スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

藤本宗利『感性のきらめき 清少納言』を読んで

4787970119.jpg

―はじめに―
 私は昔からものごとを暗記することが苦手で、そのため歴史は聞いていること自体は好きなのだが、どうにも覚えることができないという状態が続いていた。もちろんそれは、古典作品にも当てはまることである。どの作品が誰によって書かれたのかということもあやしい。とりわけ古典の授業でも繰り返して聞かされた、中宮定子と彰子、清少納言と紫式部、道隆と道長など、何が何やらさっぱりであった。ことあるごとに、その時だけは覚えるのであるが、しばらくするとすべて水に流れてしまうのが常であった。
 ところが、この本を読んで私の頭の中には一つの物語が出来上がった。それまでバラバラだった知識のかけらがまとまって、一筋の筋道たった物語に変化したのである。この本を読んでいた時間、私は得も言われぬ知的刺激に一種、悦楽を感じた。どうしても、学校の授業中、先生が説明してくれるのを聞いているだけでは実感として頭の中に入ってこない。それもそのはずだ。実際に生きた人間を、ものの数十分で簡単に解説してしまうのだから、どこか自分とは異世界のモノ、コトだとしか感じられない。それはただの「暗記すべき知識」であって、実際に生きた人間という感覚はわかないのである。
 だがこの本は、独特の文体でゆっくりと、清少納言という実際に千年前に生きた人間を浮かび上がらせてくれた。少々遠回りと思われるくらい、清少納言がいかにして生まれたのか、その流れをつくってみせたのである。


 ―初めての平安文学―
 私の専門は近現代の文学なので、普段は古典と接する機会が少ない。けれども、せっかく国文科にいるのだから、源氏物語や枕草子くらい、基本的なことを知っておきたいと思って講義を取り始めたのである。私も三年生になってようやく様々な論文や、論文集というものが読めるようになってきた。だが、それらはいずれも近現代の文学に関したものだけだったので、平安文学について論じた本はほぼ初めての体験と言える。近現代の文学であれば、最近では記号論的な読み方から、対象となる作品だけを論じたテクスト論を展開したものになる。少し古い論文や評論などになると、作家論的な視座もまだ残っている。
 果たして古典作品を論じる際にはどのようにそれを描くのか、まさかテクスト論を流石に古典作品にまで応用するわけでもなし。歴史的な事実だけをただ述べたものなのかなと思い、多少気が進まない気持ちもあったが、この本を手に取ってみた。
 最初は予想した通り、清少納言がどこの家系の人間で、どんなことをした人かといった歴史的な事実が書かれてあった。父親である清原元輔の話が大分長くあり、やはり読み物として面白くないものを引いてしまったかと思った。ところが、である。これは清少納言を理解するうえで必要な前置きだったのだ。しばらくは全く何の知識もない部分について語られているので、読みにくい。なんとなく、元輔という人物がどういう人物で、清少納言に対して大分おおらかに教育したのだなといった感じにしかとらえていなかった。
 だがそれが重要なのだ。当時は現在とは異なって、みんなが共通して通う学校のようなものはない。すなわち、その人間の知性、知識、ものの見方、価値観と言ったものは、すべて家庭教育によって培われ、養われるものなのである。このような当然と言えば当然であるが、しかし知識として理解しているのではなくて、実感として理解できていないことを、読んでいるうちにはっと悟ることができた。元輔の話の後も、定子の親である道隆、その道隆の親である兼家の話が続く。なんだかよく判らないなと思いながら読み進めていくうちに、ふと、中宮定子のサロンの話になった際に、今迄の話が全て意味のある、脈々とつながっていた話であったのかということに気が付いた。
 もちろん、いくら親子と言えど、他人は他人である。子が親のコピーになるわけではない。だが、中宮定子のサロンの話になった時に、そのサロンには紛れもなく元輔や、道隆、定子の母である貴子などの姿が目に浮かんだのである。
 この方面の本は初めてなので、他の古典を論じた本がこのような描き方であるかは私には判断できないのだが、おそらくこの本の半分小説のような描き方は珍しいのだろう。私が何よりも驚いたのは、真面目で堅苦しい論文だろうと思っていたら、予想外にも小説風に書き上げられていた部分である。流石に教養溢れ、風雅、風靡さを追求した清少納言の研究者なだけのことはある。藤本先生の文章は、最近の作家の軽薄なそれとは違い、多少硬い部分もあるが日本の「和」や「雅」といった印象を彷彿される表情ゆたかな文章であった。要所要所、史実からは確認しきれない部分については、論理的であるが非常に鋭い人間観察力の上に成り立った推論を小説調に物語っている。そのため、古典作品を現代語訳で読んでいるような感覚で、清少納言について学ぶことができた。半分は論文、半分は小説といったとても贅沢な本だと感じた。


