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文学散歩 お茶の水・湯島コース

参考にしたサイト
http://www.geocities.jp/mts_cafe/bunsan_yusima1.html


 御茶ノ水駅から、「山の上ホテル」へ
 明治大学という、日本でも有数の(超金持ち)大学の前を通り、とても居心地の悪いなか、山の上のホテルへと向かった。それはそれは、大変立派なキャンパスで、我が大学のあの校舎とはくらべものにならないような・・・(以下略)。明治大学のキャンパスは本当に素晴らしい。モダンでいて品のある洗練されたデザインだと思い。私もここに入りたかった。
 その明治大学を越えて、坂を上っていくと「山の上ホテル」。山の上ホテルが建設されたのは1936年。ホテルとして開業し始めたのは53年から。それ以前は日本生活協会が使用したり、戦時中は海軍徴用に使用され、戦後にはGHQの陸軍婦人部隊の宿舎として使用されたりしたそうだ。米陸軍婦人部隊の女性たちが「ヒルトップ(丘の上)」と呼んでいたため、「Hilltop Hotel」というロゴがホテルの上部に掲げられている。
 さて、このホテルが文学と関係があるのはその立地による影響が大きいようだ。出版社が密集している神田から近いということは、締切が迫った作家を閉じ込める場所にしては最適な場所、というわけで多くの文化人、作家がこのホテルで執筆をしたようだ。そのため「文人の宿」などという異名もついているようだが、大半は編集の人間に軟禁された作家が多いわけだから、「文人の牢獄」とでもしておいたらいいだろうと私は思う。
 川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、伊集院静らがよくここに滞在して執筆活動に打ち込んだと言われている。檀一雄は舞台女優・入江杏子と愛人関係になり山の上ホテルで同棲し、その入江との生活そして破局を描いたのが代表作『火宅の人』だと言われている。

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 なんだかすみませんが、FC2の規格?で画像が上手く向きを変えられません。

ニコライ堂
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 参考サイトに従ってニコライ堂へ来たは良いものの、一体どこが文学とつながりがあるのかよくわからなかった。ただ、ニコライ堂は御茶ノ水周辺の歴史ある建築物で1962年には重要文化財に指定されていることからも、せっかく来たのだから見ておけということなのだろうと思う。
 私はミッション系の学校に通っていたので、中学時代にもこのニコライ堂に来たことがあった。その時は、課外学習だったので、集団で入った。今回再び入って、当時感じられなかった崇高な雰囲気に打ちひしがれた。当時はあんなに大勢でがやがやと入ったことが恥ずかしく感じられた。ニコライ堂の正式名称は東京復活大聖堂。日本ハリストス正教会(日本正教会)の総本山といったところ。私はてっきりニコライ堂はロシア正教なのかとばかり思っていたら、ご丁寧にその質問だけに答えた資料が配布されていた。その資料曰く、様々な正教会は家族のようなもので、ニコライ堂は正教会の教会であって、その下位概念であるロシア正教の教会ではないということである。信者ではないものにとっては、どうでもよいことなのだが、そんなことを言うと信者の方に怒られる。
 拝観料を300円も取られた。おそらくここでも日曜日は礼拝をしているのだろう。だったらただで入れてもよさそうなものである。中には、好々爺のような方が居て、来た人に説明をしてくれる。壮大なステンドグラスを指して、「この方は、聖ニコラウスと言う方で、今から1700年くらい前の人です。聞いたことありません?」と言うので、知らないと答えると、「この方は昔貧しい人々に施しをしていたのです。聖ニコラウスを早口で言うと、サンタクロース。ね、サンタクロースの最初の人です」と言う。そうだったのかと思い、驚いた。聖ニコラウスの対面に位置するステンドグラスには、別の若い男性が居る。なんと言っていたのか失念してしまったのだが、何でも異教徒の人々を救った人で、聖人に加えられているそうだ。この人物にインスピレーションを得て、芥川が異教徒の人を救いたいという気持ちを『蜘蛛の糸』で示したと、その人は言っていたが、本当だろうか。この部分は、ちと怪しいと思う。
 ニコライ堂は、非常に堅牢で、内側からみるドーム状の天井は圧巻。教科書の知識を引用すれば、ビザンティン様式の教会建築で、かの有名なお雇い外国人ジョサイヤ・コンドルの設計だったという。ただし、戦時中に一度焼けてしまって、今残っているのは戦後に建て替えられたものだという。

湯島聖堂
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 橋を渡るとすぐに湯島聖堂に着く。なんと言っても昌平坂学問所の跡だ。なぜ昌平坂と言うのかということが案内に書いてある。もともと湯島聖堂は、五代将軍徳川綱吉によって1690年に創建されたものだという。綱吉は儒教の教えに傾倒していたようだ。自らも『論語』の講釈を行うなど、思い入れようがうかがえる。そして、その孔子であるが、孔子の生まれは昌平郷という場所だったらしい。この名を取って昌平坂学問所としたのだ。日本の学校教育発祥の地であるからありがたい。
 再三の火事や、何やらでそのほとんどは再建されたものらしい。特に関東大震災ではほぼすべてが焼けつくされてしまって、当時のもののまま残っているのは「入徳門」と水屋だけだという。大変残念なことだったが、来場したのが平日だったため聖堂内には入れなかった。二年ほどまえに一度行ったことがある。その当時の記憶だと、確か百円かそこらを支払って入った。中には沢山の儒教の先人たちの石造が立ち並んでいた。他にも、儒教の教えを端的に示した、天秤につるされたような水瓶があったのを覚えている。

