の母が、英臣のいない間に馬丁貞造と作った子供なのです。それを利用して、この貞造が死にそうだということで、主税は道子を連れ出します。


-欠陥だらけの最後-
 この作品には、大分欠陥があるのですが、何と言ってもその最たるものは、実は道子の父親が貞造だという確証は取れなかったと、主税が遺言状に書いてある部分です。他にも、菅子の夫である、鳥山という男が毒を盛ったというのも嘘であったなどということを言い始めるのですから、それでは河野家はこんなことをしたから復讐しているのだという主税の動機そのものが壊れてしまいます。最後の24行は、作者である鏡花も、連載には書かなかったり、単行本にしたときには付け足したり、全集に入れるさいにはまた削ったりと、右往左往しています。これは、河野家のモデルとなった家族に対する作者なりの気使いだったようですが、しかし、そんなことをされては読者も振り回されます。
 他にも、解説で吉田氏が指摘しているように、この作品はすべてが最後の復讐劇、頁数で言えば14、5頁ぶんのための伏線であると言えます。すべて前置きと言えば前置きなのです。だから、とても長い。一体いつメインとなるストーリーが動き出すのかと、読者は苛立たせられます。
 また、いくら河野家の思想が気に障ったからといって、いくらなんでもここまでやるのかという感覚もあります。最後には、殆どの人間が死んでしまうという、あまりにも凄惨な状況が展開し、おもわず目を瞑らなければならないくらいです。演劇では、お蔦の臨終に何とか主税が間に合うという感動的な場面がありますが、原作では、そもそも臨終と聞いても東京へ戻る意思も示しません。最後は、主税も毒を飲んで死に、英吉宛てのめちゃくちゃな遺書を残すという、あまりにも欠陥の多い部分となっています。

 かなり無茶な部分がありますが、しかしそれが読者の目に余るからといって、読者を白けさせるかと言えばそうではありません。当時は大ヒットし、すぐに演劇になって上演されはじめたのですから、人々に喜んで受け入れられたということがうかがえます。また、現在読んでも面白いことに変わりはありません。
 鏡花の作品は文体が非常に美しく、このような文体は他の作品には見られません。ルビの振り方ひとつ見ても、日本文学史において最高の感性の持ち主ではないかと私は感じています。他にも彼の文体は非常に印象的で、繊細で、縮緬(ちりめん)模様を見ているかのような感覚に陥ります。
 それから蛇足ですが、夏休みに文学散歩に行ってきました。その記事はすでに載せてあります。その際にせっかくだからと、湯島天神に行ってきました。原作にはありませんが、演劇で有名になった「湯島の白梅」の場面です。湯島の白梅も見ましたが、夏ですから、当然緑でした。鏡花の筆塚と、新派と彫られた石碑が建てられていました。なるほど、これが舞台となった場所かと思うと、なかなか感慨深いものがあります。現在では周囲を背の高い建物が囲ってしまっていますが、おそらく当時は、不忍池も見られたでしょう。

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おはようございます

記事読んでたら、ものすごく読み返したくなりました。

泉鏡花読むと、自分の周りだけ時間が止まったような感じがするんです。私だけかな・・・。
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