 ―受け継がれる思い―
 さて、定子サロンの様子を覗く段となって、そこに元輔や、道隆、貴子などの姿が浮かんできたとはどのような意味なのか、もう少し詳しく説明したい。本書は清少納言並びに定子がどのような環境で育ってきて、どのような教育を受けたのかということが一章で語られた。その際、元輔や道隆、貴子の育ちから語られている。
 元輔は歌詠みとして有名な人物であったが、任官には恵まれず、一家を支えて行かなければならないため現在でもそうであるが、当時としては超高齢にしてまで仕事を求めている。齢79にして肥後の国主に任じられたりと大変なことである。結局この肥後の地で没することとなるが、天下の歌人元輔もその人生は決して幸せと言えたものではなかったであろう。しかし、元輔の歌風はどこかおおらかなものが漂う。本書では幾つか元輔の歌が引用されている。
 「桜花そこなる影ぞ惜しまるる沈める人の春かと思へば」
 受領の任をいつも逃していた元輔にとっては、一家を養わなければならないしなかなか大変なことだったろうと思う。だが、それでも彼の歌にはどこか一種の諦観というか、涼しげな部分がある。普通仕事をもらえないとなると、今の時代でもそうであるが、人間は非常に屈折したものになってきてしまう。現代の就活でもそうだが、なかなか内定が決まらないと心が荒んできてしまうものである。だが、人生を通して任官に恵まれなかった元輔は、いわば一生就活をしているようなものであるが、どことなく雅さというものを失わない人間としての豊かさのようなものを感じる。本書では、元輔は実は道化の仮面を被っていた、食わせ物だったのだろうと評している。
 推論ではあるが、本書ではそんな元輔が清少納言にどのような教育をしたのかということも考察されていた。これは非常に面白い部分だった。元輔は歌詠みとしては感覚派の人間だったとこの本では述べられている。現代で言えば、小説の書き方が枠組みをしっかりと立ててから書く「プロット派」か、そのまま勢いに任せて書く「ライブ派」かといったところだろう。私たちは和歌を詠むというのが実際にはどのような行為だったのかということを本質的には判りえないが、しかしあれだけ洗練されていたものを作り上げるのだから、即興の場合も勿論あるにはあるだろうが、何度も何度も添削を繰り返し捏ね繰り回して作るといった作り方の方が一般的だったのではないかと思う。この「プロット派」「ライブ派」という二項対比は、同じ人間に同時に存在するものであるから、本来はこういう分け方をあまりしない方が良いかもしれない。だが、判りやすく考えると元輔は典型的な「ライブ派」だったようである。すなわち感覚的に歌う歌詠みということだ。その気風は見事に清少納言にも伝えられているとこの本には書いてある。
 さらに元輔はそのような感覚的な人間であったから、思考も比較的柔軟だったという。自分の子女をどう教育するかという点では女は自分の立身出世の道具という大きなイデオロギーからは逃れられていないものの、体系的にあれを学べ、これを学べと強制するのではなくて、清少納言に好きなように本を読ませたという。当時としては珍しい、男性特権であった漢籍も学ばせたというのだから、元輔は大分奇抜な思考の持ち主だったと本書では述べられている。
 本書でも指摘されているが、見方によっては自分の自慢話と、定子様を褒め称えるだけの本である『枕草子』がそれでもなお、読み物として耐えるどころが、とても美しい物語になっているのには、自然のおおらかさがその根底に流れているだろうということである。通常この類の物語を人間が書けば、とても人が読めたものではなくなるだろう。しかし、枕草子はいつ誰が読んでも美しい物語として読めるのには、どこかに自慢話や定子様の素晴らしさの表象を和らげる効果があるはずである。それを本書では清少納言が幼少のころ都から離れて自然のなかで暮らしていたことが原因だろうとしている。自然のなかで培った感性の豊かさが、都的なものの中で発揮されたために、文章に穏やかさがあらわれることになったのであろう。もしこれが都会育ちで自然に触れていない人間が書いたならば、ただの自慢話だけに終始してしまったことであろうし、またものの見方もより人間至上主義で、ぎすぎすしたものになったろう。