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せっかくなので孔子の御尊顔を拝見しておこう。なんでも世界一高い孔子像らしい。


神田明神(神田神社)
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 さらに北を目指して歩くと、神田明神に付く。普通の町中に突然石でできた鳥居が出てきたらもうすぐだ。鳥居の下からまっすぐに本殿へと突き抜けて行く道は気持ちがいい。神田明神は、天平2年(730)武蔵国柴崎村(現在の将門塚付近)に創建。国土鎮守の大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る。大己貴命とは、大国主の若い頃の名前であり、大国主を祀っていると言っても良いのだと思う。だいこく様と言った方がわかりやすいかもしれない。案内には三柱の神をまつっていると書いてある。一の宮がだいこく様で、二の宮が少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびす様)、三ノ宮に平将門命(まさかど様)である。商売繁盛のえびす様が居るので、よく社員が大挙してやってくるという。
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 文学との関連は、何といっても野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」。私は読んだことがないのだが、主人公・銭形平次が神田明神下の長屋に住居を構えていたということだけは何故か知っている。勿論、小説の話であるから、架空の人物ではあるが、御大層なことに銭形平次の碑が、本殿東側にある。その横には、作者野村の旧宅にあった灯篭まで持ってきて置いている。
 また、国学発祥の地という黒い石碑がある。荷田東丸(かだ の あずままろ)という国学者が居て、この神田で国学を弟子に教えたと書いてある。他にも文学とは関係がないが、「力石」などがある。
 何故かわからないが、角田竹冷の句碑もある。正岡子規と交流のあった俳人。

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妻恋神社
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 湯島天神へ向かう途中に、右へ入る道がある。するとすぐそこに妻恋神社がある。一体この神社はどういう関係があるのかわからなかったが、参考サイトに乗っていたので、一応足を運んでみた。随分こじんまりしていて、しかも神社の前にはホテルがあったりと、大変可哀想な境遇にある神社だった。
 この神社、何を祀っているのかというと日本武尊の妃、弟橘姫命だ。古事記にある、日本武尊が三浦半島から房総半島に渡る際に、大暴風雨に逢った。その時弟橘姫命が自分の命を海に投げ出して、海の神を鎮めたというのだから、大変なお話である。命を粗末にしてはいけないけれども、自分の命を誰かのためにと投げ打つことができる精神性のようなものには驚嘆する。


湯島神社

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 さて、いよいよ今回の最大の目的地である湯島神社に到着だ。湯島天神と言えば、かの学問の神様菅原道真公が祀られていることでも有名であるし、他にも泉鏡花原作の『婦系図』で有名になった湯島の白梅がある。
 菅原道真と言えば、左遷さえた際に故郷を思って歌った「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」が有名である。道真公を祀った神社は他にもいくつかあるが、とりわけ湯島神社には梅があるぶん、強い結びつきを感じる。
 だが、中古のことや歴史のことをあまり詳しく知らない私にとっては、それよりも「湯島の白梅」の方がなじみがある。原作には登場しないのであるが、当時大ヒットした、泉鏡花の『婦系図』をもとにして行われた演劇の『婦系図』に「湯島の白梅」の場面が加えられた。この演劇も大ヒットして、いつの間にか『婦系図』と言えば「湯島の白梅」ということになってしまったらしい。

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 境内には、泉鏡花の筆塚なるものがあった。単に泉鏡花の書いた文字を石に彫ったものを置いてあるだけなのか、何か鏡花に由来するものが埋められているのかはわからない。他にも、「新派」と書かれた奇妙な石碑があった。『婦系図』の演劇を行ったのが新派劇と呼ばれる演劇一派だったことからこの石碑がある。
 合格祈願のために絵馬が溢れるようにかけられてあったのには驚いた。せっかく来たので、我が友人たちの試験合格の祈願もきちんとしてきた。


 せっかくここまで北上してきたので、最後は不忍池を通りながら上野まで。不忍池と言えば、漱石の作品ならしょっちゅう出てくる場所である。一面に蓮の葉があった。もう少し早くに来ていれば蓮が見られただろう。上野まで来て、さて帰ろうかと思ったら、金曜日だったので美術館が8時まで開いていた。ミケランジェロが来日していたのである。今年の夏は、東京にダヴィンチ、ラファエロがやってきており、三代巨匠が揃うという素晴らしい企画だった。今年は芸術の分野が熱い年だったようだ。以前から見たいと思っていたので、入った。ところが、どれもこれも、ミケランジェロ宛の手紙とか、習作とかばかりで、絵画も彫刻もなく、あまり面白い展示会ではなかった。
 今度行く際は、より作家に寄り添った散歩にしてみようと思う。



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はじめまして!
私は明治大学のOBですが以前の古い校舎が好き、というより思い出があります
お茶の水周辺の懐かしい写真有り難うございます
いろいろ思い出します50年もまえの事です
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Author:幽玄

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