 『枕草子』人間の醜い部分をも断罪しないと、著者は指摘している。「勢いの盛んな時には追従しに集まって来る世間の人も、いったん時流から取り残されるとすぐに見限って離れていくものだ。まるで沈没しかけた船から、鼠が逃げ出すようなもの。それを情無しの、恩知らずと糾弾するつもりなど、作者にはあるわけもない。同じ立場になれば、自分だってそうしかねない。そもそも人情の軽佻浮薄は、世の習いである。声を荒げて、他人の薄情を責めることなど、いったいいくばくの人にできるというのだろう」(74)。本書はこれを、元輔から受け継いだ資質、寛濶さであると指摘している。私はそれに加えて、やはり自然に囲まれた中で育った影響もあると考える。先の震災で、海外レポーターが日本をどのように放送しているのかという記事で面白いものがあった。そのレポーターの言う、日本人は一種の諦観を持っているが、これだけの震災があって、家も家族も流されてしまったのに決してくじけないと。なぜなら、我々は自然を如何にコントロールするかという文化を育ててきたが、日本人は自然と共生する文化を育てて来たというのである。だから、自然の力の大きさを知っている、というのである。もちろんこの二分法をそのままどこにあてがってもよいというものではないが、しかしこの件に関してはこう考えることができるのではないだろうか。都会は、やはりここでいう西洋的な、自然をコントロールしようとする文化である。日本はそれでも自然と共生しようという心意気が強かったように思われるが。それに対して自然のなかで生きるということはどうしても自然と共生せざるを得ない。
 このレポートを書いている時分にたまたま、物凄い大きな台風がやってきて、日本はまた自然の驚異を感じずにはいられなかった。今ではそれでも建物がしっかりとしているから、家のなかに入ればすぐに死がやってくるという心配はない。ところが昔の家は、それほど頑強でもないだろうから、嵐だなんだで大変なことだったろう。自然は強い。人間の力など自然の前ではとんと役に立たない。そうした自然観を清少納言は幼少のころに培っていたのではないかと私は思う。『枕草子』は『源氏物語』と比較される。『源氏物語』は確かに一大物語で、日本において、いや世界においても最も優れた文学の一つと言えよう。そこには、長大な人間のドラマが描かれている。しかし、これはやはり人間の視点で終始しているように思われる。そこに描かれるのは人間と人間の交流である。もちろん人間を描いているのであるから、運命や宿命というものを描かれるが、しかしその運命や宿命というものを観る際の視点は人間からの視点である。人間の視点で運命や宿命というものを観ると、どうしても悲愴さのようなものが出てくると感じる。運命や宿命に翻弄される人間という構図になるのだ。ところが、『枕草子』は同じ、運命や宿命を描いても描き方が異なる。残念なことに定子サロンは最終的には彰子サロンに破れ、歴史から消えてしまうことになった。『枕草子』はその後に書かれたものであるから、作者はすでに消えてしまったことを知っているのである。とすると、通常ならば、彰子サロンに関係する人間を恨むことを書きたくなるのが人間というものだろう。ところが、そうではない。失われてしまったものは失われてしまったもの。決して蘇らない。それを理解したうえで、しかしそのまま誰の目にも触れずに消えてしまうのはあまりにも悲しいので、こんなことがあったのですよという気持ちで描かれているような気がする。そこには、運命や宿命に翻弄された人間の、如何にして運命や宿命に逆らったかということではない。すでに破れてしまった人間がかつてどんなだったのかということを、何かと残しておきたいという気持ちなのだ。抗いではなく、すべてを受けいれてから出発している点に大きな違いがあると私は感じる。
 また定子にしても、彼女が産まれたのはある意味必然的であったと感じられる。道隆は父兼家、弟道長、という稀代の政治家に囲まれて育った。兎に角力が第一である。他人を見たら蹴落とせと教え込まれてきたことであろう。そのくらいのことをしなければ天下は取れないという雰囲気のなかにあったろう。父の意向を弟道長は請け負ったが、そのような父と弟を見ていて、道隆は次第と力が全てなのだろうかと思ったことだろう。もちろん、道隆も結局は関白になっているし、政治的な活動を全くしなかったわけでもない。本当に嫌気がさしたならば出家することもできたはずである。だが、それをしなかったというところを見ると、政治的にはある程度かかわっていても、そのなかで雅さというものを忘れないというのが彼の生き方だったように思われる。本書では、道隆が高階成忠の娘である貴子を妻にしたのには家柄という面で少し不思議なことであるとしている。貴子を選んだ最大の理由は、彼女の漢籍の知識教養だったろうと作者は語っている。道隆は「娘であれば、そうしてしれが敏い生まれつきであれば、幼少から英才教育に心がけるのだ。文字に楽器演奏に和歌という具合に、一通りのたしなみを身に付けさせたうえで、母親仕込みの本格的漢才が加われば言うことなし。そんな娘を入内させれば、帝を魅了し、寵を専らにすることは疑いない」(114)とこう考えたろうと言うのだ。
 父や弟が力に任せて思うままにしようとする力一点張りの人間だったのに対し、道隆はそのがつがつした感じを嫌い、雅やかに、エレガントに物事を済ませたいと考えたのだろう。その目論見は見事成功する。一条帝もまた、力を求める叔父道長や母栓子に囲まれて辟易していたことであろう。そんななか、唯一風流人である叔父道隆と、その娘定子の存在は砂漠のなかのオアシスに見えたのかも知れない。


 ―定子サロンと彰子サロンの比較を越えて―
 この本ではあまり彰子サロンのことに関しては語られないが、「埋まっている」と評されたという。源氏物語の作者である紫式部でさえ、帝の側近にいた伊周などからは悪評を買ったというのだから、よほどサロンに差がある。一方は漢籍の知識も交えて、自分たちが仕掛けたちょっとした知的な遊戯を何倍にも面白くしてくれる。それに対してもう片方は全然奥から出てこないし、なんだかつまらない。どちらのサロンが素晴らしいと感じられるかは一目瞭然だろう。
 二章、三章では、定子サロンの逸話の数々が語られる。香炉峰の雪を代表に、様々な風雅なやりとりのエピソードが散りばめられている。それらを抽象化して説明すると「今めかしさ」になると筆者は言う。
 「これが中関白家一流の、新しさの演出方法、『今めかしさ』の秘訣であった。しかしもしもそれが、いたずらに新奇さを追求するあまりに、典礼を踏みはずすようなことであれば、それは単なる伝統の破壊に他なるまい。故実に鑑みて、礼を欠くものではなく、なおかつ人目を惹きつけるような洒落た演出をするためには、典礼に関する深い造詣と、新取の気性に富んだ果敢な行動とが必要であった。定子中宮のサロンにおいては、その点で大きく参与したのが母の貴子、すなわち高内侍であったことは、間違いない。彼女は掌侍として培った宮廷儀礼の知見を活用し、禁忌に触れない程度の斬新さで、大胆かつ知的な自己演出を、娘に示唆したのであったろう」(129-130)
近現代文学の領域では、左派的な小説、右派的な小説が在り得るのかということが一つ議論のタネになっている。ちなみに私は一応この作品は左派的な傾向である、右派的な傾向であるとまでは言えると思う。私はこの本を読んでいて、定子―彰子、清少納言―紫式部、『枕草子』―『源氏物語』、道隆―道長がそれぞれ、左派的―右派的の対比で読み解けるのではないかと感じた。もちろん、文学作品であるから一概にこんな簡単な図式に当てはめていいものではないかもしれないが、理解の仕方として多少便利なので、この構図にとりあえずあてはめて考えてみたい。
 先に引用した、本の文章からは、規律の中における逸脱の姿勢を見ることができるだろう。一応規律からあまりにも逸脱しないように自制しているものの、それまでの慣習や伝統というものにしばられ過ぎない自由な気風があったことは確かである。これは、紛れもなく道隆や貴子、元輔たちの性質が合わさった時にできたものである。その点で私は定子サロンの様子を見ている際に、彼らがそこにいるような感覚を覚えたのである。元輔や道隆の自由さへの憧れというものが、その子の代になって漸く開花したのだ。道隆一人では、とても親や弟に囲まれてできなかったこと。元輔も一家を支えなければならないという責任から一人自由に過ごすこともできなかった。それらの親の思いというものが脈々と受け継がれて、開花したのである。その点で私は定子サロンはなるべくしてなった、いわば一つの歴史の必然であると思う。たまたま定子サロンのような文化的、教養的なサロンがぽつりと現れたのではなくて、その前の代、更に前の代から、着々と準備が整えられていた。そのように感じられる。いわば、定子サロンは平安時代に咲いた文化の花(華)であろう。しかし、その花は、悲しいかな蓮のように咲いたらすぐに終わってしまう花であった。せっかく咲いた花は、咲いた時期が悪かった。ちょうど暴風雨のような権力一行がその花を無碍にも枯らしてしまったのである。
 定子サロンが今までの慣習に順応するだけではなくて、そこからの逸脱をも許すラディカルな性質を有していたのは先にも述べた。これは元輔や道隆が自分の娘には、当時男のものとされていた漢籍を学ばせたという部分に大きく象徴されているだろう。対して、彰子サロンはというと、女は奥ゆかしいのが良いという古い価値観のままであった。すなわち慣習や、体制、秩序を重んじるといった多少右派的な考えに根付いているのである。現在でこそ左派的、右派的というのはバランスを保っているかのように思われるが、しかし当時は左派的な人間は少なかったように思われる。やはりこれだけ宮廷文化の極みに達しているということは、それまでずっと培っていたものがあったからであって、その点私は単に右派的なものが悪いと評しているのではない。反対に左派的なものがいいとも悪いとも思っていない。ただ、文化的な膠着期に、定子サロンのような自由な自己表現を尊ぶサロンが現れたことに価値があったのである。
 当時の人々は、そのような時期であるからほとんどが右派的な考えだったのだろう。それは『枕草子』がどのように評価されてきたかということを見ればわかる。それ以前に、結局は定子サロンが滅ぼされてしまったということを見れば一目瞭然だろう。確かに当時、定子サロンのようなものは珍しく殿上人などに愛されはしたが、しかし道長という巨大な存在の邪魔になり、道長に恐れた殿上人たちはみんな定子サロンを捨て去ってしまったのである。これを考えれば、右派的なものの勝利という構図が出来上がって来るようにも思われる。
 第五章では、その後の『枕草子』にまつわる話が展開されている。今現在でも多少は『枕草子』のほうが『源氏物語』の陰に隠れてしまっている感じがあるかもしれない。だが、私たち若者の感覚ではライバルとして、ほぼ同じ価値のあるものだと感じていた。ところが、それ以前はどうやらそうではなかったらしい。『無名草子』や『伊勢物語』『大鏡』では、『枕草子』ととりわけその作者である清少納言は随分酷く描かれている。史実としては、清少納言は晩年を穏やかに過ごしたであろうと作者は推測しているが、しかしそれらの物語によれば、鬼のような存在として登場したり、自らの局部を抉り出して死ぬという壮絶な最期を遂げたりと、ものすごい伝説が語られている。どうしてそのように語られるかというと、説話の論理では、読者の感覚に寄り添っていればいいのだと言う。清少納言ってこんな感じの晩年を送ったろうねという読者の予想通りであれば説話として成功するわけである。すなわち説話に描かれていることは、当時の読者が想像していたことに近いということにもなろう。すると、それらの物語が指し示す通り、清少納言は相当嫌われていたようである。現在の感覚からすれば、多少出過ぎた部分が確かにあるかもしれないが、しかしその知識教養、それらを駆使して当意即妙で応えられた素晴らしさの方が目につくだろう。ところが、当時の感覚では、女がそんなに出しゃばるものではないという価値観が全体を覆っていたため、多くの人から非難を受けたらしい。
 〈『大鏡』は、中関白家の凋落の歴史をふまえつつ、「女のあまりに才かしこきは、もの悪しき」と、人の申すなるに、この内侍、後にはいといみじう堕落えられにしも、その故とこそはおぼえはべりしか〉(115)と書いてある。当時の人々の認識がどのようなものであったのかがわかる。すなわち、貴子にしろ、定子にしろ、清少納言にしろその知識、教養、才能にものを言わせて、やりたい放題やったからつけがまわったのだということなのだ。確かに、奥ゆかしさのみを守っていた彰子サロンはその後歴史に残ることになった。
 これは左派的、右派的という二項対比的に考えれば、右派的なものの勝利と捉えることができよう。このように考えると、右派的と左派的な戦いは、今から約千年も前から続いていたという壮大な政治を巡る争いの歴史と捉えることもできる。また、これはジェンダーの規範から見てもなかなか面白いだろうと思う。この当時のジェンダー観は、ジェンダーフリーと言われる今現在においてもまだ根強く残っているからである。


 ―終わりに―
 さて、私は何故『枕草子』を清少納言が書いたのかということがとても気になる。それは当然〈この政争の敗北者が、自らの存在意義を保つべく、いかに見事に自らの風雅を全うしたかという事実は、『枕草子』が書かなければ、歴史の闇に呑み込まれて人々の記憶から消えてしまったに違いない〉(258)という部分に集約されるだろう。全てが終わってしまってから、一人田舎に引き込んだ清少納言が、都での波乱の十余年の記憶を思い返して、これを書き遺さねばと思ったのは理解に苦しくない。歴史的にはすでに敗北が決定している。そのなかで最後に反抗するのではなくて、零落してすべては確かに終わってしまったけれども、こんな風雅な生き方ができた人間が他にいようか、という問いになっていると私は思う。そこには、清少納言の培ってきた、まさしくきらめきの感性が作品の根底にある。道長や彰子のことを露骨に批判するのではない。運命や宿命というものを受け入れたうえで、一種の諦念を持ちながら、それでも美しく生きることができる人間の素晴らしさを表しているのではないかと思う。
そうした意味で、『枕草子』は一見すると単なる自慢話に見えるかもしれないが、より深い人間性がその根底に流れていると感じる。

(文字数、9,907字)

参考文献
藤本宗利『感性のきらめき 清少納言』(2000、新典社)

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

幽玄

Author:幽玄

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
141位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
12位
アクセスランキングを見る>>
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。